バブル期に広がった様々な流行や文化は何だったのか? どこから生まれてきたのか。ホイチョイ・プロダクションズ(東京・世田谷)代表の馬場康夫氏(57)に聞いた。
バブル期は一般的には1986年(昭和61年)~1991年(平成3年)ごろを指すが、バブル文化は、1978年(昭和53年)に端を発している。
1978年に何が起きたか。まずは映画「サタデー・ナイト・フィーバー」の公開があった。全国にディスコブームを巻き起こした映画だ。これが第1次ディスコブームと呼ばれている。第2次が1986年(昭和61年)、第3次が1992年(平成4年)ごろだ。
■すべては1978年に始まった
当時絶大な影響力を誇っていた雑誌「ポパイ」がサーフィン、スキー、テニスを大特集したのもこの年。山岳スキーが中心だった欧州式のスキーしか知らなかった若者たちに、米国式のレジャースキーを教えた。テニスはジョン・マッケンロー、ジミー・コナーズらの活躍もあり、日本でもブームとなった。
こうした時代の空気を歌という形で表現して人気を博したのがユーミン(松任谷由実)だった。1978年リリースのアルバム「流線形’80」ではスキーやサーフィンの風景を題材に取り入れた。ユーミンは1980年(昭和55年)には「SURF&SNOW」というアルバムを発表している。田中康夫が1980年に発表し、81年にベストセラーとなった小説「なんとなく、クリスタル」もこうした若者風俗を取り上げて一世を風靡した。
1970年代半ばまでの政治の季節が終わり、若者文化が一気に花開いた1980年代。決定打となったのは、1983年(昭和58年)の東京ディズニーランド(TDL)の開園だ。アメリカナイズされた文化と洗練されたサービスは若者たちに衝撃を与え、飲食店やホテルを見る目が変わった。これらがすべて、その後のバブル文化へとつながっていく。
馬場康夫、松任谷由実、田中康夫、ホイチョイ、ディスコ、テニス
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