畑中良輔さん
モーツァルトなどのオペラで多くの役を日本初演し、演奏・指導の両面で日本のオペラ界の礎を築いたバリトン歌手で、音楽評論でも活躍した文化功労者の畑中良輔(はたなか・りょうすけ)さんが24日午後0時2分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。90歳だった。葬儀は密葬で、「お別れの会」を7月7日午後2時から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で開く。喪主は長男貞博さん。
北九州市生まれ。1943年、東京音楽学校(現東京芸大)声楽科卒業後、47年にデビュー。翌年、モーツァルト「ドン・ジョバンニ」のマゼットでオペラデビュー。二期会を主な舞台に「フィガロの結婚」のフィガロ役、「魔笛」のパパゲーノ役などを日本初演した。56年に声楽グループ「青の会」を結成、ドイツと日本の歌曲を中心に指導、演奏を続けた。東京芸大や慶応大、東邦音大などで後進の育成にも力を注いだ。
69年には小規模編成での上演でオペラの普及を目指し、指揮者の若杉弘氏、演出家の栗山昌良氏らと東京室内歌劇場を創設。97年に開館した新国立劇場では初代オペラ部門芸術監督に就任、オペラファンのすそ野を広げた。
評論家として本紙で68年から40年余りにわたって音楽評を執筆したほか、雑誌でも活躍。歌舞伎、舞踊、演劇など舞台芸術全般への広範な知識と考察にあふれた温かな文章で知られた。著書に「演奏家的演奏論」「音楽少年誕生物語」など。日本芸術院会員。