「手帖持ち去り事件」等の結果
【「手帖持ち去り事件」=学会側敗訴】
・矢野氏側は平成17年5月に公明党の元国会議員らが自宅を訪れ、手帳を奪ったとして、元議員らに損害賠償などを求める訴訟を起こした。東京高裁は21年、「元議員らが矢野氏を脅して手帳を渡させた」と判断。矢野氏側の請求を退けた1審東京地裁判決を取り消し、元議員らに手帳の返却と300万円の支払いを命じた。最高裁は元議員側の上告を退け、矢野氏側の勝訴が確定している。(<「手帖裁判」矢野氏の全面勝訴が確定!>)
【その他の事件=和解】
<矢野氏提訴分>
・矢野氏は平成20年5月12日、創価学会幹部から「政治評論活動の妨害」などの「人権侵害」を受けたとして、創価学会副会長・谷川佳樹と幹部7人を相手取り損害賠償請求を起こした。
<学会側提訴分>
・創価学会の谷川佳樹副会長は平成20年5月20日、『週刊新潮』の関係記事をめぐり、矢野氏らに名誉を棄損されたとして損害賠償を求め提訴した。(東京地方裁判所は、谷川の訴えの一部を認め、新潮社らに連帯して33万円(なんと請求のわずか3%)を支払うよう命じる一方、謝罪広告に関しては谷川の要求の一切を退け、訴訟費用についてはその3.3%を新潮社らが、残りの96.7%(!)を谷川が負担せよ、と命じたのである。しかも、それ以上に重大なのは、判決文が創価学会の暴力団的体質を認定したことである。)(資料参照)
・公明党OBらが2件の訴訟を起こした。
・事件の流れ
・創価学会側と矢野元公明委員長が「手打ち」/<J-CAST news>H24.2.20
・社会に潜む池田信奉者の危険性/『慧妙』H21.11.1
・公明党の重鎮(元国会議員・黒柳明他2名)らによる証拠偽造/『慧妙』H21.10.16
・「手帖裁判」矢野氏の全面勝訴が確定!/『慧妙』H21.9.16
・公明党OB議員ら、証拠を"改ざん"!?/『慧妙』H21.4.16
<H5〜H6>
・衆議院議員を引退した後、政治評論家としての活動を開始した矢野氏は、『文藝春秋』に手記を連載。
・手記に「創価学会と公明党は政教一致と言われても仕方がない部分があった」旨の記述をしたことから、創価学会から激しい非難を受けた。
その結果、矢野氏は、創価学会に対して陳謝した上、同手記を単行本として出版する際に当該記載を削除するなどの措置をとった。
<H17.4.20>
・矢野氏は、創価学会の西口副会長(当時)に呼び出され、この十数年前の手記について「創価学会青年部が怒っている」「矢野を除名せよとの要求が出ている」「青年部は跳(は)ね上がっている。矢野の命も危ない」などと述べた上、あらかじめ用意をした文案を示して、同手記に関する謝罪文を書くように求められた。
・矢野氏はとまどったが、これを了承し、渡された文案に沿って謝罪文を作成し、西口に渡した。矢野氏が謝罪したことは『聖教新聞』が大きく報じた。
・その後、矢野氏は、夫人を伴(ともな)い海外に出かけた。すると、矢野氏の子息から、創価学会副会長の長谷川に連絡をとるよう伝言がある。
・矢野氏が長谷川に電話したところ、長谷川から「青年部が強硬だ。事態を収めるため、帰国日である5月14日に青年部と会ってほしい」との強い要求があり、矢野氏はこれに応じることにした。
<H17.5.14>
・帰国した矢野氏が、創価学会戸田国際会館で行なわれた創価学会青年部との会談に臨(のぞ)むと、青年部長の杉山ら5名が矢野氏を取り囲むように着席し、口々に、「青年部において、矢野を除名せよとの要求が出ている」「我々は本当に怒っている」などと矢野氏を糾弾し、2度にわたって「土下座しろ」と迫(せま)り、「人命にかかわるかもしれない」(谷川佳樹)「あなたの息子さんは外国で立派な活動をしている。あなたは息子がどうなってもよいのか」(同)などとも述べた。
そして、「政治評論家をやめるべきだ。元委員長が政治評論家面(づら)をするのは許せない」などと述べて、政治評論活動を止めるように繰り返し迫ってきた。
矢野氏は、青年部幹部らの言動に身の危険を感じ、青年部の用意した、"文春の手記のことは謝る。今後は書かない。恩返しをする"などの趣旨の文書に署名をし、政治評論家を辞めると述べた。
<H17.5.15>
・午後5時ころ、大川清幸・伏木和雄・黒柳明の3人が突然、矢野氏宅を訪ねてきた。
・この時以来、3人は都合4回にわたって矢野氏宅を訪れ、矢野氏が議員時代に書き記したおよそ百冊の手帖などの資料を引き渡すよう再三要求し、これを持ち帰った。また、矢野氏宅に他に資料が残っていないか、2度にわたって矢野氏の自宅内を確認して歩いたのである。
<H17.7.>
・この事実を知った『週刊現代』は、同誌8月6日号に、「スクープ 創価学会&公明党のタブー『矢野絢也元公明党委員長極秘メモ』100冊が持ち去られた!」と題する記事を掲載。
<H17>
・3人が、同記事によって名誉を毀損(きそん)されたとして、損害賠償や謝罪広告の掲載を求め、講談社や矢野氏を訴えた。
<H17.8.>
・これに対し講談社側は、『週刊現代』(8月13日号)に、「公明党0B議員からの提訴は笑止 矢野絢也氏が『手帖強奪』の真相激白」と題した反論記事を掲載。
<H17.>
・すると3人は、これに対しても同様の訴えを起こしてきた。
<H17.11.9>
・今度は矢野氏が3人に対し、持ち去られた手帖の返還と損害賠償を求めて、訴えを起こしたのである。
<H19.12.21>
・この3つの訴訟は併合されて審理され、1審の東京地裁は、3人の側の主張を全面的に認める一方、矢野氏の請求は全て棄却(ききゃく)する判決を下した。これを不服とした矢野氏らは、東京高裁に控訴。
<H20.5.12>
・矢野氏が、谷川佳樹の他、創価学会最高幹部7名を相手取って損害賠償請求訴訟を起こす(谷川らの脅迫によって、矢野氏が無理やり謝罪させられ、評論活動を引退させられた、として提起された裁判)。(※平成24年2月10日に訴訟取り下げ)
<H20.5.15>
・平成20年5月15日発売の『週刊新潮』(5月22日号)に「『矢野絢也』を窮鼠(きゅうそ)にした『創価学会』の脅迫(きょうはく)と誹謗(ひぼう)中傷」と題する記事が掲載される。その内容は、上記損害賠償請求訴訟の内容について、訴状を元に、矢野氏のコメントを交(まじ)えながら報じたものであった。
その記事は、矢野氏の訴状の中から
「被告森井は、2回にわたり原告(※矢野氏)に対して『土下座しろ』と迫(せま)り、被告谷川は『人命に関わるかもしれない』『息子さんは外国で立派な活動をしている。あなたは息子がどうなってもいいのか』という趣旨のことを言って原告を脅迫した」
