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2012年論・談>2012.05.10

宗教と医療の接点―補完医療の可能性――僧医対本宗訓氏

平成24(2012)年5月10日

つしもと・そうくん氏=昭和29年、愛媛県生まれ。京都大学文学部哲学科卒、天龍寺専門道場で修行。平成5年、臨済宗佛通寺派管長、佛通寺専門道場師家に就任。12年に帝京大学医学部に入学し、管長を辞任。医学部卒業後、内科医、「僧医」として活動中。「臨床僧の会・サーラ」代表。『僧医として生きる』『闘う仏教―現代宗教論』(共著)など、多くの著書がある。

一昨年の秋から、私はリサーチ・フェローとしてロンドンに滞在している。「補完医療の通常医療への導入に関する臨床研究」が主たるテーマであるが、これは一言で言い換えれば「統合医療」ということにもなるだろう。

医学部卒後の5年間、大学病院、総合病院、クリニック等の勤務を通して、さまざまな医療の現場を経験した。私はもともと終末期の緩和ケアを志向して医療の世界へ入った。

昔と比べて、疼痛のコントロールを中心とするトータル・ペインの対応は確かに飛躍的に発展してきたと思うが、しかしなお、患者さんが安心して死を迎えられているわけではない。それに何よりも、多くの患者さんが抗がん剤の副作用で苦しみ、恐怖と不安におののきながら辛い治療を受けておられる事実は変わらない。

卒後研修に一区切りつけるにあたって、そのまま医師としての勤務体系の中に身を置くのではなく、僧医という自分本来の役割を考えて新たな視野を切り開くため、数カ月の熟考の末に渡英を決意したのだが、私にとって半ば必然の進路であったかもしれない。

具体的研究対象にまず選んだのが西洋の代表的補完医療であるホメオパシーであった。これは帯津三敬病院の緩和ケア病棟でその効用を実際に経験したことによる。折しも渡英する直前、日本ではホメオパシーに対する排斥運動が起こっており、私の渡英目的を測りかねる声もあったが、多くの方々のご理解とご支援に背中を押され、ロンドンにある王立統合医療病院のプログラムに登録し、ホメオパシーのカレッジに籍を置くことができた。

補完医療には中国の漢方やインドのアーユル・ヴェーダなど各種の伝統医学体系、ホメオパシー、ハーブ、アロマ・セラピー、フラワー・エッセンス、リフレクソロジー、ヒーリング、メディテーション、自律訓練法などがある。現代西洋医学を補完するという意味において有用な治療法である。

日本では最近、大学病院でも漢方薬が処方されるようになり、保険適用もなされている。しかしその他の補完医療となると、ほとんど顧みられないのが実情だ。

一つには混合診療を認めない保険制度の問題があるが、それだけではなく、日本の社会に補完医療を受け入れる成熟した土壌が医療者側にも民間にもまだ育っていないことが大きいと思う。補完医療を根づかせるためには、欧米並みの教育システムや認定制度、倫理綱領や行動規範の整備などが今後必要となるだろう。

現代西洋医学は細胞分子生物学の基盤の上に成り立っており、人体を細胞の集合体ととらえる。要するにモノとしての人体を中心に診ているのだ。それに対して、多くの補完医療の基盤は生命エネルギーにあり、エネルギー医学という範疇で括られることもある。

この生命エネルギーは、中国伝統医学では「氣」、インド伝統医学では「ドーシャ」、ホメオパシーでは「ヴァイタル・フォース」などと呼称はさまざまだが、いずれも物質としての身体に生命活動を付与するものとして共通の理解がなされている。生命エネルギーを科学的に検証する取り組みは以前からなされており、それなりの知見は得られてきているものの、まだ決定的な成果は出ていない。 しかし体験的に把握できるという厳然とした事実があること、この生命エネルギーに拠って立つ治療体系が実際の効果を示し、なおかつ長年にわたる経験知の蓄積があるということなどから、荒唐無稽なものとして否定し去ることは決して当たらない。

人類史において長らく宗教と医療とが未分化な時代があったが、今においても補完医療の根底は宗教的なものとのつながりが深い。これはその生命観や身体観にはっきりと看て取ることができる。

補完医療が拠って立つ生命エネルギーは、肉体としての物質的身体を含みながら超えるかたちで、物質的なレベルから霊的なレベルにまで階層的に分布するとされる。したがって現代西洋医学のように病因を肉体に限って考え、それに対して治療を施して改善が見られたとしても、結果としては一時的に病因を抑圧しているにしかすぎない場合が多い。長期的な経過で見れば、再発や新たな症状となって現れてしまいがちである。

もちろん、通常医療としての西洋医学は必要であり、とくに検査法や診断学、急性期治療、外科的手技、救命救急などの医療技術は他により優れた代替手段はない。しかし、多くの慢性疾患、生活習慣病、アレルギー疾患、免疫疾患などは、西洋医学的治療のもとでは降圧薬やステロイドなどを漫然と投与されるのみで、副作用に苦しみながらも寛解と再発を繰り返し、結果として一生薬を服用し続ける患者さんも珍しくない。

モノとしての肉体に視野を限る現代西洋医学を相補うものとして、補完医療的観点を導入する意味がここにある。人体を階層的な生命エネルギーの場としてとらえ、その生命エネルギーを賦活することによって人体に本来そなわった自己治癒力にはたらきかけるのが補完医療である。言い換えれば、生命エネルギーの場に蓄積された抑圧や不調和といった捩れを解き戻しつつ、人体がもつ生命の叡智に治癒をゆだねるのである。

私は臨床研究の一環として統合医療クリニックで患者さんと接している。統合医療のベースはあくまでも西洋医学であり、まずは病歴や検査結果の検討から始めるのだが、たとえばホメオパシーを使って治療した場合、急性疾患での即効もよく経験するものの、何よりも慢性疾患の患者さんが薄皮を剥ぐような治癒のプロセスをたどっていくのは印象的である。必要な程度の治癒が必要な時に起こるという、まさに人体の叡智によるものと言わざるをえないような経過を前にすると、おのずと生命に対する畏敬の念が湧き上がってくるのを覚える。

私は現代西洋医学を否定しようとしているのでは決してないし、補完医療を過信する立場でも毛頭ない。ご承知のように、西洋医学には限界があり、また副作用などの弊害がある。補完医療にもまた西洋医学の裏づけなくしては危うい面が多々あることは事実である。私が言いたいのは、西洋医学の限界を補い弊害を緩和する手立てとして、さまざまな補完医療を駆使することができるのではないかということであり、また西洋医学の医療者たちはこの補完医療のもつ人間的で豊かな生命観や身体観に学ぶべきだとも考える。

統合医療とは単に多様な戦略の寄せ集めではなく、より高次のシステムとして現代西洋医学と補完医療をうまく組み合わせながら患者さんのウエル・ビーイングをめざす医療である。そこには西洋医学の観点からだけでは出てこない、なぜ病むのか、いかに生きるか、いかに死を迎えるか、などといった生老病死への問いに答える補完医療ならではの素地が用意されており、現代における宗教と医療の接点の一つがここにあるように思う。

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