怪文書その参
「告発の書」 1枚目 |
日本で今、何が起きているのか。限度を超えた円高が不況に追い打ちをかける中、阪神大震災後の復興に 息をつく間もなく出現したテロリスト集団オウムにすべての日本人は翻弄され続けている。経済発展の象徴、 世界一安全な国日本、この神話は、今や音を立てて崩れ去ろうとしている。 海外の目、あるいは一般の日本人の目からみても、今の日本の現況を推察させれば、以上のようなものに なるに違いない。だが、多勢の意見が正しい推察になるなら、何の杞憂もなく日本は未来永劫繁栄を謳歌で きるであろう。日本経済の凋落の予兆をよそに、連日連夜マスコミの紙面の大半を占めるオウム報道。だが、 そのどれもが反証すらない一方通行的なものである。実際のところ一体なにが起こっているのか。真実を知 りたがっている日本国民は大勢いるはずである。その意味でこの『書』を手にすることの出来たあなたは幸 運である。この『書』には虐待、黙殺された側の論理が展開されている。この「論理」をあなたに押しつけ る気は毛頭ないが、少なくとも“黙殺する側の論理”と対比させることによってより公平、中立的な見方を 提供できるものと確信している。オウムという集団は間違いなく日本の将来を決めるカギを握っている。そ れを潰すのももちろん日本国民が決めることだが、それは“事実”を知ってからでも決して遅くはないであ ろう。この『告発の書』は、以下の村井秀夫の死に関しての「糾弾」から始まる…。 |
たものであろう。この二つの疑念に対して、まずはそのどちらでもないと申し上げたい。我々はあくまで黙 殺された者たちの代弁者であって、それ以上でも以下でもない。黙殺された者たちの意見などに耳を貸すつ もりはないという方がおられるならば、以降決して続み進まれないでいただきたい。この場でこの告発の書 を破り捨てるなり、燃やすなりするように。我々の忠告を無視して、敵意を抱きながら読み進まれた場合、 “発狂”する恐れがあるということを警告しておく。我々は命を賭けてこの書を作成しており、精神波動が 我々と対極に位置した場合の身体の保障は出来ないということである。ただし、大多数の良識ある日本人は、 これには当てはまらないであろう。 我々が特に対象としたいのは、『悪魔』が関与した「中川藍殺し」の真相を知る者達である。一体、この 日本に、この女児の死の真相を知る者が何人いるのか。もちろんその行為、関与者の数ではない。この真相 を理解し、かつこの悪魔の犯罪を白日の下にさらけ出そうと日夜献身的活動を試みている人達のことである。 なぜ“特に”なのか。それは、この女児殺しの真相の解明こそが、村井秀夫暗殺の真相に直結するものだか らである。連日、一億二千万国民を巻き込みながら、一方的に糾弾されるオウム関与の殺人疑惑、それはそ のまま久間三千年と中川藍殺害容疑に相似的に対応するものだからである。知恵のあるものは、このマクロ とミクロの両者の疑惑形成の過程が瓜二つであるという驚くべき事実に気付くであろう。次なる我々の対象 は、いかなる偏見、先入観にも捕らわれることなく、真実、真理を探究、追及している者達である。三番目 の対象が、オウムを疑いつつもマスコミの偏向報道にも疑念を持つ者達。最後が自ら情報統制が出来ず、社 会情勢、警察発表、マスコミ報道を鵜呑みにしてしまう人達、ここまでを対象としたい。この範疇に恐らく 全日本人の9割は含まれるであろう。第五の無関心層、第六の我々に敬意を抱くものは除外させていただく。 オウムのいう仏教的な位置づけからいけば、上から大乗精神、小乗、人間、餓鬼、畜生、地獄ということ になるのであろうか。大乗精神とは真理に到達した自己を犠牲にして他者を救済する者であり、小乗とは真 理のみを極めた者、以下順に、中立的な判断、欲望(情報)の統制ができる者―人間、情報の統制が出来ず、 欲望の赴くままに行動するもの―餓鬼、無関心、無智なもの―動物、真実や真理に敵意を抱くもの、それを 妨害するもの―地獄となるのか。これは確かに現日本人、いや世界60億の人間の有り様の縮図でもあり、 真理の一端を表している。現世界におけるこの大乗、小乗の価値付加は、釈迦の教えを忠実に具現した原始 仏典を基に、「殺人鬼」麻原彰晃が実践すべき体系である「出家制度」として、現代日本において最初に復 活させたものだが、それはまさしく我々が想定していた原始仏教理論と合致したものであった。ここで我々 の立場を明らかにしたい。我々はオウム真理教徒ではない。