End-Users Side Diary
私はかつて、サミタ(サミー777タウン)で、あるチームに入会したことが切っ掛けで、チーム戦という競技イベントに参加することになった。これは週別に開催される運営のイベントとは全くの別物で、単純に言えば、メンバー全員(10名)の合計による月間の差枚数ランキングを各店舗、エリア、総合に分けて、競うものだ。当時、その獲得ポイントをBPと称していた訳だが。
当初、右も左も分からぬまま、私はメンバーの一員として、日々、機械割の高い機種を中心にチームリーダーから指示される通り、稼動させ、BPを獲得していった。当事の目標は店舗別ランキングで8位以内とか、その程度だった記憶している。そして、月末締めで集計される出玉に応じて、毎月、チームリーダーには運営から一括でメンバー全員のBPが付与される仕組みだった。このBPは変換することにより、様々な課金アイテムと交換出来た。その為、リーダー達の狡賢い1部には、このBPを誤魔化し、ちゃっかり懐に入れることは日常茶飯事だった。私のチームリーダーも当時のご他聞に漏れず、やりたい放題だったと記憶している。定期的にBPを分配しない為、途中で入退会したメンバー達はその存在すら気付いておらず、分配しようにも適正な分配方法すら、リーダーは管理していなかった。端から分配する気等、更々無いので、当然だろう。
一方、その頃、各メンバーは課金アイテムを使用して、この出玉ランキングに参加する以上、それに見合った待遇が無ければ、やがて、どこかでモチベーションを失うのは至極当然の事で、その事を悟り、次第に不真面目に稼動するメンバーと、それでも一生懸命チームのランキングに貢献しようと頑張って稼動するメンバーに2極化しつつあった。ちなみに当時の私の場合は、貢献しようと頑張っていたメンバーだった。
そこで、以前から疑問に思っていた私は、暫く経った後、このチームの実態について腹を据えかね、一度、サブリーダーに対して、この件について問題提起してみた。そんな中、メンバーの大半は無欲なのか、馬鹿なのか、揉め事が嫌なのか、課金アイテムを使用して、相も変わらず、せっせとリーダーへBPを献上していた。ランキング上位入りという名の下に・・・。そして、彼女(サブリーダー)に全てを話したところ、彼女自身も以前から、この実情を憂いていたようで、私の意見に賛同の意を示してくれた。
そこで私は考えた。それは今のチームの方針と規律を全て明文化し、その上で、了承する者だけが、チームに残るというものだった。これはリーダーの入替えを意味した。悪く言えば、クーデターである。しかし、何の為にチームは存在するのか?根本的な問題を問う行為でもあった。楽しく、ワイワイ適当に遊んで、それなりのランキング成績を残すことで良しとするのか、やるからはとことん上位を目指して、ランキング争いに積極的に参加し、究極を目指すのか。
私とサブリーダーが選んだ道は後者だった。似た者同士が考えたことなので、当然と言えば、当然の成り行きではあったが・・・。しかし、これを実現するには、先ず第一に大きな障壁があった。それはリーダーの人事権である。このゲームにおいて、メンバーの入会・退会を行うコマンド機能はシステム上、唯一、リーダーにしか付与されていなかった。
チームが新設できるなら、恐らく迷わず、そうしていただろう。しかし、当時はチームを新設することはシステム上、店舗枠等の制限があり、事実上、不可能であった。つまり、この計画を実現するにはリーダーを追放、もしくは人事権を掌握することが前提条件となる。チームとしての統制が取れず、好き勝手をしてメンバーから私服を肥やすリーダーを如何に排除するか・・・。下手に彼の機嫌を損ねれば、それこそ私自身やサブリーダーは彼からポチッと退会ボタンを押されて、一瞬のうちに追放されてしまう恐れがあった。とは言え、これといった奇策も思い浮かばなかった私は、彼を直接対話することを試みた。