2011年11月30日水曜日

蘿蔔





この村にも

過ぎたものがひとつある・・



お聖天さま、お好みの

「蘿蔔」・・

近所の百姓家自前の

「古漬け」である。




お寺に

「手ぶら」でやってくる

自称;檀家たち・・・


「おねがい」を

しにやってくるのに

手土産も、お礼も

ないとは、、、

いかにも無礼である。



礼儀をわきまえた

良家の善男善女は

汗水して立派に

こしらえた蘿蔔を

本尊ご前へ

誇らしげに

お供えをして

その威光を輝かす。。






「舎利」に「こんこ」を添える。

威光倍増である。。


お聖天様の「歓喜」も

倍増するばかりである。。

飲みすぎにはご注意!

フフフ・・・

秘物!!如意宝珠法本尊!






おうごんの龍が

飛んできました。。


「金玉」の宝珠も

持ってます。。


請雨経法を修そうか、

それとも、、、


来年も

良い歳になりますように・・・


フフフ・・・

2011年11月29日火曜日

香炉の灰





妙極堂の教誡で、

浄厳和尚は「奠祭霊魂」

ということを

戒められ、


「香灯」をもって

死者の供養のため、

また、

誦経、真言をもって

供養とすること。

それが重要であることを

明かされた。


ご先祖さんが

「水をくれ~!」

だとか、

「カツカレーが欲しい。。」

だとか、

「酒、タバコを供養してくれ。」

なんて、

催促をするようでは

成仏できていないこと

間違いない・・・


佛飯・茶湯のみの

供養で良い。と、

思っていたが、、

「香・灯」のみだとは、、

潔い。。


香炉の灰も

百円ショップで

最近では

売っているようだが、、


「金剛砂」などと

屋外使いには

便利かもしれないが

やはり、

古来より

ワラ灰、もみ灰が

重宝されている。


売り物の

「灰」を

わざわざ買うのも

勿体無いような気になるが

それくらいのものをケチるようでは

供養も

出来ているとは言えない・・


気の利いた

百姓家などでは

今も法事の時には

自前で

ワラや籾を焼いて

新しい灰を作って

祭壇の荘厳としている。




お釈迦様を荼毘に付したときに

最後にやって来た王には

残りもなかったので

仕方なく「灰」を

持ち帰ったというが・・


「舎利」を取ったあとの

もみ灰、ワラ灰。


西大寺流には

火舎をもって

「五輪塔」と見る。

この秘儀をもってしても

まだ、

毎@香で

煙を供養しようとするのか・・?!


煙に巻かれて

ご先祖さんも

狐にでもつままれているようだ・・



茶道には

「灰」も

貴重なものとして

大切に扱うという・・


仏事には

「灰」も

「おしえ」も

大して大事には

思わないようだ・・

2011年11月28日月曜日

入定留身





高野山大学の先生を

お招きして

勉強会を開催するとは、、

なんとも贅沢な企画です。。


お大師様の「謎」も

いろいろな

証拠を検証して

真実は一つ!!

と、

いろいろ勉強になりました。。


少々私用があって

途中参加、

途中退席。

という、、

失礼極まりない

受講の仕方だが、、

「学ぶ」という

環境に身を置くということ

こそに意義がある。

などと

勝手な理由を付けて

自己弁護をするのみである・・




ゆめタウンがオープンして

徳島県民の8割くらいの人口が

そちらの方へ行ってしまったのではないか・・?

