主にミュージシャン歴についてですが、
私の過去の軌跡です。
ミュージシャン歴と軌跡
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小学生の1年からピアノとドラムを習い始める。
中学生になって両方とも習うのをやめ、
ラジカセをフルボリュームで聞きながらドラムを叩いて遊ぶ日々。
当時はハウンド・ドッグ、オフコース、横浜銀蠅、松本伊代(笑)、ヒゲダンスのテーマ(ドリフの奴)、
アイアン・メイデン、レインボー、KISS、高中正義…、ジャンルはバラバラですね。
中3の時、高校生からの誘いで初バンドを組んだのが運のつき、
ドラマーは少ないのでガンガン依頼があって、多い時には10バンド以上掛け持ちしていたあの頃。
ホント、よくやったわっ…。
高1からフュージョンにガラっと転向し、カシオペア、スクエア、和田彰、浪速エキスプレス、チャー、
その他、スティーヴ・ガッドやスティーヴ・ジョーダンに憧れて、参加アルバムをコピーしてましたが、
腕が3、4本あるのかと思いました(笑)
高校生になってからは、数々のコンテストに出場し優勝や個人賞を獲りましたが、
大きな大会は準優勝止まりで個人賞も逃してました。
転機は高3の夏、広島では最大で私には高校生活最後のバンドコンテストがありました。
当時、あの「吉川 晃司」も出ていたスペシャルな大会です。
音響屋さんに頼んでデモテープを録り、テープ審査(当時はカセットテープが主流)に合格。
この時点で500バンド以上の応募があったと聞いてます。
ライブ審査へ通過したのは100バンド。
緊張の中、ライブ審査も突破し見事に本選出場の権利を獲得しました。
当時はバンドブームでもあり、競争率も高かったです。
応募したバンドの中から本選に出られるのは僅か20バンド!
出場順位は気になるところですが、その大会は最後から3番目だったでしょうか。
ドラム専門に聞いている審査員にインパクトを与えるには完璧に良い順位です。
個人賞狙いみえみえですね(笑)
オリジナル2曲とコピー1曲の3曲を叩きまくって、後は発表を待つのみ。
結果、バンドでは賞を取れませんでしたが、念願のベストドラマー賞(個人賞)を頂きました。
やっぱり嬉しかったですねぇ。
広島で1番になったのなら、東京へ行っても通用するかもしれない…。
よしっ! 目指すはプロドラマーじゃっ!
東京へは当時一緒にバンドを組んでいたベーシストと出る事にしました。
もう大学進学は迷わず東京です。
どこでもいいので受けまくりました。
現役なのに11校!(笑)
で、たまたまなんですが、あの「久保田利伸」が通っていた駒澤大学の後輩になりなした。
東京で初めて組んだバンドのヴォーカル(後にエヴァンゲリオンのエンディングを歌ってる高橋洋子)関係で渋谷のライブハウスに出た時、何と「久保ちゃん」が飛び入り!!
その後も何度か御一緒させてもらいましたが、「久保ちゃん」も今ではNY!!
みんな頑張ってますねぇ。
ここ(東京)でもやっていける!と確信し、一生懸命に頑張ったものです。
馬鹿にされているんじゃないか?ってぐらい女の子にモテました。
あの頃に戻りたいっす!
T.Vやライブハウスには多数出演、渋谷公会堂(8時だよ!全員集合!の舞台)にも上がりました。
しかし、夢の日本武道館での演奏は叶えられず、夢のまま…。
26歳の時、色々とあって帰郷しました。
その後、千葉から私に着いて来てくれた彼女と結婚。
今ではそのかみさんと3人の子供達に囲まれて楽しく暮らしてます。
現在はアマチュアバンドを組んでライブハウスに出たり、
その他イベントにも出演しています。
一緒に東京へ出た彼は、その後もフリーのプロベーシストとして活躍してますよ。
彼自身のホームページ
http://www011.upp.so-net.ne.jp/bassman/
彼のユニットのホームページ
http://www.tranquillo.info/
凄いですねぇ、まだまだ頑張ってます!
お時間があれば訪問してやって下さい。
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