との一文を引用し、さらに、矢野氏の、
「土下座しろと言ってきた者には、そういうことを言うもんじゃない、とたしなめました。しかし、息子がどうなってもいいのか、などという趣旨のことを言われ、家族にまで危害が及ぶ恐怖を感じたのです。それで、『文春』に書いた手記についての謝罪と、今後、評論活動は一切しませんと約束させられてしまいました」
とのコメントを紹介していた。
<H20.5.20>
・これに対し谷川は、自分が「人命に関わるかもしれない」「息子さんは外国で立派な活動をしている。あなたは息子がどうなってもいいのか」等と発言した事実はない、として、新たに東京地方裁判所に訴えを起こす。(資料参照)(※平成24年2月10日に訴訟取り下げ)
<H21.3.27>
・東京高等裁判所(南敏文裁判長)は、3人の公明党OB議員(大川清幸・伏木和雄・黒柳明)と、講談社・元公明党委員長矢野絢也氏らとの間で争われていた民事訴訟に関し、1審の東京地裁の判断を覆(くつがえ)し、矢野氏らの全面勝訴とする判決を下した(3人は最高裁に即日上告)。
<H21.9.1>
・上告審で、最高裁第3小法廷(田原睦夫裁判長)は1日、元議員3人の上告を受理しない決定をした。記事は真実として名誉棄損を認めない一方、「プライバシーを侵害された」として逆に訴えていた矢野元委員長の主張を受け入れ、元議員らに手帳の返却と300万円の支払いを命じた2審東京高裁判決が確定した。(<共同通信/47NEWS>H21.9.1)
<H23.1.20>
・創価学会副会長・谷川佳樹が、新潮社並びに『週刊新潮』の編集長、および元公明党委員長・矢野絢也氏を名誉毀損で訴えていた裁判の、1審判決が下った。東京地方裁判所は、谷川の訴えの一部を認め、新潮社らに連帯して33万円(なんと請求のわずか3%)を支払うよう命じる一方、謝罪広告に関しては谷川の要求の一切を退け、訴訟費用についてはその3.3%を新潮社らが、残りの96.7%(!)を谷川が負担せよ、と命じたのである。しかも、それ以上に重大なのは、判決文が創価学会の暴力団的体質を認定したことである。(資料参照)(※平成24年2月10日に訴訟取り下げ)
<H24.2.10>
・創価学会側と矢野氏が互いに提訴していた計4件の民事裁判(創価学会側が提訴3件=谷川及び公明党OBが訴えた事件、矢野氏側が提訴1件=矢野氏が谷川らを訴えた事件)で、双方が裁判所の勧告を受け入れ、すべての提訴を取り下げた。
―双方が提訴4件すべて取り下げ―
(<J-CAST news>H24.2.20)
創価学会側と元公明党委員長の矢野絢也氏(79)が互いに提訴していた計4件の民事裁判で、双方が裁判所の勧告を受け入れ、すべての提訴を取り下げた。
裁判(創価学会側が提訴3件、矢野氏側が提訴1件)は東京高裁と東京地裁で係争中だったが、2012年2月10日、双方が提訴を取り下げ、08年から続いていた訴訟合戦は「手打ち」が済んだ形だ。
【裁判所から勧告があり、「それに従いました」】
矢野氏は2008年5月12日、創価学会幹部から「政治評論活動の妨害」などの「人権侵害」を受けたとして、創価学会と幹部7人を相手取り損害賠償請求を起こした。
訴状などによると、矢野氏は、過去に月刊誌で発表した手記をめぐり、2005年に創価学会機関誌で誹謗中傷された、などとしていた。まだ東京地裁で係争中だった。
一方、創価学会の谷川佳樹副会長は2008年5月20日、「週刊新潮」の関係記事をめぐり、矢野氏らに名誉を棄損されたとして損害賠償を求め提訴した。1審では矢野氏らに賠償支払いを命じる判決が出たが、双方が東京高裁に控訴していた。ほかに公明党OBらが2件の訴訟を起こした。
今回の訴訟取り下げについて、創価学会広報室は、「東京高裁より、矢野絢也氏と創価学会側に対して、双方が訴訟の場で争いを継続することは、両者の関係、その社会的立場から見て好ましいことではない、と裁判を終息させるよう勧告があり、それに従いました」とコメントした。
矢野氏の弁護士らのある事務所にコメントを求めるファックスを2012年2月20日午後に送ったが、20日夜現在、回答は来ていない。
【矢野氏の手帳「強奪」問題では公明側が敗訴】
矢野氏が2008年に起こした訴訟で問題視した05年のトラブルに関連しては、以前に別の裁判があり、決着がついている。
矢野氏の手帳を公明党OB議員らが「強奪」したかどうかをめぐり、公明党OBらが「週刊現代」側と矢野氏に損害賠償を求めた訴訟で、1審は公明党OB側勝訴、2審は逆転敗訴となり、最高裁判所が2009年、上告を棄却し、公明党OB側敗訴が確定していた。
矢野氏は2011年秋に「乱脈経理 創価学会vs.国税庁の暗闘ドキュメント」(講談社)を出版するなど、「暴露」を続けていた。
今回の双方による提訴取り下げ情報について、サイト「アクセスジャーナル」でいち早く取り上げたジャーナリスト、山岡俊介氏に聞いてみた。
山岡氏は、関係者情報をもとに「手打ちは、これで完全に済んだ形だ」と分析した。創価学会側としては、矢野氏の暴露本が今後も続く事態を避ける思惑があり、矢野氏は自身が高齢なことなどを考慮した模様だという。
創価学会への損賠訴訟 矢野氏側取り下げ
(『産経新聞』H24.2.22)
元公明党委員長で政治評論家の矢野絢(じゅん)也(や)氏(79)=写真=が、手記の記載をめぐり、創価学会幹部から評論活動をやめるよう強要されたとして、創価学会などに5500万円の損害賠償を求めた訴訟で、矢野氏側が訴えを取り下げ、訴訟が終結していたことが21日、分かった。訴訟の終結は10日付。
訴状によると、矢野氏は「文芸春秋」に発表した手記の中で「学会と公明党は政教一致といわれても仕方がない部分があった」と言及。記載は単行本化の際に訂正された。
矢野氏側は、平成17年4月以降、複数の創価学会幹部から記載について非難を受けた上、「政治評論家をやめるべきだ」と迫られるなどし、不当に評論活動を中止させられたと主張。「表現の自由を侵す違法行為であることは明らかだ。多額の寄付も強要された」として、賠償を求めていた。
矢野氏側は同年5月に公明党の元国会議員らが自宅を訪れ、手帳を奪ったとして、元議員らに損害賠償などを求める訴訟も起こしていた。東京高裁は21年、「元議員らが矢野氏を脅して手帳を渡させた」と判断。矢野氏側の請求を退けた1審東京地裁判決を取り消し、元議員らに手帳の返却と300万円の支払いを命じた。
最高裁は元議員側の上告を退け、矢野氏側の勝訴が確定している。
