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No.35066 フェイク 第1296号 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-23 12:41:40 ID:412faec25
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(発行=12.05.22)
「言行不一致の僧」が折伏の檄
大石寺で低調な夏期講習会第一期始まる
デタラメ成果を反映し参加者は減少

 日顕宗の第九回法華講夏期講習会が大石寺で始まった。第一期は十九・二十日
の両日、各末寺が四苦八苦して集めた約四千人が参加した。宗門関係者によると
、五千人ほど集めたい意向だったようだが、その目論見は第一期から崩れた。

 講習会には以前、未活動者も強制的に参加させていたが、早瀬日如の講義が
余りにもお粗末なため、寝息を立て居眠りする者や会場を抜け出し売店で雑談
する者などが続出し、関係者を慌てさせていた。そのため一昨年の第七回講習会
からは対象を変更し、講頭、副講頭、認証幹事、支部役員、及び活動家に絞り
実施した。
    
 昨年の五期にわたる講習会の受講者は約二万人で、その中には複数回、参加
させられた者も含まれており、図らずも、日顕宗の活動家の実数は一万数千人に
すぎないことが明白になった。

 今年は「実行前進のために―御指南を実行する信心―」がテーマだが、日如の
迷走指南に辟易する法華講員は「笛吹けども踊らず」で鼻白んだ講習会である。

 講義の内容は一時限目が「異体同心で御命題達成」、二時限目は「破邪顕正の
実践―今こそ創価学会員を折伏しよう―」そして三時限目が「折伏前進の方途」と
、いずれも折伏の檄を飛ばす内容ばかりであった。

 その狙いは、思いもよらず「ニセ法主」の座に就いた日如が有頂天になって
思いつきで打ち上げた「(平成二十一年比で)平成二十七年までに法華講員五十%
増、三十三年までに八十万人の達成」という大風呂敷の目標に向けて士気を高め
たいのだが、参加者は意気消沈するばかりだ。

 そもそも担当講師が悪すぎる。布教部長の阿部信彰(池袋・常在寺)、教学
部長の水島公正(所沢市・能安寺)、村上節道(草加市・宣行寺)らで、折伏
など出来ない坊主ばかりである。

 布教部長の阿部信彰が住職をしている常在寺は、お膝元にも関わらず、二百と
いう一カ月で出来るような数を年間目標に掲げて苦心惨憺の末、現在やっと半数
に漕ぎ着けたにすぎない。

 また、水島公正は教学部長でありながら、改革同盟の松岡幹夫(雄茂)氏らに
血脈問題などについて徹底的に破折されても反論さえできないのに、自分一人
では折伏など猶更、出来まい。

 曰く付きの坊主共が「御命題達成」だの「学会員を折伏しよう」だのと叫んだ
ところで説得力はない。

 特に、村上の宣行寺では小学生を「内得信仰」扱いにして成果にするなど
数合わせの折伏で有名になった。

 二日目は生臭坊主・日如の講義だが、その原稿は教学部副部長の宮野審道らが
書いたもの。これを棒読みしたところで奮起する講員など皆無である。

 かつて日如のいた大願寺に在勤した経験を持つ改革同盟の渡辺雄範氏は、日如
の無能ぶりを、折伏をしたこともなく、立派な信徒を育てた実績もない「言行
不一致の僧侶」と指弾した。ニセ法主の土壌では今年の講習会も実りが全く無い。
No.35065 訂正 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-23 01:53:29 ID:412faec25
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マグマグ殿の文才に掘れている (誤)

   ↓

マグマグ殿の文才に惚れている (正)

マグマグ殿を掘っちゃいけませんね(爆笑)
No.35064 なるほど京阪さん 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-23 01:28:59 ID:412faec25
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※それよりも、首相の(公人としての)公式参拝には問題がある… 

ふむ京阪さんのおっしゃりたいことは解りますが
それと私が指摘した連中とは直接的な関係はないように思います。

ちなみに憲法上は閣僚や議院の宗教施設の公式参拝に関する規定や罰則は
存在しません。
何人かの首相の言い分は「私的」な参拝をしているのみです。
もちろん一国の首相は公人ですから、国会や官邸以外の場所では私人というのも
苦しい言い訳のように聞こえますし、
靖国の肩をもつわけではありませんが、宗教的なものというよりも
政治的なものと絡めた精神的根幹を靖国神社という特殊ないきさつをもった
一宗教に求めている人がいるだけだと思います。
だとすると憲法上問題があるとするのも、ないとするのも見解の域を脱しません。
京阪さんのおっしゃる「どんなに胡散臭くても、これを認めざるを得ない」
のは靖国の閣僚や議員も同じことなのです。

もちろん私も「問題あり」だと思っています。
だとするなら中国が問題ありと抗議するのは当然だと考えています。

“アンタッチャブル”に発展するという意味が私には解りかねますが
少なくとも中国大使の「抗議文」は日本全体に出されたものではなく
タカ派参加議員に対しての警告です。

(参考リンク)
会議に出席した国会議員は、たちあがれ日本の平沼赳夫代表、自民党の
古屋圭司衆院議員ら5人。抗議文は5月8日付の文面で、14日に送付
されてきた。 抗議文は「日本の各界とともに努力し、中日の戦略的互恵
関係を前向きに発展させたい」と主張。チベットと新疆ウイグル自治区に
関する資料を添付した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120515-00000550-san-pol


※とくにそれ以上はありません

そうでありましたか。
マグマグ殿の文才に掘れているアンチ富士宮ボーイの面々も以前
「引っこ抜き」に来ておられますので少々深読みした次第です。
私のようにブログの記事を富士宮ボーイ掲示板に貼るだけでも
労力としては手間がかかりますので、お忙しい方に安易に
「ブログ」をお勧めしないほうがよいと思います。
褒めちぎられてブログを造ったは良いけれど、精神的負担を抱え込んで
記事がおかしな方向に進んでいる人を現在進行形でご覧になっている
ではありませんか。
もちろんマグマグ殿が自発的にブログをお作りになることは咎める手だては
ありません(笑)


※言葉は悪いけど「下衆の勘ぐり」とも言える

◎我が身を知つて用心せざる畜生の如くにあらずや、
 身命を失ふ事併(しかしなが)ら 心より出ずれば僻人(びゃくにん)なり

 (弥源太殿御返事)


信心の為に先々の用心をしているだけです。
自分は学会員様であるぞ!なんて人は学会内では通じるかもしれませんが
対「外」や「邪」との対話や討論なぞはおよそムリであることをROMの皆様に
感じていただければ良いのです。


※「完膚なまでに」の、どこかに「通り道」を用意しておくのが・・

ことネットにおいて、相手の逃げ道を完全に絶つ事は不可能ですよ。
永遠にいたちごっごです。

※とりとめのない話、ごめんなさいね。

いえ こういうのは嫌いじゃありませんので(笑)

No.35063 はた京阪様。。。o(*^▽^*)o~♪ 投稿者:マグマグ 投稿日:2012-05-22 23:45:01 ID:2f03859b0
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京阪様

早々のご来訪があって、今朝ほど確かに拝見してはおりました。
ところが、今日は急に色々と立て込んであって、
直ぐに返信が出来ませんでした。本当に申し訳ございません。

今回の貴ブログでのご高論、改めて感謝申し上げます。


>>35058

>>ヤスクニについては、少し(?)関連したことで書いたのがこれ。
>>http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1266671209/211

ええ、拝見しました。私個人もまったく同意見ですし、
何を隠そう(笑)、海外の政府も同様のことを公式に発表しております、笑。


>>>「日中友好」に政治的思惑を挟み込む為政者は、
>>>のちの歴史によって、「平和の敵」との評価を受けることを恐れなければいけない。
>>
>>この日の拙ブログ記事で、じつは一番苦心した箇所です。

とても意地の悪いことながら、私は行間から、そうでなかろうかと、
勝手に想像申し上げておりました。←これこそ、ゲスの勘ぐり、爆笑。。。


>>ご指摘のとおり、
>>実は為政者の殆どの行動に「思惑」は内包されているのが現実です。
>>平和とひと口に言っても、そのバランスの上に成り立っています。

仰せの通り。が、成り立っているかどうか?笑。。。


>>創価系ネットでさえも(笑

突込みばかりで本当にごめんなさい。
で、学会員のネットはバランスどころか、
対社会の存在感自体が益々薄れているのでは?と正直に思います。

一言で言って、どんどん閉塞化している。

他者を受けつけないばかりか、自分の殻にこもって幻想ばかりを夢見ている。
かつての同志も、互いに学会員というだけでつながっているのみ。
建設的な意見の交流はないし、通常の初歩的な批判さえも互いに受けつけられない。
場合によっては世間的な常識さえをも逸脱しているような状態。。。

仲間意識と傷のなめあい、そして、嫌いな人を排除する自己満足の悪循環、だけ。

文句ばかり、生意気ばかりとお思いになるでしょう。でも、本音です、笑。
また、私は、特に、ネットの大掃除以降、風向き、流れが大きくかわったと感じます。
が、今、別に誰か特定の人のことを責めたいわけでもありませんし、
何か特別なことを憂うわけでもありません――これが、我々目前の現実、だけでしょう。


>>実は、今回の下書き(?)には、もっと踏み込んで書いていました。
>>しかし、止めました。
>>
>>かなり遠まわしに表現したこと。
>>あえて主語を外したこと。
>>結論をどのようにも受けとめることができること。etc.
>>
>>今はこの程度で留めておくのが妥当だと判断しました。

仰せの通りで、京阪様だから、の、賢明なご判断でしょう。
今回のご高論にある「絶対値」からも拝察出来ることだと思います。

どう表現すればよいか分かりませんが、絶対的な値と自分がずれてはいけない。
表現の違いは許されても、表現すべきものの核心は絶対にはずしてはならない。
一旦、ずれたり、はずしたりすると、自分自身をも見失ってしまう。
また、そう言う危惧を察知し想起したり、また、それが故に自戒し努力する術を、
自身が身につけていないと、ついうっかりと足を滑らせてしまうことが、ある。

それらを教え、育んでくれるのも「絶対値」の存在であり、
その存在から発想し、思考し、具体的な行動を現実社会で繰り広げるからこそ、
「絶対値」の存在、いや、そのものを初めて自分で血肉、我が身とすることが出来る。
私はこう考えます。まあ、循環論法の変種でもありますが、笑。

正直、考えすぎと言うか、下手な考えばかりの私かもしれませんね。。。


また、余談ですが、ブログを作ろうなどと、これっぽっちも思っておりません。
私の現実(ネットでの現実、笑)は、こちら富士宮にすべてがあります。
いいえ、これ以上、これ以外のことは出来ない、が、本音でもあります。
事実上、私のブログのようになってもおりますし、、、謝々、読者の皆様!笑。。。

ご厄介、ご迷惑をかけた上で、色々と親身になってお教え下さり、
時として厳父のようにお叱り下さり、師匠のように信心の筋道をつけて下さり、
そして、学会への最後の背中の後押しをして下さったのが、富士宮ボーイ掲示板。
今、おいでになるならないと別に、大変多くの諸先輩、学会の同志の方々です。

御書の一節、一丈の堀しかり、よきところ、よきところしかり、で、
過酷な現実の社会、職場や家庭と同じで、私の一丈、よきところは、ここなのです。
が、当然、この環境に甘んじていてはいけない。更に力及ばずながらも、
知恩の上に形ある報恩の先は、ネットでは富士宮、と、心に決めているのです。

もしも学会辞めたら、ひょっとして自分でブログ作るかも。。。爆笑o(*^▽^*)o~♪


冗談はさておき、京阪様のブログの益々のご発展、
そして、その・絶・対・的・な・ベ・ー・ス・である現実での、現場でのご活躍、
精一杯の成果、着実な成果、ホンモノの成果の創出に、
心からの声援と、心からの羨望の眼差しを、いつも向けさせて頂いております。

今回もご激励下さり、本当に有難うございます。頑張ります!マグマグo(*^▽^*)o~♪
No.35062 あべひさんへ 投稿者:はた京阪(京阪電車の燈) 投稿日:2012-05-22 22:10:42 ID:1d6950b92
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あのね、あべひさん

『それでも日本には、(開催を)認めなくてはならない法律がある』と僕は思う。


誤解を恐れずに言うと

『そうでないと、“創価基準”で回る内輪の物差しと同じになってしまう。』と思う。


そのことと同じベクトルで書いたのがこれ。

>ヤスクニについては、少し(?)関連したことで書いたのがこれ。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1266671209/211

“いち宗教法人(の靖国)”としてなら、何を祀ろうが自由。 だから、A級戦犯合祀も自由。
それよりも、首相の(公人としての)公式参拝には問題がある… という私の主張です。

これと同じく、憲法上、開催は自由。
(仮に)どんなに胡散臭くても、これを認めざるを得ないのが、日本。…というわけです。


で、あべひさん
憲法問題、これ以上続けますか?

お互い、学会に籍を置く身として、“アンタッチャブル”に発展するのは好ましくないでしょう?
よしましょうや。


次、ゆきます。

>京阪さんは、なぜ学会員さんのブログの設立にこだわられるのですか?

こだわりましたっけ?
「設立すべき」とも、「推奨」もしていないつもりです。

もし、そのように思われているなら、それは間違いです。

マグマグさんには、いつもその文才には敬意を持っています。
さぞ美しいブログになるでは?と思った次第です。
とくにそれ以上はありません。


僕はね、あべひさん
貴方には、とくに敵意は持っていない。
そこを前提に少しだけ、言うよ。

あべひさんの、ネットに関するウンチク、
僕はそこまで考えたことがない。
ある意味、とても感心した。

でもね、それは
言葉は悪いけど「下衆の勘ぐり」とも言える。
勿論、貴方が下衆とは思っていないけど。


ねぇ、あべひさん
貴方、いつもそんな調子なの?

とくに間違っているとか、間違っていないとか、じゃなく、
それって、まずいんじゃないかな?

僕のこれ、「議論」じゃない。
それは自分でも分かっている。
だから、突き詰めれば、僕に分はない。

でも、お互い人間なんだよ。
「完膚なまでに」の、どこかに「通り道」を用意しておくのが、人の世界なんだよ。

それができない結果、どうなるか?

「今のあべひさん」、なのかなぁ…って僕は思う。



とりとめのない話、ごめんなさいね。


No.35061 前置きが長くなりましたが 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-22 12:47:00 ID:a19e1a316
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お聞きします と書き込んでおいて肝心の質問がありませんでした(笑)

京阪さんは、なぜ学会員さんのブログの設立にこだわられるのですか?
No.35060 京阪さんへ 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-22 12:35:50 ID:a19e1a316
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直々のご来訪ありがとうございます。
いつも京阪さんのブログは拝見しています。もちろんいつまでも法華講を
徘徊させている「けんちゃん・ぎかんちゃん」も拝見しています。

カチカチブログや拙ブログへのご批判ありがとうございます。
ご挨拶はさておいて、少々お聞きしたいことがあります。

「けんちゃん・ぎかんちゃん」は日顕宗破折がメインテーマであり
付則には以下の文言があります。


◎確認しようのない現実社会の成果や、信仰に名を借りたオカルトを
 みだりに書き連ねる方には退出願う場合もあります。
 また、テキストではいくらでもウソがつける事をお互い認識し、実りのある
 議論を心がけましょう。


京阪さんが宝くじに当たった事や会社で評価を受けたことが「ウソ」だと
批判したり「オカルトだ」と断定する意図は持ち合わせて折りませんが、
現実社会での成果は、まず現場でお話する事が最重要ではないでしょうか。
上記の条文がなぜ付加されているのかといえば
日顕宗の破折をするのに「自慢」は役に立たないという事だと私は考えて
いますし、この一文は実に的を得ていると評価をしています。

そう考えると、昨今ネット学会内で好まれる内容は上記の現実社会での成果の
ひけらかしが多いように思えてなりません。
それはなぜでしょう?
実に単純です。 良い「評価(レス)してほしいから」に他なりません。

またそれをだけ求めている人を見分けるのも容易です。
「成果」の独白に悪い評価をしている人は極悪人であり、その人の投稿を許して
いる公開掲示板は有害サイトだと断定します。
ようするに自分に好意を持ってくれる「学会員」を集める事が目的です。

以前京阪さんのように、学会員にブログを造る事を勧めていた鯖くんに
公開掲示板とブログの違いをお聞きした事がありますが
個々の記事や管理のしやすさやコメントやホスト管理のしやすさを
挙げていたと記憶しています。

鯖くんたちのご意向にそう形で、私もブログを立ち上げ約1年になりますが
自分が発表した個々の記事一つ一つにURLがつく事と、それが蓄積できる事
あとから記事再編集できる事以外に、公開掲示板と比較してさしたる
優位性を感じません。
また
副次的に設置したアクセス解析サービスのデータを通じて、皆さんがどんな
記事に興味がありアクセスがあるかといった嗜好性がわかるだけです。

