発信箱:走るということ=落合博(論説室)
毎日新聞 2012年05月17日 00時16分
走りたいのに走ることを許されなかったランナーがいた。オリンピックのマラソンで金メダルを取ったがためにだ。
オリンピック新記録で1936年のベルリン大会を制した孫基禎(ソン・キジョン)さんは朝鮮半島北部、中国との国境に近い町に生まれた。当時の朝鮮は日本の植民地支配下にあり、孫さんは日本代表としての出場だった。レースでは足袋が小さいがためにできたまめに苦しんだ。3位には同じ朝鮮半島出身の明治大学生、南昇竜(ナム・スンリョン)さんが入った。君が代が流れ、二つの日の丸が揚がった表彰式ではヒトラーの祝福を受けた。
翌年、明治大学に進んだ孫さんは陸上競技から遠ざかった。民族の英雄である孫さんが再び活躍すれば、朝鮮の独立運動に火をつけることになると恐れた朝鮮総督府などが入学に際し、二度と走らないことを条件につけたためだと言われている。
それでも孫さんは走りたい気持ちを抑えられず、人目につかないよう夜中のランニングを続けた。戦後は私財も投じて陸上選手の育成に力を注ぎ、88年ソウル五輪の開会式では聖火を持って走り、大歓声を浴びた。日韓共催のサッカー・ワールドカップを見届け、2002年11月、90歳で亡くなった。横浜在住の長男、孫正寅(ソン・ジョンイン)さん(68)によると、晩年は「一度は箱根駅伝を走りたかった」と言っていたそうだ。