と、

思われるほど、、

閑散とした

交通状況と、

スーパーマーケットの

買い物客の状況ですが、、、


いよいよ

年末モードが

押し迫ってきたようです・・


年末ジャンボ宝くじが

当たって、

悠々自適の

ご隠居生活で

入定留身を

迎えたいものですね。。

2011年11月27日日曜日

奠祭霊魂




浄厳和尚にも

自称;檀家は

汚らしいお茶碗で

お出しし、

ご先祖さんには

金のお椀で

珍味の限りを尽くしたという・・


「六通の目連でさえ、

世俗の食でもって

餓鬼道から救うことが

できなくて、

衆僧三宝を供養するの力

によってしたというのに・・」

「それなのに、

今の人たちは

霊牌に奠して

彼の脱苦を求めようとしている・・

笑うべきことの甚だしき、、

論ずるに足らず。」

と、

厳しい口調で言っている。











「しかればすなわち、、、」




・美饌は三宝に奉施し、

・霊牌には、ただ香灯を弁じて



なるほど、、

山のおじゅっさんが

おっしゃる通り、

祭壇のお供えものは

おじゅっさんへのプレゼントで、、


お霊供膳よりも

ローソン弁当を

2つするという

深い意味が

霊雲寺一統では

正しく理解されているようだ。。

禁供聖天





妙極堂の教誡に

霊雲寺の浄厳和尚は

聖天尊の修法を禁じている

故あることであり

肝に銘じておかなくてはならない・・


「ご利益」をもとめ

「現世利益」を

ひたすら求めるおじゅっさんがいる・・



「@はぁ~~!!、・。:@☆」


ひたすら欲望のまま、、

「祈願、祈念」と称して

神仏を祈るという・・・



宮本武蔵は

神仏は、ありがたし。。

神仏に頼まず。といったが、、


「本不生不可得」をさとり、

仏果を求めようとする

おじゅっさんが

神仏に

「おねだり」することしか

思わないようでは


「神仏に仕えるもの」とは言い難い・・


様々な

「ご利益」を

おさずけ下さる

菩薩、諸天尊も、、

目の色を変えて

駄々をこねるものには

あえて、

お慈悲も垂れはしない・・


かえって冥罰あるを、、

おそるべし、、

おそるべし。。


フフフ・・・

2011年11月26日土曜日

噂の森さん





チョット、、

ワケありで

森伊蔵をゲットしてみた・・


定価:2000円が・・

プレミアム価格だとは・・・


馬鹿なようだが、、

果たして

お味はどうだろうか・・


お聖天様に

お供えしてみようと思われる方は

是非!

大法螺窟まで、

お送りください。。

お帰りになったおじゅっさん




先代ご住職さまが

お亡くなりになって

はや、10数年・・


歴代住職の

ご浄域であるはずの

境内墓地を

自称:檀家どもが

勝手に

全部売り飛ばし、

僧龍上人の縁故にあたる

方たちも

無縁さんに

されてしまって

風呂や、便所、

古井戸の跡までもが

勝手に

売り飛ばされた・・


すでに、

私をはじめ

今後、晋山すると思う

歴代のおじゅっさんには

没後の

安住するべき

墓所がない・・


先代ご住職も

無理矢理、

今の場所にお墓を

建てたような形だ・・



先月、奥様も

お亡くなりになり

息子さんが

分骨を

申し出て来ました


後からよく考えて、、

分骨する意味もないし

「全骨で、お持ち帰りに

なってはどうでしょうか?」と、

元のお寺に

お帰りになられました。





たかののやまに

みをとどめ・・とは言うものの、、


お大師様の

お墓にも

100年後に

開けたときには

もぬけのからっぽ

だったそうである・・


一体どこへ行ってしまったんでしょうね、、


京都の方たちは

身は、高野に留むとも、、

お大師様の「お心」は

みやこにある。という。。


おじゅっさんの舎利は

そこになくとも

「お心」だけが

たしかにあればそれでいい。。


あとは野となれ、

山となれ。。


おじゅっさんのお墓は

無縁さんに

されてしまう時代・・


お大師様も

これを見据えて

そのみを

お隠しになられたのか・・・?


お寺は

おじゅっさん抜きの

イベント会場・・



そこに

阿弥陀おじゅっさんは

いませんから・・





フフフ・・・

2011年11月25日金曜日

伝授のなんたるか




http://hukumanji.blogspot.com/search?q=%E8%8B%B1%E6%B5%B7



浴油伝授というものは

特殊で

他にはない修法だ


この伝統というものは

師匠から

弟子へと

直接、、

教えこまれることが基本である。


伝法を受けて

一流を伝授されれば

教えられてはいない

「箱伝」に関しても

熟達していなければならない。


過去の有名な

流派の祖師たちも

「伝授を受けていない」

などと、他師からの

批判もあったりもするが、、、


実際にその流に

入ってみなければ

ありがたい

聖教にも

たどり着くことはできない・・


弟子たるものは

師匠の「粗探し」

をしていたのでは

それ以上の

境地にたどり着くことはできないだろう・・


むしろ、、

正しい教え

を求めて

あらゆることを

学び取る力

が必要だ。。



「秘伝なんかないよ・・」

柿袋の中身は

何もないかもしれない・・

以心伝心、、

ただ、不可得の境界のみ

フフフ・・・

2011年11月24日木曜日

儀軌、発見!!





