2012年4月3日火曜日

有相と無相と事相





「如是説已」は、

高野山では「不読」

であったという


大日如来は

説き終わることなく

永劫不変に

法を説くからだそう



「有相」にとらわれて

輪廻生死の因となって

苦海に溺れて

それでもまだなお


ハヤサスラヒメが

持って行ってくれて

ナシニなるものだと

思い込んでいるが

どぶどぶのようである・・




事相の世界では

「無相」ということも

同時に学ばねば

有相に執して


妙有の阿字門を

解することが出来ない・・



不可得、無所得が

おじゅっさんの負け

に見えて

仕方がないようである・・

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