(『慧妙』H21.11.1)
【池田は全体主義社会の頂点を志向】
これまで3回にわたって、「黒い手帖」をめぐる、矢野絢也氏らと公明党0B議員との裁判の結果とその判決文から、創価学会・公明党の体質を検証してきたが、今回はそれを総括する。
法律を作る立場にいた者として、通常なら高い遵法(じゅんぼう)精神を持ち合わせているはずの元国会議員(創価学会古参幹部)が、創価学会・公明党の指示のもと、
「それを渡さないと皆怒り狂って何が起こるか分からない」
「渡さないなら覚悟はできていますね」
「重大なことと言えば分かるだろう。矢野さんの身に危険が迫(せま)る」
「どうしてもだめなら、全党挙(あ)げて矢野をつけねらう」
等と矢野絢也氏を脅迫し、矢野氏が所有する、創価学会・公明党にとって不都合な「黒い手帖」等の資料を収奪。
週刊誌にその非道な行ないを報道されるや、居直って「名誉を毀損(きそん)された」と騒ぎ、週刊誌ばかりか、自分達が脅迫した相手をも被告として、訴えを提起。
脅迫の被害者を”加害者”に仕立て上げるべく、なんと偽造証拠を提出して裁判所の判断を狂わそうとする―。
まるでサスペンス小説かと思うような事件だが、これは紛(まぎ)れもなく実際にあった出来事なのだ。
この事件で露呈(ろてい)した創価学会・公明党の”狂気”は、何も、矢野氏や竹入義勝氏、山崎正友氏(故人)、原島嵩氏(故人)などといった、突出した経歴を持つ人々や、あるいは反学会ジャーナリスト等にのみ向けられているわけではない。学会や池田の邪魔になる人物(実際はどうであれ、そう見なされた人物)は、矢野氏らと同じように敵視されるのであり、その意味では全ての国民が、こうした”狂気”と隣り合わせの生活を送っていることを、しっかりと認識するべきである。
創価学会では、池田大作を「広宣流布実現への死身弘法の体現者」であり「永遠の指導者」である、と定義している。つまり、学会員にとって池田大作は、全知全能の存在であり、その指導は絶対的なものとして認識されているのだ。
その池田大作が目指しているのは、池田を頂点とする全体主義社会の構築であり、そのためには、反対者に対し、いかなる手段を用いても構わない、と、池田は考えている。それを裏付けるのが、次に挙げるような池田発言の数々である。
「本当は全体主義は一番理想の形態だ。」(昭和47年6月15日・第61回社長会)
「口八丁手八丁でよ、なんでもうまくやるんだ。社会(党)だって方便を使っている。共産(党)だって目的のためならみんな謀略(ぼうりゃく)じゃないか。一般社会だって利益のためならあらゆる手段を使う。うちは信心のため、信心を守るため、学会を守るためだ。」(昭和51年6月1日・扶桑研修所)
「今まで創価学会をいじめた者を今からやる。」(昭和51年11月16日・公明党議員との記念撮影)
「反逆者には、この野郎、馬鹿野郎でいいんだ。」(平成元年3月12日)
「日顕(上人)なんか、その(※学会に反対する者の)代表だっていうんだ。ほんな、針金(はりがね)でゆわえて、あの頭、トンカチでぶっ叩いてね。」(平成4年12月13日・全国青年部幹部会)
公明党議員を含む学会員たちは、「永遠の指導者」と仰(あお)ぐ池田から、こう指導され続けてきたのである。
【疑惑解明のため池田の喚問は不可欠】
―まずは矢野氏・福本氏を国会の場に!―
そうした池田指導に忠実な狂気の者達が、我々と隣り合わせにいる、という現実を甘く考えてはならない。
職権を使って日顕上人御一行の車列を停止させ、嫌がらせをした現職の警察官も、あるいは、実際に日顕上人を診察したこともないのに、精神科医の肩書きをもって「(※日顕上人の)その異常性を診(み)る」と題する悪書を出版した学会員医師も、間違いなく、実際に我々と同じ社会で生活しているのだ。
これら、職権によって敵対者の自由を簡単に奪い得る者(警察官)や、職能によって我々の生命までも、それとはわからない形で左右できる者(医療関係者)、その他、弁護士・検事・裁判官・役人・官僚・ジャーナリスト・報道関係者などの中に、すでに多数の狂気の者が送り込まれており、「永遠の指導者」のために働く時を待っている。
今回の矢野氏の事件のような、反対者に対する脅迫・違法行為だけが彼らの危険性なのではない。彼らが、あらゆる分野の中に溶け込んで、「永遠の指導者」池田大作と創価学会の利益のために働く―それが日本の国益や大多数の国民の人権に反することが恐ろしいのである。
こうした懸念(けねん)を払拭(ふっしょく)するには、池田が描く全体主義社会の全貌を暴(あば)き、未然に危険を阻止する以外にない。それには、まず張本人である教祖・池田大作を国会に呼び、かねて懸案の「政治と宗教の問題」についての疑惑を明らかにして、少なくとも、国家権力を池田に牛耳(ぎゅうじ)られるような事態が二度と再び起こらないようにすることが必要不可欠である。
その第一歩として、矢野絢也氏・福本潤一氏を国会に招き、矢野氏が『黒い手帖』で明かした、創価学会・公明党による黒い裏工作や、福本氏が公言した「P献金」について語ってもらうこと等は、与党となった民主党がその気になれば早期に実現できるだろう。矢野氏も福本氏も、招致されれば喜んで国会に足を運ぶ、と明言しているのだから。
それをせぬまま、また誰も要求の声を挙げぬまま、いたずらに時間だけが過ぎていくようなことがあれば、民主党・社民党・国民新党の与党だけでなく共産党までもが、政治家として不作為の責任を問われることになる。
政権交代が行なわれた今、国民は新政府に対して、開かれた政治、清潔な政治の実現を希求している。これまで、自民党が創価学会・公明党に遠慮して、手を付けようとしなかった疑惑についても、今こそ解明することが望まれるのである。
▲公明党OB議員が使ったものと同型のICレコーダー=OB議員らは、隠し録りした矢野氏との会話を改ざん・偽造して裁判所に提出し、脅迫の事実を隠そうとしたが、それが裏目に
―卑劣な証拠偽造は池田の指導の賜物!?―
(『慧妙』H21.10.16)
<裁判所が認定したOB議員らの証拠偽造>
●控訴人らが被控訴人矢野とのやり取りを録音したのは、本件のような訴訟に備えてのものであると推認されるところ、訴訟における原本主義に鑑みれば、(中略)証拠の保管ないし提出方法において著しく不自然な点があるといわなければならない。(高裁判決文38頁)
●本件音声データは、被控訴人矢野宅において録音された当時の音声データについて、その後に削除等の加工を施されたものと認められる。(高裁判決文40頁)
