~ 国 境 の 島 々 ~          HPより資料集収     日本の離島の横顔   

 
  南 鳥 島 
(マーカス島)




南鳥島(マーカス島)について        (平成10年3月、小島豊明氏撮影)

 南鳥島は東京より東南へ約1950km、珊瑚礁でできた小さな島である。北緯24度18分、東経153度58分に位置するこの島は日本の最東端としても知られている。島はほぼ正三角形に近い形であり、その一辺の長さはおよそ2km、標高は最高地点でも20mほどである。
 昭和11年から16年に、日本海軍はこの島に2本の滑走路を設置した。開戦時に配置されていた兵力は海軍将兵約350名であった。そして戦局が悪化してきた昭和18年3月、さらに島の防備が強化されることになった。当初、陸軍は海軍基地の守備には海軍陸戦隊を充てるべきだと主張したが、海軍の兵員不足により陸軍部隊の派遣が決まった。昭和18年9月1日の初空襲以来、防備は次第に強化され、昭和19年夏には坂田善市大佐(戦病死)率いる混成独立第3連隊(歩兵3個大隊、野砲・戦車・通信中隊など2070名)が配属された。海軍部隊も強化され、南鳥島警備隊司令・松原雄太少将の下には15cm水平砲2門や8cm高角砲3門を主力とした800名近い兵力が配属された。

 南鳥島では地上戦こそ行われなかったが、昭和19年5月以降しばしば空襲にさらされ、終戦までにのべ779機が来襲した。日本軍は高角砲や機関砲で応戦、相当の損害を与えたものの、248名の死傷者を出した。19年10月9日には米艦隊の艦砲射撃も行われ、日本軍も15cm砲で応戦して1隻を撃沈したとの記録があるが、米側に損害の記録はない。
 そして硫黄島陥落後になると本土との連絡・補給も絶たれ、食糧不足から数十名の兵士が栄養失調などで死亡した。戦死・戦病死者の合計は191名となっている。

 終戦になり米軍が降伏勧告に来たとき、守備隊の食料はほぼ尽き果てていた。しかし、降伏の交渉にあたった海軍部隊副官・中村虎彦中佐の対応ぶりに感服した米司令官は守備兵に最大限の配慮で応え、守備兵は昭和20年9月、日本本土に復員した。この終戦時の中村中佐の活躍については、吉田俊雄「指揮官たちの太平洋戦争」(光文社NF文庫)をぜひ参照されたい。

南鳥島に残る日本軍のトーチカ         (平成10年3月、小島豊明氏撮影)

 現在、南鳥島には気象庁・海上保安庁の職員と海上自衛隊員あわせて30数人が在住し、様々な観測業務や海難救助などの支援を行っている。潮風で減耗していく設備の改修を行う作業員をのぞき、一般の人が訪れることはない。

 この南鳥島の写真は設備などの改修のために訪島した小島豊明氏の御厚意により提供いただいたものです。貴重な資料を提供して下さった氏にあらためて感謝いたします。

   沖ノ鳥島



日本の一番南に位置する島(N:北緯20度25分 E:東経136度05分)。東京から南南東に約1,700km離れたところにあります。台湾よりも、ハワイのホノルルよりも南にあたる熱帯ですが、周囲何百キロも島のない絶海の孤島です。

「島」という名前がついていますが、実際は広い環礁の中に高さ1m弱の岩が二つあるだけ。この岩が風化したり波の下にもぐってしまうと、日本の排他的経済水域40万平方km分を失ってしまうことになります。日本の国土面積が約38万平方kmですから、いかに大きなものかお分かりいただけると思います。今はこの岩を守るためにテトラポットとコンクリートで周りが固められ、チタン製の蓋までされているとのこと。距離的にも大きさ的にいっても、一般人が出かけていって上陸できるような場所ではありません。監視塔はありますが、今は無人のようでした。

            
         東北小島                                        観測施設

地位に関する論争
現在の国際海洋法の基礎となっている海洋法に関する国際連合条約(1982年締結、1996年正式発効。国連海洋法条約)では、
「島」 (island) について以下のように定義されている。

