前原誠司の「直球勝負」(36)
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アメリカと、どう付き合うべきか
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先の参議院選挙で与野党が逆転し、日本の民主主義は新たなステージ、未開の領域に入った。民主党は野党でありながら、国民・国家の視点に立った責任ある振る舞いを求められる。また、その積み重ねが国民の信頼を高め、次の総選挙での政権交代につながると、私は確信している。
選挙が終って約1週間、3カ国の大使や公使などと話をする機会を持った。誰もが「ポスト安倍」に関心を寄せ、何よりも民主党の動向に大きな注目を寄せている。当たり前の話だが、外交団の民主党に対する接し方は、明らかに変わった。有り体に言えば、単なるお付き合い、「保険」の対象から、外交に影響を持ちうるキープレーヤーとして、真剣かつシビアな交渉相手に変わろうとしている。民主党に外交を任せて大丈夫か。現実を踏まえた上で、政策実現を図っていけるかが、問われている。
我が恩師・高坂正堯先生の名著「国際政治」の冒頭に、以下のような記述がある。
「昭和14年(1939)8月の末、独ソ不可侵条約の締結の報に接した平沼内閣は、『複雑怪奇』という有名な言葉を残して退陣した。強い反共産主義のイデオロギーを持ち、みずから、ヨーロッパを共産主義から守る砦であると自認するドイツ、しかも日本と防共協定で結ばれているドイツが、その主要な敵であるソ連と不可侵条約を結んだことは、権力政治的視野に欠ける日本の政府と国民を、文字通り周章狼狽させたのであった。少し誇張して言えば、この『複雑怪奇』という一語に、戦前の日本外交の失敗は現れている。なぜなら、国際政治が複雑怪奇であるのは当然のことに過ぎない。それは、とくに驚くに値するものではないし、まして内閣の辞職の理由になるものではとうていない。」
「人々は現実を見るとき、白紙の気持ちで見るわけではない。白紙の態度で対処するわけではない。人々は事実を認識し、その意味を判断する想定をもっている。現実はその想定から見られるのである。ところがその想定は、国内政治と国際政治とで明らかに異なる。人びとは国内政治を見るとき、そこにくりひろげられている複雑な権力闘争を当然のことと予想している。正義や法について語るときにも、人びとはこの想定をくずしはしない。ところが、人びとは国際政治を見る場合になると、それよりもいっそう単純に、より抽象化された想定から見るのである。当然その単純な想定は、現実の国際政治の展開によって裏切られる。そんなとき、人びとは当惑して、国際政治に適応することができなくなるのである。」
高坂先生の示唆は、私が外交を考える上での基本となっている。国際政治は「複雑怪奇」であり、権力闘争を前提として考えるべきなのだと。そして、その命題は当然、同盟国であるアメリカにも当てはまる。アメリカはボランティアで、日本と同盟関係を結んでいるのではない。国益遂行のため、日本と同盟関係を結び、うまく活用しようとしているに過ぎない。ソ連最後の大統領・ゴルバチョフが総書記時代に言った「外交には敵も味方もいない。あるのは国家利益だけだ」という言葉は、至極当たり前だが、本質を鋭く突いている。
アメリカは今、イラク戦争という泥沼で、もがき苦しんでいる。「進むも地獄。退くも地獄」。外交は、国内世論や国際関係全般を見回して行うべきものなので、アメリカが同盟国だからといって、何でも応援すべきだなどというつもりは全くない。だからと言って、「弱り目に祟り目」の国に対して、全く距離を置くことは日本外交にとって果たしてプラスになるのか。
アメリカがイラクへの攻撃を開始する1週間ほど前、私はワシントンを訪れていた。国務省でアーミテージ国務副長官(当時)と会ったのは、忘れもしない、2月26日だ。それは、私にとっての「2.26事件」だった。イラクへの攻撃は自重すべきだと私は話をした。するとアーミテージ副長官は、今までのにこやかな表情を一変させ、厳しくドスの聞いた声でこう尋ねてきた。「日本が北朝鮮からミサイルの攻撃を受けたら、日本はどうするのか」。イラクの話をしているのに、北朝鮮の話で切り返してきたのだ。日本の防衛をある程度知っているものなら、答えは簡単だ。日本だけなら抗議をするぐらいで、他に何もすることはできない。「専守防衛」で調達された航空自衛隊の戦闘機などの装備では、敵の飛来を退ける「盾」の役割を果たすことはできても、北朝鮮のミサイル基地を叩く「矛」の機能(パワープロジェクション能力)は持っていない。反撃する能力も、それゆえ抑止する能力も、同盟国であるアメリカに頼るしかないのが現実だ。アーミテージ副長官は、その実態を認識した上で、あえて私に質問を投げかけてきたのだ。
