「柱の下に杭が打たれていないなんて理屈に合わない。この事実を知った限り、建築家として疑義をたださないわけにはいかない」
険しい表情でこう語るのは、広島市に住む1級建築士のAさん。Aさんは昨年の冬、知り合いからある建物の資料を見せられ、建築家としての意見を求められた。広島市が建設した広島市民球場(マツダスタジアム)の構造図だ。
図面を見てAさんはおかしなことに気付いたという。打つべきところに杭が打たれていない箇所があったからだ。それも数カ所ではない。そこで、構造に詳しい建築家仲間にも見てもらったが、返ってきたのは自分と同じような驚きの声だった。そのまま黙っているわけにはいかないと思ったという。
広島市民球場は旧球場の老朽化に伴い建設されたもので、2009年3月に完成した。市中心部にある旧球場の利便性のよさなどから、現地での建て替えを望む声も多かったが、秋葉忠利市長(当時)の「鶴の一声」で、JR貨物ヤード跡地での新設となった。建設費が約90億円で済むというコスト面の優位性が決め手とされた。建設事業の主体は広島市で、いわゆる公設民営となった。
Aさんは今年2月28日、広島市に疑義を問いただす要請文を知り合いとの連名で提出した。最初に疑問を提起した知り合いというのが、木原康男さんだ。市OBで、在職中は都市政策部長も経験した人物だ。秋葉前市長時代に進められた新球場建設事業にも関わり、さまざまな疑問を抱いたという。退職後は関連資料を情報開示請求などを駆使して集め、調査・検証を続けていた。
2人が提出した要請文は、「広島市民球場の構造設計上の欠陥の指摘、及び、問題点究明の取り組みを求めて」というものだった。宛先は広島市の松井一實市長。要請文の指摘ポイントは主に2点だった。一つは、杭の配置。
地盤の弱いところに建物を建てる場合、杭基礎方式が採用される。強固な地盤まで杭を打ち、その上に柱などを配置する方式である。建物の重みによる沈下などを防ぎ、耐震性も強化するためだ。
改正建築基準法逃れ?
施行前日に駆け込み
三角州の上に広がる広島市は地盤が弱く、新球場も杭基礎設計による建設となっている。ところが、木原さんらが構造計算書や設計図書を詳細に検証したところ、「各基礎スラブには1本以上の杭が配置されていなければならない」にもかかわらず、200カ所以上に杭が配置されていないという。つまり、下に杭が打たれていない箇所にも柱が立っているという指摘である。建築基礎構造設計指針から逸脱したやり方で、要請文は「構造設計上の重大な瑕疵や致命的な欠陥が懸念される」と、早急な対策を求めた。
2点目は、民間の建築確認に当たる「計画通知」の提出日の問題だ。行政が建設する公共建築の場合、構造計算書の提出は不要となっていた。これが06年6月に建築基準法の改正がなされ、公共建築についても構造計算書の第三者チェックが必要となった。構造計算書を偽装した「姉歯事件」の反省から、チェックの厳格化を進めることになったのだ。
この改正法の施行は07年6月20日からとなり、その前日までは従前の扱いとなった。経過措置という特例である。新球場建設の計画通知は、その特例が適用される最終日(07年6月19日)に提出された。このため構造計算書の添付は不要となり、チェックなしで通ったのである。さらに、要請文は、構造計算書の電算プログラムによる最終打ち出しが07年8月24日だったと指摘した。改正法の適用を免れるための駆け込み通知だったのではないかとみているのである。
広島市は3月29日に回答を寄せ、柱の下に杭が打たれていない箇所があることや、それが建築基礎構造設計指針に沿わないことなどを認めた。その上で、「構造上の安全性に問題はないと判断しています」と回答。「最新の研究を十分に理解すれば、この指針で設計するよりも合理的な設計が可能」とし、新球場が「基礎梁で相互に連結させている」などの最新の技法を採用しているので、大丈夫というのである。
しかし、2人の懸念は解消されなかった。安全性の根拠となる研究データや実験データが何ら示されなかったからだ。納得できない2人は5月2日に再度、質問状を提出し、市からの回答を待っている状態である。
球場の建設費(工費)は約90億円。このうち、杭打ちに約4億円かかっている。打たれた杭が453本なので、1本当たり100万円近い。指針通りに杭を打ったら工費は2億円ほど膨らむ計算だ。木原さんは「90億円という無理な数字に縛られて皺寄せが出たのではないか」と心配し、調査の必要性を訴える。
本誌委嘱記者・相川俊英