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皇室全般画像掲示板
佐伯 その写真は、美智子さんが天皇陛下(昭和天皇)に婚約のご挨拶に伺うときに着るドレスを試着した姿を写したものです。婚約発表予定の(1958年)11月27日の日中に配る号外に載せることが決まったので、前日の26日にすでに印刷された号外を美智子さんの自宅に届けに行きました。 写真は、26日の2、3日前に東京・五反田の高台にある正田邸内で撮ったものです。「いつもの秘密のルート」を使って午後の早い時間帯に正田邸に入ったところ、ちょうどドレスが三越から届いて、美智子さんがお手伝いさんと一緒に試着し終わっており、その部屋へ通されたのです。1階の応接室の隣室だったかな。(続く) ↓http://www.j-cast.com/2012/04/27127996.html
佐伯 「今、着てたとこです」と明るく話す美智子さんの白いドレス姿がとてもきれいだったので、「1枚お願いします」と声をかけると、ちょっと斜めを向いてポーズを取る風を見せてくれたので、小型のオリンパス・シックス、いや、もうニコンに変えてたかな、でパシャリと撮った。フラッシュはたかなかったな。ぼくは写真は下手だったんだけど、正田家の人は、朝日新聞の人間でも、早くから接触していたぼくしか家に入れてくれなくて、カメラマンは入ることができなかったんだ。 フィルムを社に持ち帰ると、そのドレス写真が婚約発表当日の号外を大きく飾ることが決まり、美智子さんたちも喜ぶだろうと、26日の朝早く、いつものルートで正田家へ配る前の号外を持って行ったんだ。応接間で美智子さんと母の冨美(後に富美子に改名)さんに号外を見せると、突然美智子さんが、わっと泣き崩れた。こっちも気が動転してよく覚えてないが、美智子さんは両手で顔を押さえていたように思う。どうしたのかと戸惑っていると、冨美さんが「佐伯さん」と声をかけてきた。
何が問題だったのですか。佐伯 号外写真の美智子さんは、頭から肩にかけて白いショールをかけていた。それを見てボクは「いかにも花嫁さんみたいできれいだ」と思ったのだが、そのショールについて冨美さんは「こんな格好をするのは礼拝のときのカトリックを連想させるの」「ただでさえうちは(聖心女子大出身ということもあり)カトリックではないかと(皇太子妃は旧華族出身者であるべきだと考える守旧派から)疑われているのに」とすっかり困惑した様子で話した。冨美さんはさらに、「この写真が表に出れば(婚約に)反対の声が大きくなり、大変なことになるかもしれない」として、「この号外は取り消して頂けないか」と、おろおろした感じで語りかけてきた。
佐伯 いやあ、ほとほと困った。もし本当に破談になれば切腹ものだとも考える一方、もう号外も販売店へ運び始めてるだろうから今から刷り直し、というのも大事(おおごと)だなと。気があせっていて、その場で何と答えたか覚えてない。早々にその場を退散したようだ。ただ、配られるのは翌日の婚約発表後のことだし、どこか「大丈夫だろう」という思いもあった。結局、会社では誰にも相談しなかった。ぼくは当時27歳で、若さゆえの大胆さだったのかもしれない。
結局、号外は問題を引き起こしたのですか。佐伯 いや、何もなかった。冷静に考えれば、礼拝時のカトリックだけじゃなくて、結婚式でドレス姿にショールというのはあり得るわけだし、別にイコールカトリックという格好じゃない。美智子さんたちが神経質になっていただけなのかもしれない。実際、26日朝以降は、26日夜の正田家再訪時を含め何も言われなかったし、27日の発表後に美智子さんに会ったときは、ニコニコしていて何もなかったかのように接してくれたのでほっとした。その後も問題になることはなかった。