第121条第1項 島とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、満潮時においても水面上にあるものをいう。
この定義に従い日本政府は、満潮時でも水面上に出ている部分がわずかにある沖ノ鳥島は島であると主張している。
しかし同条約では、以下のように定められている。
第121条第3項 人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域又は大陸棚を有しない。
第60条第8項 人工島、施設及び構築物は、島の地位を有しない。これらのものは、それ自体の領海を有せず、また、その存在は、領海、排他的経済水域又は大陸棚の境界画定に影響を及ぼすものではない。
これに対して日本政府は同条約でいう「岩」の定義が、国連海洋法条約上存在しないことを根拠に排他的経済水域を主張している。(1999年4月16日の第145回国会衆議院建設委員会の場における、政府委員の大島正太郎・外務省経済局長の主張)
沖ノ鳥島は同条約でいう「岩」に当てはまるとする意見は以前からある。海洋法専門家のヴァン・ダイク・ハワイ大学システムマノア校教授は1988年、「沖ノ鳥島―せいぜいキングサイズのベッドくらいの大きさしかない、二つの浸蝕された突起から構成される―は、独自の経済的生活を維持することのできない居住不可能な岩、という記述に間違いなく当てはまる。従ってそれは、200海里排他的経済水域を生み出す資格を与えられない」と主張した。「沖ノ鳥島補強しても経済水域保てない/米学者が主張」『讀賣新聞』1988年1月22日附夕刊2面。)ヴァン・ダイク教授は日本の立場は、英国が1990年代にEEZの主張をあきらめた大西洋のロッコール島の例に酷似していると指摘した。

中国の主張
2001年頃から、中国海洋調査船による調査が沖ノ鳥島の排他的経済水域内で多く行われ、この件について日本は2004年、事務レベル協議で抗議した。これに対し2004年4月11日、中国側は、沖ノ鳥島は「島」ではなく「岩」であり、日本の領土とは認めるが、排他的経済水域は設定出来ないと主張した。

この中国の主張は、米国との軍事的対立に備えて、この海域の詳細な海図を製作するためといわれている。中国は南西諸島を「第一列島線」、小笠原諸島からマリアナ諸島、グアム、パラオを結ぶ線を「第二列島線」として、自国の防衛網に組み入れている。この両列島線のほぼ中間に位置するのが沖ノ鳥島であり、この周辺の広大な海域が確保されていないと、軍事行動に大きな支障をきたすため、近年になってこのような主張を行っていると考えられている。

日本の対抗措置
2005年1月31日に石原慎太郎東京都知事は首相官邸で小泉純一郎総理大臣と会談、経済活動の実証のため沖ノ鳥島周辺での海洋深層水と表層水の温度差を利用する実験的発電所の建設計画や漁業活動の計画があると明らかにした。沖ノ鳥島周辺は深海底から陸まで、稀に見る急勾配でせりあがる地形のため温度差発電に適している。

5月20日、石原都知事は沖ノ鳥島の視察を行い、周辺海域へシマアジの稚魚を放流した。6月にはチタン製の看板を設置する。内容は「沖ノ鳥島、日本国最南端の島、設置場所『東京都小笠原村沖ノ鳥島1番地』」とされ、沖ノ鳥島の北緯、東経が記されている。

2005年8月24日に海上保安庁が、経済活動実証のため沖ノ鳥島に灯台を設置することを決定し、2007年3月16日に灯台を設置し運用を開始した。これにより灯台が海図に記載されることとなる。

 

沖ノ鳥島は「島」 大陸棚拡大認定 国連委が勧告

産経新聞 4月28日(土)8時11分配信 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120428-00000504-san-soci 

 200カイリを超えて海底資源の権益を主張できる大陸棚の拡大について、政府は27日、国連の大陸棚限界委員会が日本の国土面積の約8割に相当する計31万平方キロの拡大を認める勧告を採択したと発表した。日本が同委員会の勧告を受けるのは初めて。

