再審不開始を伝えるテレビの速報に見入る神谷すづ子さん=名張市葛尾で
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名古屋高裁が二十五日に下したのは「再審認めず」だった。一九六一(昭和三十六)年、名張市葛尾で女性五人が犠牲になった名張毒ぶどう酒事件の第七次再審請求差し戻し審。「当然の結果だ」「物証がないのに死刑でいいのか」。事件から五十一年、地元住民や支援者の間では、それぞれの思いが交錯した。
「よかった。これで事件に区切りがつく」。午前十時、決定の一報が流れると、自宅でテレビを見ていた神谷(しんたに)すづ子さん(85)が大きく息をついた。事件で親しい友人を亡くし、自身もぶどう酒を飲んで一時意識不明になった。裁判の節目を迎えるたび事件の記憶がよみがえり、心がざわついた。「暗いニュースで地元が有名になるなんてもう嫌や」
三重、奈良県境にまたがる葛尾地区。普段は二十三世帯六十七人が暮らす静かな山里だが、この日は決定を受けて大勢の報道陣でごった返した。
事件で姉の新矢好(しんやよし)さんを亡くした神谷(しんたに)武さん(74)は「事件を忘れることはできないが、もう裁判で騒ぐのはやめてほしい」と願う。当時の葛尾区長の平井藤太郎さん(94)も「人が少ない集落で他に犯人がいればとっくに出てきているはず」と話し、事件が起きた懇親会に出席した宮坂勇さん(74)は「もう再審請求をしないでほしい」と注文を付けた。
一方、奥西勝死刑囚(86)の無罪を長年訴えてきた地元支援者や知人の間には失望が広がった。
奥西死刑囚と葛尾近くの採石場で一年間働いた元同僚の山田清さん(70)=伊賀市=は「凶器とされた農薬の瓶も見つかっておらず、確かな証拠が一つもない。裁判所の判断はおかしい」と話す。事件当日の夕方まで奥西死刑囚と一緒だったが、事件を起こすような様子は感じなかった。「再審開始で拘置所から出られたら『ご苦労さん』と声を掛けたかったのに」
特別面会人の一人で奈良県山添村議の奥谷和夫さん(54)は「奥西さんの人生をもてあそぶ不当決定。疑わしきは被告人の利益と言うが、それに反する結果だ」と怒りをあらわにした。
(河北彬光、小西亮、山田雄之、安部伸吾)
事件現場の公民館はゲートボール場に変わり、そばに立つ慰霊碑だけが事件を今に伝える=名張市葛尾で
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◆名張市民「ひと区切りついた」
今回の不開始決定を、地元の名張市民はどう受け止めたのか。
「また再審請求すれば、同じことが繰り返されるだけではないか」。会社員の向井正枝さん(55)=桔梗が丘三番町=は事件のさらなる長期化を心配する。パート従業員の北原理美(さとみ)さん(62)=つつじが丘北=も「どんな決定が下されても、無罪だと声を上げる人がいる限り、事件は終わらないと思う」と話した。
一方、今回の決定が事件の幕引きにつながると評価する声も。事件のあった葛尾地区の近くに住む自営業男性(70)は「とりあえずひと区切りついたのでは」と胸をなで下ろした。農業杉原義夫さん(66)=美旗中村=も「もうこれで終わり。これ以上、名張を毒ぶどうのことで報道してほしくない」と語った。
(安部伸吾)
◆北浦ヤス子さんの妹「裁判がどうなろうと命は帰ってこんのや」
再審不開始の知らせを聞いても、感情に変化はない。事件で八歳年上の姉を亡くした山下敏子さん(78)=名張市=は、何度も繰り返しつぶやいた。「裁判がどうなろうと命は帰ってこんのや」
ぶどう酒を飲んで死亡した北浦ヤス子さん=当時(36)=は、自慢の姉だった。八人きょうだいの二番目。「頭がよくて人の悪口は言わない。べっぴんさんやったな」。すっと通った鼻筋がうらやましかった。
互いに結婚し、それぞれ家庭を築いていたころ、夜に突然電話が鳴った。「ヤス子がぶどう酒を飲んで倒れた。もうだめかもしれん」と、父の張り詰めた声。事件現場近くの実家に向かう車中で震えが止まらず、到着後に訃報を聞いた。
元気だった母はめっきり老け込み、事件から二年後にがんでこの世を去った。「姉だけでなく、母まで奪っていったわ」。事件を忘れようと思っても、裁判の動きが報道される度に心が乱される。だから無関心でいるようになった。
あれから半世紀がたっても、よくヤス子さんが夢に現れる。ほほ笑む姿に懐かしさを感じる。「姉を思うことはあっても、事件はもう思い出さない」。敏子さんは言い切った。
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