戦死者追悼のシンボル、ポピーを身につける国々
国際サッカー連盟(FIFA)は、イングランドのサッカー選手たちが週末のスペインとの試合でポピーの花を身につけることを許可しました。このように戦死者を追悼するためにポピーを身につける習慣は、どの国で行われているのでしょうか。
サッカーのプレミアリーグでは、先頃、選手たちがユニフォームにポピーの花を縫い付けてプレーしていました。ところが戦没者追悼記念日の前日、ウェンブリーで行われるスペインとの親善試合では、ポピーの花をつけることは規則違反であり、認められないとされました。
FIFAの声明では、ポピーの花を身につけることは、「政治的なシンボルを表してはならない」という規則に違反するとしていました。ところが、ウィリアム王子とデービッド・キャメロン首相が抗議文を送り、違反との判断は撤回されました。
この時期にポピーの花を身につけるという習慣は、英国だけのものではありません。実は、ポピーの花が戦死者追悼のシンボルとなるまでには、非常に国際的な起源があったのです。
1918年11月、カナダ人の従軍医師ジョン・マクレーが書いた詩に感銘を受けたアメリカの人道主義者モイナ・マイケル女史が、戦地に倒れた兵士たちに敬意を表するためにポピーを身につけたり配ったりしました。マクレーの詩『フランドルの野で』は、死のあとでの最初の命のあかし――第一次世界大戦中にフランス北部とベルギーに埋葬された兵士たちの墓地に咲いた小さな赤い花――を描いています。
休戦合意への調印が行われる2日前、マイケル女史は1輪の赤いポピーを買い求め、コートにつけました。そして自分が勤務していたニューヨークのYMCA本部で、退役軍人たちにもポピーを配ったのです。2年後、アメリカ在郷軍人会の会議で、ポピーを正式に取り入れることが決まりました。同じ会議で、遺児や未亡人がポピーを売って、資金を集めることを思いつきました。
以来、ポピーは世界のあちこち、特に英連邦の国々で、戦死した兵士を悼むシンボルとなりました。
英国在郷軍人会では1921年にポピーを取り入れ、2010年にはイングランド、ウェールズ、北アイルランドで4500万個のポピーを配りました。今年は4000万ポンド(6400万ドル)の寄付を集め、退役軍人や傷痍軍人の援助に充てたいと考えています。
英国在郷軍人会で「ポピー・アピール」の募金活動の責任者をしているニック・バックレーによると、ポピーは英国国外の120か国に300万個送られています。そのほとんどが、スペインやドイツ、フランスなどに住んでいる英国人のためだといいます。しかし、ロンドンの工場で製造され、アルゼンチンやカザフスタン、スリランカなど、さまざまな国の英国大使館に送られるポピーを、その国の人たちが身につけることもあります。
スコットランドでは、「ポピースコットランド」が毎年およそ500万個のポピーを配布していますが、見た目がやや違います。イングランドのものが2枚の花びらに1枚の緑の葉がついたものであるのに対し、スコットランドのものは花びらが4枚で葉がありません。
スコットランドのポピーは「植物学上正確」であると、「ポピースコットランド」の広報担当者リー・ジェームズ氏はいいます。また、この違いには経済的な理由もあります。1枚の葉をつけるとすると、年間1万5000ポンド(2万4000ドル)が余計にかかるからです。
南アフリカ在郷軍人会の事務局長マリエット・ベンター氏によると、南アフリカでは近年、ポピーの人気が高まっています。「ポピーのピンは、この国でも浸透しつつあるのです」とベンター氏はいいます。
先ごろ南アフリカを訪れたチャールズ皇太子が、襟にポピーをつけていたことから、どこでポピーが手に入るのかという問い合わせの電話が在郷軍人会に殺到しました。南アフリカの在郷軍人会には今年、イングランドのポピー工場から30万個のポピーが、50個のリースとともに送られました。
また、ベンター事務局長はマラウイでの式典のため、200個のポピーを送りました。
カナダ退役軍人会のボブ・バット氏によると、カナダでは、今年の戦没者追悼記念日のために1800万個のポピーを配りました。カナダのポピーはトロントで作られており、4枚の花びらに黒い中心があり、葉はないなど、スコットランドのものと似ています。
ニュージーランドでは、ガリポリの戦いで亡くなったアンザック軍の兵士を追悼する4月25日の「アンザック・デー」の前の金曜日に当たる日を「ポピー・デー」としています。
それには歴史的な理由があります。1921年の最初の「ポピー・デー」のため、ポピーを載せてフランスから向かった船が、11月の休戦記念日に間に合わなかったのです。
同じく1921年に、オーストラリアはフランスの遺児から100万個のポピーを買いました。最近ではポピーは自国で作られ、「名誉の戦死者名簿」に書かれた名前の横に飾られます。
ポピーを身につけるという習慣が最初に行われたアメリカでは、休戦記念日の頃にポピーを見かけることが少なくなりました。11月はアメリカでは退役軍人を称え、襟に赤・白・青のリボンをつけることの方が一般的になっているからです。しかしアメリカの一部では、5月の戦没将兵追悼記念日の頃にポピーを飾ったり身につけたりすることがあります。
アイルランド、特に北アイルランドでは、ポピーは論争のもととなってきました。共和国軍の支持者の多くが、ポピーを身につけることを、英国君主への忠誠の印と考えているからです。
北アイルランド紛争の時期、ことに悲惨な事件が起きたのが戦没者追悼記念日です。エニスキレンで行われた式典でアイルランド共和軍(IRA)が爆弾を仕掛け、11人が死亡、60人以上が負傷しました。
フランスでは、青いヤグルマギクを身につけることもありますが、英国のポピーほどは広まっていません。