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報ステの再稼働報道の絶妙 - 山田啓二が細野豪志を論破
昨夜(5/21)の報ステの原発報道は、先週末からの動きがコンパクトに整理され、報道として適切で充実した内容だった。橋下徹の「期間限定での再稼働」の提案に対して、藤村修が否定的な見方を示した発言を取り上げ、政府の再稼働容認方針が、その根拠を需給からコストへと論点を移している点を指摘。さらに、再稼働の判断基準が、安全性第一(2月)から需給状況(4月)に変わり、遂にコスト増(5月)へと二転三転する様を、枝野幸男の会見映像を編集で繋いで紹介、政府説明の矛盾と欺瞞を経過を追って見事に検証していた。実に分かりやすい。テレビ報道のファインプレー。先週の需給検証委の報告とエネルギー環境会議の決定によって、政府は、節電対策で需給はクリアできるという立場に立たざるを得なくなり、再稼働の必要性の説得と論証において、もはや需給で理由づけることができなくなったのである。再稼働の政治において、政府は矛盾だらけの満身創痍であり、論理的には八方塞がりに追い詰められている。4日前、御用放送局のNHKを使い、野田佳彦が強気に強行突破を宣告したが、権力的にはフリーハンドを握っていても、国民への説明の点では政府は立ち往生の窮地にある。昨夜の報ステの再稼働報道は、政府を監視するジャーナリズムの本領を発揮し、国民を代弁して政府を追及する野党の姿を見せていた。


3日前(5/19)の朝日の社説での反撃、昨日(5/21)のテレ朝の一撃と続き、再稼働めざして勝負に出た政府の攻勢は、言論の政治戦の戦場において、すっかり相対化されて威勢を挫かれた感がある。昨夜の報ステは、もう一つ決定的な場面を見せていた。5/19に開催された関西広域連合の会議において、首長を説得するべく政権から派遣された細野豪志が、論戦で山田啓二に完膚なきまで論破され、致命的な失態を演じていた事実である。この場面は、土日のNHKのニュースでは放送されなかった。NHKでは、細野豪志の「十分に説明できた」という会議後のコメントが流され、橋下徹の期間限定再稼働の提案だけに説明のポイントが当てられていた。実際には、NHKが切り取ったような中身とは違っていたのであり、主役は山田啓二だった。まず、四閣僚会議で決定したものは安全基準なのかどうかという概念判断を山田啓二が質し、それなら、なぜ原子力安全委が関与してないのかと問い詰める。細野豪志がしどろもどろになりつつ、原子力安全委には規制基準を決定する権限はなく、権限があるのは政治決定の機関だという苦しまぎれの応酬をする。それに対して山田啓二が、それは事実誤認であり、法律には原子力安全委員会が安全規制に関する政策を決定すると書いていると反論する。おそらく、山田啓二の異議の論拠は、原子力委員会及び原子力安全委員会設置法の第13条と思われる。

この一幕は痛快だった。報ステの映像は、その直後の細野豪志の狼狽は見せなかったが、こうして法律論で武装された批判には詭弁で反駁しようがないのである。山田啓ニの完勝だったが、報ステの映像は、和歌山県知事の仁坂吉伸の止めの一撃を撮っていた。曰く、この法律の意味は、専門技術に無知な政治家に勝手に安全基準を作らせないため、こうして条文に原子力安全委の所掌が明記されているのだと。この日の細野豪志は、論破の嵐を受けて半ば吊し上げ状態であり、首長たちの前で惨めな赤恥を晒していたのだ。この場に詭弁屋の枝野幸男の顔があれば、どんな展開になっていたかと想像すると愉しい。枝野幸男は、どのような法律解釈を披露して応戦しただろう。首長たちが抗議するとおり、政府の再稼働の「安全基準」なるものは、内容も安全基準と呼べる代物ではなく、法的な正当性もないもので、現政府が「安全基準」と称してマスコミで宣伝させている捏造物にすぎない。現状、政府の再稼働策は、言わば丸裸の状態にあり、どこからも正当化できない無理筋の政策になっている。強行すれば権力の横暴として非難を浴びるだけだ。こうした中、原発推進派の動きとして、昨日(5/21)、産経とフジの世論調査が出て、「再稼働させてよい」が51.5%、「思わない」が43.6%だとする記事が流れた。情報戦の窮地を打開して形勢を挽回したい原発推進派の焦燥が滲む一手。

