民主党がタクシーの免許制を復活させる新法案の提出を検討していると報じられた。また、先日の高速バス事故を受けて前原誠司政調会長は規制緩和の見直しを指示した。このように規制を強化することで改善されることはあるのか、そして得をするのは誰なのか。
交通分野での規制緩和は先進国に多くの例があるが、日本での取り組みは遅れ、1996年末の段階で当時の運輸省がようやく発表し、98年度からの3カ年計画である第2次規制緩和推進計画に盛り込まれた。
貸し切りバスが先行して2000年2月に、乗り合いバスについては02年2月に、需給調整規制の廃止等を内容とする改正道路運送法等が施行された。タクシーについても02年2月に規制緩和された。
これらにより、事業の参入については、需給調整規制を前提とした免許制から、輸送の安全等に関する資格要件をチェックする許可制へ移行し、運賃制度についても、事業者の創意工夫により多様な運賃を設定することが可能となった。
あまり知られていないことだが、免許制と認可制は安全面での行政実務としてはあまり大差ない。国が需給バランスを調整するという点が異なるだけだ。
民主党は、国による需給調整を復活させ、運賃の設定についても規制強化を検討している。国土交通相が営業区域ごとに示した範囲内で運賃を設定する規定を盛り込むようだ。
民主党の政策には、政府が需給調整できることや価格を適切に設定できるということが前提にある。一方、他の先進国の規制緩和では、政府にはこうした調整ができないので市場に委ねるが、安全面だけはチェックするという考えが背景にある。
小泉政権の時には、そうした先進国の流れに従い、安全性を考慮しながら、市場での競争成果を得ようとしていた。
民主党の成長戦略にも、政府が成長産業を選び出せるという前提がある。こうした政府が全知全能であるという前提は、経済学ではハーべーロードの前提といい、あり得ないものとされている。
ハーべーロードの前提に立った需給調整や産業政策をやってみても、官僚その他の既得権者を潤すだけのレント・シーキング(特殊利益追求)を生むだけとされている。参入規制によって超過利潤が発生して、それを既得権者で分け合うわけで、社会的には資源浪費である。
私はかつて公正取引委員会事務局に勤務していたが、そうした実例を多くみてきた。政府は09年に一定の規制強化を行った。それでどの程度安全になったのかを定量的に示す必要がある。その上で、レント・シーキングによる資源浪費も明らかにして、国民の判断を仰ぐべきだろう。(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)