銀行の起源は両替商(両替屋)と言われることが多い。これはどういうことなのか、今一つイメージがわかない方が多いのではないか。
紙幣のはじめて:金貨の「預り証」で取り引きを決済
かつて中世では、おカネは、だいたいどの国でも金・銀・銅など鉱物貨幣だった。貨幣の発行量はどれだけ鉱物を保有しているかにかかっていた。つまり、取り引きで手に入れるか、鉱山を見つけるしか、通貨の発行量を増加させることができなかった。
一般的に金貨が一番価値の高いおカネであることが多かった。したがって、金貨を大量に持っていると泥棒などが心配になる。そこで、その地域で一番頑丈な金庫を持っている両替商(Exchange)や金細工師(Gold Smith)に預けることになる。当然、両替商は「預かり証」を発行し、保管手数料を得ていた。
商売の決済をするときには金貨が必要になるため、商人は、預かり証を両替商に持って行って金貨を引き出す。そして取引相手に金貨を渡す。しかし、取引相手はすぐに金貨を両替商に預けることになる。
ほとんどの人々が金貨を両替商に預けるようになると、取り引きの決済をその預かり証の授受だけで済ますようになった。その方が手間が省けて便利だからだ。この預かり証が最初の「紙幣」だとも言われている。
銀行のはじめて:預かった金貨を元に貸金業を開始
さらに、この両替商が、貸金業(銀行業)をスタートしたとも言われている。両替商は、預かっている金貨のほとんどが金庫の中で動かなくなることに気付いた。そこで、この金貨を担保にして紙幣を発行し、貸し出すようになった。貸し出しの手数料として利子を受け取るようになった。
このスキームの下で金貨に比べて紙幣の量が多くなっていく。これによって信用創造が起きた。
注意しなければならないのは、この金貨(預金)が一斉に引き出されると、このスキームは破綻することだ。預金者が銀行に預金を引き出そうと殺到するのが「取り付け騒ぎ」である。実際に英国では、ライバルの銀行を破綻に追い込むため、結託して預金を引き出すことも横行した。その後、英国では1844年に、イングランド銀行(中央銀行)以外の銀行が紙幣(預かり証)を発行することが禁止された。通常の(商業)銀行は紙幣を預かるだけになった。
信用の拡大:信用乗数に応じて貸し出しが増える
銀行から貸し出しを受けた顧客は、その紙幣で支払いをする。すると、その取引相手は紙幣を預金口座に入金する。顧客が紙幣を使わない場合は、それがそのまま口座に残る。いずれにせよ銀行は、その預金金額をベースにして、さらなる貸し出しが可能となる。これも銀行の信用創造である。その預金が増える比率を信用乗数という。信用乗数は、景気が良くなると大きくなる。この預金(マネタリーベース)の増加は景気を活性化させる効果もある。
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