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2012年5月23日20時24分

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「最低の父でした」障害者の親・稲川淳二さんに聞く

写真:稲川淳二さん: 「怪談の全国ツアーを始めて、気づいたら今年で20年になります。みなさんの心に残るようなものにしたいなぁ」=東京都中央区、麻生健撮影拡大 「怪談の全国ツアーを始めて、気づいたら今年で20年になります。みなさんの心に残るようなものにしたいなぁ」=東京都中央区、麻生健撮影

 私がテレビでバカやってたころですよ。次男の由輝(ゆうき)が生まれたのは。はい、1986年です。先天性の重い病気でしてね。それからずっと障害を抱えて生きています。今度、障害者に関する法律が変わるんですって。いろいろ思うところはありますよ。障害者の父親ですから。あぁ、はい、それじゃぁ、お話ししましょうか。

■難病の次男を初めは拒絶

 そのころはね、仕事も調子が良くてね。長男も9歳になって、すごく幸せだったんです。で、子ども1人でこんなに幸せなんだから、2人ならもっと幸せになるだろうと。単純な考えですよね。

 でもって、次男が生まれたんですけど、クルーゾン氏症候群という先天性の重い病気だっていうじゃないですか。生命に別状はないのですが、頭の骨に異常があって、手術が遅れると手足にマヒが出る可能性がある、と言われました。私も頭真っ白ですよ。

 生後4カ月で、手術を受けることが決まって、その前のある日、病院に行ったんです。すると、次男を見ていた女房が「あんた、ちょっと見てて」と、用足しで個室を出て行った。私一人で次男に向き合うことになったんです。でも見るのが怖いんですよ。無責任だけど、あり得ない世界が起きていると思っているわけだから。おそるおそる見ると、次男は寝ていました。だれもいない、しーんと静まり返った病室に、「はぁ、はぁ」という、次男の小さな息の音が響いています。

 本当に許されないことですが、うちの子のことですから、こんな話をどうか許してください。私はね、次男に死んで欲しいという気持ちがあった。助けたい。でも怖い。そして悲しい。この子がいたら、女房も長男も将来、大変だろうな。よしんば助かって生きたとしても、いずれは面倒なことになるんだろうな。いろんなことを考えた。

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