【録音内容を改ざんしたOB議員ら】
―矢野氏に対する脅迫的言辞を削除―
矢野氏の「黒い手帖」をめぐる裁判では、本紙が前号で報じた、創価学会・公明党の幹部らによる暴力団顔負けの脅迫の他にもう1つ、彼らの信じ難(がた)い謀略工作の一部始終が、裁判所によって認定されている。すなわち、公明党元国会議員らが矢野氏との会話を隠し録りした上で、裁判所を欺(あざむ)こうと、その音声データを都合よく改ざんして提出した、という事実である。
平成17年5月、公明党OB議員会中央本部の最高幹部ら3人が、都合4回にわたって矢野氏宅に押し掛けた。その目的は、矢野氏が議員時代に書き留めた「黒い手帖」などの資料を収奪することだった。
そしてその際、3人は、矢野氏とのやりとりの一部始終を、矢野氏に気付かれぬよう、密かに隠し録(ど)りしていたのである。
この時の模様を「手帖強奪」と報じた『週刊現代』を、同年7月に3人が名誉毀損であるとして訴えたことで、「黒い手帖」をめぐる一連の裁判が始まったわけだが、隠し録りとはいえ、0B議員らの側には会話の一切を記録した音声データがあるのだから、訴訟を起こした時点でそれを提出したならば、彼らが「黒い手帖」を強奪したのかどうかは、即座に判断を下すことができたはずである。
しかし、OB議員らには、それができなかった。なぜなら、その音声データには、彼らが矢野氏を脅迫して家捜しする様子が記録されていたからだ。
さて、OB議員らはどう出たか--。
裁判が進み、平成18年12月15日、矢野氏への証人尋問が行なわれると、0B議員らの側の弁護士は、矢野氏に対し、「事件当日の模様を録音してはいないか」と、しつこく聞いてきた。
これに対し、矢野氏が「録音はしていない」と答えると、彼らは、平成19年3月9日になって初めて"事件当日の会話を録音した音声データがある"と、隠し録りしていた音声データを裁判所に提出した。
つまり、彼らは、矢野氏が物的証拠をもって反証できないことを確認した上で、裁判所に音声データを提出した、ということになる。
そして、裁判所に提出された音声データからは、実際には録音されていたはずの露骨(ろこつ)な脅迫の様子が、見事に消し去られていたのである。
「実際にあったはずのやりとりがない」--このため矢野氏側は、音声データの原本を提出するよう要求した。
これに対しOB議員らの側は、"原本は、コンピューターに複写する際に消去した""複写に使ったコンピューターは、壊(こわ)れたために廃棄してしまった"との理由をつけ、結局、原本データを提出できなかったのである。
【裁判所が証拠偽造を明確に認定】
―3人の代理人弁護士は学会大幹部!―
これについて、高裁の確定判決では、まず
「矢野とのやり取りを録音したのは、本件のような訴訟に備えてのものであると推認されるところ、訴訟における原本主義に鑑(かんが)みれば、(中略)証拠の保管ないし提出方法において著しく不自然な点があるといわなければならない」(高裁判決文38頁)
と、0B議員らの不自然な主張を厳しく指弾。
さらに、5ヵ所にわたって音声データが改ざんされている部分を指摘。その根拠を明示した上で、
「本件音声データは、被控訴人矢野宅において録音された当時の音声データ(第1次記録媒体に記録されていた内容)について、その後に削除等の加工を施されたものと認められる」(高裁判決文40頁)
と、OB議員らは証拠を改ざんした、と断じたのである。
なお、東京高裁は、この音声データの矛盾(むじゅん)点を判断するにあたり、正確を期するため、わざわざ矢野氏宅まで赴(おもむ)き、異例の実地検証を行なった。
その成果は判決文にも十二分に反映されており、例えば、平成17年5月30日に録音されたとする音声データについては3ヵ所、改ざんの事実を指摘しているが、そのうちの1ヵ所については
「3階の矢野の部屋(寝室)にギターが置いてあり、矢野自身がこれを鳴らしているが、ギターと扉とは4m余り離れていた(当審における検証)にもかかわらず、扉の音とギターの音が短時間のうちに連続して録音されており、そのように連続して音を発生させるためには、矢野において極めて迅速に移動しなければならないことになるが、当時の状況や同人の年齢から認められる運動能力に照らせば、そのような迅速な移動は因難である上に、控訴人らのギター談義を無視して同人において迅速な移動をしなければならない必要性はない。
付加するに控訴人らは、矢野の部屋(寝室)を捜索するために入室したにもかかわらず、同部屋を捜索した気配が全く録音されておらず、検証における控訴人らの説明も同部屋を素通りしたことを前提になされている」(高裁判決文39頁)
と、実地検証の結果に則(のっと)り、OB議員らの側の虚構を完全に粉砕しているのである。
これでは"証拠偽造"と断じられても仕方あるまい。
訴訟になった時のために会話を隠し撮りし(高裁は、「録音結果がなごやかな雰囲気となることを意図して、表面上強い口調や大声を出すことを避け、会話中にあえて笑いを交えていた」とも認定)、いざ訴訟となれば、相手に直接の反証手段がないことを確認した上で、相手を陥(おとしい)れるため、証拠偽造した音声データを平然と裁判所に提出する―これが、今回の裁判で明らかになったOB議員側の悪らつな謀略行為であり、しかも、彼らを弁護していたのは、学会員弁護士(副会長・新堀某、全国副青年部長・海野某ら)だったのである。
【「この師にしてこの弟子あり!」】
―謀略を推奨していた池田大作―
世間一般の感覚からすれば、法廷は神聖な場所であるのに、そこに提出する証拠を偽造する、などということは、異常きわまりない行為である。
そんな行為を、長年、立法府にいて、遵法(じゅんぽう)精神も持ち合わせているはずの公明党元国会議員らが平然とやってのけたのだ。司法を愚弄(ぐろう)して恬(てん)として恥じない彼らは、いったい何を規範としているのだろうか--。
考えられるのはただ一つ、彼らにとって、最も尊敬する永遠の師匠である池田大作教祖の、次のような指導が、彼らの行動規範になっている、ということだ。
「口八丁手八丁でよ、なんでもうまくやるんだ。社会(党)だって方便を使っている。共産(党)だって目的のためならみんな謀略じゃないか。一般社会だって利益のためならあらゆる手段を使う。うちは信心のため、信心を守るため、学会を守るためだ。」(昭和51年6月1日・扶桑研修所)
「全員が『勝つ』と強く決めていけ!勝つか負けるか。やられたらやりかえせ。世間などなんだ!私は恐れなど微塵(みじん)もない。勇者は私だ。私だけ戦っている。強気でいけ!強気で勝つんだ!強気、強気、強気でいこう。どこまでもしぶとくいくんだ。」(平成元年3月12日、埼玉)
