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週刊現代の橋下徹礼讃特集 - 湯浅誠の橋下批判の帰趨
本日(5/24)発売の週刊新潮の広告を見ると、「反橋下市長キャンペーンを準備する『年越し派遣村村長』」という記事の見出しが出ている。中身はまだ読んでないが、これは湯浅誠のことだろう。どこかでそういう予告に接した記憶があるし、何より、湯浅誠の現在の関心は橋下徹にあり、文藝春秋誌上で床屋政談を披露したりもしていた。本人の意思は頷ける。具体的にどういうキャンペーンが立案されているかは不明だが、直感的に、結果を悲観視する気分を禁じ得ない。もし、それが山口二郎あたりと結びついた言論戦の企画なら、一般の支持を惹き寄せることなく不首尾に終わる予感がする。そしてそのことは、私の中のシミュレーション・ゲームにおいて、湯浅誠という「橋下徹に勝てる最後のタマ」を失い、武器庫が空になることを意味する。私はTwitterで、「湯浅誠が左派のシンボルだったら、橋下徹に勝てただろう」と書いたのだけれど、その想定は(都知事選のような)選挙戦をイメージしたもので、乾坤一擲の政治勝負を仕掛ければという意味である。マスコミや出版世界での批判とか、あるいは集会やデモとかの方法で、果たして効果的なダメージを与えられるのだろうか。評論家の立場からの橋下批判には限界がある。リスクを賭けて”STOP THE HASHIMOTO"の選挙に立つという勇気を示さないかぎり、campaign(戦闘)で勝利を収めるのは難しいだろう。
 

フランツ・ノイマンの『ビヒモス』という著作がある。学生の頃、ファシズム研究の必読の古典書として推薦されていた。ビヒモスは旧約聖書に登場する陸を支配する恐怖の怪獣。海を支配するのがリヴァイアサンで、ホッブスの古典に因んで題名が付されている。みすずの本ということもあって高額で、貧乏な学生には購入がためらわれたが、ナチズム論を本格的に再勉強していい時期だという気分になった。橋下ブームに沸き踊る雑誌の活字の海に食傷しながら、問題を本質化する学問の言葉が欲しいと飢餓感を覚えて仕方がない。橋下徹は現代日本のビヒモス。すでにそう呼んで差し支えない対象になっている。気になるのは、アレルギー反応的に橋下徹を拒絶していた者たちが、無意識的にも、橋下徹との間で内面のインターフェースを調整する徴候が窺えることだ。例えば、橋下徹を批判するときは生い立ちを突っつく作法はフェアではないというような主張である。これは、橋下徹の批判者に対する批判であり、橋下擁護の議論である。こうした立場を確保することで、自身の中で橋下徹を肯定する要素を生成するのであり、橋下徹の環境で生きる免疫を作っているのだ。ビヒモス橋下徹は、すでに現象ではなく環境になりつつある。一人一人は、精神の恒常性を維持するために、橋下徹の恐怖政治の将来を先取りし、折り合いをつける準備を始めている。生きものの本能のように。

橋下徹はヒトラーとよく似ている。そのことは常識と言っていい。ヒトラーの政治がその生い立ちと密接に関わることは、多くの研究者が突き止めた事実であり、このこともまた世界の通念となっている。であれば、橋下徹の生い立ちの情報が分析され、その成分がヒトラーと一致すれば、まさに両者に共通するファシズムの合法則性が有力に仮説提示できるのであり、政治科学的な説得力になるのだ。現時点で、赤狩りの思想調査やら人権侵害の国歌強制やらで、すでに大阪では十分な実害が出ている。ここまで甚だしい実害に及んだ首長はなく、本来ならリコール運動が起きて辞職に追い込まれて当然だ。権力者として実害を出している知事や市長の生い立ちを、市民が調査して公開するのに何を躊躇する必要があるのだろう。例えば、香山リカにもう少し学問の素養があり、フロムなどゲシュタルト学派を読み込んで使いこなす力量があれば、そうした批判の視座と着想を持つことができただろうと思われる。単に橋下徹のサディズムやヒステリーを精神病理の症状として捉えるだけでは不十分なのだ。橋下徹のファシズムが現実の脅威になろうとしているときに、ファシズム論の切り口から有効な批判を展開する者も出ないし、有用な生い立ち情報を発掘して提供するジャーナリストもいない。逆に、市民側が人権の論理で自縄自縛して、橋下徹への反撃を自制する空気がある。ビヒモスの何たるかを知らない。