ゆめタウンが、徳島にもできて

大型ショッピングモールの進出に

いろいろ考えるものもあるが、、

思っていたほど

混雑もなかったし

「変なもん屋さん」は

いくつかあって

おもしろそうだが、、

たいして

買うようなものもなかった・・


本屋さんで

たまたま見つけた

問題の「儀軌」・・・


「返せ!返せ!」と、

言われるままに

訳も分からずに

「引渡し」してしまったようだが、、、


本当にその本は

お前たちのものなのか?!!!











浄厳和尚は

「儀軌伝授」など、

小野の安祥寺の聖教を

ほとんど全て

儀軌為本の全面改訂を行い

「諸儀軌ホン承録」など、

霊雲寺一統は異端。

と言われるほど

密教史に異流を残したが、、

学ぶべきところが

実に多い。


小野の安祥寺こそが・・

という、

極端な思想の下

自己の流派を

「大師の嫡流」で

最高、深遠な「御簾の流」と

誇張しているが、、


端緒となるのは

京都・仁和寺の大僧正、

孝源阿闍梨の伝授に

よるものが大きいのだろう


小野は、師伝に重きを置き、

広沢は、儀軌を重く見る。



広沢のみやびなお流儀に

異議を唱えることなど

してはならぬ時代であったからか、、

当時の高野山では

中院流よりも

安祥寺流を重んじ、

山上では

様々な流派が

優美を競ってもいたが、、

浄厳和尚は、安祥寺流をもって

儀軌に忠実なものと

試みようとした。。


今では、広沢方の

諸大寺院の方が

数的に、マイナーな一派なので

軽く見られがちのようだが

その流れと

格式に至っては

高野山などは

足元にも及ばない。






本日は

「教学講習会」で

お勉強してきます。



布教でも、

講習、講伝でも

必ず、むかしは「洒水作法」が

あったそうだが

密教の「おしえ」は

すべて厳重であり、

南天竺の鉄塔内での

伝授に擬せられる。



『十巻章』など、

「不読段」があって

未灌頂の初心者にも素読を

教え込むが、

「不読段」は、読むことなく

飛ばすことが伝承である。



教えてくれない

秘密にするには訳がある。


この、手順を踏まなければ

密教の奥義には参入することはできない・・


最近では、「不読段」も

飛ばすことなく

おしえてくれることが多いが、、



勝手に自己を

正当化して

手順を誤れば

知らぬうちに

「道」を踏み間違えることとなるだろう・・












ただただ、

ありがたい大師の教えに

したがって、、

み教えを

学ぶのみである。。

2011年11月23日水曜日

奉請・高野四所明神。





丹生・高野、

両大明神は

誰もが知っているようだが、、


四所のうちの

2箇所が

ときどき

わからなくなる・・・




・厳島弁財天

・気比明神


安芸の宮島は

神社神道に

取って変わられているようだが

弁財天は

仏教から来た

神様に間違いない。


気比は、、

どこだろうね・・・



フフフ・・・

鳥足縫と馬歯縫。






急に寒くなりました。

ストーブも

ようやく活動を始めました。。


軽くて暖かい

お衣が、、

欲しいものですが、、


最近では

お仕事は

「葬儀会館」で

冷暖房が完備されていることが

多いので


袈裟、衣に関しては

着込んだり

極暑、極寒用の

特別なものは

必要がなくなりつつあります・・













ミシン縫いのお袈裟しか

見たことのない

おじゅっさん・・


「開葉」と

言われても、、、


何やら

よくわからないようだが、、


なぜ、

そうするのか?・・

と言われても

実際よくわからない・・



プリーツになって

着やすいのか、、


強くなって

長持ちするからなのか、、


それとも、、

アジが

出るからなのか・・?



