建設アスベスト訴訟 訴え退ける5月25日 19時55分
建設現場でアスベストを吸い込みガンなどになったとして、元作業員や遺族が国と建材メーカー各社に賠償を求めている全国の集団訴訟で、初めての判決が横浜地方裁判所で言い渡され、裁判所は「国の対策が著しく合理性を欠いたとは言えない」として、国と建材メーカーの責任を認めず、原告の訴えを退けました。
この裁判は、建設現場で働いていた神奈川県内の元作業員や遺族合わせて87人が、国や建材メーカー44社に対し、合わせて28億8000万円余りの損害賠償を求めていたものです。
元作業員らは「国はアスベストが肺がんや中皮腫などの健康被害を引き起こすことを遅くとも昭和47年には知っていたのに、その後もアスベストの製造や販売を禁止するなどの対策を取らなかった」と主張していました。
これに対して、国は「対策が遅れたとは言えず、必要な対策や指導を行ってきた」と主張し、建材メーカー各社も「作業の場所や時期が特定されておらず、健康被害との因果関係がはっきりしない」と反論していました。
建設現場の被害を巡る集団訴訟の判決は全国で初めてで、横浜地方裁判所の江口とし子裁判長は「アスベストが肺がんなどを引き起こすと医学的知見が確立したのは昭和47年で、国はそれ以降、アスベストの吹きつけ作業を原則禁止にするなどの対策を取ってきており、製造や販売を禁止しなかったことで著しく合理性を欠いていたとは言えない」として、国とメーカーの責任をいずれも認めず、原告の訴えを退けました。
一方で、江口裁判長は「国の対応を見るかぎり、建設作業の危険性への意識が希薄だったことは否定できず、補償制度の創設などを再度検証する必要がある」と指摘しました。
弁護団“評価しようのない極めて不当な判決”
判決について、原告の1人でおよそ50年にわたって住宅などの建築現場で働いてきた横浜市の平田岩男さん(71)は「まさかこのような判決が出るとは思いもしませんでした。これまでに被害に苦しむ仲間の多くが亡くなり、悔しくてしかたがありません」と話していました。
また、弁護団の小野寺利孝弁護士は「被害者の切実な証言を前にして、被害をしっかり受け止めたものと期待していたが、判決では全く触れられていなかった。評価のしようのない極めて不当な判決だ」と述べ、速やかに控訴する考えを示しました。
厚労省“国の主張が認められた”
判決について、厚生労働省は「詳細はまだ把握していないが、国のこれまでの主張が認められたと理解している。今後も関係省庁と連携しアスベストによる労働者の健康被害を防止するための対策に取り組んでいきたい」とするコメントを出しました。
建設現場のアスベスト被害 十分把握されず
アスベストは比較的値段が安いうえ、耐熱性や耐久性に優れていることから、長年、住宅や建物の建材に多く使われてきました。
戦後、輸入量は増加の一途をたどり、昭和49年の35万トンをピークに、年間20万トン以上が輸入され、平成16年にアスベストの使用が原則禁止されるまでの50年余りの間に1000万トン近くが輸入され、多くが建設現場などで使われてきました。
しかし、建設作業員の被害については、作業員が多くの現場で働いてきたため、症状の原因となった場所や時期の特定が難しく、労災の認定を受けられない人が少なくないということです。
去年3月までの5年間にアスベストが原因で労災認定を受けた6101人のうち、建設現場で働いていた人は2906人で全体の48%にとどまり、被害の実態が十分に把握されていない現状があります。
アスベスト被害巡る裁判
建設現場の作業員らがアスベストを吸い込み、がんなどになったとして、国や建材メーカーに賠償を求めている集団訴訟は、東京や福岡など全国の7つの裁判所で行われていて、合わせて400人余りが訴えを起こしています。
このうち判決が言い渡されたのは、横浜地方裁判所が初めてです。
一方、アスベストを扱う工場で働いていた元従業員らが国を訴えている裁判では、おととし、1審の大阪地方裁判所が国の責任を認めましたが、2審は「国の対策が遅れたとは言えない」として、1審の判決を取り消しています。
アスベスト安全対策の経緯
アスベストの安全対策について、国は、昭和22年に防じんマスクの着用を義務づけ、昭和35年にはアスベストなどの粉じんを扱う作業員に定期的な健康診断を受けさせるよう企業などに求めました。
昭和47年にはILO=国際労働機関などが、アスベストを吸い込むとがんになる危険性が高まると指摘したことから、国は昭和50年にアスベストの吹きつけ作業を原則禁止としたほか、可能なかぎり別の素材を使うことを企業に義務づけました。
しかし、アスベスト製品の規制については、WHO=世界保健機関が平成元年に発がん性の高い「青石綿」「茶石綿」の使用禁止を求める勧告を出していましたが、日本では平成7年になって初めて青石綿と茶石綿の製造や輸入の全面禁止に踏み切ります。
海外では、イギリスで昭和61年に青石綿と茶石綿の製造を全面的に禁止したほか、ドイツでも青石綿の製造を禁止しました。
EUでは平成5年に青石綿、茶石綿ともに全面的に禁止となっています。
厚生労働省は「アスベストを禁止する措置を取らなかったのは、替わる材料が見つからなかったためだ。規制の時期は適切だった」と説明しています。
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