週刊現代の今週号は20ページを使って橋下徹特集を組んでいる。その論調は橋下徹への絶賛であり、他誌と同じく待望論の増幅と扇動だが、文藝春秋以上に応援意図が明快な橋下教のパンフレットのような内容だ。その中で、仙谷由人と石破茂の対談があり、田崎史郎が司会している。「本当の政治は俺たちがやる」「こんなの、ブームにすぎないね」と題がついていて、その主張が展開されているのだが、編集部の思惑が丸見えで、要するに、既成政党の代表的人物に橋下批判をやらせていて、逆の情報効果を狙っているのだ。仙谷由人と石破茂が橋下批判をやれば、読者は反発して、マイナスに対するマイナスで橋下徹に対してプラスになる。仙谷由人などは、こういう場で評論家的な橋下批判をやれば、それがどれくらい橋下徹にプラスの反響となるのか全く理解できてない様子で、権力者の傲りと盲目を感じさせる。この男は自分の不人気を理解していない。官僚の親玉としての日常があるから、自分を官僚や評論家だと思い込み、今後もずっと官僚と一緒に権力の世界に棲み続けられると錯覚している。選挙で国民の審判を受ける政治家としての自覚がない。橋下徹の現象はブームに違いないのだが、仙谷由人や石破茂がそれを言うと、否定の否定で肯定される作用が起き、ブームがブームではなくなるのである。「本当の政治は俺たちがやる」と言えば、「お前たちなどにやらせてたまるか」となるのだ。燃料投下となる。

司会の田崎史郎がこう言っている。「そうでしょうか。橋下ブームはこの1年だけでも雪だるま式に膨れ上がっている。これは、民主党が期待外れだった分が橋下さんに向かっているのであって、民主党の今の体たらくが続く限り、橋下人気は落ちないだろうと思います。少なくとも選挙で一票を投じないと、国民の不満のガスは行き場がない」(P.50)。失望の対象は民主党だけではないが、この指摘が政治の実相を言い当てているだろう。橋下人気が一過性のブームに終わらない構造があるのである。次の縁挙でどういう勢力が並び、どういう争点が設定されても、国民は民主党がマニフェストを裏切ったという事実は忘れないし、投票における審判の意味の比重をそこに置くはずだ。自民党が民主党よりも支持率が高くなっている理由も、自民党が支持されているというよりも、民主党への反感が逆流している状況として観察することができるだろう。今、NHKの世論調査の政党支持率では、自民党が19.9%で民主党が18.4%、支持政党なしが47.1%となっている。ここに橋下徹が参入した場合だが、決して支持政党なしのボリュームがそのまま橋下徹に流れ込むのではないと私は考える。むしろ、民主党と自民党の支持率に入っている層が中心になって移動するのだ。具体的に言えば、自民党から10%、民主党から10%、支持政党なしから10%が流れ、橋下新党が30%の支持率になるだろう。その結果、民主党と自民党は10%を割る事態になるに違いない。

