ご祈願・祈祷の寺、大法螺窟。本尊、虚空蔵菩薩様、大聖歓喜双身天王さま。古くから霊験あらたかなお寺として信仰を集めている。そのむかし、弘法大師さまがご修行の時、虚空蔵求聞持法を修すため一夜にして建立したと伝えられる。ありがたい由緒縁起のある寺院。 慈雲尊者の雲傳神道と正法律を今に伝える。天如俊山(閑々子)の伝記や「大悲放生門」「放生明験記」の著者、僧龍上人(大法螺窟と名乗る)の旧跡より御祈祷僧が、ひととなるみちを語りごとする。 毎月16日・夜7時ごろより大聖歓喜天・双身毘沙門天、太元帥明王、加持祈祷・法話会を厳修。今日も、大法螺の音が響き渡る!谷響きを惜しまず!フフフ・・・
2012年3月31日土曜日
黄金の神様を拝む
ロングバケーションで
まったり、、、
とはいかず、、
慌ただしい
強行軍が続いています・・
エジプトからやって来たという
珍しい神様たちを
拝んできました。。
もう、
二度とはやってこないという・・
ありがたい
ご縁に
感激!!!
「コメリ」じゃなくて、
「コシャリ」だとか、、
ピラミッドの
不思議なカレーを
頂いて、、、
「なんぢゃ、こりゃ!!??」
食事中に
京都の井筒さんから
連絡が入り、
法衣履きの
靴屋さんが
倒産したのだそう・・
世の中の疲弊を
ほくそ笑んでいる
愚か者もいるようだが、、
他人の不幸だと思って
笑い転げるのも
今のうちだけ・・
明日の幻と
消え果てるのか・・・?
黄金の神様を
拝みにやって来られる
人たちも
まだまだ
これだけいるのだな、、
なんて、
思いにふけりながら
120分待ちの
行列を
忍耐強く、
待ち続けた・・・
2012年3月29日木曜日
2012年3月28日水曜日
勝って、勝って、勝ちまくる!
高校野球も
はじまりましたね。。
先代住職は
野球がお好きで
少年野球のコーチなどで
ご活躍されていたそうです。
今では
野球にとって変わって
サッカーが
人気のようだが、、
目の色を変えて
やっているのは
どうやら
親の方らしい・・・
「草野球」
という、あそびも
かつては
空き地や
田んぼなどで
していたものだが、、
「草サッカー」
なんてのは
どうもないようだ・・
プロになりたい。
巨額のゲームマネーが欲しい。
などと、
夢見てみても、
目の色を変えて
やってやって、
ヤリまくってみても、、
才能が花開くのは
ごくわずかな
選ばれた人のみ・・・
それなりの努力を積んで
手順を踏まなければ
草野球程度では
どうにもならない
ことくらい
分かりきったことである。
浄厳和尚は
途中出家の
いわゆる「中途坊主」と
幼少からの出家者と
事分けて
一生、黒衣、下座として
厳戒としたが、
故あることである。
2012年3月27日火曜日
如意吉祥
2012年3月26日月曜日
息子に買った、ルノーが届く
水ぞれが
降ったようです・・
注文していた
息子のルノーが
届きました。。
ポルポル君の
初七日も
つつがなく
おじゅっさんの
教え通りに
ほとけの教えを
揚げ足取ることもなく
真面目に
執り行われています。。
都会や
都市部では
「道楽」で
道を
ふざけているようだが
まだまだ
田舎や
地方では
「新式」や
ふざけた
仕方ではなくて
昔ながらの
ごく真面目で
先祖伝来の
してきたように
伝統が
どうにかまだ
続いてきているようです・・
都会や
都市部
市街地では
何もかもが
やまってきているようだが
おじゅっさんの
負けではなくて
お前たちの
敗北である・・・
ワシらの
寺や、お宮や
「箱もの」が
次々と
消え果ててゆく・・・・
高野山の
お大師様も
昨年比
2000万円の
減収だそうだ・・
田舎の
お寺の
敗北ではなくて
都会の
儲け主義の
名声だけを
追求してきた
大寺院の「敗北」
であろう・・
寺檀紛争を
住職の資質の低下・・
などと、
言っているようでは
その本質が
分かってはいない。
大寺院のボンボンだけが
「儲け」や「稼ぎ」で
勝ち負けを
判断して
ほくそ笑んでいるしかないだけだ・・
弱小寺院や
地方寺院が
疲弊していれば
大寺院が
一人勝ち
しているわけではない・・
一蓮托生。。
貧乏寺院を
蔑み,
蔑視し
軽んずる
愚かな思いを
巡らすべきではない・・
般若の空寂を
超えたるものは
無い
ということに
気が付かなければ
盛者が、勝ち組で、、
名誉、名声のみに
おごれるものたちが
追随して、
喜んで
楽しんで
いるだけである・・
仏教の教え、
おじゅっさんの
言うところ、、
諸仏諸菩薩の
甚深の大乗が
理解できる先に
批判しているようでは
三摩耶を