http://megalodon.jp/2012-0515-2354-58/www.j-cast.com/2012/05/06128502.html?p=all婚約発表の日の美智子さま 記者はご実家の中からお見送りした -抜粋−発表当日の朝も正田家内に――ご婚約発表(と報道解禁)当日の1958年11月27日昼過ぎに、美智子さまが正田邸を正面から出られる際には、取材ヘリコプターも飛び、当時の写真などから判断すると少なくとも60〜70人以上は報道陣がいて写真撮影をしていたようです。そんな中、佐伯さんは正田邸の部屋の中から美智子さまを見送ったそうですね。
天皇家の惨状は二代続いたアバズレ女が我が物顔でのさばっているからだ、という事がこの記者の記述からわかる。
>ID:WzQ6UAVc No.485210 >天皇家の惨状は二代続いたアバズレ女が我が物顔で>のさばっているからだ、>という事がこの記者の記述からわかる。雅子に関してはそう言えるけどね。 どうしても美智子皇后を貶め、一気に皇室の力を弱めようと言う、反日、反皇室の勢力の勝手な言い分が、手にとるようにわかるよーーー>ID:WzQ6UAVc
「いつもの秘密ルート」ってな〜に?どっからどうやって正田邸に入ってたのー?美智子様、佐伯さんお答えになって。
あれ〜〜〜
このドレスの時も23、24日にドレスを「試着し終わった」美智子さんの部屋にわざわざ記者を通している。一記者だけなんだってこんなに優遇されたのか本当に謎。恩師の紹介だなんだいっても食い込み方が異常ですね。
ナルは限りなく黒に近いグレーっ子だわね。美智子も佐伯も結婚2週間で実家に自由に出入りし始めてるし。女官は実家の中までは入れない。
何のつもりでこのエピソードを披露するの?美智子さんも佐伯氏も頭がオカシイ。
一種の売名行為かもしれないね。
>何のつもりでこのエピソードを披露するの?ここのところの(ど平民らの)美智ー小和田ラインの追求の激しさに雅子にたいして腰が引けはじめてる美智子を脅してるんだよ。おらおら、雅子から手を引いたら洗いざらいぶちまけっぞ、ってねwユスリカってやつですか?
秋篠宮さまの鴨桜伝説と同じで、在りもしないことで強請りもなにも成立しませんよ。自信があるなら、血統が根拠の天皇位継承に重大な疑惑があるとでも公的に主張したらいいのに。
>ID:kQYpkszY No.488092 >秋篠宮さまの鴨桜伝説と同じで、在りもしないことで強請りもなにも成立しませんよ。>自信があるなら、血統が根拠の天皇位継承に重大な疑惑があるとでも公的に主張したらいいのに。あらあら、美智子の出自(父方=同和+サンカ疑惑 母方=同和+支那疑惑)の疑惑の時と、同じ事を言っても国民は納得しませんよ!美智子の出自が、入内時国民に示した粉飾された物が正しいのなら、それを国民に示せば、瞬く間に疑惑など雲消霧散するのに、ご自分たちで過去帳などを発表して(壬申戸籍は昭和の中頃まで閲覧可能w)、疑いを晴らすのでなくて、疑問を持った国民が晴らすべきだと、居直っていた時と同じ構造ねww。
>ID:fjCJw7cw No.488153 あんまり出鱈目を言いたい放題やっていると、「○落民出身が何をほざく」っていわれちゃうよ、優美婆。
美智子さんって母方祖母のご実家の苗字公表されてないんですよね。それって凄くないですか?
>>美智子さんって母方祖母のご実家の苗字公表されてないんですよね。それって凄くないですか?信子さんって母方曾祖母(吉田茂の生母)が素性も分からないらしいですけど、それって凄くないですか?貞明皇后って実母の出自が全く不明らしいですけど、それって凄くないですか?
香淳皇后の母方祖母の山崎寿満子に色盲の遺伝子があったらしいですが、それって凄くないですか?母方祖父・島津忠義は町人出身のお由羅の方の孫らしいですが、それって凄くないですか?
