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ありし日の中原早苗さん(2003年撮影)

ありし日の中原早苗さん(2003年撮影)

(5/19)

 映画監督の故・深作欣二さんの妻で女優の中原早苗(なかはら・さなえ、本名深作早苗=ふかさく・さなえ)さんが今月15日、心不全のため都内の自宅で亡くなったことが18日、分かった。76歳だった。1953年に映画「村八分」でデビューし、どんな役柄でもこなす女優としてさまざまなジャンルの作品に出演。65年に深作監督と結婚し、「仁義なき戦い」シリーズでも活躍した。なお、葬儀・告別式は19日に密葬で行う。喪主は、映画監督で長男の深作健太氏(ふかさく・けんた)が務める。

 深作監督を支え続けた昭和の名脇役がまた1人この世を去った。

 映画関係者によると、中原さんは今月17日に都内の自宅マンションの風呂場で倒れていたのを発見された。深作健太監督(39)が連絡を取ろうとしたが、電話がつながらず、管理人に様子を見るように依頼。管理人が倒れている中原さんを発見したが、すでに息を引き取っていた。警察で検視の結果、亡くなったのは15日と診断された。

 中原さんは特に大きな持病などもなく、4月には健太監督の映画「ケンとメリー 雨上がりの夜空に」(12年公開)の試写会にも訪れていた。撮影現場では関係者にお菓子を配るなどして息子を支えていたといい、健太監督は「最後に会ったのはゴールデンウイークの前でした。あんなに元気だったのに、大変残念でなりません。天国で、久しぶりに父と一緒にゆっくり映画のことなど語り合っていることと思います」とコメントした。

 中原さんは東京都出身。1953年に映画「村八分」でデビュー。ヒロイン、脇役も器用にこなす貴重な存在だった。映画「狼と豚と人間」(64年)をきっかけに65年に深作監督と結婚。その後も深作監督は女優との浮名を流したが、別れることはなかった。深作監督は03年1月に死去。一周忌の「しのぶ会」では、中原さんが「よかったね。こんなに大勢の人に集まっていただいて」と天国の深作監督に語りかけ、来場者の涙を誘っていた。その後は事実上引退し、表舞台に出ることはなかった。

(デイリースポーツ提供)

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