踏みにじっている
だけである・・
2012年3月25日日曜日
苦楽吉祥
2012年3月24日土曜日
「仕事」と「稼ぎ」
キッザニア甲子園へ・・・
高校野球も
雨のため、
中止で
混雑に巻き込まれることもなく、、
予約もせずに
飛び込んだので
1部、2部に
別れていることも知らずに・・
で、
ゆっくり
ショッピングモールを
散策して
もうフラフラです・・
このあいだの
「オオカミの護符」も
読み終わって、
最後の方に
「仕事」と「稼ぎ」は
意味が違うのだと。
水汲みや
薪割り
食事の支度や
畑仕事、、
生活にまつわることは
「仕事」であって、
町に出て
「稼ぎ」を
得てくるのとは
違うのだそうだ・・
おじゅっさんも
だれかが、
「生き様だ!」
と、
言っていた人もいたが、、
檀家寺の「檀務」「法務」と、
信者寺の「ご祈祷」や、
札所寺の「おまいり」は、
そういう意味では
「仕事」だが、
収入形態の違う
「違う職種」でも
ベースとなる「仕事」には
真摯に
取り組んで
向き合っている。
「稼ぎ」でも
もうかって
稼いでくれば
いいものだが、、
ボランティアや
イベント活動で
自分の「仕事」や
他人の「稼ぎ」まで
蝕んでいくようでは
愚かしい・・・
ある声明の会の会長さんが
3・11のあと、
すぐに、
水際公園のイベント会場で
「コンサート」の
依頼があったが、
今はその時ではない。と、
お断りしたそうだ。
祈りを捧げる場所としても、
若者たちが
遊び場にしているようなところは
ふさわしくないのでは?と、
疑問に感じ、
後日、企画を
再検討したという。。
毅然として
伝統を守り
ポリシーを持つことが
重要だ。
「オオカミの護符」でも
「ササラ」を
演じて
撮影に応じて欲しい。と、
再三に懇願したが
老人は、かたくなに
「ささらは、神様に捧げるもの」
と言って
拒んだという。
佛道に携わる者が
「月指の迷い」に
陥ってはならない・・・
2012年3月22日木曜日
諸仏の厭悪し玉う所を慙ぢず
菩薩の苦悩するところを畏れず・・
仏教の教えの
何たるかも
学ぶことなく
名声のほしいままに
あるいは、
欲望の赴くままに、
あるいは、
金銭目当てで
勝ったの
負けたのを
ただ、追求する・・
商業ベースに乗せて
地域の電気屋が
なくなって
ついには
大規模店舗の安売り合戦・・
国破れて山河あり・・
後には
近隣市県にまで
買出しに走らなければ
買い物もできなくなってしまった
消費者だけが
取り残されてしまったという・・
久しぶりに見た
盛大な葬儀。
制限時間をすぎて
まだ、
唱え止まぬ、読経・・
立ち上る香煙・・
絶えることのない
焼香参列者の人波・・
助法で
読経においでた
おじゅっさんらも
驚嘆していた。。
同級生は
おポルシェを駆っている。。
母親の里は
@億円で
寺院を普請するという
さきやりのおじさまは
大社長のようだ・・
が、
社交界や、政財界に
おじゅっさんが
いりびったっても
致し方のないことだ・・
「売り物」には、すまい。
2012年3月21日水曜日
世界遺産登録のあと・・
高校時代のの同級生の
お父さんが
お亡くなりになった・・
そういう
世代になってきたのか・・
親戚の方が
食事の席で
おじゅっさんに
親しく
教えを請う。
「世界遺産登録して、
何かいいことがあるんでしょうか?」
高野山も
登録以前には
白い衣装をまとって
「おまいり」にやってくる
熱心な「祈り」で
満ち溢れていた・・
今や、、
カメラを下げた
「観光客」たちが
素通りして
去っていくだけである・・
四国遍路も
遺産登録に躍起になっているようだが、、
昔と違って
お遍路さんたちも
手も合わさずに
見て回るだけのようだ・・
真摯に祈りを捧げ
まごころで
お参りをするということを
教えてこなかった
ことが
原因であろう・・
目先の名声だけに
目がくらんで
お寺を売り物や
見世物にしてきた
結末であろう・・
いよいよ
同級生が「檀徒」となり、
ますます親しく
仏教の教え、
真言の教え、
おじゅっさんの教えに
耳を傾けて
まごころの
信心を
養っている。。
まことに
救われるのは
「爪の上端の砂の数ほど・・」
のようであるが・・
2、3の
金剛子がいれば
密教の慧命は
繁盛し、相続するものである。
双身の利生は
たしかに今もある。
2012年3月20日火曜日
2012年3月19日月曜日
花の色は、うつりにけりな・・
2012年3月18日日曜日
風神・雷神を召喚する
春休みです。
大法螺窟にも
ロングバケーションが
やって来ました!!