こんな指導を有り難く受け続けていたら、何を差し置いても、創価学会と池田大作を守り通すことこそが、国法に優先する最重要課題である、と考えるようになって不思議はない。
してみれば、これまで創価学会が行なってきた数々の訴訟において、創価学会側が提出した証拠についても、大いに疑問を感じるのが当然だ。
いずれにせよ、今回の裁判によって、あらためて創価学会・公明党の体質が明らかになったことは問違いない。
なお、問題の「黒い手帖」をはじめとする、0B議員らが持ち去った矢野氏の資料は、最高裁での判決確定を受け、渋々、10月6日になって矢野氏に引き渡された。
その膨大(ぼうだい)な資料の中からは、いったい何が飛び出すのだろうか。
矢野氏は過日行なわれたシンポジウムの席上、
「自分の年齢から考えても、手帖の内容の全てをものに書いていくというのは不可能だと思っているが、せめて、書かないにしても記録として、その手帖を大事に遺(のこ)しておきたい。
場合によっては手帖を公の機関に寄贈し、みんなが見れるような状況にすることがあってもよい」
と語っているが、どのような形にせよ、手帖に書かれた創価学会・公明党の実像が、一日も早く公開されることを願うものである。
―最高裁、公明党幹部(OB議員)の上告を棄却―
―これが宗教団体・政治家のすることか!?―
―司法が認定した恐るべき脅迫と謀略―
(『慧妙』H21.9.16)
【裁判所を愚弄する証拠捏造】
―呆れ果てた謀略体質が露呈―
去る9月1日、最高裁第3小法廷(田原睦夫裁判長)は、公明党OB議員3名が、元公明党委員長・矢野絢也氏宅から、氏が国会議員時代に書きためた約百冊の手帖を持ち去った事件に関し、その経緯や手帖の帰趨(きすう)などをめぐり、矢野氏および講談社とOB議員とが争っていた訴訟において、OB議員らの上告を棄却(ききゃく)した。
これにより、本年3月27日、"同事件は、OB議員らが矢野氏に手帖の提出を強要したものであり、手帖の所有権は矢野氏にある"と認定し、OB議員らに、手帖の即刻返還と、矢野氏への賠償金3百万円の支払いを命じた、東京高裁の判決が確定した。
本紙既報(4月16日号)のとおり、この裁判では、公明党0B議員側が証拠として提出したICレコーダーによる隠し撮り音声データが、改ざんされたものであったかどうかが大きな焦点となった。
すなわち0B議員側は、手帳等の資料の持ち出しには、矢野氏が自ら積極的に協力していた、との主張を裏付けるため、矢野氏宅へ押し掛けた際に隠し撮りしていた音声データを、最後の最後になって証拠として裁判所に提出した。
ところがこの音声データは、明らかに自分達に都合の悪い部分を消し去った、改ざんデータだったのである。
そのことについて東京高裁は、裁判官が自ら矢野氏の自宅にまで足を運んで実地検証をした上で、
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●本件音声データは、矢野宅において録音された当時の音声データについて、その後に、削除等の加工を施(ほどこ)されたものと認められる(東京高裁)
●録音されていない部分の発言等については、矢野本人、証人矢野満子(※矢野氏の妻)及び同生沼千晶(※矢野事務所の秘書)の各陳述書並びに尋問における供述を証拠として認定するのが相当である(同要旨)
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と、0B議員側の証拠改ざんを明確に認定。
"『週刊現代』の記事で名誉を傷つけられた"としたOB議員らの訴えを「いずれも理由がない」として棄却した上で、矢野氏の手帖返還請求ならびに損害賠償請求に対しては、前述のとおり、ほぼ全面的にこれを認めたのであった。
【暴かれた学会・公明党の謀略体質】
―執拗・凶悪な恫喝を裁判所が認定―
さらに、この判決で注目すべきは、OB議員らの手帖持ち去り事件の根底にある、創価学会・公明党の凄(すさ)まじいまでの謀略体質・暴力体質を、次のように認定したことである。
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●認定事実に照らせば、控訴人(公明党OB議員)らは、平成17年5月14日に被控訴人矢野が、創価学会青年部の幹部多数に囲まれ、いわば吊るし上げのような形で、家族に危害を加えることを暗示する脅迫の下(もと)で、「今後の政治評論活動を辞める」と約束させられた事情を十分に知悉(ちしつ)した上で、翌5月15日から同月30日にかけて、4回にわたって被控訴人矢野宅を訪問し、創価学会青年部との約束を守る証(あかし)として本件手帳を引き渡すように求め、被控訴人矢野においてこれを拒絶するや、「自分たちは創価学会ないし公明党の指令により訪問したもので、控訴人らの背後には多数の創価学会員ないし公明党員が存在するものであって、控訴人らの要求を拒(こば)めば、これらの多数の創価学会員ないし公明党員が、被控訴人矢野及びその家族に対して、どのような危害を加えるかもしれない」旨を、暗示し、あるいは明示的に述べて、被控訴人矢野を脅迫し、控訴人らのこのような発言内容に畏怖(いふ)した被控訴人矢野が、やむなく控訴人らの要求に応じて本件手帳等を引き渡したこと、控訴人らが被控訴人矢野に対して同様の威嚇(いかく)をして、被控訴人矢野宅の1階から3階まで、本棚、引出、クローゼット等の内容まで捜索する家探しを行ない、3階の妻満子の部屋にまで捜索に及んだことを認めることができる。(東京高裁)
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さらに、「当裁判所(東京高裁)の判断」として、判決が認定した事実によれば、
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矢野氏はまず、創価学会副会長の西口良三から
「創価学会青年部が怒っている」「青年部は跳(は)ね上がっている。矢野の命も危ない」(4月20日)
と脅(おど)され、続いて青年部長(当時)の杉山保ら5名から
「土下座しろ」「人命にかかわるかもしれない」「息子さんは外国で立派な活動をしている。あなたは息子がどうなってもよいのか」(5月14日)
などと脅迫された。
そして、さらに追い打ちをかけるようにOB議員から