むしろ京阪さんが危惧される
“「知識」が、増上慢とならぬよう”にするには自分優位の管理ができる
ブログは不向きではないでしょうか。
基本的にネット学会員さんは「同志」と討論する事を好みません。

自分の発表した意見と批判が等価値で扱われるホスト公開型掲示板は、
ブログと比較しても「増上慢」になりにくいように思います。

No.35059 【政治】 ウイグル会議と靖国参拝 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-22 11:21:11 ID:a19e1a316
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なぜ東京で世界ウイグル会議が開催され、たのか
YOUTUBEにその意図を示すものがありました。

http://youtu.be/OF8mNevJzWg

報道では議長さんのウイグル族への中国政府からの軋轢が報じられて
いましたが、
上記YOUTUBEの1:40秒あたりから、国際政治学者の藤井氏が
会議開催後にメンバーが靖国に参拝したことを明言しております。

そもそもこの会議は、「世界ウイグル会議を支援する日本人の会」が支援して
いる事であり、その背後には右系の論客や議員がうごめいている事がご確認
いただけるのではないでしょうか。

またウイグル会議の議長さんは,尖閣の国の買い上げをご存じのようで日本に
「新疆を買い取ってほしい」 との発言をしているようです。

京阪さんは、中国からの抗議文が「恫喝だ」と暗に批判されますが
日本側のウイグル会議を支援する会の本性は「中華帝­国主義の横暴に対して」
活動している面々です。
彼等にすれば中国攻撃のネタの一つとして「ウイグル族」の皆さんを
利用したにすぎません。

支援とはいっても具体的になにをする訳でもなくウイグル会議さんに国際的な
発信の場を与えた見返りに一宗教法人に過ぎない靖国へ誘導しているのです。
事実、櫻井よしこ氏は中国からの抗議があったことをネタにして
早速週刊誌に寄稿しています。
(参考リンク)
櫻井よしこ 日本に内政干渉を続ける中国は宗主国のつもりか
http://www.news-postseven.com/archives/20120520_109249.html
彼等は最初から計算ずくなのです。

ご存じのように日・中の二国間の政治的バランスは前期民主党政権の
対中外交の軽視化によって少々乱れてしまった感があります。
一部の右系団体のこのような行動で政治的なアドバンテージを一つ中国に与える
事こそがさらに国益を損ねてしまっている事を熟知しておかなければいけません。

仕掛けたのは日本側なのに「愛すべき日本に対して抗議をしてくるとは何事だ」
といったような短絡かつ大上段の考え方をする人が日本に増えるほど対立は
深まります。
彼等の意図するところは所詮、外国人(対中・韓)排斥主義の延長線上です。

ただ中国政府要人からの抗議があった事だけをクローズアップし、騒ぐだけなら
護国や靖国神社の正当性を主張するためにウイグルの皆さんを利用する愚かな
評論家の片棒を担ぐことと同じだと思います。

No.35058 マグマグさま 投稿者:はた京阪(京阪電車の燈) 投稿日:2012-05-22 05:34:19 ID:665c910b4
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富士ボ、マグマグさんへ。

おはようございます。
拙いブログ、読んでくださってありがとうございます。

さすがに、マグマグさん。
私なんか太刀打ちできないほどの文章力に、いつもながら感心しております。
余計なことかもしれませんが、
そこまでのご才能、ブログなさっては如何でしょう?


さて、先ず最初に。

ヤスクニ参拝の件ですが、
まさに「思惑」もあろうかと思います。

ただ、そこにタッチすることが、
我が国のおける、“民間”の催し開催申請を却下(排除)理由にはならないと思います。

あれは「民間」だから…との“判断”が逃げ道かもしれませんが(笑

治安を乱す(あくまで日本国内。都民の轟々たる抗議、テロ予告とか。)等々、
公安が判断すれば、認めないなどの措置はあるかもしれませんが。



ヤスクニについては、少し(?)関連したことで書いたのがこれ。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/internet/1422/1266671209/211



次に進みます。

>「日中友好」に政治的思惑を挟み込む為政者は、
>のちの歴史によって、「平和の敵」との評価を受けることを恐れなければいけない。

この日の拙ブログ記事で、じつは一番苦心した箇所です。

ご指摘のとおり、
実は為政者の殆どの行動に「思惑」は内包されているのが現実です。
平和とひと口に言っても、そのバランスの上に成り立っています。

創価系ネットでさえも(笑


実は、今回の下書き(?)には、もっと踏み込んで書いていました。
しかし、止めました。

かなり遠まわしに表現したこと。
あえて主語を外したこと。
結論をどのようにも受けとめることができること。etc.

今はこの程度で留めておくのが妥当だと判断しました。

私は為政者ではありませんし、
他国に対し、責任ある発言を持って、解決できうる提言力も持っていません。

ですので、今はここまでです。


いろんな課題があっていながらも進むのが、師の「絶対値」。
そこが政治家と異なるところだと私は思います。



さて、まぁブログ界隈におきましても、いろんな喧騒があると伺っております。
私自身、いざ書く身になってみれば、わかってくることも多々あります。

とくに“師の行動と共に(関連)する話題”に関しては、
時として、私どもブロガーおよびが各々持つ「知識」が、
増上慢とならぬよう、細心かつ慎重に、自己検証で筆を進めたいと思う、昨今です。


これも「慎重」ですかな?(笑





これからも宜しくお願いします。
ただ、これからはブログコメントはコメント欄で、ね。


追伸

加筆は好きなほうなので、ご容赦を。


【はた物語 / 京阪電車の燈とともに】
http://fanblogs.jp/hatakoh/


No.35057 【主張】友好の燎原の火。 投稿者:マグマグ 投稿日:2012-05-21 16:37:32 ID:8ef6404ff
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はた京阪氏が日中問題をとりあげておられる。昨日拝見した時と少し違うようだが、西園寺一晃氏からの引用が輝いている。国交正常化の歴史において、氏の証言はとても重みがあり、創価学会の平和行動に画竜点睛を添える真実の証言だ。

――ゆえに、我が師匠・池田先生は弟子に語り継ぎます。困難渦巻くこの時代においても、揺ぎない平和への理解の輪拡大へと…。/「日中友好」に政治的思惑を挟み込む為政者は、のちの歴史によって、「平和の敵」との評価を受けることを恐れなければいけない。(2012年5月20日、親愛なる隣国、中国)――

京阪氏の論調は学会員としての正論。しかし、私はなぜか隔靴掻痒の感を抱く。言葉尻をとらえるようだが、再三考えるに、「政治的思惑を挟み込む」の部分が、考え方の違いだと思った。私は、政治的思惑や政治的手法も、これには必要だと考える。

政治には色々と分野がある。大きく分けると内政と外交だろう。今回の氏の論の基調はまさに内政に焦点をあてたもの。日本と中国、いや、他の国、地域との国際的な関係で、内政問題が双方のコミュニケーションに障害をもたらすことは当然ある。

しかし、それだけを照準にとり、外交、国際関係を論じることは出来ない。例えば、池田先生の平和行動の理念は、政治家や外交官が立場的、職業的に持つものと、もとより異なる。我々は「友好」と簡単に言うが、底流に何があるのかが、最も重要だと思う。

――日本国民の戦争責任を、戦争被害国であるアジア諸国は、政治的には許していない。(取意、2000年3月2日、三菱総研日中問題講演会、木村一三氏)――

木村氏は故人。経済界の代表として周恩来総理と親交が深かったと聞く。国交正常化の一方の立役者でもある。この講演は「日中不戦宣言」と題され、当時識者の注目を集めた。人類共通の罪悪、戦争の傷跡が、氏はまだ癒えていないと喝破した。

但し、氏は、氏が加害者とする日本国民に、謝罪や補償を求めているわけでない。日本と中国は、今後、何があっても戦争と言う愚をおかしてはならない。大事なことは、永久不戦に立脚した信義と友好を、経済交流の礎とすべきだとの話しだ。

――仏法では、戦争などを引き起こす貪、瞋、癡の煩悩の根にあるものを「元品の無明」といい、他者への蔑視や憎悪、生命への軽視もそこから生じると洞察します。この生命軽視の根本的な衝動を打破することなくして、たとえ核兵器が使用されなくても、民衆の犠牲を厭わぬ悲惨な戦争が繰り返される土壌がいつまでも残るに違いありません。(第37回「SGIの日」記念提言「生命尊厳の絆輝く世紀を」下)――

池田先生は「世界不戦」を訴えている。次元は同じでない。が、木村氏の日中不戦に通じるものがある。また、先生の平和理念が、師匠戸田先生の「地球民族主義」に根ざし、それを継承し、現実に発展させたものであることは論をまたない。

国交正常化40周年の今年、色々な問題が起こっている。可能の限りを尽くして、政治的手段、外交手段をフルに使い、解決に向けての行動を起こすべきだ。が、それはまさに政治家、外交官の役目で、使命とするところ。

民衆の世論は、それを下支えする土壌となるもので、場合によっては、為政者に対する監視や責任追及の起爆剤ともなり得る。また、世論の底流に友好と言う信念や英知がない限り、表面的な現象によって、流れが左右させられかねない危うさもある。

問題の核心は何か。先生は――「元品の無明」から生じる他者への蔑視や憎悪、生命への軽視――であると明快に示している。これをどう禁じるか。前後するが、記念提言は「憂いの共有から誓いの共有へ」の転換を訴えている。

問題は起こる。が、互いに解決に向けてのアプローチを怠っては何も生まれない。どんなことがあっても、少なくとも両国民衆レベルでは、不戦を誓い、友好を誓う新たな「燎原の火」を再燃させる40周年でありたい。マグマグo(*^▽^*)o~♪


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


京阪様

余談ながら、内政干渉のことはさておき、
ご高論で一つもれていることがあると思います。

ウイグル会議の関係者が「ヤスクニ」を参拝したことです。
私は真偽を確認出来ませが、中国の報道ではそうなっています。

それ自体を政治的な行動と見るかどうかは別にして、
たとえば、他の政治活動家や宗教組織の代表が、
このような行動をとるかどうか、私は考えさせられました。

彼らが、中国憎しの一点からそうであったとしても、
政治理念的におかしいし、宗教理念からはもっとおかしい。
言行不一致の感が否めない。正直、そう思いました。

かと言って、私は彼らに反対するものではありません。
が、よく分からない、も、率直なところです。マグマグ
No.35053 はた京阪様。。。o(*^▽^*)o~♪ 投稿者:マグマグ 投稿日:2012-05-20 00:46:03 ID:87e058954
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栄えの「業務貢献表彰」ご受賞、まことにおめでとうございます。

ますますの社会実証、ブログのますますの充実を、心よりお祈り致します。マグマグ拝
No.35052 【短評】愚壮節「地涌の眷属」。 投稿者:マグマグ 投稿日:2012-05-20 00:23:49 ID:87e058954
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再開して半月が過ぎた。毎回、目が離せない。いや、危なっかしいのでなく(笑)、興味津々なのだ。大先輩の労作に、興味などと軽く言っては、罰が当たるか。ともかくも、簡潔でいて、豪壮の気迫に満ちた「愚壮節」は、ますます盛んだ。

――つまり『地湧(涌)の眷属』とは、命懸けの(御本仏との)契約なのだ。/では聞く。何の為の契約か。/『法華経の敵人』を呵責する事である。/原点を思い起せば、『謗法を責める為の日蓮仏法』である。/決めて、それ以外の何者でもないのである。(2012年5月18日、忘れ得ぬ風景完結に燃ゆ)――

命懸けの契約――前後をお読み頂きたい。大聖人の御遺命のままに、創価三代が広布に命を捧げた「学会正史」を中心に、論考は進められる。愚壮によると、謗法呵責が、日蓮仏法の目指すところ、学会員の使命であると「決めて」いるわけだ。

また、邪宗門と化した石山一派の歴史をたどり、学会正義の反証ともしている。正法護持と口先で言うものの、反対に、謗法呵責の精神、行動に徹せなかった過去の汚点の数々。言うに及ばず、学会破門後、彼らにそれを消し去ることは、もはや出来ない。

――謗法(ほうぼう)と申す罪をば我れもしらず人も失とも思はず・但仏法をならへば貴しとのみ思いて候程に・此の人も又此の人にしたがふ弟子檀那等も無間地獄に堕つる事あり(妙法比丘尼御返事、全集1408頁)――

仏法をならい、行じていると思っていても、個人の狭い料簡に終わっていることが多い。そう言う状態になずむと、自己満足や自惚(うぬぼ)れのみで、ついつい忘れ去ることがある。自分の中にある謗法との対峙、格闘だ。己身の魔との戦いとも言えよう。

では、愚壮は、何を法華経の敵人とし、謗法をどう呵責せよと言うのか。昭和38年(1963年)、18歳で自衛隊に入隊し、若造は「人を殺す技を身につけに来た」と血迷いごとを吐いた。回想によると、当時の敵は、驚くことに、どうも彼の両親だったらしい。

また、それ以前の昭和28年(1953年)頃、御祖母――血縁のない育て親――の生業が祈祷師だったことで、折伏に来ては追い返される学会員が、愚壮の記憶の中での最初の敵だった模様。よくも、まあ、多くの敵が身近にいたものだ、笑。

そして、大転機が訪れる。法華経の敵人が誰、何であるかが決まった瞬間、それまで世間に並み居る敵は、すべてきれいに消滅する。同時に、ひとりふたりと、敵の対極にいる同志が、そこ、ここに出現する。これが本題の「地涌の眷属」だ。

読者諸賢におすすめする。文中の主人公の姿を思い浮かべ、これは本当か、それはウソじゃないかと疑いながら読まれることを。また、最初から終わりまで(まだ未完、笑)読まれることもない。ウソのない人には、当たり前ながら、本当のことしかない。

ところで、愚壮の「忘れ得ぬ風景」は、フィクションか、ノンフィクションか?それを知りたい人は→ここをクリック!(笑)。いや、冗談抜きで、ためになる。私に生きる勇気を、いつも与えてくれている。力を込めて推薦したい。マグマグo(*^▽^*)o~♪
No.35051 カチカチ山さんありがとう~ 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-19 10:28:28 ID:47d6f62b8
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わざわざエキサイトでの拙ブログの記事をに丁寧に魚拓にとっていただいて
恐縮です。

残念ですが魚拓を経由してもブログ村のユーザーは閲覧カウントされてます。
ブログ全体の閲覧者数としてもカウントされます。

ありがたい事に、同じキャリアで場所を変えてアンチあべひ掲示板に
投稿していただいた魚拓のおかげで、そちらさんのアクセス者が4名にも
みたないという事も確認できました。

teacupに魚拓のリンクを貼って魚拓経由で私のブログを閲覧すると
 redirect.teacup.com という特徴的なアドレスが付加されます。

ご存じの上で協力していただいたと思いますが感謝いたします。

種明かしは後日ネット上でさせていただきますね。
No.35050 フェイク 第1295号 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-19 00:46:23 ID:47d6f62b8
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(発行=12.05.17)

観光地化が一段と進む日顕宗
下之坊がウォークラリーのゴール地点に
登山者は減少、目立つツアー参加者

 日顕宗の大石寺は登山者が減少の一途を辿っている反面、桜花の季節には花見
の観光地になり、また、各種ツアーのコースにもなるなど観光地化が進んでいる。
それに加えて今月十五日には大石寺の近くにある下之坊が浅間神社を出発点と
するウォークラリーのゴール地点に指定され、下之坊の駐車場には大型観光バス
が十台ほど並んでいた。

 日顕宗の寺がゴールになった関係からか、この日は雨。それでも午前九時から
ウォークラリーの参加者を乗せた大型バスが次々と浅間神社に到着(左の写真の
上段)した。

 このウォークラリーは月に一度、一年間かけて富士山を一周するという企画
とのことだ。

 下之坊には「GOAL」の看板(左の写真の中段)が置かれ、役員用のテント
も張ってあった。ここがゴール地点に決まったのは藤の花が美しいから、という
理由だった。

 確かに、下之坊の境内には藤棚が張り巡らされており、「四月下旬から五月
にかけて見ごろを迎え、天候に恵まれると藤棚の花越しに富士山が眺望できる」
というのが謳い文句になっている。その景観を楽しみに、東京や横浜などからの
参加者も多くいたようだが、雨坊主日顕に祟られ、悪天候に見舞われてしまった
のは気の毒であった。

 参加者は皆、レインコートを着て、浅間神社から下之坊までの約十四キロの
道のりを歩き続けた。只管、下之坊の境内に咲き乱れているであろう藤の花を
思い描きながら歩を運んだが、残念なことに、花は殆どが散り、残っていた花も
、この日の雨で落ちてしまっていた(左の写真の下段)。

 最近では浅間神社を中心に北山本門寺、白糸の滝、田貫湖などを歩いて回る
ウォークラリーに人気が集まり、大石寺もコースになっているため、ツアー客が
目立つ(右下の写真)。登山者ではないが、宗門は「ツアー客も山の賑い」と
喜んでいるようだ。下種結縁も心がけず、京都や鎌倉の寺と同様、観光地として
延命を図るつもりらしい。