オウム風に言えば、真実、真理の探究者である と同時に大乗理論の構築を試みる者ということになるであろう。もっとも我々とオウムとでは次元もそのア プローチの仕方も違うであろうが。 真理とは絶対のものであり、悪魔的、ユダヤカバラ的アプローチを試みようと、またキリスト教的、神道、 仏教、密教的アプローチを試みようと絶対不変の唯一つのものなのである。もっとも現在の宗教はほとんど が形骸化、あるいは真実、真理に到達させないような様々な仕掛けや罠が施されており、真理到達への道は おろか、一度足を路み入れたなら永久に抜け出すことのできない無限迷路のようなものに変貌してしまって いるが。これは現代において、過去からの悪魔の呪縛力がいかに絶大なものであったかの証明であろう。こ の意味で宗教とは本来一つのものであった。いや宗教など元は存在していなかったのである。なぜなら真理 とは既知のものとして万人に共有のものであったからだ。他者の真理を強奪、己のみが独占、秘儀として永 久封印する。ここに悪魔的意義が存在する。他者を陥れ、あるいは他者を犠牲にして、己の願望のみを成就 するために己の私物として真理を利用する。これこそ悪魔の生成過程に他ならないのである。悪魔からの真 理の奪還、ここに全正統宗教の発生理由と存在意義がある。 かつてイエス・キリストは、真理を独占し真理を知らぬ大多数をゴイム(=豚)として永久支配しようと 目論んでいたユダヤサドカイ、パリサイ派に敢然と戦いを挑んだ。イエスの為した活動はまさしく大乗理論 の実践であり、万人への福音であった。真理は万人に開かれたもの、これがイエスの主張であった。だが志 半ば、イエスはサタンの奸計に倒れた。謀略裁判によってでっち上げられた死により、イエスは謀殺された のである。あくまで正義は真理の保持者の側にある。それが例え悪魔に由来しようとも。結果としてイエス は教済に失敗した。ユダヤパリサイは、イエスを「反逆者ルシファー」として封印したのである。ここに明 けの明星の由来がある。それから約1900年後、再び真理の奪還を挑んだ者がいた。「宵の明星ベスパー」 ことアドルフ・ヒトラーである。彼が戦いを挑んだのは何者であったか。アッシリア、バビロニアサタン、 ユダヤパリサイの系統、その手駒としてのフリーメーソン、その落とし子としてのマルキシズム、少なくと も本人はそのつもりであった。だが、封印された救世の法、末法の世、魔術的なアプローチが彼を待ってい た。彼の分魂、山本五十六と共に行なったつもりであった「救済活動」、結果は人類を破滅に導くものであっ |
た。すべてはユダヤパリサイの掌中にあったのだ。悪魔の手のひらで彼らは踊らされていたのである。 そして現在、真理を独占するユダヤパリサイの系統と、その手中に握られた世界60億家畜人。永続的に 境出する地域紛争、災害、止まることを知らない環境破壊、汚染、地球生物種の激減、波状的に広がる飢餓、 奇病の蔓延、すべては悪魔の願望成就の結果なのである。日本は平和であると。仲間をいじめ殺す子供達、 自己中心的な享楽主義者どもの群れ、退廃した性道徳、物質万能主義、ロボットと化した官僚、国家中枢を 生耳る売国奴の集団、すべては精神性の退廃、霊性の退化、悪魔に真理を抜き取られ盲目にされた結果なの である。日本人は一億総餓鬼、畜生、地獄と化したのか。どぶ川を心地よさそうに泳ぐ鯉が、実は己自身の 姿を投影したものであることに気づくべきであろう。富の一極肥大化とそれを支配するもの、何も持たない、 いずれ屠殺される運命にある60億家畜人。この構図こそ、サタンの系統ユダヤパリサイ6000年の恒久 不変のテーマであった。このものたちは、古代日本を中心に世界各地に散らばっていた奥義、真理を吸収し た後、己の私物として相こそぎ強奪、痕跡すら残さないように徹底的に破壊し、その密儀の一部をカバラ体 系として封印した。その最奥義は直伝として、今尚このものたちの掌中に握られている。この最奥義こそ、 このものたちの願望する世界創造のための最高の手段でありアイテムなのである。今、現出している地球環 境と創造世界は、サタンの願望成就のための一時的過程の反映に過ぎない。餓鬼、畜生、地獄の世界の生成 過程とは、サタンの願望達成までの老廃物、廃棄物の蓄積の数理に他ならない。なぜ世紀末、破滅なのか。 サタンが覇権を握っているからである。サタンの欲望が無限である以上、悪魔的汚物も無限に排出されよう。 餓鬼、畜生どもがこの悪魔の汚物の毒素に耐えられなくなった時、それが破滅の時である。 