「それを渡さないと、皆、怒り狂って何が起こるかわからない」「渡さないなら覚悟はできていますね」「神奈川だって大光会(※公明党0B議員の会)をやったときに、(※矢野批判が)ガーッと出たよ」「大光会の意見っていうのは、決して大光会だけの意見じゃないですよ。学会の意見でもあるんですよね。皆、組織に入ってますから」(5月15日の第1回目の訪問時)
「西口さん(※副会長)から、3階の事務所を一回、見学して来いって言われてさ」(5月15日の第2回目の訪問時)
「重大なことと言えば分かるだろう。矢野さんの身に危険が迫(せま)る」(5月17日)
「私たちあくまでも3人は、言われてやって来たわけで、(中略)うるさい藤井さん(※元『公明』代表・藤井富雄)だっているし、大久保さん(※元公明党書記長・大久保直彦)だっているし、まだまだいっぱいいるわけですよ」「どうしてもだめなら、全党挙(あ)げて矢野をつけ狙(ねら)う」「ここにね、6千名のね、OBと議員がいるわけですよ」(5月30日)
などと、背後には多数の創価学会ないし公明党関係者がいることを示しながら、種々の脅迫を受けたのである。
矢野氏は、こうした脅迫に抗しきれず、やむを得ず手帳等の資料を引き渡し、OB議員らの「家捜し」の要求も呑(の)まざるを得なかったのであった(以上、判決文の要旨)。
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音声データの改ざんも含め、こうした事実認定が、最高裁の決定によって確定した意義は大きい。
なぜなら、それは、創価学会・公明党の謀略体質・暴力体質を、裁判所が明確に認めたということであり、また、創価学会と公明党とが不可分の関係にあることをも認定したに等しい、といえるからだ。
【期待される「黒い手帖」の内容公開】
―池田の野望の阻止こそ大事―
矢野氏は著書『黒い手帖』の「まえがき」に
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私はおよそ半世紀の間、創価学会の学会員として活動してきた。
うち約30年間は公明党の政治家として、また、その大半は、公明党の書記長、委員長という幹部の立場にあり、学会とのパイプ役を務め、学会の指示を受けて動いてきた。
宗教の論理と政治の論理、宗教の絶対価値観と政治の相対価値観は時折ぶつかり合ったが、私は社会の規範から逸脱(いつだつ)しないよう、努めて冷静に、客観的に、学会サイドの要望に対処してきたつもりだった。
しかし、本書のタイトルである『黒い手帖』、すなわち、私の30年にも及ぶ政治家としての記録を公明党の議員OBに「強奪」され、創価学会とも裁判所で争うようになり、そうして今、距離を置いて振り返ってみると、恥ずかしながら、当時の私はマインドコントロールにかかっており、創価学会によって操られていたと思わずにはいられない。池田大作名誉会長の野望―学会の「日本占領計画」を成就(じょうじゅ)させるため、その計画のど真ん中で働いていたのではないか、との思いが日増しに強くなっているのだ。(中略)「日本占領計画」は、読者各位の住まいから半径50メートル以内で行なわれているかもしれないという事実だけは、最後に記しておこう。そう、それはまさに、民主主義にしのびよる「クーデター」といっても過言ではないのだ(矢野絢也著『黒い手帖』「まえがき」)
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と記している。
今後、判決に従って矢野氏の手元に手帖が還(かえ)り、その内容が公開されれば、これまで着々と進行中してきた池田大作の「日本占領計画」も浮き彫りにされよう。
公明党が政権から転落した今、池田創価学会の狙いを白日の下に晒(さら)し、邪悪な計画の遂行を完全に阻止することが望まれる。
―公明党OB議員による手帖持ち去り事件―
―東京高裁、矢野氏への手帖返却と賠償を命令!―
―司法を欺(あざむ)こうとした許し難い暴挙―
(『慧妙』H21.4.16)
去る3月27日、東京高等裁判所(南敏文裁判長)は、3人の公明党OB議員(大川清幸・伏木和雄・黒柳明)と、講談社・元公明党委員長矢野絢也氏らとの間で争われていた民事訴訟に関し、1審の東京地裁の判断を覆(くつがえ)し、矢野氏らの全面勝訴とする判決を下した(3人は最高裁に即日上告)。
その判決文の中には、東京高裁によって、驚くべき事実が認定されていた。なんと、公明党OB議員らは、矢野氏宅を訪問した際に隠し録りした音声データを、自分達に都合よく変造し、裁判の証拠として提出していた、というのだ!
【1審判決を覆(くつがえ)した東京高裁】
―矢野氏らに逆転勝訴判決!―
この裁判は、平成17年5月、矢野氏の自宅を訪れた3人の公明党OB議員が、矢野氏が議員時代に書きためた、およそ百冊の手帖などの資料を持ち去ったことに対し、『週刊現代』(同年8月6日号)が、「スクープ 創価学会&公明党のタブー『矢野絢也元公明党委員長極秘メモ』100冊が持ち去られた!」と題して報じたところ、3人が、同記事によって名誉を毀損(きそん)されたとして、損害賠償や謝罪広告の掲載を求め、講談社や矢野氏を訴えていたもの。
これに対し講談社側は、『週刊現代』(8月13日号)に、「公明党0B議員からの提訴は笑止 矢野絢也氏が『手帖強奪』の真相激白」と題した反論記事を掲載。
すると3人は、これに対しても同様の訴えを起こしてきた。
2つの裁判が進む中、同年11月9日、今度は矢野氏が3人に対し、持ち去られた手帖の返還と損害賠償を求めて、訴えを起こしたのである。
この3つの訴訟は併合されて審理され、平成19年12月21日、1審の東京地裁は、3人の側の主張を全面的に認める一方、矢野氏の請求は全て棄却(ききゃく)する判決を下した。
これを不服とした矢野氏らは、東京高裁に控訴。
そしてこのたび東京高裁は、1審判決における矢野氏らの敗訴を全て取り消し、公明党OB議員3人に対して、矢野氏への、手帖類の返還と損害賠償を命ずる判決を下したのである。
【発端(ほったん)は学会幹部の"脅迫"に】
―高裁が判断した事件の背景―
ここで、東京高裁の判決文の事実認定に基づき、手帖持ち去り事件の経緯を示しておこう。
衆議院議員を引退した後、政治評論家としての活動を開始した矢野氏は、平成5年から同6年にかけて『文藝春秋』に連載した手記に「創価学会と公明党は政教一致と言われても仕方がない部分があった」旨の記述をしたことから、創価学会から激しい非難を受けた。