(参照画像)

http://6027.teacup.com/situation/bbs/image/detail/?comm_id=4314&id=1
http://6027.teacup.com/situation/bbs/image/detail/?comm_id=4314&id=2
http://6027.teacup.com/situation/bbs/image/detail/?comm_id=4314&id=3
No.35049 訂正 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-17 00:44:51 ID:3de8f77ae
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実はこれ戸田城聖の「人間革命」がいったなにを書き・・(誤)

実はこれは、戸田城聖の「人間革命」がいったいなにを書き・・・(正)


(余談)
で解説のおじさんは私の予想通り、「あべひが後から本を手に入れた」
というなんの確証もない話を付記して、自分から
フィクションノンフィクションの話題を振らなくなったのです(笑)


http://megalodon.jp/2012-0517-0032-08/6706.teacup.com/fbreformation/bbs

せっかく「お持ちであるはずの小説」の解釈を期待しているのに。

もし、お持ちでない人がおられましたらば
下記の 地涌選集 をご覧になり参考になさってください。

http://www.houonsha.co.jp/jiyu/20/709.html
http://www.houonsha.co.jp/jiyu/20/710.html

【宣伝】
戸田城聖著 小説・人間革命 は現在でも聖教ブックサービスまたはお近くの書店
でもお取り寄せができます。
No.35048 マグマグ殿 驚くかも知れませんが 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-17 00:24:34 ID:3de8f77ae
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本日付けの聖教新聞七面の、文化特集は、なんと
作家・後藤正治さんに聞く:ノンフィクションは『テーマ性』が大切

そのなかに
「ノンフィクションはどこまでも事実に基づいています」
という話題がありましてね(笑)

ノンフィクションといえど、
“「主観」という意味では大いに想像力を働かせるフィクションに近い部分がある”
 と言われてます。

また“フィクションとノンフィクションには大きな違いがある”のだけれど
“ふすま一枚の違い。そのふすま一枚は大きいのですが隣の部屋にいる世界”と
(引用部分は何れも聖教新聞2012/5/16付け7面)
と表現されているんです。

どうも菊川(吉川)さんを筆頭とするアンチ富士宮ボーイの面々は
モデルが戸田先生の巖さんという架空の存在が話したことや、していることすべて
が戸田先生の生涯と合致するかしないかでフィクションと決めつけて
マグマグ殿や私を責め立てているようです。

実はこれ戸田城聖の「人間革命」がいったなにを書きたかったのかという
「テーマ性」がずっぽりぬけている批判なのだと再確認できました。
それはかつて菊川(吉川)さんがレミゼラブルを論評してジャンバルジャンが
パンを盗んだだけで「長年投獄された」かのような錯覚をおこしているのに
気がつくのと同じような、違和感なのです。

カチカチさんへの反論でも引用したように戸田先生は「牧口先生」の事を
書き残したかったわけで、決して巖さんを通して自叙伝を書こうなんて
思っておられないわけです。
No.35047 【批判】フィクションかノンフィクションか(続)。 投稿者:マグマグ 投稿日:2012-05-16 22:31:47 ID:43d7ea93a
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最初に読者諸賢にお詫び申し上げたい。前回の書き込みの中に間違いがあった。指摘してくれた「かちかち山さん」にも同時に感謝を申し上げたい。(また言い訳がましくなってはいけないので、私が引用した分の典拠は出さずにおきたい。)

次に修正の前後をお示しする。どうかご吟味頂きたい。開き直るわけでないが、文意はほとんどかわらない。要するに誰が書いた文章かを問うているのでなく、文意そのものを主題としているからだと、ご諒解頂きたい。

――(修正前)ここで読者諸賢にお読み頂きたい。先生がご存命中の池田先生の指導だ。/略/先生は、この指導の8ヶ月後、偉大な生涯を終えられる。ここで、諸賢はご確認頂きたい。当時、池田先生は青年部参謀室長。戸田先生の「フィクション」(虚構、作り話し)をもとに、学会の総指揮をとられたか。そんなことは、断じてあり得ない。(2012年5月10日、当板№35034)――

――(修正後)ここで読者諸賢にお読み頂きたい。先生がご存命中の指導だ。/略/先生は、この指導の8ヶ月後、偉大な生涯を終えられる。ここで、諸賢はご確認頂きたい。当時、池田先生は青年部参謀室長。戸田先生の「フィクション」(虚構、作り話し)をもとに、学会の総指揮をとられたか。そんなことは、断じてあり得ない。(2012年5月16日、当板№35034改)――

以上、ご納得頂けただろうか。池田先生は、師匠の一挙手一投足、一言一句を全身全霊で受けとめ、師の真実、学会の正義を真正面に掲げ、弟子としての誠を尽くされた。その延長線上に、人間革命続編執筆の軌跡が続く。

私が、言いたいことはとても簡単だ。作り話でない本物の師の精神――それが、戸田、池田両先生の小説人間革命に体現されている――ゆえに、これをフィクション、ノンフィクションであるなどと議論することは、ナンセンスの極みなのだ。ところが、、、。

――ちなみに、マグマグと称する人物が「池田先生の指導」と称して持ち出して来た「人間革命の精神」は、実際は、当時の「大白蓮華」巻頭言に掲載されていた「戸田先生の指導」なのだ(大爆笑)――(2012年5月12日、富士宮ボーイのデマ男・マグマグ)――

これは、かちかち山さんの書き込みの一部。他人が可笑しいのを禁じられない。で、幾らでも笑えばよい。が、何が可笑しいのか。戸田先生の指導ならば、尚更、笑って済むことでないだろう。ここで略したが、かちかち山さんは、元々の引用部分を再度熟読して欲しい。

――戸田城聖著「人間革命」を持ってるのであるならば、論ずる時は、書籍からの引用を行った上で論ずるべし。(同上)――

諸賢はもうお分かりだろう。かちかち山さんは、本を持っているかどうか、読んだかどうかだけの話しに終始している。悪いが、私は2回読んだ。大学時分で1回、原書を借りて。2回目は入信後で、自分で文庫を購入してだ。(現在、手元にないが)。

それと「論ずる時」の指摘だが、これもおかしい。誰もそんなことを論じていない。以下に、今回の発端、吉川さん(創価の森の菊川さん)の原文を再掲する。かちかち山さんが吉川さんを庇い立てするのは勝手。が、しっかりと事実を見て欲しい。

――小説・人間革命をお読みですか。戸田先生の人間革命は多くはフィクションで書かれています。池田先生の人間革命はノンフィクションなんです。ただし、登場人物の名称(学会員など)は変えてあります。(2012年4月19日、月下さんから仏勉さんへの回答)――

――お答えありがとうございます。なるほど、それで学会の歴史的な背景と登場人物が発している言葉にズレがあるのですね。戸田さんとの思い出を元に池田大作さんが小説として書いたってことですかね?(同日、仏勉さんから月下さんへの再質問)――

月下さんこと吉川さんの不明瞭な答えをもとに、話しは変な(自然な?)理解へ傾き出す。自分で修正が無理だと判断したか、いつもの手――論点ずらし――へ。現在のかちかち山さんと同じで(仏勉さんが)読んだか読んでないかの脇道へ入る。その後、、、。

――これは、ノンフィクションであろうか?それとも、フィクションであろうか?私はあえて、このことに言及しない。読者の方々のご判断に委ねたいと思う。(2012年5月12日、創価の森を揶揄~本性)――

いや、約3週間前に敢えて言及し、学会外の人(仏勉さん)にミョウな先入観を植え付けつつあったのは、他でもないあなた「吉川さん」だ。かちかち山さんが折角、本文引用だけの援護射撃をしてくれたものの、それを無視しているのもあなただ。マグマグo(*^▽^*)o~♪
No.35046 それにしてもカチカチさんたちは・・ 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-15 12:08:29 ID:a9baa8dd5
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おもしろい人が多いですね。
あくまで私が戸田城聖著の「人間革命」を持っていないという都合のよい憶測で
話を進めています。
解説を役の方まで登場してきました(笑)

共依存の関係になった菊川(吉川)さんが、カチカチさんの論調をベースに
私に対して反論を試みたのがちょっと嬉しかったんですよね。

すでに「戸田先生の人間革命はほとんどフィクション」の問題発言をした
菊川(吉川)さんがフィクション説の判断を読者に委ねたのに
未だにカチカチさんたちは聖教文庫版の一部分を引用して
これがノンフィクションか?」とたたみかけて
います。
ちなみに菊川(吉川)さんが引用した部分は「下」の79ページではなく
87ページ。

こういった細かい部分の間違い探しのような反論は実に無益だとおもいます。

http://megalodon.jp/2012-0515-1137-20/6706.teacup.com/fbreformation/bbs

相手の論理に乗らずに自由に語らせると人間性がでてしまうものです。

そして戸田先生の人間革命と池田先生の人間革命の内容に「虚構」と「史実」
という大きなミゾがあるかのように表現した事はいっさい語られません。
私が問題にしているのは、その部分です。

カチカチさんたちや菊川(吉川さん)の悦に入ったコメントがあまりにも
滑稽なので宿題をだしましょう。

戸田城聖著 小説人間革命(下)【聖教文庫版】の256ページに
戸田先生が「人間革命の真髄-あとがきに変えて-」を寄稿されています。
そこにどのように「人間革命」を読んで欲しいと書かれていますか?
3日ほどで私が答えを書き込みます。
No.35044 【内】ネット対話で解る事 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-15 10:55:48 ID:a9baa8dd5
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菊川(吉川)さんが、「月下の騎士」ブログでの他宗の方とのでのネット上の
対話を自慢するし始めたようです。
ところが選民思想的な言動が少々気になります。

※思うのですが、宗教云々以前に、人格がオカシイ人とは対話になりませんし、
 正常な人とは宗教関係なく話しができますね。リアルの世界でも同じですけれど

http://megalodon.jp/2012-0515-0949-36/sokanomori.exblog.jp/17966195/

ようするに、創価学会員である菊川(吉川)さんと「対話」が出来ない人は
人格がオカシイ人で出来る人は(人格が)正常というたてわけだ。
実に手前味噌な人格判断だとおもえてなりません。
長年菊川(吉川)さんの紡いできた文章ややりとりをみてきましたが
時々このような他者の人格を自分の物差しで測ろうとする愚が見え隠れします。

現場でもそうですが、対話を成功させる秘訣はこちらが相手の意見を「聴く」事に
ポイントがあると思います。
それがたとえ批判的な内容であっても、それが錯誤や自己肯定が目的である事を
熟知し内容を判断しなければいけません。
むしろ日蓮大聖人は「諸(もろもろ)の悪人は又善知識なり」(富木殿御返事)と
自分が悪と向き合う事でむしろ得るものが多い事を示唆されています。

また、学会員以外の方との対話は教学的な言葉をどれだけかみ砕いて、相手に
わかるように伝えるかがキモになってきます。
対話の半ばで自分はキリスト信者さんと上手くやっていると自画自賛されますが
決して創価学会に対しての認識が正しいわけでもない事は最新のログを読めば
わかるとおもいます。
(月下の騎士・「犬」さんのスレ)
http://megalodon.jp/2012-0515-1017-37/sokaknight.exblog.jp/18226812/

当初から「犬」さんは、宗派を超えたニューカマー(新参者・新教)の話題を
自称普通の創価学会員としたかっただけで、菊川(吉川)さんの意見は
対話というよりも未だ会話レベルでしかもかみ合っていないと思います。

ある程度の区切りがついたのならともかく
一ヶ月にも満たない不完全なやりとりで菊川(吉川)さんはブログ村内でも
ランキングがさほど伸びず、(現在創価7位)対話のブログとしながらも
菊川(吉川)さんが快く思っていない相手への一方的記事も掲載している
「月下の騎士」ブログを、一位の「創価の森の小さな家」ブログで記事にして
さらなる集客を図ろうとしているのです。

こういった行為はリアル・バーチャルをまたいで菊川(吉川)さんが
よくやっている事。
また小野さんや鯖くんもやっている事でもあります。
菊川(吉川)さんにとっての「対話」とは自分を美化し披瀝するための一手段と
堕してしまっているのです。

かなり前から私は、菊川(吉川)さんがネットで知りあった学会員さんや非学会員
さんとの「オフ会」等を、相手のプライバシーに配慮せずに記事にしている事を
警告してきました。

ネット上での名聞名利に安易に他者を利用するような愚はやめていただきたい
ものです。








No.35043 【邪】 公人としてアンチ学会ブログを運営する法華講 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-14 14:40:51 ID:4f4c5b80c
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※思うままに書いてよいしまた書くべきと考え、あくまでも「個人」として
 このブログを執筆してきました。

 が、ここへ至って、いまだ正法を知らない人々、また正法に縁しながら今は
 謗法の徒に堕している人たちを救うことを明確に意識する「公人」としての
 振る舞いが、自身にとって必要と痛感するようになりました。

http://megalodon.jp/2012-0514-1405-29/myousoujishinto.seesaa.net/article/269838691.html

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樋田さん一派のタカモトくんが個人のブログという迹の姿を捨てて

公人としての本の姿を現されたそうですw


でなぜに本地を現されたお名前が HN になったのでしょうか

http://megalodon.jp/2012-0514-1403-33/www.jobutsu.info/

昔みたいに堂々と実名連絡先をどどーんと乗せて立派なテラネットワークの
「公人」になってください。

http://megalodon.jp/2011-1005-1855-41/www.takamoto.biz/about/

No.35042 学会側の大勝利だった矢野裁判の和解内容 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-14 00:08:01 ID:4f4c5b80c
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とあるブログに「矢野絢也・新潮社と創価学会が裁判和解した内容」とされる
内容がアップされていたので少々長いですが転載しておきます。

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和解条項

谷川と矢野は、裁判長から、「矢野と創価学会の従来の関係、その各社会的立場
にかんがみれば、このまま争いを継続することは好ましいことではなく、この
段階ですべての争いに終止符を打つべきではないか」との勧告があったので、
これを受け容れ、全面的に和解することとし、その余の本件当事者及び利害
関係人もこれを了解し、関係者全ての間で、本日、以下のとおり、和解が成立した。
 
1 谷川は、矢野、新潮社及び早川に対し、本件訴えを取り下げ、矢野、新潮社
  及び早川は、いずれもこれに同意する。
 
2 矢野は、創価学会、長谷川、杉山、弓谷、谷川、西口、藤原及び森井に対し、
  東京地方裁判所平成20年(ワ)第12487号損害賠償等請求事件の訴え(東京地方
  裁判所民事第24部合識C係係属)を取り下げ、創価学会、長谷川、杉山、
  弓谷、谷川、西口、藤原及び森井は、いずれもこれに同意する。
 
3 大川、伏木及び黒柳は、矢野に対し、東京地方裁判所平成21年(ワ)第21871号
 損害賠償等請求事件の訴え(矢野が執筆し「新潮45」2009年6月号に掲載した
 「逆転敗訴で慌てふためく創価学会・池田大作名誉会長」と題する手記をめぐる
 訴訟。東京地方裁判所民事第25部甲2B係係属)を取り下げ、矢野はこれに同意する。
 
4 大川、伏木及び黒柳は、矢野、講談社及び中澤に対し、東京地方裁判所平成21年
(ワ)第21882号損害賠償等請求事件の訴え(矢野が執筆し持田が発行人となり
 講談社が出版した「黒い手帖 創価学会『日本占領計画』の全記録」と題する
 書籍をめぐる訴訟。東京地方裁判所民事第44部合識B係係属)を取り下げ、
 矢野、講談社及び中澤は、いずれもこれに同意する。
 
5 大川、伏木及び黒柳は、矢野、講談社及び持田い太志、東京地方裁判所平成
 21年(ワ)第27739号損害賠償等請求事件の訴え(矢野が執筆し持田が発行人と
 なり講談社が出版した「『黒い手帖』裁判全記録」と題する書籍をめぐる訴訟。
 東京地方裁判所民事第44部合識B係係属)を取り下げ、矢野、講談社及び持田は、
 いずれもこれに同意する。
 
6 矢野は、いわゆる「手帳強奪事件」に関する週刊現代の記事をめぐる損害賠償
 請求事件及び手帳返還等請求事件(第1審・東京地方裁判所平成19年
 (ワ)大15151号、同第15738号及び23436号、控訴審・東京高等裁判所平成20年
 (ネ)第650号、上告審・最高裁判所平成21年(受)第1164号)について、
 「手帳を強奪された」あるいは「テープは改竄されている」と主張しない。
 
7 矢野と創価学会、長谷川、杉山、弓谷、谷川、西口、藤原、森井、大川、
 伏木、及び黒柳とは、今後、相互に誹謗中傷(揶揄を含む。)しないことを
 確約する。
 
8 第7項の趣旨にかんがみ、矢野は、創価学会に対し、矢野がこれまでに出版し
 創価学会に関するすべての書籍を増刷しないことを確約する(単行本を文庫本
 として出版すること及び矢野がこれまでに執筆した記事を書籍として出版
 することを含む。)。
 
