バブル期にはやった遊び場といえば、巨大迷路やテーマパーク、屋内スキー場などがある。しかし多くのテーマパークは経営に行き詰まり、巨大迷路ブームはあっという間に終息した。あれから20年。当時人気を集めたスポットはいま、どうなっているのだろう。跡地を巡ってみた。
■屋内スキー場「ザウス」の誤算
千葉県船橋市のJR南船橋駅。南口から出ると、駅前にはあまり似つかわしくない広大な空き地の向こうに、青と黄色の建物がそびえ立つ。スウェーデンの家具専門店「イケア」の日本1号店だ。
実はこのイケア、バブルの象徴ともいえるある施設の跡地に建っている。1990年代に話題となった屋内スキー場、「ららぽーとスキードームSSAWS(ザウス)」だ。
SSAWSとは「Spring」「Summer」「Autumn」「Winter」「Snow」の頭文字を取った造語。長さ490メートル、高さ100メートルのゲレンデは当時、「世界最大の屋内人工スキー場」として脚光を浴びた。
営業開始は1993年(平成5年)とバブル崩壊後だったが、計画自体は1987年(昭和62年)に浮上した。1987年といえばホイチョイ・プロダクションズ制作の映画「私をスキーに連れてって」が公開された年で、スキーブームまっただ中だった。ザウスだけではなく、1991年(平成3年)には千葉県習志野市に「スキーイングイン津田沼」がオープンしたほか、大阪や和歌山などでも計画が持ち上がるなど、屋内スキー場は盛り上がりを見せていた。
400億円を投じ、技術の粋を集めた「夢のスキー場」はしかし、2002年(平成14年)には閉鎖に追い込まれる。年間130万人ともくろんだ来場者は伸び悩み、最後には60万人にまで落ち込んだ。
2003年9月17日付の日経産業新聞にザウス関係者のこんなコメントが載っている。「人々の季節に対する感性や人工物では味わえない自然の開放感といったものを見誤った」――。
「スキーイングイン津田沼」も1997年(平成9年)にひっそりと閉鎖。跡地はイオンのショッピングセンターになっている。大阪や和歌山の計画も頓挫した。室内ゲレンデは現在、「スノーヴァ」など一部を残すのみとなった。
ちなみにザウス跡地にできたイケアは実は2回目の日本進出だ。1回目は1974年(昭和49年)、場所は同じく船橋だった。このときは苦戦し、1986年(昭和61年)に撤退した。現在の船橋店は20年ぶりの出店となる。
テーマパーク、イケア、ザウス、スノーヴァ、イオン、ららぽーと
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