苦笑させられるのは質問内容で、これは「大飯再稼働に賛成か反対か」を訊ねていない。記事を見ると、「電力不足なら安全が確認された原発は再稼働させてもよいと思う」と回答したのが51.5%である。こうした質問設計なら、「思う」が「思わない」より多い結果でも無理はないだろう。最初に「再稼働に賛成」が多数であるという「事実」を宣伝したい意図があり、そこから質問設計に細工して数字を作っているのであり、プロパガンダ目的の世論の捏造である。こうした「数字」を作り、テレビの政治番組で利用する思惑で、「再稼働賛成が多数という世論調査もある」という反論のアリバイ工作だ。そもそも、「安全が確認された原発」などあるのか。まさに「安全の確認」が問題になっているときに、このような架空の存在を恰も実在するかのように前提して、世論調査で質問するのは無効で無意味だろう。悪質な世論操作であり、政府の再稼働強行策を支援する狙いが透けて見える。この産経の「世論調査」では、「政府や電力会社が示す電力需給の見通しを『信頼できない』とする回答は75.7%に達し、『信頼できる』が18.6%にとどまり、政府や電力会社に対する根強い不信感が浮き彫りになった」とある。それなら、政府が大飯を「安全が確認された原発」とする判断についても、「信頼できる」かどうか問うべきだろう。産経の世論調査は、政府を叩きたい意図と再稼働を擁護したい意図が混在して矛盾している。

しかし、昨夜(5/22)の報ステを見ながら、つくづく思わされたのは、現在の国会と既存政党の無意味である。特別委員会での質疑の模様が映され、伊吹文明と鴨下一郎が傲慢で野蛮な物言いでごたくを並べ、それに対して野田佳彦がペコペコと平身低頭で卑しく媚び諂っている。石原伸晃の「腹を切れ」の恫喝もそうだった。国会の自民党というのは、一体どういう存在なのか全く意味が分からない。国会を占拠した俗物ヤクザと言うか、ママゴト遊びの右翼のクーデター軍のようであり、面白半分に嗜虐趣味で「国会論戦」をやってマスコミに撮らせている。その基調は軍国主義の右翼思想と自己責任の新自由主義。私から見て、今の自民党は蒸発して消えて構わない無駄で害毒な政治的存在だが、その自民党が、世論調査では最大の支持率を誇る政党だ。連中の倨傲には根拠がある。国会は国会ではないものに変わった。形骸化などという言葉では表現できない窮極の惨状に朽ち果てている。報ステが、ずっと開かれてなく空室の委員会室が並ぶ国会の中を映し、古舘伊知郎が「どう考えても異常だ」と言う。その言葉に視聴者の誰もが納得する。自民党と民主党の間に対立はなく、民主党の内部に意味のある政策対立がある。だったら、早く民主党主流派は自民党と一緒になり、実のある国会論戦をしろと、そう古舘伊知郎は、我慢できない調子で言いかけたが、その憤懣に視聴者の多くが共感を覚えたことだろう。