9 第7項の趣旨にかんがみ、矢野は、創価学会に対し、今後、創価学会の
 名誉を毀損するおそれのある著述をしないことを確約する。
 
10 第7項の趣旨にかんがみ、創価学会は、矢野に対し、今後、矢野の名誉を
  毀損するおそれのある記事を掲載したり出版しないことを確約する。
 
 ただし、創価学会において、矢野がこれまでに執筆した記事又は出版した
 書籍について創価学会の見解を明らかにすることは、これに含まれない。
 矢野は、創価学会の見解のうち事実に関する記述が虚偽の場合は、これに
 再反論することができる。しかし、これらの場合においても、創価学会と矢野は
、相互に相手方の名誉を毀損するおそれのある表現は用いないことを確約する。
 
11 新潮社及び講談社と創価学会、長谷川、杉山、弓谷、谷川、西口、藤原、
 森井、大川、伏木及び黒柳とは、本和解の経緯及び条項について、相互に
 誹謗中傷(揶揄を含む。)しないことを確約する。
 
12 第11項の趣旨にかんがみ、新潮社と講談社は、創価学会、長谷川、杉山、
 弓谷、谷川、西口、藤原、森井、大川、伏木及び黒柳に対し、本和解の経緯
 及び条項について、上記各社が出版する出版物に創価学会、谷川、長谷川、
 杉山、弓谷、谷川、西口、藤原、森井、大川、伏木及び黒柳の名誉を毀損
 するおそれのある記事を掲載しないことを確約する。
  
13 谷川と矢野、新潮社及び早川は、谷川と矢野、新潮社及び早川との間に
 おいて、本件に監視、本和解条項に定めるほか、何らの債権債務のない
 ことを相互に確認する。
 
14 矢野と創価学会、長谷川、杉山、弓谷、谷川、西口、藤原及び森井は、
 矢野と創価学会、長谷川、弓谷、谷川、西口、藤原及び森井との間において、
 東京地方裁判所平成20年(ワ)第12487号損害賠償等請求事件に関し、本和解
 条項に定めるほか、何らの債権債務のないことを相互に確認する。
 
15 大川、伏木及び黒柳と矢野は、大川、伏木及び黒柳と矢野との間において、
 東京地方裁判所平成20年(ワ)第21871号損害賠償等請求事件に関し、本和解
 条項に定めるほか、何らの債権債務のないことを相互に確認する。
 
16 大川、伏木、及び黒柳と矢野、講談社及び中澤は、大川、伏木及び黒柳と
 矢野、講談社及び中澤との間において、東京地方裁判所平成21年
 (ワ)第21882号損害賠償等請求事件に関し、本和解条項に定めるほか、
 何らの債権債務のないことを相互に確認する。
 
17 大川、伏木及び黒柳と矢野、講談社及び持田は、大川、伏木及び黒柳と
 矢野、講談社及び持田との間において、東京地方裁判所平成21年(ワ)
 第27739号損害賠償等請求事件に関し、本和解条項に定めるほか、何らの
 債権債務のないことを相互に確認する。
 
18 本件訴訟の訴訟費用及び和解費用は、1審、2審を通じて、各自の負担とする。
 
19 ①矢野と創価学会、長谷川、杉山、弓谷、谷川、西口、藤原及び森井とは、
 東京地方裁判所平成20年(ワ)第12487号事件の訴訟費用につき、②大川、伏木
 及び黒柳と矢野とは、東京地方裁判所平成21年(ワ)第21871号事件の訴訟費用
 につき、③大川、伏木及び黒柳と矢野、講談社、持田及び中澤とは、東京地方
 裁判所平成21年(ワ)第21882号事件及び同第27739号事件の訴訟費用につき、
 それぞれ各自の負担とすることを合意する。
 
 
以上


//////////////////////////////



なるほど。
原本と相違ないかは検証の余地がありますが

矢野絢也や週刊紙が散々騒いできた「手帳は強奪された」との主張に基づく
手帳返還請求裁判が取り下げになっただけではなく
これに絡む新潮社週刊紙の記事、講談社の書籍が一切
増版(文庫本になることも含む)ができなくなり、矢野の手帳に絡む創価学会
への名誉毀損記事はいっさい書けなくなった。
矢野は学会側が提出した「対談の音声テープ」の内容が改竄されている
という主張もできなくなった。

学会側、公明党側もこれを受けてすべての民事訴訟を取り下げ、今回の件に
おける新潮社講談社対する名誉毀損となる記事等を発表しない。

ただし矢野絢也に関しては、宗教法人創価学会とその係争者
公明党側係争者は矢野がこれまでに出した記事・書籍などについて見解を
表明することはできる。
矢野は「事実に関する記述が虚偽の場合」の部分のみ反論ができる。
この場合でも名誉毀損になる表現はしない。


という事ですかね。

今後、矢野絢也は創価学会に対して名誉毀損になる事は公表できなくなった。
つまりは、アンチ学会側の連中は、今後新しく学会バッシングをする時は
「矢野絢也」をソースとして使えなくなったという風に私は読めますね。
No.35041 やっと反論がありましたね 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-13 12:20:27 ID:92ace81c9
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※これは、ノンフィクションであろうか?
 それとも、フィクションであろうか?
 私はあえて、このことに言及しない。読者の方々のご判断に委ねたいと思う。

http://megalodon.jp/2012-0513-1204-38/sokaknight.exblog.jp/18280394/

戸田先生の小説「人間革命」の一部分だけを提示する方法はカチカチ山さんが
やっているミスリードと同じです。
今回の反論で、あえてこのこと(フィクションかノンフィクションか)に言及
する内容で、かつ、「大部分はフィクション」と菊川(吉川)さんが言い切った
ことはスルーされています。

私の批判の骨子は引用されている部分に明記してあるのですけれどね。

『多・く・が・フィクション』(創作)で人間革命がかかれているというの
 なら責任をもってどこが創作なのかを示し責任を果たすべきでしょう。


No.35040 【テスト】 ちょっとテストしてみます 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-12 17:46:02 ID:03fd9d7a9
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http://megalodon.jp/2012-0512-1739-37/captivated.exblog.jp/

   ↑

これは拙ブログの直近の魚拓です。
ブログに設置しているアクセスログの分析の為に、富士宮ボーイ掲示板に
リンクさせただけなので他の人はこのリンクをクリックしないでくださいね。

仮にクリックしてもなにが起きるわけでもありませんのでご安心下さい。
 
No.35038 フェイク 第1294号 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-12 10:16:03 ID:03fd9d7a9
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(発行=12.05.11)

腰が曲がり、背が縮んだ日顕
強欲な日顕は供養が入る行事には出席
政子同伴で登山、弟子を集め虚勢張る

「あの日顕は今、どうしているのか?」という問い合わせが、全国の読者から
多く寄せられている。そこで今号では老醜を晒す日顕の近況をお知らせする。

 日顕・政子夫婦は、宗内で何の役にも立たなくなった今も、とにかく生き延び
るのに必死だ。若い坊主や二人のお手伝いさんを頤使(いし)して贅沢三昧の
毎日ながらも食事はカロリー計算するなど気を配っている。

 昨年は度々、夫婦同伴で登山しては蓮葉庵に宿泊していた。日顕が登山すると
、急ぎ足で出入りする坊主や寺族の姿が目立つが、日顕が弟子らを呼び集めて
健在ぶりを誇示しているのだ。

 昨年十二月十九日の八十九歳の誕生日には大石寺の蓮葉庵ではなく、私物化
している東京の豪邸に寿司職人を呼び、相変わらず豪勢な会食に舌鼓を打って
いた。

 だが、新年恒例の初登山には日顕は姿を見せなかった。そのため宗内では
「御隠尊猊下は足を怪我したらしい」との噂も流れたが、二月には日蓮大聖人の
誕生会などのため登山していたので、大した怪我ではなかったようだ。

 宗門関係者によると、日顕は供養が入る行事には顔を出すということである。
老いさらばえても、欲には際限がないとみえる。

 三月は二十日の春季彼岸会、二十五日には法華講連合会の第四十九回総会、
二十八日は日顕自身が言い出した「立宗内証宣旨報恩会」という意味不明の行事
に出席。四月には定例の虫払いに出て、十日の御影堂上棟式にも顔を出していた。

 五月八日の秋山日浄(前立腺ガンで昨年五月十五日に死亡)の満山供養では、
自力歩行とはいえ、横から見ると、袈裟衣でも隠せないほど腰が曲がり、背が
縮んだみたいだと囁く人もいた。そのため「伸びる」にあやかりたいのか、最近
はソバなどの麺類を好んで食べているが、年末の誕生日を迎えられるかどうか
疑問だ、との声が上がっている。

 宗門を破滅に引き込んだ自分の行為が、いつ否定されるか。常に恐れ、死ぬに
死ねない。とは言え、生きている意味もない。真相は、無間地獄の日々である。

 蛇足ながら、現ニセ法主の日如は、東京にいた頃、都心の高級レストランの
常連だった。今も肉や魚が好物で、朝霧の焼肉屋にも足を運んでいる。「法主」
が焼肉屋で、動物の内臓等を頬張る。ぜひ東南アジアの檀徒に見せたい姿だ。
No.35037 ちょっとブレーク。。。o(*^▽^*)o~♪ 投稿者:マグマグ 投稿日:2012-05-11 18:15:10 ID:30e7038ab
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阿部日様、おめでとうございます。(^o^)/


ところで(これはひとり言、笑)、

かちかち山さんって吉川さんなのかなぁ~?

今日の書き込み(ブログ記事、人間失格云々その2)だけども、

この作文、意味がさっぱり分からない。

文章が下手な上に、論理性がゼロ。

読者諸賢も一度お読み頂きたい。そしてお教え下さりたい。

彼が何を言いたいのか?を。。。笑


ああ、ついでに(これは伝言、笑)、沖浦さんにお伝えします。

フィクションかノンフィクションかを騒いでいるのは、

吉川さんとかちかち山さんです。お間違いなくね。マグマグo(*^▽^*)o~♪
No.35036 【告知】仏教カテ人気記事一位になりました 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-11 14:33:59 ID:4691758b2
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昨日公開した記事は創価カテゴリーでもアクセスがあったようで
おかげさまで人気記事最高5位までランクアップされました。
(そのときの画像)
http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=201205/11/32/a0212032_12285637.jpg

5/11 14:00現在、創価カテ9位、仏教カテ1位です。
 http://captivated.exblog.jp/15264997/

まとまりのない文章なのに大変に恐縮です。
しかしタイトルの「僭聖の意義」が菊川(吉川)さんへのメッセージと混ざって
しまったので、以前公開した記事を手直しして今一度「僭聖」の意義を説明して
みました。
No.35035 【邪】なるほど!フィリピンの学術組織 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-11 10:57:32 ID:4691758b2
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ポドチョン(黄)でのパルナスさんの論拠はわかりやすいですね。

/////////////////


※フィリピンでは、地方自治体の「州」を“province”と表記する。
“state”という地方自治体が存在しないので、「state university」の
 和訳を「州立総合大学」とするのは誤りである。

フィリピン大学(UP)は「State University(国立総合大学)」であるが、
国の政策で2008年に“national university”として宣言されたのだ。
フィリピン大学ホームページにある
「AS THE ONLY national university in the country」の和訳は、
「国内唯一のナショナル・ユニバーシティとして」である。

※【神戸大学大学院海事科学研究科】
「フィリピン唯一のナショナルユニバーシティ」
http://www.maritime.kobe-u.ac.jp/international/exchanges.html

★【national】[形] 国家の、国家的な、国民の、国民的な、全国民的な、国立の、国有の、全国的な。

★【state】[形] 国家の、国の、国立の、国有の、(中央)政府の。

(略)

(全文は下記リンク先にて)
 http://6001.teacup.com/qwertyui/bbs/10351

/////////////////////////


私は上手く表現できませんでしたが、蛍さんの誤訳はフィリピン大の国内高等学術組織
での位置づけが理解できていなかったからという事になりますね。
蛍さんは「国立大は一つしかない」と断定し、黒川和雄さんは「state」が地方を
示すものだと限定的に捉えた。

日蓮正宗側の両氏いずれにしても学会の「国立中央ルソン大学」の表記が詐称である
との結論でしたが、根拠を示したうえでの反論ができるのでしょうか。



No.35034 【批判】フィクションかノンフィクションかの低次元さ。 投稿者:マグマグ 投稿日:2012-05-10 20:20:51 ID:7a84a6067
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先ず言葉の定義をはっきりとさせよう。フィクションは、虚構、作り話しのこと。架空のもので小説などを言う。そして、ノンフィクションは、事実に基づいて、虚構によらずに作られたもの。同じく紀行文やドキュメンタリーなどを言う。

小説「人間革命」は、小説と冠がある。であるので、フィクションかそうでないかの大別では、なるほど、フィクションと考えられる。が、それは一般論。本書を読めば分かる。これは「自伝」であり、戸田先生、池田先生の「自伝的小説」だ。

戸田先生の著書の前半を、池田先生がなぜ「フィクション」と言われたか。描かれた内容――牧口先生の部分が自伝でなく伝記的で、創作的だからだ。ここは、一定の事実に基づくものの虚構的であるので、フィクションと表現されたまで。

後半は、まさに自伝。主人公、登場人物の名前、時系列などは、現実と違うもので表現されているが、基本的に「小説」として、戸田先生ご自身のことを綴られている。ここで読者諸賢にお読み頂きたい。先生がご存命中の池田先生の指導だ。

――小説「人間革命」の巌理事長が、身をもって体験した牢獄の重難のなかに/略/ついに、自らの生命が仏であり、過去久遠のむかしより地涌の菩薩であったことを確信して、歓喜にふるえ、「よし、僕の一生は決まった!この尊い法華経を流布して生涯を終わるのだ」との、強い決意を胸にきざみ/略/と叫んだ姿こそ、一切大衆救済の願望する真の人間革命である。/略/これは、竜の口における大聖人のご確信にも通じ、宗教革命を叫ぶ者の真の姿である。(昭和32年8月「人間革命の精神」)――

先生は、この指導の8ヶ月後、偉大な生涯を終えられる。ここで、諸賢はご確認頂きたい。当時、池田先生は青年部参謀室長。戸田先生の「フィクション」(虚構、作り話し)をもとに、学会の総指揮をとられたか。そんなことは、断じてあり得ない。

創価三代の連戦連勝の軌跡、百千万会員の信心の実証、師弟共戦の精神の軌跡を、小説「人間革命」は描いている。創価学会正史、信心の指導書だ。フィクションかどうかなど、元々低次元の話し。無意味なことに、どうして執着するのか。

いや、かつて議論があった。反学会、反主流のご仁らが集まり、ズバリ「フィクション」であるとした。そう、彼らにとっては虚構。が、我々は違う。で、吉川さん(創価の森の小さな家、菊川氏)や、かちかち山さんは、どうしてこだわるのかね?

「新・人間革命」第9巻を、読んだらすっきりとするよ。あなたたちの、ぐらついた信心が。また、人間革命をフィクションだと言い張る神経が。それと、戸田先生の続編が池田先生のもの。またその続編が新・人間革命。要するに、学会がある限り、この「小説」は全世界、全民衆によって書き綴られ続けるのだよ。マグマグo(*^▽^*)o~♪
No.35033 リンクの修正 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-10 16:18:55 ID:f5228dee3
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35030 「現代版「極楽寺良観」の認識を読み解く」 において
「記事のソースは以下です」 としていましたがトレンドマイクロの本家では
ありませんでしたので リンクの修正をいたします。

プライバシーの得手勝手な配信がトラブルの元になるという統計ソースは以下

※ユーザの9割以上がfacebookへの勝手な情報公開に不快感を示す
 回答者全体に、友人・知人が勝手に自分の情報や写真をfacebookで
 公開していた場合にどのように感じるかを聞いたところ、全く気にしないと
 したユーザは9.4%にとどまり、全体の9割以上がfacebook上で自分の情報が
 知らないうちに扱われることに、不快感を示しています。
 また、「非常に不快」が46.9%を占め、勝手に情報公開された際には
 トラブルに発展する恐れがあります。

(トレンドマイクロプレスリリース:2012/04/11
 -SNSと携帯電話の利用におけるプライバシー意識調査- )
http://jp.trendmicro.com/jp/about/news/pr/article/20120410035738.html
No.35032 アンチあべひサイトの人々 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-10 12:48:29 ID:f5228dee3
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推測通り、こちらで投稿したもののみで話題を進めているようですね。

私のブログにはすでに趣旨がずれた「三猿運動」と戸田先生の人間革命
「フィクション」説の再反論を4/28日の段階でしています。

気乗りはしませんが記事リンクさせていただきます。

////////////////////////////

【内】 創価の「騎士」とカチカチ山の共闘関係・三猿運動の欺瞞
   創価の森ウォッチ31
 http://captivated.exblog.jp/15161440/

※論点をすり替えて「小説を持っているのか?」と執拗に責め立てる様子は
 親分に褒められた子分のようで小児的ですらあります。

////////////////////////////

カチカチさんに問うてみたいですが

戸田先生が小説「人間革命」で表現したかった事は、
創価学会という実在の宗教団体ではないのでしょうか?


