いつも使うシステムが突然崩壊する。東日本大震災で私たちはそれを体験した。それが「テレビ」でも起こってしまうかもしれない。B-CASの不正使用の問題だ。
B-CASとはデジタル化に伴い、テレビなどのデジタル受像機に付いているカード。デジタル放送の視聴防止機能を解除する日本特有の規格だ。有料放送のBSと一部CSの場合、視聴者が各放送事業者と契約して防止機能を解除する。カードのICチップには暗号が内蔵され、放送局から送られてくる解除信号と暗号を組み合わせることで視聴可能になる。また録画にさまざまな制限をかけている。
ところが、そのコードが解読され、衛星放送が不正視聴でき、録画制限も解除できるようになってしまったようだ。(毎日新聞記事20日「
B-CAS:有料テレビを不正視聴 ネットに書き換え方法」)不正カードはこれまで出回り、非正規のチューナーも販売されていた。
今回の問題は、ネット上でダウンロードしたソフトで、既存のカードを書き換えられるという点が違うという。この問題の処理を間違えれば、日本のテレビ局、衛星放送業界は大変な損害を受けてしまう。そのためにテレビはあまり報道していないようだ。
ここまでは表の話だ。
売上高200億円企業の社員が1人?
読者の皆様に断らなければならないが、この問題での私の取材は不十分だ。さらに私は経済記者だが放送とコンピュータの分野は疎い。間違っていたらご教示願いたいし、詳細はいずれ出るであろう専門家の分析を参考にしてほしい。
以下は真偽が確認されない噂話も混じる。未確認の情報は原則として私は述べないことにしているが、犯罪に関わるため現場を最終確認できないだろうし、社会に警鐘をならすために許容されると思う。また語る人がまだ少ないため注意喚起が必要だろう。そのために情報を整理し、感想を述べてみたい。
その1・「アリの一穴」が放送業界を壊す?
この問題は不正使用という小さな問題にとどまらない可能性がある。私は不正視聴の方法を教わった。もちろん明かさないが、かなり簡単だ。現時点でどの程度の人が不正に視聴して、これからどの程度の人が実行するかは不明だが、広がれば放送のビジネスモデルが壊れてしまうだろう。「アリの一穴が堤防を壊す」という例えのように、一つの失敗がシステム全体を揺るがす可能性がある。
有効な対応策はなさそうだ。カードの流通枚数は1億5000万枚。再発行することは物理的に不可能だ。新しい機器をつくるとか、カードを順次変える必要があるが、それも時間がかかる。さらにその変更中に、放送を止めることはできない。CS放送業者のスカパー、WOWOWは、不正視聴に法的措置を行うことを表明しているが、そうした視聴者が数十万人単位で出れば訴訟は物理的に不可能になるだろう。
さらにテレビ業界への影響も深刻だ。視聴者のテレビ離れが進んでいる。既存テレビの強みは「視聴は無料」。それが有料のBS、CSに手軽に流れれば、さらにテレビ離れが加速するだろう。
広告代理店の幹部は「この問題を地方テレビ局が警戒していた」という。どこも経営が厳しい上に、地上波デジタルへの投資で経費がかさんでいる。そこに一段の視聴率の低下が加わったら経営はさらに厳しくなる。
その2・利権を守る運営会社の無策
このカードを発行はビーエス・コンディショナルアクセスシステムズ (B-CAS社)が独占していた。その会社の実態は奇妙だ。
事業報告書を見ると11年3月期の売上高は208億円。ところが取締役は9人(常勤3人、非常勤6人)。そして従業員は14人で社員はたった1人、平均年齢57.1歳だという。
こんな小規模の会社が、巨額の売り上げを持ち、そして巨大事業を統括していた。利権を守るにしては、あまりにもお粗末だ。これは未確認情報だが、この会社はメーカーにシステムの防護措置を任せきりで大幅な変更を10年近くせず、不正書き換えの危険を放置していたという。それが事実とすれば、間抜けすぎる。