すると、彼は意外にもあっさりとそれに応じてくれた。しかし、その内容を知った彼は面食らったのか、かなり動揺している様子が窺えた。私も下手な弁舌で感情論に持ち込まれては、他の有力メンバー達の離散も招き、強いては一瞬でチームが完全崩壊してしまう危機を抱えつつつ、今までの経緯を一つずつ説明し、彼に釈明に求めると同時に厳しく追求していった。その間、他のメンバーは一切口を挟むことは無く、終始無言だったことは今でも記憶している。結果、私とサブリーダーの彼女は彼から退会ボタンを押されずに済み、彼と彼を支持するメンバー3名がチームから去ることとなり、私とサブリーダーの2名、中道派と賛成派の5名が残った。
しかし、それでも最終地点まではまだ道半ばだった。チームの綱領と規定・規律の草稿から起文、ランキングへのモチベーションを損なわない為、最大限の公正公平を記し、稼動機種や稼動条件や他チームの動向調査、BP獲得に対する適正な報酬率、又、不在時の連絡系統や手順、メンバーごとの担当等、事細かに煮詰めていった。これらは私ともう1名サブリーダー以外のメンバーを中心に行い、残りのメンバーの意見も取り入れながら、仕上げていった。その最中、条件が折り合わず、チームを去った者も2~3名いたが、私とサブリーダーは脇目も振らず、チームとしてのスタイルと志向を確立していくことにのみ、心血を注いでいった。
その後、退会したメンバーの欠員として、新たに有能なメンバーになりそうな会員に重点的に目星を付けては、片っ端から、声を掛けて勧誘して人材確保に奔走した。しかし、条件や制約が事細かく厳格なせいか、それは100名に声を掛けて、1名が面談に応じるといったペースで、その作業は遅々として進まなかった為、5~6名のメンバーを正式に集めるのに凡そ1ヵ月半もの期間を要した。面談に漕ぎ着けた後は、チームの綱領や規定を始め、ノルマも含めた子細を説明し、そこで全ての項目について同意を取った上で初めて入会を認めた。そこまで慎重にリクルートを行った理由は、公明正大に明文化されたチームの綱領と規定には誰もが従うという義務を負わせることで、後日、不平や不満の温床、災いとなることを避けたかったからだ。そして、最終的に完成したシステムは情報担当、作戦担当、参謀など、まるで、一つの会社か軍隊組織の様相を呈していた。そして、人員が全て充足し、事前研修のようなものが済んだ頃にはチームは完全な意思統一と統率力を得た一つの精鋭部隊と化していた。気持ちの悪いほどの戦闘集団の完成である。サブリーダーは投票の結果、リーダーに昇格し、私は彼女の指名によりチーム参謀を担当した。構想から、約2ヵ月後、こうして我々チームの快進撃は始まった。その目標は各店舗別でもなく、エリア別でもなく、総合ランキング首位であった。最初は肩慣らしで総合5位程度で十分ではという意見もあったが、闘争心の強いメンバー達が一同に揃っているせいか、そんな一部の意見はいつしか雲散霧消し、やるからには首位を取りましょう。という意見が大勢を占めていた。
チームとしての意思決定がなされたランキング争いの月初めから月末までの期間、メンテ時間を除いては24H×フル稼動の日々が始まった。それは1日3万枚前後の出玉をコンスタントに抜いていくという、容赦の無い勝負であった。序盤で競合する敵チームを大きく引き離すことは心理的作戦としては非常に有効な方法だった。とにかく、その為にはひたすら稼動させた。良い台が確保出来ず、効率的に出玉が抜けない場合に備えて、2垢3垢で、別の台でボーナスフラグを予め立てておき、状況によって、台移動したり、調子が悪そうなメンバーに優先的に振り分けていた。ここで采配を振るの私ではなく、作戦担当だった。その日のメンバーの出玉状況を可能な限り逐一把握し、的確な指示を飛ばし、常に最高の効率でメンバーが稼動するように日々のミクロ的管理をするのがその任務だ。