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1970〜80年代の日本映画を語るのに欠かせない日活ロマンポルノ。成人映画として不当な評価も受けてきたが、自由な発想で数々の名作が生まれた。約700本の作品群から、映画評論家の蓮實重彦、山田宏一、山根貞男の3氏が選んだ34本が、東京・渋谷のユーロスペースで上映されている。
50〜60年代の日本映画は大手5社がそれぞれ撮影所を持ち、専属の監督や俳優を抱えて作品を量産した。ところがテレビに押され、70年前後に自社製作から基本的に撤退。成人映画路線に転換した日活だけが、従来の撮影所システムを維持した。
性的な場面さえ入れておけば比較的自由に撮れたため、男女の愛憎を斬新に、深く掘り下げた作品が現れた。その中から「赫(あか)い髪の女」の神代(くましろ)辰巳や「実録阿部定」の田中登らの才能が開花。根岸吉太郎や相米慎二ら80年代以降の日本映画を支えた監督が育った。
山根さんは「埋もれた作品も積極的に選んだ。今回が偏見なく見られる初の機会では。これを入り口にもっと見てほしい」と話す。日活によると、女性専用シートを設けた効果もあり、女性客が3割を占めるという。大阪、京都、名古屋、広島、福岡、大分、那覇の上映も決まっている。
■「時代変わりうれしい」
アナーキーな喜劇から叙情豊かな恋愛ドラマまで幅広い作風で、日活ロマンポルノの中核を担った曽根中生(ちゅうせい)監督(74)。今回は5本が上映される。「エロ映画と言われた時代から考えると、本当にうれしいですね」
かつては撮影所が学校だった。助監督時代は主に鈴木清順監督に付き、監督デビュー後は若手を数多く育てた。「助監督の相米に『何でそんな芝居をつけるんですか』と怒られてね。彼の思うようにやらせた。すると『ああ、やっぱりつまらないですね』って」。
男性客の性的満足を意識して撮ったことはないという。「僕は映画を作っていた。自分を曲げて観客におもねると逆に客を呼べなくなる。何か一つでも自分のやりたいことをやる。そのあたりは清順さんの影響だと思います」(石飛徳樹)