この会社が巨大トラブルを処理できる力があるとは思えない。この事件を教えてくれた大手メーカーのシステムエンジニア(SE)が話していた。
「悪人は金のため、逃げるために努力を重ねる。努力をしない善人が負けるのは当然だ。どこでも起こっていることが、ここでもあったということさ」
その3・集合知の強さと恐ろしさ
これまで不正カード、また不正チューナーの製造は台湾などの外国で行われていたもようだ。その実態は不明で、犯罪組織が絡んでいたかもしれない。以下の情報を私は確認していないが、事態の推移を観察していたSEの話を紹介する。
この問題では、「バックドア」と呼ばれる開発者用が参照用につくる場所が破られたようだ。カードの製造会社は2社の独占だが、そのうちの1社のものだ。その結果、発行カードの8割分の契約情報の参照や書き換えが可能になっている。そしてその方法を利用して、不正視聴する方法が拡散しているという。
その状況が興味深い。2カ月ほど前から情報があちこちのサイトで小出しにされた。それが巨大掲示板の2ちゃんねるに集められるようになった。2ちゃんねるでは、多くの専門家が集まり、破り方を分析したり、不正視聴の方法が紹介されたという。
「正確な情報を小出しにするユーザーが数名いた。防護システムの破り方を知っているグループの内部の人間かもしれない。犯罪組織が仲間割れでもして、内部の人間がばらしてしまったのだろう」と、そのSEが推測していた。
「集団的知性」への関心が高まっている。人々の知の集積が、大きな知的成果を生むことだ。今回はそれが起こったが、犯罪のためだったのは残念だった。「集団的知性」は社会の利益にも、不利益にもなりえることが示されたのは興味深い。
私たちはシステムリスクに囲まれているのか?
この問題は現在進行形であり、また全体像が不明で、さまざまな論点を含む。その中で私が関心を持ったポイントは「日常使っているインフラの危険性」だ。
私はB-CASに「使いづらい」と感想を抱いた。映像を自由に視聴、ダビングできないし、料金を取られてしまう。放送業界にとって、これは課金のための有効な手段であるだろう。しかし消費者の利益にはならない制度だ。「健全な収益を提供することが放送業界を育て、視聴者のためになる」と正論を言っても、大半の人は「知ったことか」という反応であろう。
もちろん倫理面、法律面で、不正視聴は許されない。しかし、こうした状況にあればそれを試みる人が出てくるのは、人間社会に普遍的な現象だ。そして、この場合にはシステムが壊されるリスクを抱えているのに、その運用は稚拙だった。巨大な制度を社員1人、取締役9人の奇妙な会社がそれを運用していた。
私はエネルギー、環境問題の取材を重ねてきた。電力というインフラビジネスは地域独占ビジネスが行われている。この分野で電力会社や管理者の経産省は、怜悧で賢いという印象を取材の中で受けた。そして詳細に考えてシステムをつくり、維持の努力を重ねている。利権が批判にさらされることを知っていて、隙がないように努力していた。それでも東京電力は福島原発事故という大失態を起こしてしまった。
電力業界の姿と比べると、酷な言い方かもしれないが放送業界と規制行政当局の「間抜け」さが際立つ。利権を与えられているのに、それを守る努力をしていなかった。
今回は放送業界が自らの失策の結果の影響を受ける。しかし公共のシステムが、実際にはいいかげんに運用されているかもしれないと想像をめぐらすと、私は恐怖感を抱いてしまった。
もしかしたら、放送業界は氷山の一角。日本社会のいたるところに、「運用者が間抜けな、おかしな利権」があるのかもしれない。私たちの日常の中には、隠れたところでシステムリスクがあり、私たち一人ひとりがそれに巻き込まれる可能性があるのだ。
石井孝明 経済・環境ジャーナリスト ishii.takaaki1@gmail.com
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