OWD家って三代前の素性もわからないらしいですよねそれって凄くないですかw
貞明皇后も信子さんも華族の血筋の人だ。その血が一滴も流れてない平民女が初の皇太子妃として入内するのにたった2代前の人間の素性が知れないというのは問題。当時において平民出身=信用がない のだからせめて母方祖母の素性ぐらい明かさないとね。明かせなかったんだよね。
雅子は父方が三代前が不明美智子は母方が2代前が不明似たもの同士
>>信子さんも華族の血筋の人だ。信子さんは麻生セメントのお嬢さんですよ。母方祖母(吉田茂の妻)は薩摩藩士・大久保利通の二男、牧野伸顕の娘。牧野が華族(伯爵)になったのは大臣になった最晩年。
吉田茂の実母は和歌山出身の芸者さん、野間幾子は公家侍の娘じゃなかったかな。どっちにしても日本人だからね、半島疑惑の雅子やシナ疑惑の美智子と比べちゃイケナイ。
美智子さんや雅子さんの出自疑惑は日本人ではないのかも、と疑われている訳ですからね。
血筋だけの問題じゃないんだけどねえ。吉田首相や貞明皇后の場合は 生母が外腹であっても養育教育した人間がしっかりした人間であることが前提なの。でも美智子の祖母はどこのだれか(日本人じゃない可能性も大)わからない人間。その誰だかわからない女が育てたのが美智子の母親=冨美子その冨美子が育てたのが美智子、という下品の連鎖が問題となっている。
母方祖母の苗字が不明って不思議ですよね。あの時代に海外に出る人って、今に比べれば遥かに少なかったでしょうに。渡航記録くらい残っていてもよさそうなものなのにね。
そんな人が天皇と同じ墓に入るつもりでいるんですから。
現在50代後半の日本人の曽祖父母は、よほどの早婚じゃない限り大抵が江戸時代の末生まれで、武家とか士分の生まれじゃなかったら苗字が無かった人の方が多いですよ。現に、吉田茂の実母だって苗字不明だし島津家の側室だったお由羅さまだって名前だけの人です。皇后さまの祖母だって、江戸時代末生まれの人だし嫁入りした後、実家が無くなっていたら苗字不明でも仕方ないと思いますし家系図なんて、男系中心で作成されてその妻なんてよくて名前だけ記載して終わりだしね。
>ID:PNbfZJXE No.488402それだけじゃないから、問題なのですよ。正田富美子さんは、日本のウィキペディアには、記載されないのに、何故か支那のウィキペディアには、記載があるのですよ。(http://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E7%94%B0%E5%AF%8C%E7%BE%8E%E5%AD%90)不思議ね…美智子の入内時、宮内庁のお偉い方が、絶句された出自らしいですよ。
祖母の名字が不明って珍しいでしょう。
苗字がなかったわけではないんですよ。許可なくして苗字を名乗れなかっただけで、隠し苗字を持っていました。商家などは、隠し苗字を屋号にしたりしてましたね。
>現在50代後半の日本人の曽祖父母は、よほどの早婚じゃない限り大抵が江戸時代の末生まれでテキトーなこと書いてるんじゃねーよw つまんないごまかしでどうにかなる程度の人間はここにはいないんだよ!冨美子婆は大正生まれじゃないか。 大正生まれの人間の母親がどうして江戸時代の生まれになるんだ?お前明治時代が何年あったか知ってるのか?小和田の爺さんみたいに11歳で2児の父親とか、その手のごまかしが美智子の家にもあるってことだ。
中国語WIKI:「參考資料 * 《美智子與雅子》。台北:台灣商務印書館,2006年。」http://www.pcstore.com.tw/dunnan/M01089481.htmーー台湾の人は皇室ファンが多いし、美智子さまの人気が高いから、こういう本が出版されても不思議じゃないですね。>>作者簡介齊濤1923年出生,國立中山大學畢業。曾任高校教員,台銀科長,日本「東京」雜誌編輯人,中央日報駐日特派員等職。曾獲中國文藝協會及亞洲作家會議頒贈獎章獎牌。現任世界華文作家協會日本分會長。著有:《今日東京散文集》、《日本深層》、《日本原形》等書,並有數百篇時論散見各大報刊雜誌。
李登輝(リー・テンフェ) も客家の出ですから、親近感があるのでは?