 政府は、日本近海の海底にメタンハイドレートやレアメタルなどの海底資源の存在が確認されたことから、平成20年11月に7海域(計約74万平方キロ)で大陸棚の延伸を申請していた。

 延伸が認められたのは、沖ノ鳥島を起点とした「四国海盆海域」のほか「小笠原海台海域」「南硫黄島海域」「沖大東海嶺南方海域」の4海域。南鳥島や八丈島周辺の海域は陸続きになっていないと判断され、認められなかった。

 沖ノ鳥島をめぐっては、中国と韓国が「岩であり大陸棚は設定できない」と反発している。同委員会は、同島の北側に続く「四国海盆海域」の延伸を認めたことで、事実上、同島を「島」と認めた形だが、一方で同島の南に広がる「九州パラオ海嶺南部海域」の勧告は先送りとした。

 政府は認められなかった海域を再申請するか、勧告を受け入れるか判断する。


  尖 閣 諸 島



手前から南小島、北小島、魚釣島。↓
北小島と魚釣島の間に白い波が見えるが、 これが飛瀬(とびせ)と思われる。 飛瀬の写真は一枚もなく、これですら貴重な写真である。
    

                              国土地理院地図→
五つの島と三つの岩からなる尖閣諸島 尖閣諸島とは東シナ海に浮かぶ5つの島と3つの岩からなる島嶼のことです。 5つの島とは、魚釣島、北小島、南小島、久場島、大正島のことであり、 3つの岩とは、飛瀬、沖ノ北岩、沖ノ南岩のことです。 最も大きな島の魚釣島でも広さが約3,6平方キロほどしかありません。
 決断を迫られる尖閣諸島の領有権問題
《外務省の見解》
 1972年3月8日、我が国政府は「日本外務省の尖閣諸島の領有権問題についての基本見 解」を発表し、
尖閣列島の領有権が我が国あることを明らかにしております。
 尖閣諸島は、明治十八年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、明治二十八年一 月十四日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたものである。
 同諸島爾来歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成しており、明治二十八年五月発効の下関条約第二条にもとづきわが国が清国より割譲を受けた台湾および彭湖諸島には含まれていない。
 したがって、サン・フランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は、同条約第二条にもとづきわが国が放棄した領土のうちには含まれず、第三条にもとづき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ、昨年六月十七日署名の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還された地域の中に含まれている。以上の事実は、わが国の領土としての尖閣諸島の地位を何よりも明瞭に示すものである。
 なお、中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、サン・フランシスコ平和条約第三条にもとづき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し、従来何等異議を唱えなかったことからも明らかであり、中華人民共和国政府の場合も台湾当局の場合も一九七〇年後半東シナ海大陸棚の石油開発の動きが表面化するに及びはじめて尖閣諸島の領有権を問題とするに至ったものである。
 また、従来中華民国政府および中華人民共和国政府がいわゆる歴史的、地理的ないし地質的根拠等として挙げている諸点はいずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とはいえない。

アジア自由民主連帯協議会

尖閣諸島を日本国の真の領土として防衛するための声明文
  20120424


東京都が尖閣諸島購入へ!石原都知事の大英断

石原知事、記者団に改めて強調120418産経


  ウィキペディア=尖閣諸島問題 

  田中邦貴=尖閣諸島問題 

  外務省=尖閣諸島の領有権についての基本見解 

  民主のあの処置のザマは何だ=赤旗でさえ領有は正当 

  YouTube=尖閣諸島問題集積 

 
尖閣諸島が中国領ではない5つの理由 15:08

【全】石原都知事ワシントン会見/占領憲法無効破棄論・尖閣諸島購入他


日本にとって扱いの難解な国


シナ(支那)を「中国」と呼んではいけない三つの理由

⇒ホームページ


「『支那』の語源についての考察」についての考察

⇒ホームページ

尖閣問題世界の反応

   
竹   島

  竹島の領有権に関する我が国の一貫した立場

竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに
我が国固有の領土です。
韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われて
いる不法占拠であり、韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に
対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではありません。

※韓国側からは、我が国が竹島を実効的に支配し、領有権を確立した
以前に、韓国が同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は
提示されていません。