又、日々の差枚数の集計は別の担当が行った。戦略担当は1ヶ月の目標差枚数ペースを週単位ごとに分析し、メンバーへのノルマ提示も含め、マクロ的管理をするのがその任務であった。具体的な稼動機種を各メンバーに割り振る等、総合的な戦略についてはリーダー、私、戦略担当の3名が中心となって行った。実質的なスコア要素となるBP獲得効率については戦略担当が原始的な手順で全て調べ上げ、当時は差枚数5000枚で精算することが最良のBP獲得法ということ以外、公式では未発表であった、1000枚~30000枚までのBP獲得分布も独自で調べ上げ、全ての精算はこの基準に則って、常に効率を重視した。
勿論、24H×30日の期間、終始手打ちなど身体が幾つあっても持たないので、それらの稼動の大半は、ほぼ全て課金アイテムであるオートプレイ券で賄った。オートプレイ券は当事のリアルマネーで換算すると、1枚辺り、600円~1000円位だったか。1日3万枚精算ともなると、24Hで5~6回前後の精算が必要となるが、実際は就労時間や就寝時間等も加味されるので、実質4枚前後を使用することが最も多かった。それでも運営が開催する定期イベントに比べれば、アイテムの消費量は湯水の如くであり、チームの戦績推移とは裏腹に、私は当月の課金額をチェックしては、その支払明細に目眩がしそうになることもあった。
そんな当初の月間ランキング争いだが、いつも上位にランキングされる強豪チームであっても、このような事情から、毎月真剣勝負に打って出ることはごく一部であった。確か当時は我々のチームを含めて、4チーム程が中旬~20日頃まで凌ぎを削っていたように記憶している。しかし、月末が見えてきた頃には我々チームが一歩抜きん出た為、他のチームも途中で諦めたようだった。その結果、終盤の数日間はほぼ消化試合のような形となり、、その月末、ついに念願の月間総合ランキング首位を獲得することが出来た。
しかし、その直後のチーム内の疲弊振りは散々たるものでまさに満身創痍であった。殆どのメンバーの当月の課金額は月末には数万円に膨れ上がっていた。これは事前にある程度、想定はしていたが、日によって台の調子が思うように上がらないと、その台の再選択する回数が何度も発生する。これにより思った以上に予算オーバーしてしまったメンバーは私を含めて、かなり居たようだ。体力も根こそぎ持っていかれた。仕事の合間や就寝時間を削ってでも効率的な精算に徹した為、身も心も疲れ果てていた。こんな状況では来月を連戦していく余力等、何一つ残っていなかった。 厳密に言えば、余力と言うより、気力が無かった。
その後、2ヶ月のクールダウンを置くことになり、迎えた3ヶ月目に再び首位を獲得した。その頃からだったと記憶している。いつしか、サブリーダーがぱったりと姿を見せなくなってしまった。その最中、何度かチャットはしたが、諸事情により、多忙になった為、もう出来なくなりそうだということを聴いた。そして暫くして音信不通となり、最後は月額会員も退会していた。全く急なことだったので、最初は少々心配したが、結局、その後、彼女との再会は叶わなかった。
そして一方の私のほうも、首位を2度取ったことにより、満足し切ってしまったのか、その後、サミタをプレイするモチベーションを急速に失いつつあった。その時の胸中は真っ白に燃え尽きたという表現が最も相応しかったかもしれない。リーダーの彼女が去り、私もそれを追うようにログインしなくなった。そして、それ以降、チーム戦は一切しなくなり、チームを退会した。その後、暫くは定期イベントに何度か、本格的に参加したりもしてみたが、どうにも、あの当時の興奮は、2度と味わえることはなかった。
それから、いつしか、私もサミタから少しづつ遠ざかり、今では単なる暇潰しでしかプレイしないようになってしまった。一つの情熱は過ぎ去り、又、新たな情熱を探す旅が始まりそうな予感だけを残して・・・。