私は忸怩たる気持ちで「日本で出来ることを行い、出来ないことは同盟国であるアメリカにお願いすることになる」と答えた。アーミテージ副長官は頷き、自信を漲らせて、こう答えた。「同盟国である日本への攻撃は、すべてアメリカへの攻撃とみなす」。北朝鮮が核などの大量兵器を搭載したミサイルを発射するとすれば、最も可能性の高い国は同民族国家の韓国ではなく、朝鮮半島を植民地支配した日本だろう。しかし、日本には抑止力も反撃する能力もない。表面的には、そのような事態になったら「アメリカに任せろ」という意味だが、本音は「北朝鮮のことがあるのに、イラクにはいちいち口を出すな」ということだ。しかも、アーミテージ副長官は、米政府内きっての知日派・親日派であり、また、パウエル国務長官(当時)と並んで、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官(当時)などのネオコンとは一線を画していた人物の発言だけに、政府全体の雰囲気は推して知るべしだった。
アメリカ頼みなのは、抑止力や反撃能力だけではない。衛星情報やヒューミントなどのインテリジェンス(情報)もアメリカに多くを依存している。北朝鮮の工作船が能登半島沖や奄美大島近辺に出没したが、その存在を知ることができたのはアメリカからの情報提供だった。
自衛隊が保有する主要装備も、アメリカに頼っている。イージス艦、AWACS(早期警戒管制機)、F15戦闘機、ミサイル防衛システムなど、維持管理を含めてアメリカの協力なくして日本の防衛は成り立たない。好むと好まざるとに関わらず、戦後、長い時間をかけて日本の防衛はアメリカに完全に組み込まれてしまった。私は情報も装備などの防衛基盤も、ある程度の自立が必要だと強く感じ、情報機関の必要性や武器輸出三原則の見直しなどを国会で取組んできたが、うまくいっても実現までには10年、20年はかかるだろう。現状は素直に受け入れざるを得ない。
外交でもアメリカに負うところは大きい。北朝鮮の核問題を解決するために、6者協議という枠組みが作られているが、北朝鮮が米朝直接協議を欲するように、カギを握るのは、やはりアメリカである。また、アジア・太平洋地域において、中国の台頭が目覚しいが、アセアンなどのアジア諸国は、中国とはうまく付き合いながらも、中国の影響力が大きくなりすぎることを警戒し、バランサーとしての日本の役割を期待する。シンガポールのリー元首相が再三述べているように、日本の存在価値の一翼を担うのが日米同盟に基づく、アジア・太平洋地域における米軍のプレゼンスである。
アメリカの対日観は大きく変化した。中国の台頭により、日本への関心は急速に薄れつつある。何よりも、政府や議会における親日派・知日派が激減した。これは日本外交の怠慢以外、何物でもない。また、いわゆる従軍慰安婦問題に関する決議に見られるように、中国系や韓国系団体の影響力、ロビー活動は強くなっている。
基地や思いやり予算を提供することだけで、日米同盟の日本としての責任が果たせているとは、もはや言えない。いやむしろ、基地負担や思いやり予算は縮小の方向に努力すべきなのだ。そうであれば、日本は様々な環境変化の中で、日米関係を維持し、発展させ、それを日本の外交力につなげる不断の努力をし続けなければならない。
我が党はイラク戦争に反対してきた。従ってイラクからの撤退は主張し続けるべきだ。しかし、40カ国以上が参加するテロとの戦いからも代替案なしに撤退することは、アメリカとの関係においても大きな影を落とすことは間違いない。「複雑怪奇」で、国益がぶつかり合う国際政治の舞台において、「木を見て森を見ず」の対応にならぬよう、大局的な判断が求められる。
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