「染」も、

いい感じだ。。



フフフ・・・

2011年11月22日火曜日

GNHと浄厳和尚





国民総幸福量。

国民の殆どが

幸福感を感じているという・・


「少欲知足」は、

仏教の教えだが、、


なんだか、

皆が口を揃えて

ニコニコしながら

「幸福です」「最高です」

などと言っているのを見ると

新興宗教に

踊らされているだけ

のように見えて致し方ない・・


仏教の教えでは

全ては「苦」

四苦八苦。であると

見ることから始まる・・



浄厳和尚が

お亡くなりになられる病床に

御典医様がやってきて

「どこか、苦しいとこはございませんか?」

と、

おたずねに、

和尚は

「仏教が心のままに

広まらぬことが

心苦しゅうて居れません」と・・



不可得なり。

不可得なり。




幸福もまた、

不可得なり・・・

「ゴ」と「キラ」







ブータン国王も

お帰りになったようです。


民族衣装を着て

あちこちで合掌するシーン、、


お若い方が

凛々しく

仏教の教えを語る場面は

「自称:仏教徒」

である日本人に

何かしら

仏教徒としての自覚

を促したような気もする・・・








年寄りたちも

合掌するのが

小っ恥ずかしくて

カッコ悪いような、、


あるいは、

おじゅっさんに

従うのが

嫌で居れないのか、、


だらしのない

中途半端な合掌で

股ぐらにうずめて

見苦しいだけである・・・








外国の民族衣装を

羨ましがり、、

自国の民族衣装を

着ることもない

日本民族たち・・



「ブータンの民族衣装は、

『ゴ』って

いうんだってね。。」


「女性は、『キラ』って言うんだって、、」




















「kimono,キモノ」しか

知らないようだが・・

日本のキモノも

またの名を「ゴ」といい、、


女性が着る服は

「綺麗」ということも

知らないのか・・・




数の数え方も

「イチ、ニ、サン、シ、ゴ、

ロク、シチ、ハチ、ク、ジュウ」



「わぁ!」

「日本語と同じだ!」

驚くことはない・・




北京語ではないが

どちらも

同じ、中国語。




「呉」の時代に

やってきたのだろうか・・?