現在、ユダヤパリサイ系サタンは、己の願望を現象化させた創造世界を99%以上完成している。願望完 全成就のための全世界の富の独占、60億家畜人支配まで残り1%未満である。この残り1%未満は、真理 を大木としたかつての世界正統文明継承の象徴であった16弁菊花紋乗っ取りによってまさに今達成されよ うとしている。伊勢神宮の灯籠に刻まれたかごめ紋とヘロデの紋は何を意味するのか。かごめ紋とはユダヤ パリサイが己の私物とした強奪紋であろう。ヘロデ紋とは、イエスの師であったヨハネを斬首した呪われた ヘロデ王の紋である。第二次大戦敗戦後、突如出現したこの二つの紋こそ、サタンの勝利の証しであり、皇 室強奪、粉砕宣言に他ならないのである。日ユ同祖の“真”の真意はここにある。国際規格に適合する「日 ユ同祖論者」とは、ユダヤパリサイの皇室強奪容認論者のことである。この者達の望むのは、サタンに強姦 されたアマテラスである。この間者の目論むものは文字どうりの姦計である。このものたちのいう「千年王 国」とは古神道、釈迦、イエスと脈々と受け継がれてきた偉大なる救世の法を封印、闇に葬り去り、統制不 能な人間を一人残らず抹殺し、残りをすべて家畜人として永久支配することに他ならない。 一億日本人はこのままサタンの手に落ちるのか。否と言いたい。幸運にもサタンの手に落ちる寸前、間一 髪のところで封印されていた救世の法を復活させた者がいた。麻原彰晃である。 ユダヤパリサイ公認の『ヨ ハネの黙示』の秘密を暴いた男、太古神道、釈迦、エッセネ派、岩男、黒住、大本の系統であるオウムの創 始者、この世紀末、古今東西の予言書に記されている救世主なるものが仮に現実の世界に具現化するものと 仮定するならば、一般大衆への認知という範疇においては、この賢哲、「殺人鬼」をおいて他にはいまい。 麻原教祖が救世主であると?持ち上けすぎではないのか。恐らく一般日本人の99、999%は異議と疑念 を表するであろう。地下鉄に毒ガスサリンを散市するよう指示した悪魔の黒幕ではないのか、と。だが、よ く考えていただきたい。仮に麻原が悪魔であったとするならば、なぜ、悪魔が覇権を握り創造したこの世界 において、悪魔自らその正体を暴露され、誹謗と中傷の嵐にさらされなければならないのか。逆説的に考察 してみると、ここに大いなる疑間が生ずるのである。悪魔とは常に謀略を仕掛ける側であって、謀略によっ て窮地に立たされる部ではない。99、9999%の悪魔の包囲の中でこそ、救世主たる存在意義がある。 泥沼に咲く蓮華のごとくに。本物のアンチキリスト=偽メシアが、“破滅”という目的を達することなしに、 通常の人間ごときにその正体を果たして見破られるであろうか。かつてのヒトラー、五十六がその何よりの 答えであろう。いつの時代も悪魔は、決して気付かれないように人間にとりつき破滅に導く。オウムが信者 を洗脳していると?全ドイツのナチス礼賛、一億総国家神道、偽メシア=サタンの手による本物の洗脳とは、 こういうことを言うのである。オウムの子供だましの洗脳疑惑などとは次元が違うのである。サタンによる 洗脳は、例外なく、個への災いのみならず国家的破滅に導くものなのである。 第ニ次大戦前夜、大本教はなせ粉砕されたか。ユダヤパリサイサタンが油注いだ偽メシアヒトラーの分魂、 五十六の肥大化にとって障害であったからに他ならない。2・26事件を仕組んだのは何者であったか。こ の奸計に巻き込まれた真の皇道派、国枠主義者は一掃され、サタンの寄生魂五十六の円滑なる活動のための 下地が作られた。五十六にとりついたユダヤパリサイサタンに嵌められたのである。大本が潰されず、2・ 26事件で皇道派が粉砕されなければ、果たして真珠湾攻撃はあったであろうか。悪魔のシナリオにのった |