ここで、湯浅誠の橋下徹批判に戻ろう。湯浅誠の主張は、主権者たる国民は常に現実の調整過程の場で権利や福益の実現に努力しなければならないのであり、それを簡単に「強いリーダーシップ」に委ねてはいけないという戒めと悟しを強調する。「強いリーダーシップ」に委ね託してしまうと、大半の人間は結果的に切り捨てられる側になって損害を被る。だから、今の所与の体制の下で我慢しながら、少しでも改善改良する余地を探せと説く。「強いリーダーシップ」は橋下徹を指す。この議論は、次の選挙での選択に置き換えれば、民主党に一票を入れるべきで、橋下新党に政権を与えてはいけないという意味になる。湯浅誠は消費税増税に賛成であり、共産党や社民党や小沢派のような、官僚の無駄を削って財源を捻出しろという政策主張を否定する立場だ。山口二郎と同じ位置であり、中道左派と称して現政権(民主党主流派)を支持する立場である。官僚の立場と言い換えてもいい。そのため、文藝春秋での湯浅誠の橋下徹批判は、週刊現代の仙谷由人のトークとよく似た印象が漂い、悪く言えば抽象的で評論家的で一般論的な批判である。もっと言えば、橋下徹を支持している大衆に内在しない、大衆を上から見下ろす視線である。この湯浅誠のスタンスで、果たして橋下徹批判のキャンペーンは成功するだろうか。「強いリーダーシップ」に頼ると裏切られるという説得が響くだろうか。less worseの発想で橋下徹への対抗軸が作れるという発想は、私は根本的に誤っていると思う。

国民は民主党政権にも裏切られ、現実に切り捨てられたのである。消費税増税なしに財源を捻出して「国民の生活が第一」の政策を実行すると言った民主党に、期待を託して投票した直後に裏切られ、消費税増税するから払えと迫られてしまった。これ以上の切り捨てがあるだろうか。そして、次の選挙で民主党が何かを公約したとして、その公約を民主党が守る保障があるだろうか。守ると信じられる蓋然性が、投票する国民の側にあるだろうか。国民は、同じ人間に二度も裏切られたくはない。「あのときは見通しが甘かった」と言われるのは、同じ人間に一回でいいのだ。同じ裏切られる結果になるのなら、国民はフレッシュな方を選ぶだろう。この問題に関連して、どこかで湯浅誠が、2010年の参院選で国民が自民党に投票したのが間違いだったと言っていた。反動を選んだ誤りだと。それを見て、この男は何と政治に無理解なのだろうと溜息が出た。あの選挙で菅民主党に投票して勝たせれば、すぐに消費税は10%に引き上げられていた。菅直人による消費税増税を阻止するために、国民は敢えて自民党に投票したのであり、現実に消費税増税を阻止できたのだ。そのおかげで、ねじれ国会になり、子ども手当も何もかも失ったが、消費税は増税されずに済んでいる。生活を防衛したのであり、less worseの賢明な判断をしたのである。湯浅誠にはこうした認識が持てない。消費税増税を善政と考え、社会保障政策の必須の前提と考える湯浅誠には、2010年の参院選の国民の選択が妄動としか見えないのである。


 
by thessalonike5 | 2012-05-24 23:30 | Trackback | Comments(1)
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Commented by liberalist at 2012-05-24 20:22 x
湯浅誠氏は、民主党政権と共に、すっかり賞味期限が過ぎた感がありますね。彼の最大の弱点は、やはり、貧困という問題を大衆に認識させた点は多大な功績がありますが、貧困を治す具体的な術に欠けていた点ではないでしょうか。特にマクロ経済的視点の欠如でしょう。

反橋下に関しては、私はもう毎度ながら、中野剛志氏を差し置いて、他に居ないと思いますね。TPP議論をフジテレビ出演で、1日にして、ひっくり返した多大な功績もありますから。
先日のトークセッションにおいても、ズバリ橋下の問題を指摘していますよ。
http://www.youtube.com/watch?v=D2TrQqqJffw

橋下の言っていることは、「古い!」と断言している辺りが爽快ではあります。
実はネット世論においても、変化が生じて来て、今やネトウヨと呼ばれる人間ですら、橋下派はむしろ少数で、多くは反橋下派、親中野派(そのボスの藤井聡派)になりつつありますよ。
何と言うか、もうテレビや出版の方の世論が遅いんですよね。橋下の化けの皮は、ネット世論においては、剥がれつつあるのではと。
もう橋下の手の内は、彼らによって、あかされてしまっていますよ。あとの問題はネットを見ない、白髪頭の世代にあるのでしょうね。
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