No.35031 訂正 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-10 01:32:33 ID:f5228dee3
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インターネットは決して手の届かない整地ではありませんし (誤)

インターネットは決して手の届かない聖地ではありませんし (正) 
No.35030 現代版「極楽寺良観」の認識を読み解く 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-10 01:30:55 ID:f5228dee3
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http://megalodon.jp/2012-0509-2347-40/sokaknight.exblog.jp/18265639/

※良観は「僣聖増上慢」である。この「僣聖」とは「聖者のふりをしている」と
 いう意味である。
 法華経勧持品に、「人里離れた静かなところで、人を軽んじ賤(いや)しめる
 者あり」とある。手の届かないインターネットサイトで、大威張に他を批判する
 者は、この経文に符合するのではないだろうか。
 他の学会員の行動を監視しては、未熟だとか幼稚だとか、あるいは法律違反と
 馬鹿にする正体不明の自称学会員。
 このような連中が集まる掲示板は、“現代版「極楽寺良観」系サイト”と
 私は命名したい。

(現代版「極楽寺良観」系サイトに要注意 2012年 05月 09日)


インターネットは決して手の届かない整地ではありませんし、静かな所でもありません。
法に触れれば証拠として採用されますし、最近では「つぶやき」が炎上の元になり
個人情報まで晒されるのが現状です。
つい最近でもとあるお寺でアルバイトしていた大学生が不謹慎な画像をツイッターを
通じて掲載していた事でバイト先の寺に苦情や罵詈雑言が殺到したり、大学で所属して
いた部活動が無期限停止になるなど、目立ちたいだけの軽いノリが関係者に大迷惑を
被らせる結果になったりしています。
(参考リンク:甲南大生“下半身露出”余波…苦悩する神戸の古刹)
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20120505/dms1205050900001-n1.htm

尻を出した学生がこれだけ叩かれているのですから、まして不法行為の助長や
自他共の個人情報の漏洩他を肯定する自称創価学会員が増えるのは是認される
ような事ではありません。

先日の公明新聞にも「勝手に個人情報をネットで公開される事」を不快と感じている
人が9割以上にも及ぶことが指摘されていました。
記事のソースは以下です。

////////////////

※一方、友人・知人が勝手に自分の情報や写真をFacebookで
 公開した場合は「非常に不快(46.9%)」「不快(23.5%)」
「やや不快(20.2%)」と、不快感を示すユーザーが9割以上に
 のぼることが判明した。
(参照リンク:友人・知人によるFacebookへの勝手な個人情報公開に約9割が不満―
 トレンドマイクロ調べ)

http://www.mdn.co.jp/di/newstopics/22803/

///////////////


これは実名主義のFacebookに限らず、ネット上で自分以外の誰かが勝手に
情報を公開されることへの危機感が高まっている事を示唆しているとおもいます。

自分が良いと思うから他人の代わりに行動をネットで公開するなどというのは
傲慢ではないでしょうか。
また菊川(吉川)さんがそそのかし共闘して私を攻撃しているブログの内容は
人を軽賤せしめていないのでしょうか。

「偽善者にとって恐ろしいのは、自分たちの実像が暴かれること」
この指導の趣旨は、名聞名利に生きる人は、実は虚飾の上に成り立っている事
を認識しているからこそ実像を暴かれることを忌み嫌っているという事に尽きる
とおもいます。
そっくりそのまま菊川(吉川)さんが今実行している事にあてはまるのでは
ないでしょうか。

ブログの人気も菊川(吉川)さんのほうが断然人気がありますよね。
私のHNはいままで貴殿らが散々批判をしてきていたのではなかったでしょうか。
私は決して聖者だとはおもっていませんし批判されるようなHNをもって自画自賛
する意味がありません。

菊川(吉川)さんは御書を何度も通して拝読されているとの事ですが、極楽寺
良観は鎌倉幕府の本来すべき公共事業や慈善事業を行うことで幕府に地位を
認めて貰い、利権を得て坊主の身で財宝を蓄え造った道の通行料などを徴収したり
銭を利息を取って貸したり、関米を取ったりして人々を困らせていた事を
大聖人が「聖愚問答抄」などで記されている事を御存知のはずです。

いったい私のどこが極楽寺良観のような「僭聖」なのでしょうか。
まったく理解に苦しみます。



No.35029 【内】六難九易と開目抄のツボ 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-09 15:37:51 ID:14e14ab76
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菊川(吉川)さんの説明よりも、タニケンさんの説明のほうが上手だとおもいます。

http://taniken3.blog114.fc2.com/blog-entry-12.html

末法において法華経受持し弘めることが、不可能に見える「九易」よりも
難しいという事だとおもいますが、では現代においての法華経「六難」の
修行とはなにか?という部分を付けるともっと良い感じになるとおもいます。

でもこのように仏法を自分なりに言葉にしてあらわそうとされる事は素晴らしい
事だとおもいます。

しかし残念ながら、ブログ村創価のカテゴリー内では「教学」の内容の正確性よりも
「その人の人気」でランキングがしめられてしまいます。

なにを書かれているかよりも、誰が書いたか で小さなカテゴリー内での順位が
ついているのが現状です。

さて現代の「六難」の修行とは、「南無妙法蓮華経」を唱え他に弘めることに
つきると思いますが、残念ながら、ごく普通にお題目を唱える事ができ同志と
仏法を話す事が日常になっている学会員さんは「ありがたみ」が薄れてしまう事が
ままあるのではないでしょうか。

あたりまえのように御本尊に向かいお題目を唱え、学会活動ができる。

私は六難九易を論じる時に、いつも「一眼の亀」の説話を思い出します。
末法において法華経と出会う「希少性」、またその法華経を受持している同志に
出会う「希少性」、そしてその同志と法華経のエッセンスである
南無妙法蓮華経を唱え研鑽し弘めていく事ができる「希少性」に気がつか
なければなかなか感謝の心は湧いてこないと思うのです。

では、「感謝の心」とは見ることができるのでしょうか?
人間は媚びへつらう意図があれば感謝の言葉は出せます。
学会や学会員に対して感謝の言葉はさっと口に出せても、本当にそうおもって
いるのかどうかは言葉だけでなく、むしろ「振舞い」(行動)に顕れます。

青年部時代に人材グループ等で、学会活動は「している」(してやっている)では
なく「させていただいている」という心構えが大事だと指導されましたが
この根幹になければならないものが報恩感謝の心ではないでしょうか。

勤行の祈念文で毎日「報恩感謝」の語句を黙読していても、活動報告等で創価学会や
三代会長を賞賛できていても、実際には仕事・家族・信仰との間でいつのまにか
“自分本位の”優先順位ができてはいないでしょうか。

仕事が忙しいから学会活動はおもうようにできない
家族が大事だから信心は二の次
信心が大事だから家族や仕事は適当にする

このいずれの考えも報恩感謝がまだまだできていない証左ではないでしょうか。
ましてネットコミュニケーションを優先して現場をおろそかにしていれば
本末転倒です。

ちょうど5月の座談会御書は「開目抄」の有名な部分。
「我並びに我が弟子諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、
 天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、
我が弟子に 朝夕教えしかども疑いををこして皆すてけん
つたなき者のならひは約束せし事をまことの時はわするるなるべし]
                           (開目抄)

仏法では、自らが過去世、仏(師匠)に報恩感謝し「末法に正法」を弘める為
に進んで現在の乱れきった世の中に生まれたという因縁が説かれています。

正法を疑う心、捨てる心、嘆く心。 これらは過去世の約束を忘れてしまって
いるのではないかと日蓮大聖人は問われているのです。
「まことの時」とは苦難に遭っている時こそが、究極の目的である成仏へと
境涯を開くチャンスだと言われているのではないでしょうか。

ついつい忘れてしまう事を責めておられるのではなく、「なんの為の信心か」を
明確にしないと、六難九易の九易のたとえに、たやすいこととして説かれた
とてつもない難事よりも、もっと些細な事を理由にして学会活動を休んだり
やめてしまったりしてしまうものだと指摘されているのです。

ちょうど大白蓮華5月号の76ページにも「自らの誓願が破れる」と表現されている
のは、私たちが末法で普通に南無妙法蓮華経を唱える事ができている「原因」は
師匠への報恩の誓願の「結果」であるという事が全く別であるように考えている
様子を示しているのだと思います。

口先だけではなく「本当の報恩感謝」を体現している人は、

『我日本の柱とならむ 我日本の眼目とならむ 我日本の大船とならむ等と
 ちかいし願(ねがい)』   (開目抄)

日蓮大聖人のように、だれでもない「私」が日本の人々救ってみせるという気迫
が感じられます。

この大誓願に生きる人は「やらない理由」「できない理由」を毎日朝夕に考えて
お題目をあげているはずがありません。
信心をやめさせようと苦難が襲いかかってきている時こそ「まことの時」境涯を
あげるチャンスであることを信仰体験を通じ身をもって会得されているからです。

○○さんがどうだとか学会の組織がどうだとか、仕事がどうだとか、信心できない
理由ばかりを探している愚痴の心を持った人や、ちっぽけな名聞名利に生きて満足
している人を、いくらおだてたところで苦難と立ち向かう「大誓願」をおもい
だしてくれはしません。むしろ逆効果です。

一人一人が怠惰や我欲を制しどこまで純粋に弘教に邁進できる人になれるか
一番難しい。
だからこそ、手本となる師匠や現場で影の闘いに徹している同志との心の距離を
縮めることが肝要になってくるのではないでしょうか。

法華経六難九易の譬え・開目抄は共に、一見するとたやすいと思えるような心がけ
にも実は「末法広宣流布」の成否を左右する要があるとの意義があるように思えます。

どこまで、一人たつ精神を自分に刻み込めるか。
創価学会は「癒やし」を求める人の休憩所ではありません。







No.35028 【研究報告】沖浦家所伝の「本尊観」(続)。 投稿者:マグマグ 投稿日:2012-05-08 21:47:48 ID:12f28c5c9
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思い出したことがある。他者には大したことでない。が、沖浦さん(沖浦克治氏)にとってはゆるがせに出来ないこと。時代は昭和50年代までさかのぼり、第一次宗門事件の渦中のことだった。「羊羹屋」を再々度ご覧頂きたい。

――天台沙門に創価学会が落ちぶれ果てた時、先生をお守りされたのは尊い名もない会員達ですよ。/すぐそば(側近の意、転記者)ほど駄目だったんですね。だから私は54年当時幹部だった世代を全く信用はいたしません。無論少数の例外はいらっしゃいます。(2008年6月23日、創価仏法研鑽掲示板)――

年号は昭和で、54年は1979年のこと。当時、まだ三十そこそこの沖浦青年(後年の自己申告で、当時、男子部部長、教学部教授)は、学会の幹部を信用しなくなった。天台沙門へ転落とはどう言うことか、突っ込みどころ満載だが、先へ進む。

――あの時ね、創価学会員は踏み絵を踏んだんです。女達の熱原の演出家は、沖浦、俺は踏み絵を絶対に踏まないぞ!かなわぬまでも一太刀浴びせてやる。と言って芦屋市のルナホールで劇をやりました。(同、続き)――

踏み絵が何のことかも気にせずに読まれたい。当時、沖浦部長は、血気盛んな年頃。誰に一太刀浴びせるのかも皆目分からないが、彼は、組織外のグループを結成し(演出家とは、熱原芝居の時の田山氏)、芝居の自主興行にのぞむ。

――江戸時代から続く羊羹屋があって、近年販売会社が売り始め大売れします。羊羹屋はもっと儲けようと、無理難題を販売会社に押し付けるのですが、最初は顧客のことを考えて要求を呑んだ販売会社もついに拒否します。すると羊羹屋は供給を止めてしまうのです。(同、続き)――

ストーリーはわかりやすい。下手な設定だが、羊羹屋は宗門、販売会社が学会だ。当時、このようにあからさまな例え話を思いついたことに、改めて驚く。で、現実の歴史と事実経過がまったく一致しないが、彼らは芝居の中で「羊羹の販売拒否」を決める。

――羊羹なけりゃお手上げだ。そのうち泣きついて来る。ところが販売会社は自分たちで羊羹を作って大発展です。羊羹屋は自分たちで売りますが全く売れません。大衆を馬鹿にするから駄目なんですよ。最後に力尽きた羊羹屋の代表がポツリとつぶやくところで幕でした。/あいつら、こんなもん、よう売っとたな〜〜・・・/満員のルナホールが大拍手で揺れました。(同、続き)――

羊羹とは「御本尊」のこと。こんなもん(関西方言)と見下すところが芝居の「おち」。軽妙な風刺に観衆が拍手で沸いたとする。が、たとい相手の口を借りて言わせたにせよ、どうだろうこんな表現。三文芝居の結末としてはふさわしかろう。

――私はその時演出家のお手伝いの真似事をさせていただきました。そのおかげで師敵対の大罪を免れました。ですから、あの演出家には一生頭が上がりません。/略/先年演出家と酒を飲みました。沖浦、あの時あれやっといてよ かったな〜。創価学会あげての負け戦だったけど、俺たちは負け無かったな。涙で顔が上げられませんでした。/帰り道で二人でよぱっらって、ザマーミロ〜〜!何度も叫びました。/今も思ってます。/ザマーミロ!! (同、続き)――

ここで前出の「踏み絵」の意味が初めて分かる。沖浦部長と演出家は、宗門からつきつけられた踏み絵を踏まずに「師敵対の罪」を免れ、そして、踏み絵を踏んだ当時の学会幹部を信用しなくなった。自分たちは負け戦に加担もしなかった。

若かりし頃の武勇伝はこれでお終い。平成になって世間から注目され出すまで、どうも隠れキリシタンみたいな身の上だった模様。後年の自己申告で、地元組織から締め出しを喰らった(取意)との述懐もある。大丈夫なんだろうか、沖浦さんは。

また、これももっと後になって分かること。師敵対を免れたはずの、生涯の盟友、沖浦、田山両氏は、熱原芝居の失敗、内輪もめから、互いに涙を振り払って袂を分かつ。我々はどうでもいいが、一体何をしているのだろう、生涯を誓った二人の盟友は。

ここで、ストーリーについて個人的な意見を書くと、販売を拒否したことで、供給がストップした、は、完全にウソ。どんなに無理難題があっても、本尊流布、広宣流布、会員信徒を護ることに徹した、学会の歴史を冒涜することになる。

――盗人はね、大石寺派です。全人類に与えられたご本尊を私物化しています。盗人の見本です。/以上の事実をキチンと認識しておきましょうね。(2012年5月5日、沖浦克治氏)――

ある意味で名言だ。沖浦さんは、かつてと現在の行動が、完全に食い違っている。分裂している。言行不一致の人は世間で信用されない。信心を誤った人は学会で信用されない。こんな人に指導を求めても、何にもならないと思うが。マグマグo(*^▽^*)o~♪
No.35027 あれっ?どうもです。。。o(*^▽^*)o~♪ 投稿者:マグマグ 投稿日:2012-05-07 11:39:29 ID:8063654e5
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>>35025
>>因みに「小野氏が引用した」と思われる
>>「十字架を持つ牧師と悪魔のタトゥーを入れるチンピラの共通点」は
>>記事のトピック名であって「正式なタイトル」がDarknessで その管理者は
>>男性の名を名乗っているようですが、記事の内容からして「女性」のようです。
>>
>>それにしても 小野氏は「面白いブログ」を紹介するものですね


阿部日様

目立ちたがり屋さんの、バブル書き込み。。。ホンニ、ホンニ、笑。



eco様

ご紹介、有難うございました。

ところで、お久し振りですね。お仕事、お忙しそうですね。

「eco eco五座三座」が逆の内容?――む~ん、よく分かりませんが。

ご自身のブログをほめたりしちゃ、第二の吉川さんになっちゃいますよ、笑。

やさし~く言い放ちます。。。では。マグマグo(*^▽^*)o~♪
No.35026 竜巻が発生した場所は・・・ 投稿者:eco_69SM 投稿日:2012-05-07 00:05:53 ID:73fe8a104
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>>35024
>>鯖板の常連さんにつくば市の方がおられたように記憶していますが
>>大丈夫だったのでしょうか。少々気になります。

常陸北条と言って、旧筑波町の中心部だった場所ですが
その後「谷田部町」周辺に学園都市が出来て 旧筑波町を含む 周辺の町村が合併し
中心部を旧谷田部町にあった場所に中心を移して
「つくば市」になったため 紛らわしい部分があるのですが
実際は 土浦より北の方にある「筑波山」の近くで、今は中心から外れた地域になっています。

No.35025 即断は禁物ですが・・・ 投稿者:eco_69SM 投稿日:2012-05-06 23:58:05 ID:cbb791ea6
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>>35019
>>――神も仏も悪魔もいない。/あるのは神を信じさせる洗脳組織、カリスマを信じさせる洗脳組織、儀式や祈りやお経で信者から金をむしり取る洗脳組織、悪魔を臭わせてモノを売る組織だけだ。/神や悪魔は妄想だが、こちらは現実なのである。(2012年4月28日)――
>>
>>誤解されないよう特記する。これは小野氏の文章でない。出処の明示がないが、某ブログ(Darkness氏)の「十字架を持つ牧師と悪魔のタトゥーを入れるチンピラの共通点」と言う長ったらしい題名のものからの「抜き書き」だ。
>>
>>くだんのDarkness氏が誰で、何を書いているか。興味もないし、読むべきものもないと思う。が、文章はとてもうまい。スマートでニヒルだ。
>>小野氏に共通する雰囲気がある。孤高のアングラ社会派ってなところか。


因みに「小野氏が引用した」と思われる
「十字架を持つ牧師と悪魔のタトゥーを入れるチンピラの共通点」は
記事のトピック名であって「正式なタイトル」がDarknessで その管理者は
男性の名を名乗っているようですが、記事の内容からして「女性」のようです。

それにしても 小野氏は「面白いブログ」を紹介するものですね

因みに 例のブログですが 他の記事等を読むと「きっこのブログ」同様
「フェミニズム」と申しますか、女性原理主義が基本の様子で
愚痴と言うか モラルパニックと言うか 嫉妬と言うか・・・・
読んでいて「自己性愛的な意図的なもの」を感じさせる
「寄生虫人生」を自ら描いている「餓鬼ブログ」だと 個人的には思われます。

http://www.bllackz.com/

因みに その逆の内容を描いているのが「eco eco五座三座」ブログです。
とは言え、この記事⇒http://www.bllackz.com/2012/04/blog-post_6392.htmlには
ある種の共感を得ましたが、結局は虚栄と虚構を張るあまり
相手に錯覚を与えて信用を無くしてしまい 
そして自爆した 女性自身の結果じゃないでしょうか? 