2011年11月21日月曜日

神王を使い終わって、慙謝すべし






恐れ多くも

神様や、明王さま、

阿弥陀様や菩薩様に


こっちに来いだとか

あっちへ行けだとか、、


挙句の果ては

仏教を信じもしない

戒律も、おしえも

守らない、、

おじゅっさんに

敵なす者たちを

死んだからといって

おじゅっさんにしてあげて

伝法灌頂まで

サービスしてあげて

御布施までも

まけてあげるという・・・



「サービスしすぎぢゃッ!!」

といって、

極楽浄土のお寺の

おしょうさんから

こっぴどく

はってはってされて

叱られそうです・・





あるお寺さんで

後任住職の相談で

「総代会」を開催して

「議決」を諮ったそうだが、、


新しく

着任しようとした

おじゅっさんが

「どうぞ、おあがりください」

「奥の部屋でございます」

と言って

玄関のところで

ご案内したところ、、、




「お前!!」

「ワシに指図しよるんかッ!!?」


などという

逆ギレ(?)を

されたそう・・・



おじゅっさんは

早々に、住職就任を

お断りしたそうだ・・・


全く、こういうお寺は

潰れてなくなってしまえばいいのに。。


自称:総代の罪、、

量り難し。。

大元帥明王さまに

はってはって

無間地獄で逢いましょう。



慙謝すべし。

慙謝すべし。


大元帥明王様、

今日もありがとうございます。

2011年11月20日日曜日

出家求道の本懐





久しぶりに

いいお天気です。


年末の

寺務も山積みですが・・・





福智円満し

二資糧は、求むべきも、、


巨万の富を求め、

富と名誉と

そのまっただ中に

身を置くべきではないだろう・・


聖衆と、善友の

真っただ中に

身を置いて

安住し

チヤホヤして

欲しいものだが、、、




目標を見誤らず、

「道」を

求めるべきである。


道もいろいろあり、、

道を誤れば

迷うのみである・・


まさしく

仏道なのか、、

否か、、

・・・・

2011年11月19日土曜日

お十夜も終わり・・





静かな「大法会」でした・・

雨も降り、、

しめやか(?)なうちに

おきょうの練習が

終了です。


興行をして

おじゅっさん、

丸儲けで、

「書き入れ時」と

思い込んでいるようだが、、、


某大寺院の

おじゅっさんのところにも

税@署がやってきて

宗教法人の通帳にも

「これは個人収入ですね。」

などと言って

言いがかりをつけて

「宗教法人非課税」の

大恩恵を

根こそぎ覆すという

宗教弾圧が

行われ始めたようだ・・・


自称:本山。なども、、

好きなだけ

お金を集めて

搾り取っていって

無駄な事業や

無意味なイベント活動に

散財をしている・・


おじゅっさんは

代表役員などという

肩書きだけ

付けられて

責任だけは負わされて

「あがり」は

すべて身ぐるみ剥がされて

雇われ・シモベの

レッテルを

どうにでも

貼ろうと画策しているようだ・・・


ますます

やりにくくなりつつある

「寺院経営」・・・


収入もなく

いい金づるに

されるだけの

おじゅっさん・・

そんなお寺を

だれが、跡を継いでいく??


おじゅっさんのいない

「おてら」だけが

むなしく

あとの残るだけなのか・・


それとも、、

フフフ・・・

2011年11月18日金曜日

お十夜








「お十夜」というのは

阿弥陀経から

来ているらしい・・


「五日三時」というのが

正しいようだが、、

今では

5日もしていないし

3時に、

ということもない・・


理趣経法は

「中院流」の看板行法の

ように思われているが

法三宮、真寂法親王さまの

お次第が

小野から

伝えられたようだ・・


なら、

これをこのまま

大覚寺の御法流として

使っても

同じということだ。。


勧修寺、随心院には

秘法部としているが

高野山あたりでは

「なんだ、理趣法か・・」とか

一座の修法を

修行するのに

「理趣法なんて・・」と

入門編くらいにしか

思っていないようだ・・・


岩原諦信師の四度加行次第には

理趣経法の1冊が

加えられているので

「どうして、他の次第には

付け加えられていないんだ!?」

などと、

「おまけ」がないことに

損をしたような、、

納得がいかないような、、

そんな方も

いらっしゃるようだ・・・





徳島の南部地域では

「投げ銭供養」なる奇習があるが

檀家、各家ごとの

戒名をいちいち読み上げて

それに対して

銭を投げつけて

「音がするほど、いい供養になる」

というのだが、、


大法螺窟周辺地域では

投げる銭どころか

供養の銭も

喜捨するものはいない・・・




アウト!である。

フフフ・・・

2011年11月17日木曜日

戒は、摩尼珠の如し。







仏教の仏教たる

おじゅっさんの

おじゅっさんたる。


議論すれば

尽きることはない・・・



しかし、

金口に異議を唱えるは

してはならぬこと・・


おじゅっさんですから、、

フフフ・・・

泉の神々







泉に棲む神々。。。



金の神様。銀の神様。

そして、銅の神様。。










あなたがなくしたのは

この、金の神様ですか・・?


それとも・・・


フフフ・・・












昨日のご縁日も

大盛況で、、

法話もはずみ、、

12時前まで・・


ひみつのおしえ。










歓喜天様も

「拈華微笑」して

ニヤニヤしてました。。


金口直説は、

じつに、ふしぎな

ありがたい教えです。。

2011年11月16日水曜日

歌舞作楽故往観聴。






歌舞、音曲のたぐいは

鑑賞して

これに、耽ってはならぬという

「沙彌の戒」


高野山から出版されている

中川善教先生の

「得度式次第」よりも

霊雲寺一派の

「度人要軌」の方が

はるかに

懇切丁寧だ。


四分律と、

有部律との違いが

垣間見られるはずもないが、、

学すべき律儀が

いろいろと

見えて来て参考になる。。







芸能人や歌手を

お寺に迎えての

イベントに目の色を

変えているようでは

本尊さんの

三摩地も

見えてはこないだろう・・・

2011年11月15日火曜日

あすのご縁日





あすはご縁日。

朝晩、ずいぶん寒くなりました

暖かくしてお参りください



夜、だいたい7時ごろから

ひみつの法話。

ご祈祷。

怪しいお@、セ@@ムさん2







怪しい卵焼き・・・


暗闇に輝く・・・


「何か入っとるんちゃうん!?」

一体何が・・・



夜光塗料だろうか??


