どの職業でも同じだが、タクシー運転手には序列があって、新入りの運転手にあてがわれる担当車はおんぼろのスタンダード車と相場は決まっている。運転手を募集するタクシー会社のサイトには「ハイグレード車、多数」とか書いてあるけれど、それに乗って営業に出るのは新入りの運転手ではない。
というわけで、某タクシー会社に入社した新入り(=矢貫隆)に与えられた営業車は、走行距離がすでに30万kmをはるかに超えている「トヨタ・セドリック」のカスタム車。ハイグレード車(セドリックでは「クラシックSV」というグレードで、一般の自家用車に比べればどこがハイグレードなんだと言いたくなるクルマ)は黒塗りだが、このセドリックは赤と白と紺色が見事にかっこ悪くデザインされた、いわゆる「中央無線カラー」というやつだった。都内のタクシー会社、30社ほどが加盟している中央無線グループのデザインなのだけれど、「実はこの5年間、ただの1度もワックスかけてません、だから肌つや悪いです」という状態のセドリックだった。
運転手として働き始めて間もなく、潜入したこのタクシー会社に黒塗りの電気自動車「リーフ」があることに気がついた。このピカピカの営業車を担当している運転手は斉藤孝幸さんで、彼は、50代、60代の年寄り運転手が圧倒的に多い近頃のタクシー業界にあって、40歳になったばかりの“若手”運転手である。
彼が斉藤という名前だというのは、休憩室に飾ってある表彰状で知った。それは地域の警察署が優良な安全運転のタクシー運転手に贈った賞状で、その横に斉藤さんの写真が添付されていた。しかも彼は、中央無線の指導員ドライバーというのだから、その他大勢のタクシー運転手とはワケが違う。
なるほど会社に1台しかない特別な営業車を担当するだけのことはある。この種のスペシャルな運転手だけがスペシャルな営業車に乗るということか、と、事情を知らない新入りの運転手(=矢貫隆)は、勝手にそう思い込んでいた。
その思い込みは、実は、まるでピント外れだと知るのはずっと先の話で、ましてや、その後、自分がリーフを担当することになるなど思いもしないまま、新入りのタクシー運手は、かっこ悪いデザインのセドリックで都心を走り始めた。そしてあの夜、うわさには聞いたことがあるモンスタークレーマーを乗せたのだった。
(文=矢貫隆)

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