冷たく言い放ちます。
No.35024 つくば市で発生した竜巻 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-06 23:40:21 ID:b648c2760
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鯖板の常連さんにつくば市の方がおられたように記憶していますが
大丈夫だったのでしょうか。少々気になります。
No.35023 難しい事ではありません 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-06 14:52:40 ID:b648c2760
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※ところで、どうしてこんなにも「奇抜な発想」が出るのか?

良くも悪くも目立つためでしょう。
フツーでは話題になりませんから。
すぐに他人の肩書きに頼るのも似たようなものです。

※この際、ハッキリと言おう。沖浦さんの話しはウソばかり

ウソというよりも都合が良い理屈です。
沖浦さんはマグマグ殿宛ての返信に自らこのように発言しています。
「どんなに小さくてもご自分の功徳を書いて、ドンドン再体験して膨らませなさい」
(沖板1~)
功徳話にしても教学話にしても小さなものを繰り返すことでどんどん膨らませていく。
書いて字の如く「バブル」
でもお話の中に大きな功徳というのははないんですよね。
沖浦さんの場合は関わった人がどうなったというお話なので、吉川さんや小野さんと
趣が異なります。
No.35022 【研究報告】沖浦家所伝の「本尊観」。 投稿者:マグマグ 投稿日:2012-05-06 02:07:50 ID:7d48564ee
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話しがまどろっこしいので、一つの証拠をお見せする。2008年8月のこと。沖浦克治氏(以下、オヤジ)の長男であり愛弟子の耕治氏(同、セガレ)が、センセーショナルな「御義口伝講義」を発表した。

師匠のオヤジから伝授された「口伝奥義」を、弟子のセガレが披露し、当時準備中だった一大秘法題目・己身妙法論、人本仏迹論、御本尊不要論の「沖浦家三大教義」開陳の伏線となる、画期的な発表だった。

――観行とは、「事の一念三千を本尊を観る事だ」と仰せです。現在においては、大聖人様の内証を顕わしたるご本尊様に帰命するという意味になります。なぜなら 大聖人様が、すでに御自身の内証たる南無妙法蓮華経を御図顕されたので、私たちは天台流の煩雑な修行を放棄して直接、「南無妙法蓮華経如来」様を信の一字をもって観ることができるからです。曼荼羅の御本尊様があるから、ご本尊をとおして南無妙法蓮華経を拝むことができるのです。帰命しようとしても、帰命するべき対象が、私たちにはわからないのです。自分の頭で南無妙法蓮華経を考えたって、それは、自分の妄想の産物に過ぎないからです。また、本尊とは「事の一念三千」だと仰せです。本尊とは、仏界に限定であるとは、どこにも説かれていません。本尊とは「事の一念三千」だと、説かれてあります。(ちなみに、この仏界をさして本尊とする考え方を、しゃく仏といいます。御義口伝に説かれております)――2008年8月23日、セガレ氏――

ちょっと冗長だが、雰囲気をつかんで頂くために、原文そのままを引用した。こののち、9月初旬に1、2回続編が出たが、これ以上にハチャメチャな内容だったので、誰からも相手にされなかった。翌年1月、私は遠慮気味に反論を書いた、笑。

――駄文として秀逸なのは――曼荼羅の御本尊があるので、これを通して南無妙法蓮華経を拝むことが出来る(要約)――で、耕治氏は、「曼荼羅」「御本尊」「南無妙法蓮華経」が、それぞれで別物だと考えているらしい。/特に、御本尊を通して南無妙法蓮華経を拝む、は、一体どう言う意味か。たとい沖浦家でそうなっていても、これが皆の「共通の拝み方」とするのは完全におかしい。(2009年1月18日、当板№25830、要約)――

まあ、一事が万事。詳細をここに再掲する必要もない。ともかくも、セガレの悪文には苦労させられた。が、文章だけでない。最も大切な中味がこれ。で、彼を責めてもはじまらない。何よりも元になる考えが問題なのだ。

読者諸賢もご明察の通り、この摩訶不思議な「本尊観」は、オヤジが諸悪の根源。父子相伝も結構。しかし、もっとマトモなことを教えるべき。しかも、オヤジが「教学部教授」だとの自己申告に驚愕させられたのは、私ひとりであるまい、爆笑。

――書写係は拝む人を選ぶ権利がございません。そう言う権利を主張するなら、書写をしないことですよ。それと、日蓮正宗と言う宗派には、26世はいません。日蓮正宗は、1912年からです。寛師は日蓮正宗ではございません。寛師が習い損ないであったことは事実です。戒壇本尊本懐などと言う、己義をかまえています。習い損ない故ですよ。/盗人はね、大石寺派です。全人類に与えられたご本尊を私物化しています。盗人の見本です。/以上の事実をキチンと認識しておきましょうね。(2012年5月5日、沖浦克治氏)――

これも最初から最後まで間違っている、笑。ところで、どうしてこんなにも「奇抜な発想」が出るのか?先ず腹をたてる前に、相手にしないことをおすすめする。色んな邪義、邪説はあるが、これほど荒唐無稽な「己義」は、そんじょそこらにない。

尚、これを正しいと思われる向きには、教学の本でなく、学会出版物なら何でもよい。再読することをおすすめする。この際、ハッキリと言おう。沖浦さんの話しはウソばかり。賛成にせよ反対にせよ、相手にしてバカを見るのは、あなた、ですよ。マグマグo(*^▽^*)o~♪
No.35021 斧節は、ブログではない。o(*^▽^*)o~♪ 投稿者:マグマグ 投稿日:2012-05-05 17:55:11 ID:e390568e0
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阿部日様

いつも的確なご指摘を有難うございます。

――斧節は、普通のブログでなく、
書籍販売のための、電車の吊り広告と同類。

――で、かつてブロガー小野不一が書いていた。
今では自分で書かずに「キリ文」ばかりを載せて、
馴染みのお客を少数ながら相手にして商売に繋げている。

こう言う理解になりましょうか。

ところで実に巧妙なことに、
本を買って読んで、何も得るものがなかったとしても、
しかし、読者(購読者)は、
――何でこんなにつまらない本を紹介するのだ?
と文句も言えないし、返品も当然きかない。
紹介者勝ち、売ったもの勝ちの「広告商売」。

去年でしたか、茨城の吉川さんが吊り広告を見て、
――この三流週刊誌、ウソばっか載せてやがんの!
と立腹し、その雑誌を買って帰り、自分の材料に再利用し、
ブログに写真入りで反論(になってないが)を載せました。

それを見て、私は、
――買ったあなたが悪い。広告に乗せられただけじゃん。
と滑稽さを感じてつい笑ってしまった一方、
そこで・や・っ・と・小野さんの商法に気づきました、笑。

アマゾン何がしが良いか悪いかと別に、
皆(含、私)の記憶にある小野不一氏が主宰している限り、
ブログに何らかの「メッセージ性」があると思ってしまう。

ジャンルや内容の偏りがあるものの、小野さんご推薦の本。
――(肯定的に考えて)まあ、何かの役に立つだろう。
じゃあ、一冊を購入して勉強してみようかと、つい。。。

注意せねばならないのは、
肯定、否定の客側の単純な評価や認識の違いはあっても、
結果的に、同一の行動に出るよう、巧くつくられていること。

同一の行動――買った人の自己責任。
読んで良かったら、また買ってね。ようこそ次のお越しを。
悪くても、それはあなたの問題ね。次に頑張りましょう――と。

いや、手法は違うが、「誰の利得?」においては、
小野さん、吉川さん、沖浦さんに、奇妙に符合する共通点がある。。。

私は、このように考えております。マグマグo(*^▽^*)o~♪
No.35020 【内】それはどうでしょうね 小野ブログの意味 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-05 11:16:29 ID:846de50eb
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※今「斧節」は借り物ばかりの評論集――自分以外を視野とすることはたやすい

「借り物」ではなく無断転載のキリ文集 
小野さんの発言は、いまやツイッターと「本業のブログ」に分離されているだけです。

http://twitter.com/#!/fuitsuono

クリシュナムルティ系はいまでもAmazonへの入り口となり「book0f-22」の
アフィリに誘引されるようになっています。

興味がある人はアフィリのユーザアカウント(上記)で検索してみてください

旧:一撃一冊もいつのまにか「はてな」から移転「古本」はやめてアフィリ一本です。
http://newbooks.g.hatena.ne.jp/sessendo/

新:一撃一冊
http://1satsu.blogspot.jp/


アマゾンアフィリはよい多くのブログ等で1日一冊書籍を紹介し
「紹介点数・冊数を稼いで報酬率を上げること」が収益には重要なのだそうです。

(参考リンク)
http://afri.mitimon.net/entry13.html

なるほど、いちいち学会員の相手をしているよりも「小野不一」のHNでより
多くの人の目にさられされるようにブログを作成する事は彼にとって有益です。

学会員さんが斧節からの書籍紹介を引用して、アフィリのリンクを貼ってくれれば
濡れ手に粟。

小野さんにすればツイッタでもブログでも「小野不一」でなにを紹介しようが
すべて商売につながる意味があるのです。

蓄積されている学会系資料はなにもしらない学会員さんには「宝の山」に見える
でしょう。

ですが、それとていまでは自分の商売の客寄せの無料情報として活用されて
るにすぎないのです。

個人が無料でブログを作成するかわりに「広告のタグ」がついてくるのとは
訳が違います。

それが証拠に時々「公明党」にからみ矢野本のアフィリを紛れ込ませたりしています。
http://megalodon.jp/2012-0505-1110-32/d.hatena.ne.jp/sokaodo/searchdiary?of=0&word=%2A%5B%B3%D0%A4%A8%BD%F1%A4%AD%5D

ここからは推測になりますが、小野さんは組織内アンチや組織活動否定論者に
好まれそうな書籍を好んで紹介しているのではないでしょうか。

ガチガチの活動家さん相手では商売にならない事をさとったのでしょう。
No.35019 【研究報告】斧節が誤解される理由。 投稿者:マグマグ 投稿日:2012-05-05 02:42:41 ID:e390568e0
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最近、小野氏のブログは反学会的な色調が濃い。しかし、氏自身が書いたものでなく、他からの借り物なのに注意すべきだ。また、それらの切り貼りで何を目指しているのか。で、即断は禁物だ。

――神も仏も悪魔もいない。/あるのは神を信じさせる洗脳組織、カリスマを信じさせる洗脳組織、儀式や祈りやお経で信者から金をむしり取る洗脳組織、悪魔を臭わせてモノを売る組織だけだ。/神や悪魔は妄想だが、こちらは現実なのである。(2012年4月28日)――

誤解されないよう特記する。これは小野氏の文章でない。出処の明示がないが、某ブログ(Darkness氏)の「十字架を持つ牧師と悪魔のタトゥーを入れるチンピラの共通点」と言う長ったらしい題名のものからの「抜き書き」だ。

くだんのDarkness氏が誰で、何を書いているか。興味もないし、読むべきものもないと思う。が、文章はとてもうまい。スマートでニヒルだ。小野氏に共通する雰囲気がある。孤高のアングラ社会派ってなところか。

――本書には言及されていないが、戦後大衆にアピールした政治思想と宗教は、その躍進という点からすれば、共産主義と創価学会であった。/略/だが、創価学会のほうは時代的な要因からはずれてもむしろ、当時の二世・三世のある種のエリート化によって現在も所定の影響力を維持している。これも逆に言えば、形骸化としての維持なので戦後の創価学会の躍進のエネルギーはない。(同日)――

これも抜き書き。宗教評論家島田氏の著書の「書評」からの引用だ。著者本人が書いているか知らない。評者はこう書いているまで。どうか読者諸賢は錯覚されないよう。で、問題――「斧節」ブロガー小野氏が、何を言いたいか、だ。

真意は、氏本人に聞かねば分からない。が、借り物を通してでも一定の推測は可能。組織(ここでは創価学会)に対する反抗――こう読んだあなたは(私もだが、笑)、斧節を理解していない。まあ、このような誤解を生むのも自然だろう。

反対方向の例がある――「価値[再]創造」と題したブログ。自己紹介に、学会での素晴らしい体験、同志との思い出をもとに価値観を再構築、とある。新参者(私)の分際で申し訳ないが、冗談でない、いい加減なことを言うなと、言わせてもらう。

当のブロガー・アロエ氏に邪念はないだろう。が、あなたは、小野さんの不明朗な物言いの尻馬に乗ってはならない。小野さんが書いてもいない金言を、押し戴くのはどう言う料簡か。まして、あなた自身の「価値創造」の意味すらが明瞭でない。

――かくして人間の欲望を無視しては如何なる価値も成立することはないし、又如何なる価値の研究も人間の生命を無視して論ずることは、架空の観念論にすぎないことをよく認識すべきである。(牧口常三郎著・戸田城聖補訂「価値論」第六章)――

小野氏のブログに同調したり、反論する必要はない。前にも書いたが、氏は何も変わっていない。一貫している。大事なのは、鵜呑みにしないこと、と、安易に否定しないこと。あなた自身、私自身が、先ず読んで認識することだと思う。

氏の智慧に学ぶところは多い。が、一方通行の、当代の思想家や評論家の「箴言」の切り貼りに左右されてはいけない。眼前の表層は、架空の観念しか生ませない。視線を自分の内面に向け、価値が何かを考えない限り、皆が評論家になってしまう。

今「斧節」は借り物ばかりの評論集――自分以外を視野とすることはたやすい。私は、我らが小野さんがご自身で書いたもの、それを読みたいし、それを信じたいと思う。マグマグo(*^▽^*)o~♪
No.35018 阿部日様。。。o(*^▽^*)o~♪ 投稿者:マグマグ 投稿日:2012-05-05 00:32:15 ID:e390568e0
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>>35006
>>私たちが普段なにげなく使っているSGIって「国際創価学会」で統一してほしい
>>ぐらい渋い表現ですね(笑)

そうなのです。

言われてみれば当たり前(笑)のことですが、
日本が本部で海外は支部、みたいな狭い視野でなくて、
世界は「国際創価学会」で全部繋がっている、
そう言う連帯感が、着実に創り出されていると感じます。

また、それが、学会の社会貢献の姿のあらわれであり、
日蓮仏法、学会正義宣揚の証であるとも思います。

例が悪いですが、例えば日顕宗、笑。
国内のことを海外に伝えたくもない最悪の状況。
しかも、江戸期の愚民政策よろしく、口を開けば、
寺へ行け、供養せよ、折伏せよ、登山せよ、だけ。
信者の社会貢献などあったものじゃない、笑。

また、海外も同様で、
日顕の代に宗門を牛耳った学会崩れ、ア法華の自虐的信条、
――奇怪な選民意識、や、贖罪的滅私奉公観――が、
現地で理解されるわけがないし、根付くはずもない。

私が感じる明暗の最大の差は、
学会は、社会人、生きた生活者を中心とした組織。
邪宗門は、非社会人(主に坊主)を中心とした組織。
信仰者の基本「信心即生活」までもが違っている、、、笑。

