■東京最大の迷路、アメージングスクエアは今…
地下鉄北千住駅を隅田川方面に歩いて行くと、大通り沿いに「アメージングスクエア」と書かれた看板が見えてくる。今も名前が残っているのか。疑問に思いながら敷地内に足を踏み入れた。
まず現れたのは、フットサルコート。さらに奥に進むと釣り堀やバッティングセンターがあった。よく見ると「アミューズパーク足立アメージングスクエア店」と書いてある。どうやら遊園地がなくなった後も、ここは「アメージングスクエア」と呼ばれ続けているようだ。
この土地はもともと、電炉大手、東京製鉄の創業地だった。1987年、同社が多角化の一環で工場跡地を遊園地に衣替え。巨大迷路のほか、ドライブインシアターやバンジージャンプなども流行に合わせて取り入れた。だが集客に伸び悩み、2000年代になって遊園地は閉鎖。迷路は解体された。それでも敷地内には「アメージングスクエア」と書かれた看板が今も残る。
■横浜・センター南の昭和大病院は巨大迷路跡地だった
巨大迷路は1987年ごろ爆発的なブームとなり、一時は全国に150カ所ほどあったという。「迷路マガジン」など専門の雑誌もあった。
なぜこれほどの大ブームを巻き起こしたのか。先述の池ヶ谷さんに聞いた。当時大学の研究生だった池ヶ谷さんは、迷路の脱出時間を競う大会で優勝し、ニュージーランドのランズボロー氏の自宅に招かれたほどの迷路好き。ブームだった1年あまりで数十カ所の迷路を訪れたという。
「提供者にとっては、投下資本が小さく開設が容易で償却が早い。これが町おこしや遊休地を抱える企業には魅力的に映ったのでしょう。利用者は数百円でそこそこのスリルと充実感が味わえ、老若男女を問わず楽しめる。当時ファミコンがはやっていたので、その反動で自然志向、健康志向もあったのかもしれませんね」
しかしブームは急激に冷え込んだ。急激な施設増で「飽きられてしまった」。競争激化の結果、単純な謎解きの追求から、暗闇やハイテクを駆使した「恐怖感の演出」に軸足が移るなど性格が変わってきたことも影響したようだ。
都市圏にあった巨大迷路はその後、商業施設や公共施設になった。例えば横浜市の「ランズボローメイズ横浜」跡地には現在、昭和大学横浜市北部病院がある。横浜市営地下鉄「センター南」駅前にある大病院だ。今ではショッピングセンターが競うように出店する人気の住宅地となった場所だが、1980年代後半は空き地だらけだった。
巨大迷路ブームのけん引役ともいわれる京都市の「ランズボローメイズ醍醐グランメイズ」跡地は、今はホームセンターになっている。一方、町おこしを狙って巨大迷路をつくった地方では、跡地利用もままならず、廃虚化しているところもある。
今も往時の姿をとどめている巨大迷路はないか。調べたところ、ブームの火付け役となった「ランズボローメイズ」の施設が2カ所見つかった。長野県木祖村の「こだまの森(ランズボローメイズ木曽)」と島根県益田市の「匹見の迷路」だ。それぞれ問い合わせてみると、タイムカードやチェックポイントなど当時のままのやり方で続けているという。
テーマパーク、イケア、ザウス、スノーヴァ、イオン、ららぽーと
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