が故に、日本全士は焦土と化したのである。今、再び同じ歴史を繰り返すのか。かつてシュメール、アッシ リア、バビロニアを退廃させ、釈迦を封印したサタンの系譜、この系譜こそが、イエスをでっちあげた罪で 謀殺、大本を粉砕し一億国民をを地獄の入り口まで引きすり込んだ真の黒幕である。今、再びメシアの最有 力候補のひとりに殺人罪なる濡れぎぬを着せ、闇に葬り去ろうとしている。仮に全てのメシア候補がサタン に敗れるようなことがあれば、この地球は未来永劫サタンの巣窟となろう。すべての家畜人は、悪魔の肥え 溜めの中でやがて窒息するであろう。われわれは神=創造主に見捨てられるのか。いや、見捨てられるので はない。われわれが神を見限って悪魔に付き従ったのだ。メシアの救済の失敗とは、救済される側の拒否、 裏切りであり、メシアそのものの敗北を意味するのではない。イエスの磔刑後の復活はこのことの寓意であ る。命を賭してもサタンを拒否するなら、その者は小乗的には既に救済されていることになり、ヨハネの黙 示に登場する楽園はミクロ的には既に成就したと言えるかもしれない。ただし、これは勿論、大乗的救済と いう意味においては紛れもなく敗北である。 現在、日本に端を発したこの大乗的救済活動は、サタンの手によって徹底妨害され、もはや風前の灯火で ある。このままでは全人類が破減に向かう可能性が極めて高いと言えるだろう。不可避的なこの地獄への一 方通行路を奇跡的に回避するためには、ひとりでも多くの人達の覚醒が必要なことは勿論であるが、そのた めにはまずサタンの謀略の“真の型”を見抜く必要がある。これを見抜いて初めて、サタンと同じ土俵に立 てるのである。 ここでわれわれは、サタン実在の痕跡、すなわち1992年2月21日を皮切りに、凄まじいスピードで 日本各地において顕在化してきた“戦慄の儀式”の真相を白日の下にさらけ出さなければなるまい。その鍵 となるものとはすなわち、1年半前、“花木 日出夫”なる人物が海南警察署長に送りつけるはずであった “サタン実存の証明”とも言える以下の驚くべき内容の手紙である。今初公開する。 ボエド委員会 “7山(路線バス)連続象徴殺人” 報告書 海南警察署長殿、我々は、8月28日[1993年]に貴志川で起きた「園児4人変死事件」を、一連の “血塗られた痕跡“ の一つと断定した。 唐突に何を言い出すのか、とお怒りの顔が浮かぶようなので、この件に関して順を追って説明したい。 今回の事件が、地方の市町村で起きた“悲劇的な事故”というのが警察も含めての「大方の見方」であろ う。「大方の見方」であるがゆえにあたかもそれが真実であるがごとく伝えられることがあるが、多くの場 合、それは錯覚と呼ばれるものである。己が真実を見たわけでもないのに他の不特定多数の意見に知らず知 らず同調してしまう、99人まではこの「集団暗示」なるものにかかっても残るひとりだけは真実を見てい た、今回の事件もそういった類いのものであろう。 一市町村における“単なる事故死”という固定概念に捕われていては、今回の事件は100年経っても恐 らく解決しないであろう。真実を掴むにはミクロ的な視点からマクロ的な視点へ、さらには時空と場所をも 超え得る飛躍が必要である。 もちろん今回の事件の真相に到達するためには時と場所を超えなければならない。 我々が真実を見たことを証明する動かぬ証拠、否、“血塗られた痕跡“が過去の日本各地にいくつか散在 しているからである。 警察署長として記憶にはまだ新しいことと思われるが福岡県飯塚市の『小一2女児殺害事件』(いずれも 当時7才)もそのひとつである。「大方の見方」が「性倒錯者によるゆきずりの犯行」というものだが、こ れには「宮崎事件」という条件反射的固定概念に加えて、「幼女殺し=変質者」と頭にインプットされたマ スコミお抱えの精神なんたら学者の罪があったことも否めないであろう。警察ですら「幼女に興味を抱く変 質者のリストアッフ」という、捜査の初歩で重大なミスを犯すお相末さである。常識的に考えて、変質者( 性倒錯者)が時間的誤差はあろうが、ほぼ同時に2人に手をかけて己の性的欲望を果たすことなどはまず有 り得ない。オレンジジュースとコーラを同時に飲んで咽の渇きを癒す者がいないのと同じ事である。ひとつ の欲望に対して普通、対象物はひとつである。そして欲望に対する充足度が大きければ大きいほど、次なる 欲望の発生までの時間的格差は広がるものである。 こう考えただけでもこの事件が変質者による犯罪などではなく、殺すこと自体が目的の“象徴殺人”(こ れは日本では極めて馴染みの薄い言葉だが、国家のイデオロギー基盤が宗教概念で構成されている欧米など では極めて頻繁に起こり得る“セレモニー殺人”、言葉を変えれば“生け贄”と呼ばれるもの)であった可 能性が出てくるのである。 ではこの事件の犯人は2小女(7才)の“死”をもって何を“象徴”したかったのか。 |
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(C)AUM Shinrikyo Public Relations Department, 1997 |