その結果、矢野氏は、創価学会に対して陳謝した上、同手記を単行本として出版する際に当該記載を削除するなどの措置をとった。
ところが、平成17年4月20日になって、矢野氏は、創価学会の西口副会長(当時)に呼び出され、この十数年前の手記について「創価学会青年部が怒っている」「矢野を除名せよとの要求が出ている」「青年部は跳(は)ね上がっている。矢野の命も危ない」などと述べた上、あらかじめ用意をした文案を示して、同手記に関する謝罪文を書くように求められた。
矢野氏はとまどったが、これを了承し、渡された文案に沿って謝罪文を作成し、西口に渡した。矢野氏が謝罪したことは『聖教新聞』が大きく報じた。
その後、矢野氏は、夫人を伴(ともな)い海外に出かけた。すると、矢野氏の子息から、創価学会副会長の長谷川に連絡をとるよう伝言があり、矢野氏が長谷川に電話したところ、長谷川から「青年部が強硬だ。事態を収めるため、帰国日である5月14日に青年部と会ってほしい」との強い要求があり、矢野氏はこれに応じることにした。
帰国した矢野氏が、創価学会戸田国際会館で行なわれた創価学会青年部との会談に臨(のぞ)むと、青年部長の杉山ら5名が矢野氏を取り囲むように着席し、口々に、「青年部において、矢野を除名せよとの要求が出ている」「我々は本当に怒っている」などと矢野氏を糾弾し、2度にわたって「土下座しろ」と迫(せま)り、「人命にかかわるかもしれない」「あなたの息子さんは外国で立派な活動をしている。あなたは息子がどうなってもよいのか」などとも述べた。
そして、「政治評論家をやめるべきだ。元委員長が政治評論家面(づら)をするのは許せない」などと述べて、政治評論活動を止めるように繰り返し迫ってきた。
矢野氏は、青年部幹部らの言動に身の危険を感じ、青年部の用意した、"文春の手記のことは謝る。今後は書かない。恩返しをする"などの趣旨の文書に署名をし、政治評論家を辞めると述べた。
翌・5月15日は、日曜ということもあって、矢野氏は自宅にいた。
すると午後5時ころ、大川清幸・伏木和雄・黒柳明の3人が突然、矢野氏宅を訪ねてきた。
3人はいずれも、矢野氏との個人的な交流は十数年前から絶えており、大川と伏木は矢野氏宅を訪問したこともなかった。
この時以来、3人は都合4回にわたって矢野氏宅を訪れ、矢野氏が議員時代に書き記したおよそ百冊の手帖などの資料を引き渡すよう再三要求し、これを持ち帰った。また、矢野氏宅に他に資料が残っていないか、2度にわたって矢野氏の自宅内を確認して歩いたのである。
この事実を知った『週刊現代』は、同誌8月6日号に、「スクープ 創価学会&公明党のタブー『矢野絢也元公明党委員長極秘メモ』100冊が持ち去られた!」と題する記事を掲載。ここから一連の裁判へとつながっていった。
【実地検証までして得た結論】
―証拠は「変造」されていた!―
この裁判では、矢野氏が資料を提出した行為が、公明党OB議員らの強要によるものか、否かが、大きな争点となった。
しかして束京地裁は、公明党OB議員側が提出した、ICレコーダーによる隠し撮り音声データに基づいて
「原告らにおいて、被告矢野に対し、強要あるいは脅迫にわたる行為があったとは認められない」
「被告矢野は、原告らと話をする過程において、自らの判断により本件手帳等を原告らに預けることを決断したものと認められ、原告らが、被告矢野から本件手帳等を奪い、持ち去り、強奪したものとは認められない」
「被告矢野は、原告らが自宅内を見ることを了解し、自ら案内したものであり、原告らが、被告矢野の意思に反して被告矢野の自宅内を家探ししたものとも認められない」
として、矢野氏を含む講談社側に損害賠償を命じた。
さらに、矢野氏の手帖返還請求については、矢野氏らと公明党OBB議員3名との間で念書(預かり書)が交わされていることを根拠に、
「本件念書による合意は、少なくとも関係者が死亡するまでは本件手帳等を被告矢野に返還しない合意を含むものと解される」
として、理不尽にも、自らの所有物の返還を求める矢野氏の請求を棄却してしまったのである。
ところが、2審の東京高裁は、音声データに収められた会話や周囲の音のつながりに、不自然な点が数々見られることを重視。裁判官が自ら矢野氏の自宅にまで足を運んで実地検証をした。そして、
「本件音声データは、当初は提出されていなかったが、東京地裁における矢野本人に対する尋問の中で、控訴人(※公明党OB議員)らの代理人は、矢野が控訴人らの訪問時に録音をしていなかった、ということを念入りに確認した後、初めて提出された」
「矢野及び当裁判所から、原本の録音媒体を提出するように促(うなが)されても、既(すで)に消去したというのみで、これに応じようとしない」
「訴訟における原本主義に鑑(かんが)みれば、証拠の保管ないし提出方法において著しく不自然」(要旨)
と指摘した上で、音声データが連続的に記録されたものとするには著しく不自然な部分を5箇所、具体的に指摘し、
「本件音声データは、矢野宅において録音された当時の音声データについて、その後に、削除等の加工を施されたものと認められる」
「録音されていない部分の発言等については、矢野本人、証人矢野満子及び同生沼千晶の各陳述書並びに尋問における供述を証拠として認定するのが相当である」(要旨)
として、
「控訴人らが、共謀の上、矢野の自宅において、矢野に、極秘メモを記載していた衆議院手帖を引き渡すよう強要し、本棚、押し入れ、妻の部屋に至るまで家探しし、矢野の衆議院手帖を段ボール箱に詰めて奪い、これを持ち去ったとの事実を摘示した『週刊現代』平成17年8月6日号の記事の内容、及び控訴人らが4回にわたって矢野宅を訪問し、そのつど、執拗(しつよう)かつ強い要求をし、矢野が『プライバシーの侵害になる』と強い抗議をしたにもかかわらず、2回にわたって家探しを強行するなどして、手帖を無理矢理に持ち去った、との事実を摘示した『週刊現代』同8月13日号の記事の内容は、いずれも真実というべきである」(要旨)
と判断。そして、
「本件各記事を名誉毀損であるとして、謝罪広告及び損害賠償を求める控訴人らの請求はいずれも理由がない」
として、東京地裁の、公明党0B議員の請求を認めた勝訴判決部分を破棄したのである。
さらに、矢野氏の手帖返還請求ならびに損害賠償請求に対しては、公明党OB議員側の"念書により手帳等の所有権は、すでにOB議員側に移転している"との主張を退け、
「当該念書の文言に照らせば、矢野が本件手帳等の所有権を保持し続け、控訴人らにこれを移転していないことは明らか」
