名張毒ぶどう酒事件再審認めず 事件の経緯をまとめました。
51年前、三重・名張市で農薬が入ったぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡した「名張毒ぶどう酒事件」で、名古屋高等裁判所は25日、死刑囚が求めた再審を認めない決定をしました。
事件の経緯をまとめました。
1961年、三重・名張市で、地区の懇親会で出されたぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡した。
ぶどう酒に農薬を混ぜたとして、殺人容疑で逮捕されたのは、奥西 勝死刑囚。
奥西死刑囚は、1961年4月の逮捕時の会見で、「これから、罪の償いを、心からいたしたいと思っています」と話していた。
逮捕の決め手は、奥西死刑囚の自白だった。
しかし、1964年12月の1審無罪判決時の会見で、「(自分の意思ではない?)そうです、言うたこと自身はね」と話した。
その後、自白は強要されたものと供述を一転し、無罪を主張し続け、1審は無罪となった。
しかし2審で逆転の死刑判決となり、1972年、最高裁で死刑が確定していた。
その後も裁判のやり直しを求め続けた奥西死刑囚。
7回目となった今回の再審請求で、弁護側は、犯行に使われた農薬が自白したものと異なるとして、自白の信用性を争っていた。