早稲田大学の学生だった一木氏は当時、複数の大学のサークルで構成する「インターカレッジ(インカレ)リーグ」の代表だった。企業がスポンサーとなり、ディスコでパーティーを開いていた。「それまで大人の常連客の街だった六本木が、バブル期は学生に主導権が移り、次第に大衆化していった」
今では24時間営業の店は当たり前だが、あのころはどうだったのだろう。終電後の過ごし方について一木氏に尋ねた。
「しばらく道でだらだらして、その後は朝まで営業していたイタトマやアマンド、ジャック・アンド・ベティなどに行っていましたね」
ジャック・アンド・ベティ、通称「ジャクベ」。今でいうカフェレストランで、米国の学生食堂のような雰囲気だったらしい。店は既になく、跡地にはうどん店があった。
■「お立ち台」誕生秘話
ホイチョイ・プロダクションズ(東京・世田谷)の馬場康夫代表によると、六本木のディスコブームは2回あった。最初は1978年(昭和53年)から81年(昭和56年)にかけて。映画「サタデー・ナイト・フィーバー」の公開が火をつけた。
第2次ディスコブームは1986年(昭和61年)ごろ。けん引役となったのが、大阪生まれのディスコ「マハラジャ」だった。東京進出を果たし、麻布十番に旗艦店が誕生したのが1984年(昭和59年)。一木氏は語る。
「マハラジャは画期的なディスコでした。それまでディスコといえばフリードリンク、フリーフードが当たり前だったのを、チケット制に変えた。注文はテーブルでとり、内容も格段に上がった」
「ドレスコードにガラス張りのVIPルーム、お立ち台の導入もここからなんです。マハラジャ以降、『キング&クイーン』などの高級ディスコが次々生まれました。『エリア』や『シパンゴ』もマハラジャ後のディスコです」
お立ち台といえば芝浦の「ジュリアナ東京」のイメージが強い。マハラジャで生まれたというのは本当なのか? 当時のマハラジャ関連の資料を管理している「マハラジャ・ウェブサイト」の担当者に聞いてみた。
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