「矢野はいつでもその返還を請求することができ、現に同被控訴人が返還を請求している以上、いずれにしても控訴人らが本件手帳等を占有する権限を認めることはできない」
として、公明党0B議員に対し、矢野氏に手帖を返還するよう命令。
さらに、公明党OB議員の行為によってプライバシーが侵害されたとする矢野氏の主張も認め、公明党OB議員に対し、連帯して矢野氏に3百万円支払うよう命じたのである。
【司法までも平気で欺く卑劣さ】
―これぞ学会・公明党の体質―
かつて創価学会が犯した写真偽造事件にも通ずる、公明党OB議員らによる音声データの変造。
しかも、今回は司法を欺(あざむ)くための、証拠の偽造である。いったい、この組織には良識というものがないのか。じつに呆(あき)れ果てた、そして許し難(がた)い暴挙(ぼうきょ)ではないか。
この判決の直後、学会員ジャーナリストの柳原某なる者は、インターネット上に
「2009/03/27(Fri)
矢野絢也・現代裁判
高裁判決は大幅後退
矢野絢也と『週刊現代』が元公明党議員3人に名誉毀損で提訴されて1審で完全敗訴していた裁判で、本日午後1時30分、東京高裁(民事17部)で控訴審判決が言い渡された。主文を言い渡した南敏文裁判長は、矢野が『念書』をつくって3人に引き渡した手帳を返却するように命じ、さらに賠償額を減額した。(中略)
矢野絢也はこの裁判の1審における本人尋問で、数々の『偽証』を働き、その事実を決定的な証拠とともに暴(あば)かれていた」
などという文章を掲載(後になって一部修正)したが、事情を知らぬ者がこれを読めば、まるで、1審の不当判決がそのまま維持された上に、2審でも、矢野氏らの求めていた損害賠償額が減額されて敗訴したかのごとく誤解しても、何ら不思議ではないだろう。
このように、創価学会・公明党は、まさに不公正な輩(やから)の吹き溜(だ)まりのようなものだ。
我々は、このような彼等の体質を見過ごすことなく、どこまでも追及していかなくてはならない。
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【事件の流れ】
<H5〜H6>
・衆議院議員を引退した後、政治評論家としての活動を開始した矢野氏は、『文藝春秋』に手記を連載。
・手記に「創価学会と公明党は政教一致と言われても仕方がない部分があった」旨の記述をしたことから、創価学会から激しい非難を受けた。
その結果、矢野氏は、創価学会に対して陳謝した上、同手記を単行本として出版する際に当該記載を削除するなどの措置をとった。
<H17.4.20>
・矢野氏は、創価学会の西口副会長(当時)に呼び出され、この十数年前の手記について「創価学会青年部が怒っている」「矢野を除名せよとの要求が出ている」「青年部は跳(は)ね上がっている。矢野の命も危ない」などと述べた上、あらかじめ用意をした文案を示して、同手記に関する謝罪文を書くように求められた。
・矢野氏はとまどったが、これを了承し、渡された文案に沿って謝罪文を作成し、西口に渡した。矢野氏が謝罪したことは『聖教新聞』が大きく報じた。
・その後、矢野氏は、夫人を伴(ともな)い海外に出かけた。すると、矢野氏の子息から、創価学会副会長の長谷川に連絡をとるよう伝言がある。
・矢野氏が長谷川に電話したところ、長谷川から「青年部が強硬だ。事態を収めるため、帰国日である5月14日に青年部と会ってほしい」との強い要求があり、矢野氏はこれに応じることにした。
<H17.5.14>
・帰国した矢野氏が、創価学会戸田国際会館で行なわれた創価学会青年部との会談に臨(のぞ)むと、青年部長の杉山ら5名が矢野氏を取り囲むように着席し、口々に、「青年部において、矢野を除名せよとの要求が出ている」「我々は本当に怒っている」などと矢野氏を糾弾し、2度にわたって「土下座しろ」と迫(せま)り、「人命にかかわるかもしれない」「あなたの息子さんは外国で立派な活動をしている。あなたは息子がどうなってもよいのか」などとも述べた。
そして、「政治評論家をやめるべきだ。元委員長が政治評論家面(づら)をするのは許せない」などと述べて、政治評論活動を止めるように繰り返し迫ってきた。
矢野氏は、青年部幹部らの言動に身の危険を感じ、青年部の用意した、"文春の手記のことは謝る。今後は書かない。恩返しをする"などの趣旨の文書に署名をし、政治評論家を辞めると述べた。
<H17.5.15>
・午後5時ころ、大川清幸・伏木和雄・黒柳明の3人が突然、矢野氏宅を訪ねてきた。
・この時以来、3人は都合4回にわたって矢野氏宅を訪れ、矢野氏が議員時代に書き記したおよそ百冊の手帖などの資料を引き渡すよう再三要求し、これを持ち帰った。また、矢野氏宅に他に資料が残っていないか、2度にわたって矢野氏の自宅内を確認して歩いたのである。
<H17.7.>
・この事実を知った『週刊現代』は、同誌8月6日号に、「スクープ 創価学会&公明党のタブー『矢野絢也元公明党委員長極秘メモ』100冊が持ち去られた!」と題する記事を掲載。
<H17>
・3人が、同記事によって名誉を毀損(きそん)されたとして、損害賠償や謝罪広告の掲載を求め、講談社や矢野氏を訴えた。
<H17.8.>
・これに対し講談社側は、『週刊現代』(8月13日号)に、「公明党0B議員からの提訴は笑止 矢野絢也氏が『手帖強奪』の真相激白」と題した反論記事を掲載。
<H17.>
・すると3人は、これに対しても同様の訴えを起こしてきた。
<H17.11.9>
・今度は矢野氏が3人に対し、持ち去られた手帖の返還と損害賠償を求めて、訴えを起こしたのである。
<H19.12.21>
・この3つの訴訟は併合されて審理され、1審の東京地裁は、3人の側の主張を全面的に認める一方、矢野氏の請求は全て棄却(ききゃく)する判決を下した。これを不服とした矢野氏らは、東京高裁に控訴。
<H21.3.27>
・東京高等裁判所(南敏文裁判長)は、3人の公明党OB議員(大川清幸・伏木和雄・黒柳明)と、講談社・元公明党委員長矢野絢也氏らとの間で争われていた民事訴訟に関し、1審の東京地裁の判断を覆(くつがえ)し、矢野氏らの全面勝訴とする判決を下した(3人は最高裁に即日上告)。
<H21.9.1>
・上告審で、最高裁第3小法廷(田原睦夫裁判長)は1日、元議員3人の上告を受理しない決定をした。記事は真実として名誉棄損を認めない一方、「プライバシーを侵害された」として逆に訴えていた矢野元委員長の主張を受け入れ、元議員らに手帳の返却と300万円の支払いを命じた2審東京高裁判決が確定した。(<共同通信/47NEWS>H21.9.1)