坊主だのみ、寺だのみでは国際的な広がりどころか、
現実的な信仰感性や運動理念は望むべくもないでしょう。
ましてや彼らは「法主本仏」「法華念仏」の似非仏法。
現代日本は勿論、海外でも受け容れられないでしょう。

>>特に仏教哲学大事典からも語句検索できるようで、中国のメンバーからすれば
>>研鑽の一助になるでしょう。

>>是非御友人や同志の評判をレポートしてほしいです。
>>その存在を知らしめるだけで「仏法対話」になりえますものね。

これも仰せの通りです。承知致しました。

信心は、本を読んだり調べたりする学問ではありませんが、
物事の道理、考え方、とらえ方を、文字や文章から習うことも、
大切な基本であると思います。教学です。

ある人が「御書を『全頁』(ママ、爆笑)読んだ」としても、
そんなのな~んにもならない。個人的に自慢したいだけでしょ。
文字を(ページを)追っただけで、信心でも何でもない。

で、学会指導や講義録には「御書の読み方」が示されている。
それらをすっ飛ばして読み方が分からないうちは、
読んだままが自己流の読み方になりかねないし、
読んだことが「功徳」と言ったナンセンスな感性も生まれる、笑。

読み方そのもの、それが教学の基礎だと思います。
それで言うと「仏哲大辞典」の中国語版の存在はとても役に立つ!
が、私にとってではなく、こちらのメンバーにとってはですが、笑。

今回の検索サイトの開設は、
特に学会書籍が少ない国、地域の大いなる「福音」(笑)です。
(福音=吉報、よい知らせ、の意味です。他意はありません、笑)

返信が遅くなりました。
今回も本当に有難うございました。マグマグo(*^▽^*)o~♪
No.35014 フェイク 第1293号 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-04 14:05:17 ID:b49739e59
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(発行=12.05.03)

「九十九%が誓願達成」はウソ
法華講・地方部総会の参加者は減る一方
目も当てられぬ大阪北地方部の惨状

 日顕宗ではニセ法主の早瀬日如や布教部長の阿部信彰らが「昨年は五八四ケ寺
の全支部のうち九十九%が折伏誓願の目標を達成できた」と豪語しているが、
これが真っ赤なウソであることは末寺での定例の御講の参詣者数、登山会の参加
者数、そして地方部総会の結集数が一向に増えないことからも明白だ。

 本当に全国の末寺の九十九%が折伏目標を達成していれば、一年間で三万人
近くの法華講員が増えている筈だが、増えている気配が全くない。折伏の苦労も
知らずに「信者は入信する者を寺に連れて来るだけだから楽だろう」と能天気な
ことを言う日如が、数ばかり煽るから、いい加減な折伏が横行して辻褄の合わない
結果になるのだ。

 去る三月二十四・二十五日の春季総登山の参加者数も宗門執行部の腹積もりは
三万五千人だったそうだが、登山したのは約二万八千人で、目標を大きく割り
込んでいた。

 しかも、登山者は年配者が多く、今後はますます参加者が激減していくことは
目に見えている。

 連合会委員長の永井藤蔵(写真上)は講頭会で「折伏の数にとらわれて育成が
出来ていない」と吐露していたが、特に、宗門・法華講が力を入れている地方部
総会は惨憺たる現状である。

 日如や信彰の話が、もし、本当であれば総会参加者も多くなるはずである。
ところが、良くても平年並みで、昨年、一昨年に比べて激減している地方部が
目立つ。

 四月に開催した北海道第三・北陸地方部などは辛うじて横ばい状態だが、新潟
地方部は、ここ数年、減少の一途で、最も悲惨だったのは四月二十九日(日)
午後、高槻市野見町の「高槻現代劇場大ホール」で開催した大阪北地方部総会だ。

 結集目標は千四百人だったが、実際に集まったのは九百人で七割にも満た
なかった。当日に向けて「目標の千四百名に対して千五百名を達成しました」と
あげる筈の雄叫びを繰返し練習していたが、結集が大幅に下回ったため、本番
では結集人数について一切触れず、練習も徒労に終わり、意気消沈している。

 この地方部は、以前二千人近く結集した実績を持つが、年々、減少の一途を
辿り、遂に千人を切る惨状を晒すに至った。

 総会は鼓笛隊演奏、坊主の紹介、体験発表、メッセージ紹介、決意発表、
安住寺・菅野修道の祝辞、大阪北地方部長・井原正太郎(写真下)の挨拶と続き、
第二部は、全国布教師と称する矢野訓道(札幌市・聞仏寺)の聞くに堪えない
お粗末な講演に終始した。

 矢野は「寺院に近づき、寺院に足を運び、寺院の御本尊に題目をあげること
です」「どんなに信心が素晴らしい人でも、必ず寺院に参詣しないとダメです」
と「寺に来い」と半ば強制的に繰り返した。

 明白な供養簒奪の魂胆が、衣の下に透けて見える。

 金の亡者と化し、坊主の寝床となった寺から、信徒が離れていくのは当然の
成り行きである。


///

(参照画像)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/image/detail/?comm_id=4295&id=1
連合会委員長の永井藤蔵

http://6027.teacup.com/situation/bbs/image/detail/?comm_id=4295&id=2
大阪北地方部長・井原正太郎
No.35013 祝! 新富士宮ボーイ掲示板開設10周年 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-04 12:17:06 ID:b49739e59
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2012/5/4は、富士宮ボーイ掲示板が自前のサーバーで運営されるようになって
ちょうど10年になります。

自前ということは、管理人殿にいくばくかの経済負担と維持管理の労力を割いて
いただいている事になるわけです。

もともと、20世紀の西暦2000年から外部(YAHOO)の掲示板公開サービスを使って
始まったのが最初でした。
その頃からすれば12年にもわたる、内外問わないフルオープン老舗掲示板です。

当時から対日顕宗の情報を発信されていたために、様々な人たちがこの掲示板を
利用されていました。私も2001年頃から参加させていただいておりました。
中には議論が煮詰まって辛辣な言葉を発している人もいました。
視点を変えれば、来訪されたアンチの中にも礼儀をわきまえ彼等なりの論理を整然
と述べる力量のある方がいたために討論が継続できた面もあるわけです。

ところが公開掲示板の性質上、多人数での投稿が連なったり、個人の短文投稿が
繰り返されると、話題そのものが不明瞭になったり数日見なかっただけで膨大な
ログを読み返さなければならなくなるといった弊害がでてきました。

概ね学会側の賢者の皆さんは理路整然と破折をされる方ばかりだったので、自然と
荒らされない(荒らさない)ように掲示板参加者自らの発案と承認でルールが構築
されていきました。

時代が変わってパソコンが専門知識がある人の高尚かつ高価な趣味ではなく、普通の
人がコミュニケーションを楽しめる安価な通信機器となり、さらに携帯電話からの
ネットサービス網が拡充されると、大掲示板や他人の運営する掲示板に依らずとも
SNSのように個々人の「特定」の枠内で文字コミュニケーションが簡単に設立運営
できるようになりました。
そうなると、元々ジャンルが固定していた公開掲示板は個人ブログ(コミュ)
やオフ会といったようなリアルのおつきあいへの勧誘を含めた新規来訪者の狩り場
といった意味合いが強くなりました。

各個人がブログの文章を綴り、楽しくネットをつかった交流をしている時代に
あかの他人がジャンルにこだわり討論に火花をちらすといった目的の掲示板は敬遠
されるようになったのです。

残念な事に、心ない自称学会員の人の中には、自分が議論や対話に参加しなくなった
腹いせに「昔は富士宮ボーイ掲示板はすごかった。今は閑古鳥が鳴いている」と
いった揶揄をされる人がいます。

ネットをつかったコミュニケーションは「楽しい話」ばかりではありません。
「つらい話」を持ちかけられたり、トラブルに巻き込まれたりもします。
まして富士宮ボーイ掲示板は開設当時からほとんど「創価学会」の看板を
利用することなく、内・外問わずにアンチや同志と対話しつづけてきた歴史があります。

URLに「SOKA」を使ったりHNにいかにも学会や人材グループをイメージする語句を
使う事もしない。
なれ合いの為の話題はなく、学会員だからといって媚びる態度もとらない。
役割は自分できめる。役職は聞かない。非公開の話題はない。学会の現場・仕事や家族
のグチを吐かない、させない。つぶやきや罵詈雑言は必要なし。
なによりも見ず知らずの人を巻き込んで「組織外活動」を画策しない。営利は論外。

性別も肩書きも意味を成さない中で、経験と知力を尽くして文字表現を希求し対話する。

それが【富士宮ボーイ掲示板】の見所ではないでしょうか。

善く戦う者は、人を致して人に致されず。
善く戦う者は、これを勢いに求めて、人に責(もと)めず
善く戦う者は、勝ち易きに勝つものなり。
ゆえに、善く戦う者の勝つや、智名なく、勇功なし。

(孫子)

名聞名利を捨て、影の戦いに徹する創価の勇者・賢人の皆様に
そして、お世話になっている富士宮ボーイ掲示板の両管理人殿へ。


阿部日ケ~ン 記

 











No.35012 【雑感再掲】無題、改。 投稿者:マグマグ 投稿日:2012-05-04 08:07:24 ID:4b83532b6
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死への恐怖と禁忌――生者の妄念は尽きない。
目に見えないものを祀り、死者なら、霊をなぐさめ、
生者なら、魂をしずめる。人は鎮魂にいそしむ。

愛別離苦――は、わけてもしずめにくい。
怖ろしく人の想念を支配し、
無常の闇にいざない、奈落へ突き落とす。

生死一如――遠い故郷の人々は、今の私の想いの産物。
生きているか、死んでいるか、本当のところは分からない。

死者と生者のどちらにも、
恋しさだけが想念でない。憎しみから想うこともある。
が、私には死者に会いに行く力がない。どこにいるかも分からない。

見えないものがあり、言葉に困り、それを「魂」と名づけ、
ここに「いる」と心をしずる。灯りをともし、香をたき、こうべを垂れる。
――声にすれば、それが鎮魂歌。

鎮魂は、生者のためだけのもの、かもしれない。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


愚壮の生死は、現実の私に何の影響も与えない。

例えば、一昨年の10月27日、私にその日の記憶はない。
何をしていたか思い返しても、まったく思い出せない。

しかし、彼が綴った文章の数々は、
私に強烈な印象を与え、多くの難問を突きつけて来る。

現世での生死と無関係に、それらは、
惰弱な精神を責めたてて、生きる難しさを思い知らせる。

行間に、人々の日常の声の響き、
鋭く輝くまなざしが描き出され、次への欲望をかきたてる。

――魂の錬金術士。

愚壮の文章は、現実を如実に映し出し、
描かれた瞬間のことが、いつまでも過去のものとならない。

時を文字の羅列に封じ込め、
ページを開いた途端、眼前に蘇らせる。

魔術を、愚壮は使っている。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


教主大覚世尊・巧智無辺の番匠として
四味八教の材木を取り集め・
正直捨権とけづりなして邪正一如ときり合せ・
醍醐一実のくぎ(釘)を丁(ちょう)と・うつて
生死の大海へ・をしうかべ・中道一実のほばしら(帆柱)に
界如三千の帆をあげて・諸法実相のおひて(追風)をえて・
以信得入の一切衆生を取りのせて・
釈迦如来はかぢ(楫)を取り・
多宝如来はつなで(綱手)を取り給へば・
上行等の四菩薩は函蓋相応して・
きりきりとこ(漕)ぎ給う所の船を如渡得船の船とは申すなり、
是にのるべき者は日蓮が弟子・檀那等なり、能く能く信じさせ給へ
            (椎地四郎殿御書、御書全集1448〜1449頁)


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


蓮祖大聖は、大海のほとりに生まれた。
長じて、人足(にんそく)の大番匠。大船を建造し、
自ら船上の人、水手(かこ)の大棟梁として船出する。

帆柱に旗や帆をなびかせ、錨をあげて、綱手をとって返す。
見はるかす生死の大海へ向け、航路がとられた。
水手の力の見せどころ。沖に出るまで誰もが気を抜けない。

風にのり、潮にのり、航海はひたすら遠洋に続く。
嵐のときも、日照のときも、
交替で休みながら、水手たちは、いつも漕ぎつづける。

愚壮は、もとは道普請、下働きの小僧。
はるか海の向こうの世界にひかれ、大棟梁の一声で馳せ参じた。
その日から、絶海の炎天に塩をなめる、水手のひとり。

天空が未来なら、板一枚下の海は過去。
そして、彼には、この船上が現在。
今生人界は、仲間と苦楽を分かつ、この船の上だけ。

今、海の果てに、むなしい思いやあこがれはない。
もともと天涯孤独。実の親と仰ぐ大棟梁からさずかったお役目、
それを果たすのが、漕ぎ手の名手、彼の自信、満足なのだ。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


然れば八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり
               (総勘文抄、全集563頁)

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


ここに愚壮の、むねのうちが記されている。
想念の結集、平がなで綴った彼自身の八万四千。
肉体は朽ちても、なお霧消しない魂の歌が綴られている。

装丁済みの、店頭販売でない。
ゆえに、私はこれを「愚壮文選」と呼ぶ。完結にもまだ早い。

綴ったものは、擦りきれたドンゴロス(麻袋)にしのばせ、
私には、選りすぐったものしか、読ませない。
――意地の悪い、ふところのちょっと狭い爺さんだ。

が、若い衆や孫の話しでは、たちまち、こわれた鬼瓦。
嵐をのり切った自慢話しを、百面相で語ってくれる。
彼を、水手たちがいつまでも慕いつづけるのも、人情だ。

今日もまた店開き。が、講釈師、見て来たような、ではない。
見て来たものを、彼は、そのままに語る。
愚壮の話しには、人の「真実の力」が光っている。

(2010年11月11日題。2012年5月3日改。マグマグ)
No.35011 祝、忘れえぬ風景再開! 投稿者:マグマグ 投稿日:2012-05-03 19:35:31 ID:5f4059f36
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皆様、本当に朗報です。私も早速ご挨拶に参上致しました。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


400 名前:出張マグマグ 投稿日:2012年05月03日 (木) 19時25分

おにゆり様、愚壮先輩!

おふたりとも、本当にお帰りなさいませ。

今年はとてもよい5・3になりました。感激です!

おにゆり姉様の冴えた頭脳、鋭い切り口の辛口論評、
愚壮大先輩の「学会正史・関西魂の証言」「真実・庶民の叙事詩」に、
心からの期待を寄せております。

益々のご雄弁、ご健筆を、心からお願い申し上げます。出張マグマグ

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

地域広布の大先輩、富士宮の大先輩、愚壮様にどうかご声援を!マグマグo(*^▽^*)o~♪
No.35010 創価学会の日 創価学会母の日おめでとうございます 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-03 14:52:24 ID:0f99351ce
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学会員の皆様おめでとうございます。
先月所用で東京に出向いておりましたが、信濃町駅の手前にデカイ建物が建設
されているので気になっておりました。

http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=201205/03/32/a0212032_1423121.jpg

(総武・中央線の車内より)

昨日の聖教新聞にて本年11.8完成予定の「創価文化センター」であることが
発表されましておりました。
本日の新聞は本部幹部会同時放送にて発表されていた、明年秋に完成予定の
新・創価学会総本部の模型も紹介されており感無量です。

また創価学会母の日でもあります。
地域を照らす世界の無数の白百合の花“広布の母”の皆様に改めて感謝
もうしあげます。

また富士宮ボーイ掲示板を御覧の皆様に朗報です。
こちらからリンクされている「忘れ得ぬ風景完結に燃ゆ」掲示板に5.3を祝う
かのように愚壮殿が復帰宣言されました。「忘れ得ぬ風景」はまだまだ続きます。

おにゆり殿がこちらに投稿できないとの事ですので、変わって私が告知させて
いただきました。ご容赦ください。



No.35009 皆様、管理人様 投稿者:マグマグ 投稿日:2012-05-03 14:00:12 ID:cc14e6156
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5月3日「創価学会の日」おめでとうございます。

  同志の皆様の益々のご健康とご活躍を心からお祈り申し上げます。


5月4日、富士宮ボーイ掲示板「開設10周年」おめでとうございます。

  学会正義の論壇、栄光の10年をたたえ、心からのお祝いを申し上げます。


===================================

今頃になって思い出したのですが(笑)、今日、日本以外はみんな平日。

皆様の充実したゴールデン・ウィークを併せてお祈り申し上げます。

                           マグマグo(*^▽^*)o~♪
No.35008 (無題) 投稿者:Fake Messiah 投稿日:2012-05-02 20:10:59 ID:c67d0e099
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どうも、こんばんは。
阿部日ケ~ン(院政)さん、メールを送らせて頂きました。
No.35007 【内】愚痴る菊川(吉川)さんのこの記事ですね 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-01 18:14:05 ID:4dce1076e
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>>35004
>>【批判】収入が3割減で、信心は三分の一人前。 

http://megalodon.jp/2012-0430-2141-10/sokanomori.exblog.jp/17895581/

とにかく話題の入り方から展開の方法で文章を割きすぎて、希望の見えない記事に
なっています。
これが創価学会カテで人気があって上位になるのですから困りものです。
弱音を吐いても慰めてくれる同志がいるかぎりこの癖は直らないでしょう。

