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マゼランの魂、未だ潰えず

界に名高い大探検家・フェルディナンド・マゼラン。
彼は、世界が暗闇に閉ざされ、海の向こうに何があるかさえわからなかった時代に、一人新たな光を世界に差し込んだ男だ。
マゼランの航海は、アジアしか知らなかったアジアに新たな光を差し込み、植民地化による暗黒の時代があったにせよ、少なくとも人々に新たな文明社会の築き方を伝えた。

ポルトガル人である彼が、スペイン王の協力を得て南米最南端・フェゴ島に海峡を発見、大西洋から太平洋に出たことは広く知られているが、その海峡・マゼラン海峡は、私が人生の最後に旅しようと昔から決めているところだ。
ダーウィンを乗せたビーグル号もこの地区の海峡を越え、その海峡はビーグル海峡と名付けられている。
そのマゼランが最後に上陸した地。それがフィリピンのセブ島であった。
スペインから船に乗せてきたマレー人奴隷・エンリケが先遣隊でセブ島に上陸、そこで現地人と交渉にあたった際に、言葉が通じたという衝撃的なニュースが走った。
この事実により、欧州に知られていたマラッカ、すなはちマレー社会と、スペインからマゼラン海峡を越えて辿り着いた地がつながり、自分が世界一周を果たしたことに気づくのである。
しかし、そこで自分がこの地の王だと宣言したマゼランに、マクタン島の酋長ラプラプが戦いを挑み、マゼランは戦死する。
当初5隻・277名で出向したマゼラン艦隊は、マゼランの戦死後もスペインへ航海を続け、出航から3年後、最後の1隻・ビクトリア号がたった18名の船員を乗せスペインに帰港する。そして航海中に観測されたと言われる星の帯は、マゼラン銀河・マゼラン星雲と名付けられたと言われる。
以後、セブはスペインのキリスト教布教の本拠地となり、ここからアジアへキリスト教が伝播していくのである。
そんなロマンの溢れる場所がフィリピン。特にセブだ。

セブは香港からも近く、わずかな時間で飛んでいける。
フィリピン・ビサヤ諸島の中心地であり、セブ・シティはマニラ、ダバオを次ぐフィリピン第3の都市である。
そしてフィリピンの歴史の中心でもある。
今回は家族の要望で、リゾートで夏休みを過ごすことになったのだが、リゾートは殆ど行き尽していた。
また、昨年の津波でインド洋やアンダマン海に面したリゾートは、何となく気乗りしないと言う。
私は、以前よりこの歴史の宝庫に興味があった。
東アジアでは、実は最も早く西洋の文化がアジアに侵入した地域だ。
フィリピンは人口も1億弱に増加し、英語を話す人口がアメリカ、イギリスに次ぎ多い国なのだそうだ。
しかもアジアで唯一キリスト教徒が過半を占め、欧米諸国には入りやすい国のはずである。政治の安定と治安維持が大変大きな課題ではあるが、21世紀に大国化する可能性も潜む面白い国だ。

セブはリゾートとして有名だ。
空港のあるマクタン島に、マクタン・シャングリラを始めとして多くのリゾートが存在する。
また、すぐ隣には世界遺産・チョコレートヒルを有するボホール島がある。
マクタン島の海は透明度が比較的高く、シュノーケリングやダイビングに適している。
私もカヤックで沖へ出て潜ったが、なかなかのものだ。途中、シュノーケリングしていた次男が海の底にうなぎみたいな魚がいるというので見てみると、ブルーと黒の縞模様の海蛇が海底に現れ泳いでいた。
「ばか、あれは海蛇だ。」
慌てて海上に浮かぶカヤックに飛び上がったが、慌てて飛び乗ったためカヤックが転覆してしまった。
子供たちも海に投げ出され慌てたものの、足のつかない海にしばらく浮かせておき、何とかもう一度ひっくり返して脱出した。
その際にシュノーケリングのセットが海底に沈んでしまった。
しばらく周囲をカヤックで巡り捜索して見つけ、海蛇が怖いものの潜水して取り戻した一幕があった。
旅の最中の事故もハッピーエンドにさえなれば、後々いい思い出となる。
他のリゾートと比べても透明度は高く、パンをちぎって投げ込めば大量の熱帯魚が集まってくる。

最終日、私はタクシーを借り切って、念願の名跡巡りに出かけた。
まずは、サン・ペドロ要塞。
マゼランのセブ上陸から44年後の1565年。初代総督レガスピにより構築された要塞で、当時は木造の要塞だったようだ。
小さな要塞で、すぐ隣がフェリーポートであるが、ビルで今や海は殆ど見えない。
古くからの大砲が置いてあるが、これは砲台がなく、砲身を地面にそのまま寝かした大変古いものだった。


そして私が一度目にしたかった、マゼランクロスへ行った。
セブのシティホールの前に小さなお堂があり、周囲は大変賑わっていた。そしてそのお堂の中に、厳かな十字架が立っていた。
「Magellan`s Cross」。 1521年4月21日の日付がある。
その十字架を支える記念碑に、私は静かに手を添えた。
外は賑やかで人通りが耐えない。喧騒の中に静かにこの十字架は立っていた。
大西洋から南米最南端を命がけで越え、食糧不足に悩まされながら、スペインからここまで1年半をかけて航海を続けた大探険家。その彼が自身の手で残したと言われる十字架が、そこにはあった。
当時のこの島の酋長や島民であろうか。スペイン人がキリスト教を伝播する絵が天井に描かれている。
マゼランは自分の夢に立ち向かい、地球は丸いと信じ続けた。
自分の信念を貫き通し、この世界を見た。そして自分の信仰するキリスト教をこの地に伝えた。
この十字架を作った彼はどんな気持ちだったろうか。
そしてまた、マゼランの侵入に大半の酋長がひれ伏す中、一人対抗したマクタンの勇者・ラプラプもまた、どのような気持ちでこの大探検家に挑んだのであろうか?

スタイン、スウェン・ヘディン、リビングストン、ダーウィン、ヒラリー。
歴史に名を残す大探険家や大登山家の足跡を追って旅してきた。
私はここでまた、マゼランという大探検家の魂に触れた。
セブ島を見渡すTopsに上がり、遥か遠くを見渡した。
この地であちこちに散在する教会やギターの歌声、各地に残るスペイン時代の地名を目にすれば、誰もが思うはずである。
「マゼランの魂、未だ潰えず」
それほどに世界に影響を与える強い光を放った男がいたのである。
夕刻、マクタンのマゼラン記念碑とラプラプの銅像を前に、彼らの生きた熱い時代に想いを馳せた。
夕陽が力強く、赤く空を染めていた。


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