賢い人とは。
一回でも言われた事をシッカリと理解できる。
共通の言語で会話が可能な生き物であれば、同じ事を何度も言われてから
やっと理解する奴は、馬鹿か知能程度が低いという事を自ら証明しているに
過ぎない。
それは相手の不意を突いた言葉では無いのだから。
言われた事にどんな意味があるのか考えられるのが大人であり、賢い人だ。
それも知性の一部である。
直情的な感情で行動するのも結構だが、物事の着地を考えずノープランで行動
する奴は昆虫や動物と何ら変わらないと心得よ。
1ビットの判断で行動する奴はまさに昆虫と同等である。
それは『ついカッとなって人を刺して他意は無い。』という輩と何ら変わらんのだよ。
最近あった出来事だ。
都会でハンティングナイフという不必要な物を始終所持している時点で感情面を
抜きにして計画的なのだよ。
それが必要な有事の際とは、概ね物騒な事に決まってるのでは無いだろうか?
始めから取り返しがつかない事になるという未来を判っていて行動に至る。
これは人間と言うより昆虫や動物なのだ。
人として賢いとは過ちを何度も繰返さない者である。
それが経験を踏まえるという事だ。
昨日今日製造されたモノでも無い限り、経験を糧に行動できない奴は何度でも
同じ失敗を繰返す。
『きっと誰かが助けてくれるから。』
その考えが甘いのだ。
それは必然的に誰かに迷惑を掛けるというフローチャートが頭に無いのである。
経験という見えない財産と等しいと言える事柄でもあるが、物事には積み重ね
という順序がある。
『学問に王道なし。』
余りにも有名な言葉だが、それは多くの人間に言える事柄でもある。
天才と呼ばれる人間は物事の中間過程を無視したり、全く知らない訳では無い。
誰かに言われなくともそれを理解し、説明できる能力を有するのである。
それが天才という存在だ。
中間過程は誰かに理解を求める必要が無い場合が殆どであり、個人によっては
その過程を語る事により自らの評価が下がる事を懸念した上で黙する人間も
少なく無い。
極々稀に理解できる同等の存在がいないから語れないという場合もあるが、
これは明らかに第三者の評価が圧倒的に高い物である。
見るからに中間過程が欠落し、説明不能で博学と称する物事を見聞きして感動
する事は凡人以下の行為であり、真に称賛される事は万に一つもあり得ない。
少なくとも私は大変、素晴らしい内容とは思えない。
笑えるくらいにツッコミ所が満載であり、納得よりも疑問が終始付き纏うからである。
それは該当案件に対し私の知能レベルが到達していないというより、それ以下
であると認識しているからに過ぎない。
ダラダラと書き連ねたが、これはとある人へのメッセージだ。
真の天才であるならば、名も無い凡人の書いたこの内容は理解できると思って
いる。
これを全部理解して読むのが億劫だという時点で、レベルが低過ぎるのだよ。
カテゴリは該当する年齢の子供でも理解可能だという皮肉である。
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