2012/5/26

5/27 間違った見方考え方  

▼信心について何も知らない人が知っているような振りをしている。学会であれば、波紋前に入信していた人なら、最初は日蓮正宗の信者であり、法華講の講員であった。宗教の文証、理証、現証の三証。宗教批判の原理、大事なことはその宗教の本尊が何かを学んだはずである。▼その正しい考え方、宗教の見方を投げ捨てて、間違った考えに鞍替えするのは可笑しい事だ。間違いを正すのはやりがいがあるが、正しいことを間違いにするのは意外な行動だ。日蓮正宗から他の宗教に鞍替えして、本尊に疑問を持ち、その疑問をはらす事がないまま続けることは大変である。▼納得できる宗教、曖昧なことを先送りにして宗教を信心することに反省しよう。
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