この後に御書を何度読んだとかいう記事が続きます。
結局「内向け」の会話レベルなので、外の人が見ているという意識が薄く
なるのは当たり前のことです。

アンチさんが跋扈する2ちゃんねるでもすでに菊川(吉川)ブログの矛盾は
話題になってます。
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1319259193/l50

問題なのは批判(問題)を自分の糧に変換できないまま「納得」している事に
つきると思います。
アンチさんの視点は「議論」ベースで勝ち負けにこだわっているとはいえ
着目点は、自分が気がつかない所を補完してくれるケースもあるので刺激に
なります。基本的に誤字脱字歴史的認識違いは許してくれません(笑)

ところが、三猿運動は「批判するアンチの主張には意味が全くない」という
論理で自己肯定をしてくれるかどうかだけが善悪の判断基準として置かれています。
私のブログを「有害サイト」として認定し批判することはできても、
創価の森の小さな家・月下の騎士のブログが学会員として「有害」と認識できるか
どうかは別問題なのです。
マグマグ殿は菊川(吉川)さんのブログ記事が最近おとなしくなったと感じている
ようですが、よく見るといい加減な認識がさらっと混入されています。

例えば、アンチとの対話の為に設立したはずの「月下の騎士」のコメントに
日本人の死亡原因の約50%がガンだという不見識なものがあります。

いったいいつのはなしなのでしょう。
(参考リンク:厚生労働省 主な死因別死亡者の割合)
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai08/kekka3.html

※大事なことは他人の評価で生きないことだ。まして、あれができなかった、
 これができなかったと悔やむような生き方をしないことだ。

(仕事と信心の両立 2012年 04月 30日)

ようするに「人の言うことは聞き入れない」という学会の指導主義と正反対の生き方
なのです。
他人の評価(反応)が欲しくてネットに書き込みランキングの上位を狙って自己評価
でブログを綴ってことある事に「仕事が忙しいから活動できてない」と漏らすのは
菊川(吉川)さんが批判する「悔やむ生き方」だと私は思います。



No.35006 祝!中国語版御書検索サイト開設 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-05-01 16:15:57 ID:4dce1076e
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御書発刊60周年記念 中国語版御書検索サイト開設です。

「国際創価学会HP」にて利用できます。 http://cht.sgilibrary.org/


聖教新聞紙上では4/29日に公表されましたが、マグマグ殿の反応が必ずあると
待ち焦がれていました。
私たちが普段なにげなく使っているSGIって「国際創価学会」で統一してほしい
ぐらい渋い表現ですね(笑)

在中のマグマグ殿にもとても有益なのではないでしょうか。
特に仏教哲学大事典からも語句検索できるようで、中国のメンバーからすれば
研鑽の一助になるでしょう。
法華経からも検索できるようになる予定のようですね。

是非御友人や同志の評判をレポートしてほしいです。
その存在を知らしめるだけで「仏法対話」になりえますものね。

余談になりますが・・対話というと
電車の中で偶然はち合わせた「知り合い」に一年分の自分の事ばかり延々しゃべって
最後に「そろそろ創価学会はどうですか?」なんてオチつけるのは仏法対話
たりえません。

おそらくマグマグ殿が「トンデモ仏法対話」評論をやめたのは、仏法対話にも
なっていないツッコミどころ満載の内容の軽さに一つ一つ注釈を入れることに
骨を折るのも興が乗らないからではないでしょうか。

小野・鯖・吉川一門の自称学会員さんは、まず会話と対話の違いを理解するところ
からはじめて欲しいものです。

別に学会系の書籍じゃなくても「対話」のツボを教えてくれる本はあります。
以前紹介させていただいた、
“議論や会話はあっても『ニッポンには対話がない』”を公開しているサイトには
(日経ビジネスオンライン)

【自分の興味や関心にばかりとらわれたり、「ほんとうの自分」を表現すること
 によって相手と心からわかり合おうとしていたりしたら、たぶん永遠に
 できないでしょう】

とずばり手前味噌の会話は対話にならない事を示唆しています。
もちろんこれは興味のあることや関心事を話題にするなという事ではありません。
仕事の事や時事の話題、畑仕事でも趣味の話でも対話のキッカケにはなりますが
自分を表現する事に腐心していれば興味のない相手さんなら不愉快きわまりない
でしょう。

セールストークと対話は違うとおもいます。








No.35005 【主張】御書発刊60周年を祝す。 投稿者:マグマグ 投稿日:2012-04-30 23:42:26 ID:0754f8e95
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間もなく5.3――今年4月28日「立宗の日」は、御書発刊60周年の佳節でもあった。また、この日、中国語版御書検索ウェブサイトが新設され、広布拡大目覚しい世界の中国語圏は、喜びの声で沸いた。御書のほか、法華経、仏教哲学大辞典の要文や解説が検索出来る。ネットを通じて広宣流布の輪は着実に広がっている。

創立以来、学会は、一人ひとりの信心から、生活や仕事、生き方の規範までを、御書を通して指導している。戸田先生は、発刊の辞で「剣豪の修行を思わせるが如きその厳格なる鍛錬」とし、御書に示された厳しい修行、学会での信心の鍛錬が、我が生活、人生を切り開く、一切の行動の原点であると教えられている。

かつて発刊50周年の折、池田先生は、大聖人の御生涯の激闘の記録が御書であり、それはとりもなおさず、大聖人が渾身の力で著された人類救済の崇高な精神、行動、指南の結晶「末法の経典」であると、指導された(要約、「御書の世界」第1巻9頁)。創価三代が「御書根本」とするゆえんがここにある。

――御書の全編は、国境、時代を超えて、すべての人々に未来を示し、「勝利の道」「幸福の道」を指し示します。これを拝読し、御本仏日蓮大聖人の御心を知り、民衆救済の実践を貫くことが、学会員一人ひとりの最も重要な活動です。(部分邦訳、中国語版御書全集の紹介)――

今、各国、地域の教学研鑽は新たな充実期を迎え、御書や学会書籍の各国語版がどんどんと翻訳、発刊されている。池田先生の中国語版「御書と師弟」(日本では2010年に単行本化)を学び、仏法の精髄に迫る御書の研鑽も展開されている。日本とほぼ同時期に、御書、学会指導が全世界で学ばれる時代が、すでに到来しているのだ。

そして、御書刊行60周年の大佳節。中国語版検索ウェブ開設は、世界で最も多い言語人口の人々に、日蓮仏法への門戸を開き、御書根本の学会精神を伝える有力な手立てとなろう。また、在外、地元同志の弘教拡大、言論戦の強い味方、画期的なデータバンクとなると確信する。マグマグo(*^▽^*)o~♪
No.35004 【批判】収入が3割減で、信心は三分の一人前。 投稿者:マグマグ 投稿日:2012-04-30 23:36:08 ID:0754f8e95
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ブログ「創価の森の小さな家」の菊川さん(茨城在、吉川さん)が、意気消沈している。2009年5月、2010年10月の二回、同じ体験談を貼り付けて、「等身大の広宣流布」を豪語。最近、ブログ本や豪華仏壇、市民農園などの自慢ネタがなくなったが、反対に、必死で出勤するわりに収入が減った(70%)と、弱音を吐いている。

元々、等身大の、などない。戸田先生は「信心は一人前、仕事は三人前」とおっしゃり、池田先生は――自分に与えられた仕事だけでは無責任な「雇われ根性」。周囲に目を配り、全体観に立ち、未来、革新、向上に取り組む。その姿勢を戸田先生は「三人前」と表現――と、指導された(要約、随筆「人間世紀の光」)。

「信心は一人前」に規格や基準はない。それぞれの現実の条件や状況の中、精一杯に勇気ある信心、懸命な行動、たゆまぬ挑戦があってこそ、狭い境涯が更に広がる。所詮、元の等身大の自分はエゴの塊りであり、まして、等身大の広宣流布などと言うご都合主義の信心は、学会に断じてない。

――会合は沢山ある。協議会、座談会、同時放送、家庭訪問・・。このことに加え、新聞啓蒙、仏法対話、勤行・唱題、学会書物の読書など、個人的な活動が続く。/この活動はパーフェクトにできるだろうか?/少なくとも、私にはできない。半分、あるいは3分の1が関の山だろう。/略/私は、できないことはできないで仕方ないと思っている。(2012年4月30日、「仕事と信心の両立」)――

誰が吉川さんにパーフェクトさを求めたか?――元々が自問自答。彼自身だ。で、出来ないのは仕方ない?そう、誰もがスーパーマンでない。が、仕方ないと判断して諦めているのも彼。いつものことながら、菊川さんは、どうして指導を受けないのだろう。困るのは自分だけでない。ブロックの方々はどうなるのか?

――大事なことは他人の評価で生きないことだ。まして、あれができなかった、これができなかったと悔やむような生き方をしないことだ。/略/私は、仕事、勤行・唱題、座談会を優先する。他のことは優先しない。/一生をかけて広宣流布をするのだ。基盤をおろそかにしては本末転倒だ。(同上、続き)――

読者諸賢には、彼の苦悩の一端がお分かり頂けると思う。いや、一端と言うよりも、基本的な問題――カラにこもった「自己正当化」の信心――彼の弱点がうかがえる。しかし、これは活動「三分の一人前」の吉川さんだけでない。我々も、ともすれば陥りがちな心の闇。一人前の信心への成長を阻むのは、結局は自分自身なのだ。

池田先生は――焦点は「一人の人間」である。「一人」が持つ、計り知れない生命の希望の力を、いかに自覚せしめ、解き放っていくかである。/牧口先生は自ら遠路、足を運んで折伏した一人の母に言われた。あなたが御本尊を頂くということは、仏法の原理に照らして、この地域の全民衆が不幸という悩みから救われることになるのです、と。(2010年11月、大白730号巻頭言)――と、指導された。

因みに、我がグループではいつもこの指導が出される。無限の可能性と一人立つ精神が、「信心の一点」で繰り返し強調される。個人主義の色彩が濃い国民性と土地柄。元々、個人の自立(自律)なくして暮らせない社会だ。ところが、先生の指導は、そこから十歩も百歩も先に照準を合わせた「仏法の原理」を明示される。

小さな境涯の自分を脱皮し、信心を奮い立たせ、希望の力をふりしぼって現実を切り開くのが、本物の学会員。それを教えてくれるのが師匠であり、学会の組織。自己満足の信心は、却って自身の可能性を減退させる愚行。菊川さんはしっかりと地域で指導を受けるべきだ。マグマグo(*^▽^*)o~♪
No.35003 フェイク 第1292号 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-04-30 00:16:52 ID:d2cf3b13e
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(発行=12.04.29)

「日顕の提灯持ち、一足先に逝く」
法華講連合会の前委員長・柳沢喜惣次が死去
約六十年間、日顕の手先で供養収奪に狂奔

 日顕宗法華講連合会の前委員長・柳沢喜惣次が風邪をこじらせて肺炎になり、
去る二十七日午前十時十七分、死去した。柳沢は大正十二年十一月十九日生まれ
の八十八歳。一昨年には本山で転倒して骨折し、治癒が遅れて歩行も困難になり
、両脇を抱えられて、やっと動けるような有り様だった。

 晩年には法華講の会合などで登壇しても意味不明の発言が目立つようになり、
最近は認知症の症状も顕著になっていたという。

 通夜は立宗記念日の二十八日午後七時から、告別式は二十九日午前十時前から
東京都墨田区の本行寺(坊主は高野日海)で行われた。

 葬儀には日如、日顕らも姿を見せ、一般参列者は約千百人、外で整列させられ
たまま待たされ、疲れて座り込む年配者が目立った。

 柳沢と日顕との関係は、六十年以上も続いた。

 終戦直後からの長年にわたる二人の親密な間柄を知っている宗門関係者は
「柳沢さんは、御隠尊猊下より一つ年下だけど、露払いとして一足先に逝かれた
のだろう」と語っていた。

 昭和二十二年五月、日顕(当時は阿部信雄)が本行寺の住職になった頃から、
柳沢は日顕の供養集めの片棒を担ぐようになった。「提灯持ち」と陰口を叩かれ
ながらも、日顕の顔色を窺いながらゴマを擦る以外には何一つ取り柄のない
無能な男であった。

 特に、平成四年三月に連合会委員長になって以来、それまで宗門外護に徹して
きた学会に対して罵詈雑言を浴びせるなど日顕の広布破壊のお先棒を担いできた。

 なかでも悩乱した日顕が大客殿、正本堂を解体するや、その意を受けて客殿・
奉安堂建設の供養収奪に狂奔した。

 その「ご褒美」として平成十年三月二十五日には、分不相応の総講頭の任命を
受けたのである。

 その後、阿部信彰らと各地を回って、自分達は何もしないが法華講員らに対して
は折伏、それに結集大会、夏期講習会などの結集、登山の強要のため大声を
張り上げて発破をかけ、更には御影堂の修復工事などと理由をつけて特別供養を
搾り続ける宗門のお先棒を担いでいた。

 講頭会等で「もう供養するお金がないんです」「本山だけではなく、自分達の
お寺だって補強する必要がある」「経済的に大変に厳しい」「年に何度も登山
するのは苦しい」等々の苦情には一顧だにせず、一喝しては供養を集め、法華講
員を苦しめてきた柳沢の言動は本紙で再三、報じてきた通りである。

 この柳沢が昨年四月十五日に総講頭・連合会委員長の辞表を提出すると、
あっさり受理され、その後任には早瀬日如系の永井藤蔵という茨城地方部長が
連合会委員長になった。総講頭は未だ空席のままである。

 柳沢は正法に出会いながら日顕の手先として供養と称する金集めと信徒苛めで
生涯を閉じた。今の宗門が日蓮大聖人の仏法とは全く無縁の邪教に転落した一因
を作った事は紛れも無い。


(参照画像)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/image/detail/comm_id/4276/id/1/
No.35002 要注意 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-04-29 13:10:35 ID:acfc466f7
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http://megalodon.jp/2012-0429-1306-55/8316.teacup.com/5555555/bbs

九州の乱関係者の掲示板にて組織外活動者募集の告知あり。
学会活動目的外の会館使用申し込みに要注意。
No.35001 【邪】 実録 これが現在の法華講員の折伏だ 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2012-04-29 11:54:12 ID:acfc466f7
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長野の化粧品会社の取締役樋田昌志さんが、法華講員向けの御書講義の中で
退転後、学会員宅を訪問して激高し警察沙汰になっていた事を自白しています。

(自己保身の謗法者を折伏しない者は智人・善人でも地獄に堕ちる 012 )
http://youtu.be/VDLoqH9E7o4
注:リンク先はYOUTUBEの動画です。

現在の法華講員の折伏がどのようなものなのかとても参考になりますので、
法華講の救済、また会員警護の任を担当されている方は視聴してみては
いかがでしょうか。

日顕宗門徒は境涯を高めないまま、学会員宅を訪れ折伏しているのですから
「修羅」そのものです。
「日顕上人」と言わなかっただけで訪問先で大騒ぎをし警察を呼ばれた事を
悪びれもせずに、当然のことをしたと言わんばかりに開き直って他の法華講員
に伝授しています。

ちなみに
日蓮大聖人は天台大師の公場対決の様子を紹介され御書に記されています。

/////

而れども智顗(ちぎ)法師は末座に坐して/色を変ぜず言をあやまらず/
威儀しづかにして諸僧の言を/一一に牒をとり言ごとにせめかえす   (報恩抄)

(現代語訳)
(公場対決で罵詈雑言ではやし立てる南三北七の邪師たちを前に)
智顗法師(天台大師)は末座に座ったままで顔色も変えず、言葉も静かに
威儀を正して諸僧の主張を一つ一つ取っては責め返したのである

/////


この後、天台大師は謗法の坊主たちを「法華経が他の経文より劣るという文証を
出せ」と責められ、坊主たちは反論不能に陥ったと書かれています。

日顕宗門徒の程度の低い「折伏行」とやらとまったく様子が違いますね。

終盤樋田さんは妙観講の大草の談話を紹介し、法華講員を批判するものに対して
怒りがわかないほうがおかしいと、重ねてケンカ腰での折伏法が正しかった
かのように自己保身を図っています。

日蓮正宗門徒の中でも樋田さんを中心とするグループは現在インターネットを通じて、
他地域の寺院所属の法華講員たちにも、イチャモン折伏行を推進しているのが実情
です。危険な法華講員が徘徊しているのは長野や東京だけではありません。

極右まがいの若者が学会員宅を狙っています。

見知らぬ法華講員がやってきても、絶対に個別応対してはいけません。
トラブルにまきこまれかねませんので、お約束どおり門前払いをしましょう。



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