韓国のアリラン3号衛星が日本のH2Aロケットによって打ち上げられる前日の17日、日本のメディア各社は宇宙航空研究開発機構(JAXA)関係者の言葉として「韓国のロケット技術は日本の1960年代当時のレベル」と報じた。独自開発か他国の技術導入かで方針が定まらなかったことが影響し、韓国のロケット技術は今なお日本の1960年代のレベルにとどまっていることを指摘したわけだ。日本は18日、韓国のアリラン3号衛星を積んだロケットの打ち上げに成功することで「日本のロケットは国内限定」というこれまでの見方を脱却し、世界の衛星打ち上げ市場へと本格的に参入することになった。
日本はロケット技術の独自開発を進める一方で、海外の優れた技術も積極的に導入し、今では宇宙ロケット先進国の仲間入りを果たした。日本のロケット開発は1955年4月、東京大学の糸川英夫教授が長さ30センチのペンシル型固体燃料ロケットの水平発射に成功したことから本格的に始まった。糸川教授は1960年代後半まで、日本のロケット開発で中心的な役割を果たした。その後、日本は4回の失敗を経て、1970年にL4S型5号機で人工衛星「おおすみ」を衛星軌道に乗せることに初めて成功した。この成功により日本は、自国の技術により衛星打上げに成功した世界で4番目の国となった。日本が2003年に打ち上げた小惑星探査衛星「イトカワ」は「日本のロケット開発の父」といわれる糸川教授の業績をたたえてその名がつけられた。
日本がロケット開発を進めるに当たり、もう一つ力を入れたのは、米国から導入した液体燃料ロケット技術だ。1967年に当時の佐藤栄作首相とジョンソン大統領は宇宙開発分野での協力に合意した。これを受けて日本は米国のデルタロケットの技術を導入し、これを基盤として3段型のNシリーズロケットを開発した。三菱重工業で宇宙事業を担当する浅田正一郎副社長は、今年初めに韓国を訪れた際「開発当時、米国はアポロ11号による月面着陸に成功したばかりだったため、日本に技術を移転しても問題ないと判断したようだ。設計図面や関連するソフトウエアなどの移転はもちろん、米国の技術者が日本に来て指導までしてくれた」と当時の模様について語った。
日本はNロケットの技術を基盤に液体燃料ロケットの国産化を進め、1994年にH2ロケットを開発した。京都大学の中野不二男特任教授は、最近韓国で開催されたセミナーで「H2ロケットは液体燃料を主に使用するが、固体燃料も補助装置として活用している。日本は双方の強みを生かして国産化に成功した」と述べた。