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第一章
005
 俺とルルは手短に支度を済ませて一人暮らしのマンションを出た。幼い頃に両親を亡くして天涯孤独の身というわけではなく、高校進学を機に転勤族の父から提案された定住を選択しただけである。当時は母も残るという流れだったが、どうせならと一人暮らしを敢行したのだった。

「お店って遠いの?」
「いや、近くにあるショッピングモールだから徒歩十五分くらいだな」

 歩きながら他愛もない会話をする。一日の締めがセックスならともかく、一日の始まりがセックスというのは微妙だ。マラソン大会に備えて当日の朝に十キロ走ってから参加するような残念感。というか単純に二度抜きされて賢者モードが長引いているだけかもしれないけどな。

「ふーん」

 きょろきょろと辺りを見回しながらルルは先行する俺に付き従ってくる。誕生日に可愛い女の子と二人で出かけるなんていうのは、男子高生なら誰もが憧れるシチュエーションなのだろうが、その相手が夢魔と名乗る得体の知れない美少女なら状況は大いに異なる。

「そういや翼や尻尾はないんだな?」
「標的の理想に合わせるんだから当然でしょう? それともあんた翼や尻尾を生やしてたほうが興奮するの?」

 ふりふりと尻と背中を見せてくる少女に俺は妄想を膨らませた。露出の多い服装に翼と尻尾ならありかもしれないな。さすがに清楚なワンピースに似合うとは思えないけどさ。

「いや、まあ、ともかく今はいいよ」
「あっそう」

 ルルは特に深読みすることもなく引き下がる。しばらくしてショッピングモールに到着した。休日の昼間ということもあって、若者から家族連れまで様々な層で賑わっている。

「ねえ、あの店に寄っていい?」

 不意に声をかけられて振り向くと、少女はパスタの専門店を指差していた。

「腹が減ってるのか?」
「はい?」

 どういうわけか絶対零度の視線を向けられる。いい加減その敵対心を下げてくれないか?

「なんでそんな顔になるんだよ。普通のことしか言ってないだろ?」
「魔界と人間界じゃ普通の基準が違うのかもしれないわね。腹が減るなんて意味不明を通り越して摩訶不思議の表現だもの」

 ルルは立てた人差し指を振りながら説明する。ただ罵られるだけなら勘弁してほしいが、夢魔の特性についてなら食い付いておくべきだろう。

「それってさ、なにも食べなくても生きていけるってことか?」
「んー、それは難しい質問ね。人間から精子を搾取するときに精気も吸収してるのかしら? どちらにしても食べなかったら死ぬなんて感覚とは無縁だけどね」

 危ない薬に手を出しているんじゃないかと疑いたくなるような発言だが、傍らを歩く少女の真剣な表情を目の当たりにすると反論する気にもならない。精気を吸収しているかもしれないという言葉もこの際聞き流そう。仮に本当だとしても数回のセックスで死にはしないだろうからな。

「なんかセックスと食事が同義みたいな感じだな」
「んー、そうかもしれない。ともかく空腹の感覚がよくわからないのは確かよ」

 あっけらかんとした表情で少女は答える。とりあえず今は普通に対応するのが得策だろう。俺は財布の中身を確認しながらルルに告げた。

「それじゃあ、あの店に入って飯にしよう」
「なんか気味が悪いくらい従順だけど下心はないでしょうね?」

 清楚なワンピース姿の少女は半眼で睨み付けてくる。なんて賢しい奴だ。こっちは最大限の気を使っているというのにさ。

「断じてない。機種変更だけで直帰するのもあれかなと思っただけだよ」
「それじゃあ、さっさと入店しましょう」

 俺の話なんぞ聞いていなかったようにルルは歩き始めた。それならそれでいいさ。毎度毎度突っ込みを入れる気力はないからな。俺は嘆息を漏らしながら少女の背中を追いかけた。

 驚天動地の出来事が起こったのは件の店に足を踏み入れた瞬間だった。

「お一人様でしょうか?」

 胸を強調するために作られたとしか考えられない制服に身を包んだ女性店員が指で数を示しながら問いかけてくる。俺は状況が飲み込めず首を捻ることしかできない。傍らに立つ金髪少女に視線を移すとルルは唇に人差し指を当てながら片目を閉じた。

