赤木智弘の眼光紙背:第224回
お笑いコンビ「次長課長」の河本準一の親族が生活保護を受給しているのは不正受給である(*1)として、自民党議員の片山さつき(*2)や、世耕弘成(*3)が非難をしている。
この二人がでしゃばってくるのは予想通りで。生活保護の不正受給という、ある種の人たちにとっては極めてキャッチーな話題に口を出しておくことが、彼らの人気にすがるしかない両議員にとっての最善手なのだろう。全く情けない。
それはそうと、法的には扶養の義務というのがあって、最大で三親等までの面倒は見なければならないらしい。そして生活保護も、本来はその三親等の中で、誰かが扶養しなければならないという。
でもそれっておかしくないか?
だって、身内に貧乏な人間がたくさんいたら、その中の一人がいくら頑張ってそれなりのお金を稼げるようになっても、貧乏な親戚に引きずられて、稼ぎを奪われてしまうわけでしょ。本来そうした貧困の連鎖などを防ぐのが社会保障の役割であるはずが、これでは生活保護制度が貧しい人を貧困に押し留めるという、真逆の役割を担ってしまっていることになる。
だいたい、今の日本で三親等までの親族を養えるような稼ぎを得ている人なんて、どれだけいるのか。片山さつきや世耕弘成のところに、何家族もの親族が寄ってきて「俺達の面倒をみてくれ」と言っても、彼らは無理だと突っぱねるだろう。
今回のケースの場合は、人気お笑い芸人の河本準一ということで「金を持っているくせに!」という僻みにも根拠があるように思えるかもしれないが、普通の年収400万円程度の正社員に、親族全体の扶養を課すような法律自体がおかしいのである。
かつての大家族の時代、かつ高度経済成長期においては、親族のうちの数人が貧困に陥ったとしても、親族で支えることもできただろう。しかし現在の核家族かつ不況の状況では親族にそのような余裕はない。
ならば、そうした人達を支えるのは、当然国の役割である。国はその役割を果たすために、全ての国民から税金を徴収し、それを分配する権限を持っているのだ。それを生活保護という当然のことに使わなくて、一体何に使うというのか。
国としての役割を国が果たそうとすれば、現状の親族単位で考える生活保護のあり方は間違っているといえる。人が家族というくびきから解き放たれ、個人としてパフォーマンスを発揮していこうとするときに、国が親族の世話をさせようとして、その足を引っ張るのではお話にならない。
それはけっして生活保護の話だけではなく、介護の問題なども同じである。家族の介護のために本来であればいろいろなことができるはずの人を、家に押し込めるのはとても不合理だ。そのために支援をするのも、国の役割のはずである。
しかし、そうした国の役割を、国の役割を決定して担う立場であるはずの国会議員が否定して、あまつさえ受給者を非難するという、とてもではないがお話にならない状況が産まれている。
もっとも、そんな状況だからこそ、不況の日本はいまだ復活の兆しを見せず、沈んだままなのだろうなぁと、実に悲しい納得をしてしまった。
*1:
吉本興業が声明を発表。 - BLOGOS(ブロゴス)
*2:
河本準一氏の「年収5千万円、母親生活保護不正需給疑惑」について、厚労省の担当課長に調査を依頼しました。(片山さつき) - BLOGOS(ブロゴス)
*3:
高年収タレントの親族の生活保護受給問題:本人の説明が必要(世耕弘成) - BLOGOS(ブロゴス)
プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)
1975年生まれ。自身のウェブサイト「
深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。著書に「
若者を見殺しにする国 (朝日文庫)」など。
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@T_akagi - Twitter
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