■「マハラジャ」名付け親はデヴィ夫人
「お客が台の上で踊ることは、マハラジャ以前からありました。ただこれを専用台として『お立ち台』と呼ぶようになったのはマハラジャが最初です」
ある夜、マハラジャ名古屋店で女性客がダンスフロアの隅にあるスピーカーの上に乗って踊り始めた。これが受けた。大阪生まれのマハラジャは当時全国に6店舗あったが、どの店もスピーカーの上の天板は樹脂製だった。1984年(昭和59年)に東京に進出する際、これを大理石に変えた。ハイヒールで傷めないためだ。このときから「お立ち台」と呼ぶようになったらしい。
ちなみにマハラジャという店名は、デヴィ・スカルノ元インドネシア大統領夫人の命名だという。運営会社の社長がフランスのパリに視察に行った際、デヴィ夫人がディスコを案内した。このとき、日本でディスコを開くなら、と店名候補を3つもらったという。
マハラジャ麻布十番店は1997年(平成9年)に閉店した。跡地はレストランになっている。六本木にあった「マハラジャ・ウエスト」も「イースト」も90年前後に閉店。2003年(平成15年)に一度六本木に復活したものの、2005年(平成17年)には閉店した。2010年(平成22年)に再度復活し、現在でも営業中だ。場所はかつて「森永ラブ」があったビル。お立ち台はもちろん、ドレスコードやルピーと呼ばれたチケットも健在だ。
■交差点付近に都銀8行が集結
六本木の交差点周辺は、この20年間で大きく変わった。待ち合わせの定番、喫茶店の「アマンド」は半世紀にわたってシンボルとなっていた「ピンクと白の縦じまの日よけ」が2010年になくなった。向かいの誠志堂書店は家電量販店ノジマとなり、喫茶店「マイアミ」跡地は携帯電話店となった。
防衛庁は東京ミッドタウンとなり、東京大学の研究所は国立新美術館となった。外苑東通りから南側も、店は大きく入れ替わっている。
20年前の地図を見ていて気がついたのは銀行の多さ。交差点付近だけでも三菱、第一勧銀、太陽神戸三井、協和、住友、富士、三和、大和などが集結していた。現在は三菱東京UFJ、みずほ、三井住友、りそなの4行となっている。
六本木のランドマークの中で、変わらないのがロアビルだ。かつては夜の街の中心的存在だった。現在も飲食店やクラブなどが軒を連ね、にぎわいをみせている。ただ、このかいわいにも再開発計画が浮上しているという。
再開発といえば、かつて六本木プリンスホテルがあった辺りも大きく変わるようだ。建築家の黒川紀章氏が設計した旧六本木プリンスは、中庭のプールを囲むデザインで知られる。2006年(平成18年)に閉館後、ビジネスホテル「六本木アネックス」として営業していたが、2011年11月に閉館した。周辺のビルとあわせ、オフィスや住居が入る超高層ビルになるという。訪ねてみると、ちょうど解体工事が始まったところだった。六本木がまた、表情を変えていく。
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