 そこでふと少女の言葉が蘇る。夢魔は――無関係な人間に見えない。

 くらくらと目眩を起こしそうな感覚に囚われたが、しかし今起きている状況はそれ以外に説明が付かない現象だろう。つまり俺に見えている少女の姿は店員には見えていない。事前に話を聞いていたのだから当然と言えば当然なのかもしれないが、やはり聞くと見るでは大違いというか、この奇妙な感覚は実際に体験しなければ伝わらないだろう。

「あの……お客様?」

 女性店員は訝しげな表情を浮かべる。俺は慌しく応じることしかできなかった。

「え、あ、はい、すいません。一人ですが大丈夫でしょうか?」
「もちろんです。ではこちらへどうぞ」

 随分と心の広い店員だったようで変な悪い客が来たというような反応は見せない。俺は店員に案内された二人掛け席の一方へ腰を下ろした。ルルは興味深そうに周囲を見回しながら対面に着席する。俺は周囲に聞こえない程度の音量で言葉を絞り出した。

「本当に俺以外には見えないんだな」
「だからそう説明したじゃない」

 少女は不満げな表情を浮かべて腕を組む。夢魔には常識なのかもしれないが、こちらにとっては超常現象なのだ。しかしここで不貞腐れても仕方がない。俺は新たに浮上した疑問を解消することにした。

「というかさ、その状態で食事できるのか? ここで透明人間みたいに物が勝手に動くような現象は危険だぞ。間違いなく注目を集めることになるからな」
「透明人間ってなによ? というか透明な時点で人間じゃないわ」

 可愛い顔して口の減らない少女である。しかしまあ、確かに一理あるかもしれない。俺はやれやれという風に肩をすくめながら答えた。

「創作上の人間と理解してくれればいいさ。透明だから物が勝手に動いてるように見えるし、食べ物が消化されるところまで――って飯を食う前にする話じゃないな」
「ふむふむ。でもそれなら私は大丈夫よ。口に含んじゃえば見えなくなるからね」
「はい?」

 頭の上に疑問符でも浮かべていたのだろう。ルルにしては珍しく親切に語を継ぎ足してくれた。俺は運ばれてきた冷水を口へ運びながら耳を傾ける。

「あんたにもわかりやすいよう説明してあげるわ。つまり今ここで勃起したチ○ポを手でしごいていたら店員に屈まれたとき危ないんだけど、フェラチオならズボンのチャックを閉め忘れたのかなくらいで済むわけよ。もちろん私が根元まで咥えた場合だけどね」

 口に含んでいた水を吹き出しそうになったが、俺は金髪少女の言わんとすることを大体理解できた。要するにこういうことだろう。俺は立てかけたメニューの位置を反対側へ移動させた。

「食べる瞬間の死角だけ作ればいいんだろ?」
「ん、まあ、食事なんて二の次だからどうでもいいのよ」
「それじゃあ、どうしてこの店に入ろうなんて提案したんだ?」
「だってほら、ここの店員すごくエッチな格好してるじゃない!」

 そう言って夢魔の少女は屈託のない笑顔を浮かべた。発言内容はともかく、俺は同意せざるを得ない。これまで誰にも理解してもらえかった性癖を、眼前の少女なら認めてくれるのではないだろうか? しかしまあ、俺が次に発すべき言葉は決まっていた。

「なんで透明人間を知らないくせにフェラチオとかエロ用語は知ってるんだよ?」
「だから勉強してきたって言ったでしょ! あんた脳に業務停止命令でも出してんの?」

 本当に酷い言われようだった。言い返す力まで根こそぎ奪われるぞ。ともあれ機会があれば俺の趣味を披露してみるのもありかもしれないな。そんなことを考えながら俺はメニュー表からぺペロンチーノを選択するのだった。

 もちろん食事を済ませてあと本来の目的である携帯の機種交換も無事に成し遂げてから帰路に着いた。そう言えば随分と久しぶりに有意義な誕生日を過ごせたかもしれない。


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