テレビを見ながら、私は気づくのである。こうして、廃墟と化した国会の愚劣な「論戦」の図を直視して、古舘伊知郎の鬱憤に小さなカタルシスを覚え、人が何とか気分をやり過ごすたびに、橋下徹の支持率が上がって行くのだ。赤狩りと組合潰しの思想調査や、口元チェックの国歌強制の人権侵害や、子どもの発達障害は親の愛情不足が要因だと決めつけた家庭教育条例や、小林よしのりと中野剛志を口汚く罵り嘲った事件や、MBSの記者を暴虐に難詰して辱めた事件や、他にも数え切れないほどの異常な罪業を重ねながら、こうして橋下徹は息を吹き返し、下降するかに見えたポイントを積み上げ、再び期待が集まる英雄の地位を維持し続けるのである。永田町への幻滅と霞ヶ関への怨念が、毎日のテレビ報道で増幅され、自動的に橋下徹への支持率として変成され回収される仕組み。それは、国民の立場からすれば仕方のない現実なのだ。確かにテレ朝は橋下徹の応援団で、昨年から一貫して橋下徹の美化報道を続け、橋下徹に都合の悪い情報は一切出さない姿勢が明確だが、しかし、あの国会質疑と関西広域連合の会議を見れば、どちらが正常な政治かは歴然なのであって、国民の生活に関わる重要で真摯な議論は、明らかに後者の場で為されているのである。一般国民が、後者の論戦を国会でやれと要求するのは当然だろう。橋下徹の人気の構図とはそういうもので、湯浅誠が皮相的に論評するような、大衆の不満がどうのという一般論に解消されるものではない。

大衆の不満と鬱屈は、リストラや就職難や所得減や生活苦もあるけれど、実はそれ以上に、国民に選出された議員が国民のために政治をせず、国会審議をサボり、国民など眼中になく、税金を浪費している点こそにある。日々の永田町報道が、即そのまま、逆作用として橋下徹の宣伝広告になるのだ。この状況が続くかぎり、どれほど時間が経っても、橋下徹が飽きられるとか、大衆の興奮が醒めるとか、トリックスターへの一過性の熱狂が萎むという進行にはならない。橋下徹はヒトラーだから、権力を渡せば悪夢の事態が到来する。それは事実だ。その予測は正確だ。しかし、だからと言って、より悪くない方(less worse)の選択の論理で、現在の民主党と自民党の国政環境を続ける方を選んで堪え忍べと言っても、それは国民の精神衛生には耐えられない負荷なのである。フランス国民がサルコジにNoを突きつけたように、国民は浮薄な二大政党にNoを突きつける。投票箱に一票を入れる者の立場と心境を想像すればいい。単純な政策争点の選択ではなく、それは一個人の復讐なのだ。自分たちを欺き、苦しめ、テレビで傲り高ぶっていた鉄面皮の者たちへの鉄槌ではなかったか。例えば2008年の参院選、2009の衆院選を思い出せば、一票はそのような動機で投じられたものであったはずだ。投票日の一日だけ、われわれはこの国の主権者様となり、傲慢な詐欺師である政治家たちと対等に喧嘩できるの立場に立つ。

而して、橋下徹の暗黒のファシズムを阻止するためには、新勢力を立ち上げて選択肢を作る以外にないのだ。


by thessalonike5 | 2012-05-22 23:30 | Trackback | Comments(1)
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Commented by カプリコン at 2012-05-22 22:13 x
 出勤時間が早く、朝、新聞を読む時間がないので、夕食後、読んでいるのですが、「週刊現代」の広告には、唖然とさせられました。

 まさに「橋下礼賛」てんこもりの号のようですね。ぶち抜き大特集20ページなそうです。「橋下徹の敵と味方」「渡辺淳一〜橋下君に総理をやらせてみたらどうか」「橋下総理に日本のここを変えてもらいたい」「橋下の脱原発を潰したい電力会社とその仲間達」。
 平気で憲法を踏みにじり人権を蹂躙するようなことをする市長が脱原発で持ち上げられ、既存の政党に不満を持つ人々の鬱憤の受け皿になり・・・。

 本当に今度の選挙が怖いです。

〈而して、橋下徹の暗黒のファシズムを阻止するためには、新勢力を立ち上げて選択肢を作る以外にないのだ。〉
 
 同感です。私が、出来ることは,橋下の異常さを周囲に伝えることとぐらいです。今回の記事は、教職員組合の方にも読んでもらおうと思っています。
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