NHKが絶対日報道しないこと。

韓国が竹島を武力占領した際に、日本漁船328隻が拿捕され、日本人44人が殺傷され、3929人が抑留されたこと。

                         http://bit.ly/d155mn
 
 竹島の領有権に関する我が国の一貫した立場

隠岐諸島の北西約157キロメートル、北緯37度14分、東経131度52分の
日本海上に位置する群島。島根県隠岐の島町に属する。
東島(女島)、西島(男島)の2つの小島とその周辺の数十の岩礁からなり、
総面積は約0.23平方キロメートル(日比谷公園とほぼ同面積)。
各島は、海面からそびえ立つ急峻な火山島であり周囲は断崖絶壁をなす。
また、植生や飲料水に乏しい。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/外務省HP
外務省・竹島の領有権に関する我が国の一貫した立場

http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/takesima/島根県  

ウィキベィア 竹島(島根県)

田中邦貴 竹島問題詳細解説

YouTube 竹島問題  http://bit.ly/HiHk3C

   その他参考資料    (Aranishi, Kanji  Itami city 提供) 

Web竹島問題研究所へ   http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/

韓国の史料「石島=独島」説否定の記述見つかる
                 http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=500527006

なぜ朝鮮人は嘘をつくのかYouTube
                 http://jp.youtube.com:80/watch?v=9ATZG6pyY88&NR=1

http://kimsoku.com/archives/6890003.html

 
 竹島の実測原図 旧日本軍、明治41年に測量⇒ 産経新聞2012.4.11 07:03 ⇒  領土・領有権

     その頃韓国は存在していませんね

島根県竹島(韓国名・独島)を旧日本海軍が明治41(1908)年に測量した実測原図が海上保安庁に所蔵されていることが10日、
同県竹島資料室の調査で分かった。

 原図は、旧日本海軍水路部が経緯度を実測した記録「本標 経緯度実測原簿」(縦30センチ、横21センチ)。竹島資料室が今年3月、
海上保安庁海洋情報部(東京都)の資料を調査し、新たに見つかった。測量時の竹島経緯度が記された経緯度表も初めて確認された。

 原図の縮尺は、1万8204分の1。旧日本海軍が明治41年8月4、5日の2日間、竹島周辺を測量し作製した。

 竹島の西島を「男島」、東島を「女島」と記載。島名を含む地名9カ所が記載されており、西島南西の「南西岩」や、
西島と東島の間にある「洞岩」、東島北東の「洞湾」など6カ所は、今回初めて確認された地名だった。


  日本の高校生が作った竹島問題検証動画が凄すぎる 6:56                    韓国民に見せたい動画 1:35

                  
韓国人が知らない、『独島』史料の原文14:39


                                                                                                               

   対 馬 島

  対馬島

  ●住所/長崎県対馬市
  ●九州本土から132km、韓国釜山から約50kmの国境の島。
  ●面積/約700km2●周囲/約830km
  ●人口/約40,000人
  ●アクセス/【空路・エアーニッポン】

   関西空港→対馬空港(1時間15分)
   福岡空港→対馬空港(40分)
   長崎空港→対馬空港(40分)
  【船】九州郵船・壱岐島経由
  ジェットフォイル
  博多港→厳原(いずはら)港(2時間10分)
  フェリー
   博多港→厳原港(4時間30分)
   小倉港→比田勝港(5時間50分)
  ★魏志倭人伝にも「韓国よりはじめて一海を渡り、千余里にして対馬国に至る。…」
      とあるように、韓国までわずかに50kmという近さで、古くから大陸との交流の
      窓口となっていた。
  ★アリラン祭りなど韓国との交流をうかがわせる行事や建物、遺跡などがある。
  ★日本では沖縄本島、佐渡島、奄美大島に次いで4番目に大きい島。
  ★全島の約90%が標高300~500mの山地で、海岸線は山がせまり急な斜面
      になっている。
  ★平成16年3月1日に対馬6町が合併して対馬市ができる。

  http://www.city.tsushima.nagasaki.jp/index.php   対馬市HP