仕事もなく、
デフレで
働いても、働いても、
安売りで
身売りして
ニッチモサッチモいかない
ワーキングプアーが
溢れかえっているようです・・
それでも
どうにか
おじゅっさんは
プラプラしているように見えて
刺繍入りの
「お衣」を
身に纏うことが
許されているようです。。
宝くじさえ
購入できずに
疲弊しきっている大衆たち・・
粗末な
衣装で、食事も
切り詰めて
経済的にも
困窮しきっている
自称:「檀家さん」が
増えているようですが、、
「坊主丸儲け」
と言ってみたり、
「貧乏寺」と、
嘲笑ってみたり、、
贅沢な衣装と言ってみたり
穴あきのボロ衣装と
笑ったり、、
巨刹で
おベンツ乗りと呪ったり
ワシらの寺。とは言うが
修繕もせずに
放置して
「住まわせてやっとる」
などと、
お大師様や
お聖天さま、
お釈迦様、ご本尊様を
飼い犬のように
思い込んでいる・・
愚かな信仰である・・
それでもやはり、
おじゅっさんは
神々に護られているようである。。
常随して
おじゅっさんを
護衛している。。
フフフ・・・
2012年3月17日土曜日
2012年3月16日金曜日
皮と種とは、用なきなり
2012年3月15日木曜日
2012年3月14日水曜日
ハンニャハラミッター!!
2012年3月13日火曜日
2012年3月12日月曜日
2012年3月11日日曜日
あれから1年・・・
あれから1年経ちました・・
何をどうして良いやら、、
結局は、
何もできないし、
素人が
いきなりどうこうしても
足でまといにしかならないことに
無力感と
悶々としたものを
感じずにはいられなかった・・
しかし、
結果としては
いろんな意味で
「祈ること」しか
できないのだと気がついた。
「イベント」こそ、
人々の心を癒すものと
信じて疑わない
おじゅっさんたちもいるが、、
人々はやがて
放蕩三昧ぶりを見て
虚構の影を
見破ってしまう・・・
現実生活とかけ離れた
きらびやかな
虚栄心の表れと
名聞のための
「イベント」の
本性を知ってしまう・・
霊雲寺開基・浄厳和尚は
妙極堂教誡、禁供聖天に
「世俗の栄華を求めては
仏法が滅んでしまう」と、
厳戒された。
今日は静かに
黙祷しよう
2012年3月10日土曜日
諸堂荒廃記
高野山は
幾たびかの火災や
落雷、
政治などの要因によって
7度は
荒廃し、
断絶し、
また、復興したという・・
それでも、
昭和のはじめまでは
金堂の本尊も
脇士の諸尊も
火災や盗難を免れて
尊厳を保っていたという・・
寺社仏閣は
古ければ良いというものではないが、
平安時代の
お大師様の
息がかかった
ものかと思いを馳せれば
この上なくありがたい
遺産ではある。。
大寺院のみが
貴く、
弱小寺院は
卑しく憎むべき
と、
思っている
愚か者ども・・
単なる
箱の
大小のみにとらわれて
大きなツヅラを求め
小さなツヅラには
見向きもしない・・
玉手箱を開いて
虚しく
時の過ぎるのを
知るのみである・・
弘法大師様の
息のかかった
ご本尊様にケツを見せて
修禅観法もせずに
歌舞音曲に興じる
宴会場としての
「お寺」を
売り物にしようとしている・・
盛者必衰、
驕れるものも久しからず・・・
2012年3月9日金曜日
守覺法親王の儀礼世界
大法螺窟書庫も
どうにか
片付けたいものである・・・
法会、儀式も
「事相」の
表れの一つではあるが
国家規模で
執り行われていた
かつての
詳細な記録を見れば
歴史の流れと
「聖教」と呼ばれる
伝授形式が
ものすごく
ピックアップされた
かいつまんだものでしかないことが
よくわかる。
「御正流」や
大覚寺御流、
西院流や、保寿院流
などの
廣澤流、、
かつて、
高野山の奥の院の
法流であったという
持明院流などの
ややこしい
研究も
盛んになりつつあるようだが、、
「正嫡」「嫡流」などと、、
今の世には
幻の夢である・・・
いつの時代にも
いかに正しい祈りを
捧げられるか、、
如何に正しく伝えて
学ぶことができるか
であろう・・・
よこしまな思いをもって
学んでも、
祈っても、
神仏に通ずる筈もない・・・
2012年3月8日木曜日
2012年3月7日水曜日
近きを捨てて、遠きを求む・・・
2012年3月6日火曜日
大師再来
久しぶりに
お天気のようです。。
「旧涅槃会」
今日は、宵。
明日は、
親戚のお寺へ
お参りに行ってきます。
うちの涅槃会で
物置部屋を
片付けていると、
かつて捨てられた
お大師さんたちが
ご出現した。
「おはやししてください」
「はやす」というのも
知浄語なのだろうか・・?
一生懸命に
数百年間
お祭りしてきた
お大師さんですら
捨ててしまう
今の世の中・・
おじゅっさんが
托鉢に来ても
法事やお葬式に来ても
「これでも喰らえッ!!」と、
石つぶてか
チャリチャリでも
投げつければいいくらいに
簡単に
考えているようである・・・
「お大師さんの教え」は
知ってはいるようだが、
ただ、「知っている」
だけでは
だめなのだ。
骨身にしみて
み教えを
感じるということは
ないのだろうか・・?
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