保健所に問い合わせたほうが

いいのだろうか・・?

ほんとうに

きれいに

光っています・・・

2011年11月14日月曜日

親の形見の五字忠吉。




「肥前の国、忠吉」

わたしもほしい・・

誰か奉納してくれんかな・・



奉納料が、「金50両」。。

おこずかいが、30両。。

なんとも、太っ腹である。。


最近では

「物納」だけで、



奉納料を付けるという

心意気も

忘れ去られてしまったようだが、、


美しい、かつての義侠心、

孝順心。

見習いたいものである。

脅威!!





TPPやら、尖閣やら、、

何が「きょうい」なのか??!!

わからなくなってしまったのか?

ニッポン人!


政治家は

すぐに「変換」できないのか・・?

2011年11月13日日曜日

高座に坐し、高床に臥すべからず。





八戒、沙彌戒には

高座に坐してはならぬ。という・・


また、比丘は

立って説法をしてはならない。





どうも、

「高座用」などと言って

座布団屋さんが

おじゅっさんの座布団を

噺家に売り出し中のようだ・・


還暦や米寿に!

などといって

おじゅっさん用の

お座布団を

一般人が

うれしそうに敷いて、、

噺家が

立派な座布団で

威厳を見せるようになったのは

最近のことではないだろうか・・?


