小山薫堂の一食入魂 [65]
アメリカで最も予約が取りにくいといわれる
ナパ・バレーのレストランで42皿を味わった
- 人生の食卓を無駄にしたくないと願う男の食の軌跡
サンフランシスコの日本人女性シェフの料理に将来の「星」獲得を予感し、
はたまた恵比寿の家庭料理に和んだのであった。
×月××日
JR東海のS氏に誘われ、リニアモーターカーに乗る。山梨県の山奥で時速500キロの世界を体験。その速さに興奮し過ぎて腹が減ってしまった。しかしここは山の中。料理店どころか、コンビニさえも見当たらない。するとS氏がポツリと言った。
- 山梨県の山奥に、ポツンと佇むうどん店「山椒」。吉田うどんのコシを感じさせつつ、讃岐風のスタイルの誠実な味だ。
「うどん、食べます?」
その店は田んぼの真ん中にポツンとあった。讃岐うどんの聖地・香川にありそうなプレハブ風の一軒家。店の名を「山椒」という。引き戸を開けると、村の集会所のような空間が広がっていた。靴を脱いで座敷にあがる。もちろん“セルフ”である。かけうどんが150円から、ちくわ天やかき揚げのトッピングが50円……本場並みの安さだ。
味付けゆで玉子とちくわ天入りの肉うどんを注文した。そして出てきてビックリ! 並盛を注文したのに、実質的には大盛に等しい。キャベツが入っているところを見ると、富士吉田市で生まれた吉田うどんの流れを汲むと思われる。吉田うどんは他のどのうどんよりも麺が硬いことで有名だが、ここのは適度に硬く、それでいてかなりのコシがある。つゆは醤油味。丁寧にとられたかつおと昆布、煮干のだしがきいている。肉やちくわ天も文句なしのうまさ。そう、この店は何もかもが誠実なのだ。
聞けば、店のご主人はかつて某大手電機メーカーのサラリーマンだったが、50歳で早期退職。趣味のうどんで第二の人生を歩んでいくことにしたのだという。店名の「山椒」はご主人の好物。確かに、ここのうどんに山椒を入れると、うまさも倍増する。
店が開いているのは、昼間の3時間半だけ。商売っ気のなさが、この店の魅力でもある。
もし、リニアモーターカーが実用化されれば、東京からこの辺までおよそ15分。よくよく考えれば、日本中のうまいものが身近になるのである。リニアの実用化が待ち遠しい。
×月××日
- オープンしたばかりのレストランに案内してくれたティム・モンダヴィとお嬢さん。今のナパ・バレーの魅力を象徴するような店であった。
短い休みを利用して、ナパ・バレーのワイナリーを巡る。フランスやイタリア以上に観光客対策がしっかりなされているので、ナパは非常に巡りやすい。それに加えて、野菜のうまいレストランが多い点も嬉しい。全米で最も予約が取りにくいと言われている「ザ・フレンチ・ランドリー」はあいかわらず素晴らしく、シェフのトーマス・ケラーは我らがテーブルの全員に違う料理を出してきた。1人14皿、3人で行ったので、合計何と42種類の料理を一晩で味見することができた。感動を通り越して驚異と言うしかない。
友人のティム・モンダヴィは、ナパで最も有名なワインメーカーの一人だ。彼が案内してくれたのは、つい最近オープンしたばかりの「REDDS」。ニューヨークの話題店にも匹敵するシャープな空間と、モダンでありながら肩の凝らない料理。最近のナパの魅力を象徴しているようなレストランである。
×月××日
友人が開業したレストランに行くため、サンフランシスコに立ち寄る。場所はゴールデンゲートブリッジの近く、瀟洒な邸宅が建ち並ぶミルバレー。レッドウッドの森に囲まれたその小さな街に、創業35年の「エルパセオ」というレストランがあった。圧倒的なワインのセレクションで、18年連続でワインスペクテイター誌の“グランドアワード”を受賞してきた名店である。そんな店を僕の友人である武居さんが引き継いだのだ。厨房のスタッフを、信頼できる日本人のシェフに入れ替え、グランメゾンというスタイルで「エルパセオ」は新しいスタートを切った。
3皿のディナーが45ドル、メインディッシュに魚と肉がつく4皿のディナーが65ドル、シェフのテイスティングコースが85ドル。日本のグランメゾンと比較すると随分割安に感じるが、値段に厳しいアメリカではこれが妥当な相場らしい。しかし、驚くのはワインの安さ。ワインマニアだった武居さんが安い時期に買い集めたプライベートストックを放出しているため、どの国のどんな店よりも安く飲める。もはやナパでも幻となっているオーパス・ワンのファーストヴィンテージ(1979年)が365ドルでワインリストに載っているのである。
- サンフランシスコで「エルパセオ」を経営する武居さん(右)とシェフの高橋さん(左)。ワインも料理も素晴らしい!
結果として、東京の人気店をそのまま最高の環境に移植したような……そういう店になったのではないだろうか。日本人の舌にも愛される軽やかさを持ちながら、しかし小手先に走り過ぎない正統派フレンチ。塩加減は非常に繊細で、アメリカのレストランにありがちな大味な部分は一切ない。総料理長は何と、高橋さんという可愛らしい女性である。実は彼女、かつては武居さんのマネージャーを務めていた。しかしある日、彼女の資質を見抜いた武居さんは、仕事を辞めさせて料理学校に入れ、そのあと世界中の一流店を体験させて、自分好みの料理人に育て上げたのだ。「料理の鉄人」における鹿賀丈史が、まさかこんなところに実在したとは!
もうすぐミシュランが西海岸にもやって来る。僕が思うに、そう長い時間を費やすことなく「エルパセオ」は星を獲得するだろう。数年以内に、初の星付き日本人女性シェフが誕生することをここに明言しておきたい。
×月××日
- 料理研究家の園山真希絵さんが開いた「園山」は素朴な一流の家庭料理が並ぶ、実に居心地のよい店でった。下は“温玉めし”。
料理研究家の園山真希絵さんが恵比寿に開いた「園山」に行く。築60年の古い木造一戸建てで営業している家庭料理の店。働いているスタッフは全員、花嫁修業真っ只中という美女ばかりである。流行りの隠れ家系ダイニングかと思いきや、そうではない。昭和の親戚の家に招かれたような空間で味わう、究極の平凡家庭料理。“大豆のすり流し”や“まるごと1本ニンジンの肉ジャガ”、“黒豆の豆乳プリン”など、料理研究家らしいヘルシーな素材選びが光る。シメは焼酎醤油をたらしていただく温泉玉子とおかかの“温玉めし”。腹いっぱい食べても5千円前後という安さがこれまた嬉しい。
「いってらっしゃい」と美女たちに声をかけられ、少々変な気分になりながら、一流の家庭料理を味わえる“イエ・レストラン”を後にしたのだった。
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「山椒」 山梨県都留市田野倉1049−1 TEL.0554-45-8383
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