■1980年代の流行スポットには米軍関連施設があった
1980年代半ばから1990年代前半のバブル景気前後に流行スポットとなった六本木や麻布、赤坂、青山、原宿などには、共通する点がある。それは、米軍関連施設があった場所、ということだ。
これらの場所には赤坂プレスセンターや在日米軍の住宅であるワシントンハイツなどがあり、周辺には英語表記のある店が多かった。1980年代に人気となった横浜・本牧も、もとは進駐軍の住宅があった場所だ。
当時の若者にとって、横文字文化へのあこがれがあったのだろう。あのころ「日本離れ」しているということは褒め言葉だった。「イケてる」街の条件だった。その裏には、日常への嫌悪感があったのではないかと思う。
日常は汚いもの。ダサイもの。だからこそ清潔感があり、洗練されているように見えた米国文化にあこがれた。それが明確に形となって登場したのがTDLだった。
当時「空間」という言葉がはやり、空間プロデューサーなる人々が活躍したのも、非日常を求める風潮があったからだろう。
1980年代半ばから注目を集めたウオーターフロントもまた、非日常の空間だった。倉庫が立ち並ぶ無機質な空間には、ダサイものがなかった。あの場に足を踏み入れた瞬間、単純にかっこいい、と思った。と同時に、湾岸エリアは日本で初めて、「流行スポット=米軍関連施設」という呪縛から解き放たれた場所でもあった。それは今に続いている。
■あのころの非日常は日常になった
ウオーターフロントブームは過ぎ去り、現在の芝浦には高級マンションが林立している。あのころ非日常だった場所は日常になった。かつて汚い、ダサイと思っていた場所が少なくなり、日本という国がそれだけ成熟したということなのだろう。
バブル期を振り返るとき、多くの人は「変な時代だった」などと言う。でも、それはおかしいのではないか。香港でも中国でもシンガポールでも、バブル景気はあった。世界中どこででも、バブルは起こっている。日本の場合、バブルの止め方を誤っただけであって、バブル自体が悪いわけではないと思う。
当時の日本はインフレなき好景気だった。高度成長期や他国のバブルのように公害をまき散らしたわけでもない。当時は自殺者が少なく、しかも減少傾向にあった。今はどうだろう。
「あのころは異常だった」などと言う人は、今という時代を肯定している人の負け惜しみにすぎないのではないか。経済成長は悪いことではない。(聞き手は河尻定)
馬場康夫(ばば・やすお)
1954年生まれ。東京出身。成蹊大学在学中にホイチョイ・プロダクションズを設立。1981年から小学館の漫画雑誌「ビッグスピリッツ」誌上で4コマ漫画「気まぐれコンセプト」を連載中。主な映画監督作品に「私をスキーに連れてって」(1987)、「彼女が水着にきがえたら」(1989)、「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」(2007)。4月からテレビ朝日系で始まった新番組「東京上級デート」を手掛ける。
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馬場康夫、松任谷由実、田中康夫、ホイチョイ、ディスコ、テニス
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