地域によっては

正しいお作法が伝わり

仏壇や、法事の祭壇では

「おじゅっさんのお座布団」

をおまつりして

「お供え」を置いて

ご挨拶させていただくときには

お座布団は外し

親戚のご挨拶や

家の者が

おじゅっさんに

ご挨拶するときには

まず、

あてがった座布団を

外して取って

座しての禮をするのが

礼儀である。




おじゅっさんの

「お座布団」の上に

どっかと、腰を据えて

お線香をあげたり

「おじゅっさんちょっと、

どいてんか?」などと、

おじゅっさんをどかそうなど、、

無礼千万である・・・


ご親戚や、

ご先祖様を

まず、もてなそうと

心がけているようだが、、、


肝心の

おじゅっさんや

三宝への礼儀を

忘れているようである・・


たかが、座布団。

されど、、、


フフフ・・・

2011年11月12日土曜日

三井英光大僧正の聖天さま





浴油供の道場を備えた

立派な大寺院でも

秘法を伝えていなければ

法によって

祈ることはできないし、

秘法を伝授されて

伝えたとしても

法具、道場がなければ

聖天尊をおまつりして

法によって

祈ることができない・・











先日、久しぶりに

さるおかたと

電話会談をしていると、、



「どうも、うちに

三井僧正の聖天さまが

あるって、うわさがあるようだ・・」



「現物がですか?」



「そのようだ・・」








三井英光老師さまが

ご存命中、

毎日、浴油供を

修されていたときに

その現物を拝借して

鋳型を取って

数躰を

写し取った。。


そのうちの

2躰が現在、

ここ、大法螺窟に

来臨影向し給う覧。


しかし、、、

風のうわさによれば、、

1躰は、黄金の聖天様で

すでに、生駒さんに

納められ、

1躰は、童学寺さんに

納められ、

1躰は、元の

三井師の道安寺さんに

納められて

淳司僧正が

「あ~、ありがたい。」

とおっしゃって

拝まれているという・・・







「なんで、納めちゃうんだろう?」




「どうも、お聖天様を扱いきれず

御給仕できないとか、、

怪しい、自己流の拝み方で、

お聖天様に気に入られず

いろいろ不思議なことが起こって

恐ろしくなって

手放すようですが・・」




「いや~、、実にありがたいね。

それだけ、霊験があるってことだね。」



「ただの、写しではないようです。」



実に、お聖天様が

おいでになり、

お去りになられることは

不思議不思議であり

ただただ、霊験によるところである。

2011年11月11日金曜日

また瞑想の日々





山喜房佛書林から

勝又俊教:編集

『弘法大師著作全集』全3巻。




「しんごんのおしえ」の

基本となる書物だ。


とにかく、

おがんで、おがんで、おがんで、、

目もくれず

耳も貸さず

拝み倒せば

何かが起こる、、、などと

淡い期待を持って

おがみたおしているひとたち・・・


遍照金剛、言ったところで

大師が何を言わんと

されたのか、、、

理論、教理も知らずに

何かがわかったつもりで

ただ、

我武者羅に

突っ走ったところで

目的も持たず

行ったところで

無意味で、

達するところもない・・


ナビゲーションが

あったところで

ハードと、ソフトと、

使いこなせなければ

目標にたどり着くこともできない・・









お大師様が

草堂の瞑想で、

感じ取ったこと、


山のお寺の

瞑想で

思ったこと、、


静寂の中で

考えたことを

末徒として

知るべきである。




むかしのおじゅっさんは

暗唱できるほど

祖典を

繰り返し読み込んだというが、


昨今では

研究したら

それでおしまい・・





いわゆる~である。


と、お大師様も

古典を引用してくるが

頭の中に

全てがインプットされていなければ

そういうことはできない・・


仏教の大海は

広すぎるかもしれないが、、


真言のおしえの

ちいさな泉くらいは

チャプチャプしたいものだ。。

2011年11月10日木曜日

島田の五重の塔





十三重の塔様式の

五重(四重?)の鉄塔が

出現した!!


なんとも巨大な

鉄塔である・・


常恒に

電波を飛ばして

説法するという・・


実に、ありがたそうである。。

2011年11月9日水曜日

絵馬奉納(トラ)





絵馬を奉納していただきました。

ありがとうございます。




むかしは

寺社に

ほんものの

牛や馬を

奉納していたそうだ。。


聖教には

「競馬の鞭加持作法」が

伝えられているが、

きっと、おじゅっさんも

駿馬を駆っていたのであろう・・・(笑)









立派な鉄の馬に乗って

おじゅっさんも

「道」を説いて

走り回りたいものだ。。。


四国の道は

もちろん、

「同行二人」だ!

巡錫(じゅんしゃく)





学校の先生が

読めないから

調べてきてって・・


仏教用語には

難解な用語や

難読の専門用語が

たくさんありますね。。


高見寛恭阿闍梨さまが

「錫杖伝授」を

された時には

見たことも聞いたこともない

貴重な資料を使って

錫杖の解説を

されたようだが、、

『修験道章疏』に

その殆どが

収められていた・・・








「巡錫」とは、、

錫杖を持って

各地をめぐり、旅をすること。。


「掛錫」とは、、

錫杖は、寝かしておいたり

横に転がしておいたりしてはならず

立て掛けるか

木の枝などに

引っ掛けて

置かなければならない。


或いは、

錫杖袋に、頭だけ外して

杖と別にして

大切に仕舞っておかなければ

立派な「お宝」を

盗まれかねない・・



「錫杖って、、、

熊(・(ェ)・)や、ヘビを

追い払うんだよね」


いや、それだけではない。







魔を払い、

邪悪を払う。。。













「用法」を知らなければ

ありがたい錫杖の全てが

理解できたとは言えない・・・




フフフ・・・


不信者令信、不信者令信・・

帰依三宝、供養三宝。

2011年11月8日火曜日

東大寺の授戒会







なんと、、

26年ぶりに

開催されるのだという・・・


伝統も

それでは、

ほぼ、途絶えかけではないのか!?


まあ、しかし、、

我が、大@寺は、

今まで

その伝統すらもなかったようだが、、

最近、急に、

降って湧いたかのように

始まった・・


高野山の伝統なのか、、

どこの伝統なのか?

或いは、

弘法大師様直系の

ありがたい伝統なのか、、

四分律なのか?

有部律なのか?

梵網戒なのか?

或いは、、

正法律なのか・・・?


それとも、

ぶっちゃけ

それらすべてを

兼傅して

「大小顕密の諸戒は、

漏らすことなく

ことごとく相承している!」

としてしまうのか・・・












高野山住職会蔵版の

「授戒会法則」は

泉智等や栄厳などの

奥書きもあったように思うが

有部律の本拠地も

いつのまにやら、

我が正法律に変わったのか・・?

