Aum7 謎と陰謀
Part1. 不思議いっぱい、噂のオウム
   ――あっと驚く怪文書の数々

怪文書その参
「告発の書」

 1995年7月はじめ、当時の月刊誌『ヴァジラヤーナ・サッチャ』編集部宛に送られてきた一通の封書があった。消印は1995年7月7日、神田局。差出人名は「書泉グランデ」であり、住所もグランデの住所であった(本文書末尾にあるように、この書店名は差出人が勝手に使ったものであり、実際には関係がないようである)。

1頁目

 

4頁目

(逆)

2頁目

 

3頁目

(逆)

 その中には、極めて小さな文字で印字された手紙、というより論文が入っていた。用紙はA4判で全部で4枚、さらに4分の1の大きさの「追啓」の書かれたものがあった。

「平成7年7月7月  告発の書、代表・岩永 天佑」と署名されていたが、この人物については完全に不明である。

 この文書の体裁は極めて奇妙なものであった。おそらく、もともとワープロか何かでA4判で印字したものを縦横半分に縮小し、それを4枚分合わせて1枚にコピーしたものと思われる(OCRでデータ化するためにもとの原稿は縦に切ってしまったが、この現物は現在も存在している)。

 これが4枚と4分の1であるから、全部で17ページ分あった。

 4枚分(16ページ)が本文で、1ページ追加という体裁になっている。

 1ページは48字×50行。400字詰め原稿用紙で合計102枚になる。

 この文書についてはすでにインターネット上でも紹介されているところがあるが(「岩永天佑」で検索すればヒットするはずである)、この文書が届いてからいくつかコピーしておいたので、それが流出したのかもしれないし、別のどこかに届いた同一の文書かもしれない。

 当ページでは、原文どおりの字数・行数で表示することにする。もしかしたら文字が画面からはみ出るかもしれないが、資料性を重んじた結果であり、ご了承いただきたい。

 内容については、ノーコメントとする。実際、オウム真理教の教義と相容れない部分も多く、また数々の事件の分析についてはさっぱりわからない。


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