「とよあしはら、みずほのくに、

おおひるめのみこと・・」

高野山の伝統行事も

違う伝承に

すり替わってしまって

いるようである・・


布薩も

梵網戒主体の

「梵網布薩」しか

行われていないようだが、、

四分律戒経や

有部律戒経を

持ち出して来て

250戒を

儀軌通り読み上げて

行われるということも

無いようだ・・・




ああ、学すべきところの

律儀・・・


「なんじゃ、そら・・」

と云う、おじゅっさんも多いが

授かって

勉強くらい

したいものです。。


だって、

おじゅっさんなんだから・・・

2011年11月7日月曜日

十八道






キンタマーニで

まったり

も、いいが、、






「聖如意輪観音念誦次第」も

味わい深く

奥が深いものである。



基本や基礎を

おろそかにしがちであるが

密教の世界も

秘法や秘伝、

最高の・・とかいって

無いものねだりをして

衣裏の宝珠に

気づかないおじゅっさんが多い・・


慈雲尊者は

四度加行の十八道修行の時に

宗教体験をされたというが、、


最近では

怪しいものたちが

霊界通信をして

それを自慢したり、、

未ださずけられないものを

勝手に修法して

密教の秘法を

弄んでいるようである・・


それでも、

佛菩薩のご誓願は

衆生を照らさんとするのか・・?



中院流では

十八道は

大日如来を拝むのであるが

無色透明、無味無臭で

意味が分からない・・

などというおじゅっさん・・

まして、

両部不二の

深旨が

理解できようはずもない・・


小野派においては

この、如意輪観音を

まず、拝むのであるが、、

チンターマニの

最極秘も

最初にさずけられて

よく分からないようだ・・


ダド、ダド、

ああ、知っていますよ、、

ああ、拝めますよ。



知っても

拝んでも

何がお大師様と

違うのだろうか・・?


まだまだ、

知らない何か

が、あるのだろうか・・・


自己流で

満足を覚えているだけではないのか??


ただただ

大師の教えのごとく

ひたすら

基礎に忠実で

たがうことのないように

ただ、

間違った方法で

基本や根本から

外れることがないように、、














道に迷うことのないように・・



フフフ・・・

2011年11月6日日曜日

れいを見る





おじゅっさんが

お亡くなりになりました。

「どういうご関係ですか?」

などと、

交友関係を

問いただそうと

「義理人情」のない

おじゅっさんが増えたようだ・・



今日のおじゅっさんは

知ってはいるが

「オトモダチ」ではないので

行きません。



おじゅっさんの世界は

一般人よりもややこしい・・


「ご法礼」「お車料」

を、目当てに

お葬式だけ寄ってくる・・

などと、

義理を欠いた

ことを言う輩・・



@まんえんくれるから、、

同額、お包みし返さなければ・・

などと、、

道理を心得ているようで、

実は、不義理・・・


お経を上げに来てくださった

おじゅっさんに

お布施もない

お礼もない

法嗣は、

そういう不義理を

してはならない・・


おいくら

お包みしてよいものやら、、

冠婚葬祭の常識を書いた本にも

常識を超えているのか

あるいは、

逸脱しているのか??

おじゅっさんの

お付き合いまでは

書かれてはいない・・・


100人の

おじゅっさんが

押し寄せてきても

当院のような

貧乏寺には

大入り袋の

ポチ袋くらいしか

出て来そうにない・・




「だんか葬」などと

偉そうなことを言って

寺銭を奪って帰る

自称:総代。たち・・・


葬儀委員長で

名誉が欲しくて

たまらないようだが、、

ご挨拶では

死者をたたえることもなく

仏法を褒め称えることもしない


「どうするぞ?」

などと、

皮算用だけは

とりあえず何度もするが

結局、何も決められず

「あとのお支払いは

お寺の寺族の方で・・」

最初っから

出来ないことなら

混ぜ返したり

残金だけ

尻拭いさせたり

しなければ良いものを・・・










ああ、菩薩勝慧者・・・


おじゅっさんは

死んでも死にきれないのか・・?




フフフ・・・