今年3月。
卒業シーズンの最中に「大阪維新の会」の府会議員が、ツイッターでこう呼びかけた。
「今度、式の取材で先生の口元をビデオで撮ってください。条例では斉唱することとなっています。日本で住む以上、法律を条令を守れ」(「大阪維新の会」の府会議員が呼びかけたツイッター)
条例とは去年、大阪府で制定されたいわゆる「教職員国歌斉唱条例」で、それにもとづき卒業式では起立斉唱する職務命令が大阪府教育委員会から出された。
3月2日。
大阪のある府立高校の卒業式での出来事が、クローズアップされた。

校長の指示を受けた教頭が、教員の口元が動いているかどうかをチェックした。
5秒間ほど遠目で、教員の口元を見たという。
当然という声とやりすぎという声がでた、この問題。
別の府立学校の入学式で、保護者と生徒に聞いてみた。
<女子生徒>
「歌わないのもいやだけど、口元を見て確認するまではしないでもいいと思う」
<保護者・女性>
「チェックまではいいかなと思う」
<男子生徒>
「国の歌なんで、しっかり日本国民として立って歌うのがいいと思う」
<保護者・男性>
「公務員の方だから、起立斉唱するのは普通のことだと認識している」
学校現場を預かる校長たちは、命令と口元のチェックをどう受けとめているのか、「VOICE」は大阪の府立学校、164の学校長にアンケートを行い、44人から回答を得た。(回答率は26%)
卒業式と入学式の「君が代」起立斉唱が職務命令によって実施されたことについて、半数が賛成と答えた。(賛成22、反対6、どちらでもない14、無回答2)
式の最中に、教員の口元をチェックするという方法については、当然と答えたのは3人、やりすぎだとした校長が過半数の26人にのぼった。(当然3、やりすぎ26、どちらとも言えない12、無回答3)
校長たちの揺れ動く心も、アンケートから浮かび上がった。
○条例が発令されたのは自らまいた結果であり、はずかしい結果であると思う。
○公務員の義務とはいえ、それなりの個人的思想の理由で起立斉唱がしづらい一部の教員がいることは事実だし、心情的には理解もできるし、同情もする。
そもそもなぜ、戦後、教育現場で日の丸・君が代論争が続いてきたのか。
戦時中、子供たちを戦場へと送り出した軍国教育を反省する機運が教師たちの間で高まった。
君が代と日の丸は、いったん学校教育の場から消えたのだが、1950年代に学習指導要領で復活する。
多くの教員が、戦争の記憶を刻む君が代・日の丸が、再び教育現場に持ち込まれることに抵抗感を示してきた。
教育現場での混乱に終止符を打とうと、国旗・国歌が法律で定められたのは、わずか13年前の1999年のこと。
罰則などはない、シンプルな法律だった。

その「国旗国歌法」が成立したときの官房長官・野中広務氏は、法律の趣旨についていま、こう振り返る。
<当時の官房長官 野中広務氏>
「国旗と国歌を我々はこの国の名誉にかけて定めておくべきで、これを強制したりあるいはこれを意図的に使ったら、これは間違いなんだから何にも言わない。1条と2条とだけを条文にしたい。これを強制したり、強要する、そういう性質のものでは全くない」
その後も、日の丸と君が代に違和感を抱く一部の教員が、卒業式などで起立斉唱をしなかった。
この論争に、ひとつの司法判断がでたのが今年1月。
東京都の起立斉唱命令に反して起立せず、処分を受けた教員たちの訴えに対し、最高裁判所は命令は合憲とする判決を出した。
その上で重い処分を科すには、式の妨害行為などがあった場合とするなど歯止めをかけた。
判決の中で、ある裁判官は次のような意見を述べて、この問題の難しさを指摘した。
「憲法学などの学説や法律家団体においては、君が代を起立して斉唱することを職務命令により強制することは、憲法19条等に違反するという意見が大多数を占めていると思われる。確かに最高裁は異なる判断を示したが こうした議論状況は一朝には変化しないであろう」(裁判官の補足意見)
大阪で君が代をめぐって、議論が再燃したのは橋下知事時代にできた「教職員国歌斉唱条例」がきっかけだった。
起立・斉唱しない教員をなくすことを目的にしたものだった。
当時橋下知事は、公務員のあるべき姿を強調し、条例の必要性を訴えた。

<橋下徹大阪府知事(当時)・2011年6月>
「強固な身分保証で守られているこの公務員たる教員がね、上司の命令は嫌だなんて口がさけても言えないはずなのに、そういうことを堂々と言えてる教員がいるということは、叩きなおしていかないとだめですよ」
ツイッターで教員の口元に注目するよう呼びかけた、「維新の会」の議員はこう話す。
<「大阪維新の会」 奥野康俊府議会議員>
「日本に忠誠を尽くす、その忠誠は何か言えば、自然を守るだとか自分たちの親、兄弟、先輩たちが築いたこの日本をしっかりと守っていこうという中で所属の意識を高めるという意味では、私はその原点が国旗、国歌に対する意思表示の仕方、礼節に通ずるものだと思っている」
「口元チェック」が話題になってから1か月後。
大阪のある府立高校では、入学式を前に職員会議が行われていた。
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4月。
大阪府立のある高校。
職員会議で校長が「入学式で君が代を歌っているかどうか、全教員をチェックする」と通知した。
ある教員が発言した。
<ある教員>
「校長先生と我々の間の信頼関係を回復するというか、チェック等のことはやめていただいて、(高校の)イメージを回復していただきたい」
校長は「それは教育委員会に言ってもらいたい」と応じ、ほかの教員から特に発言はなかった。

教育委員会は卒業式のあと、君が代を歌っているかどうかのチェックについて、異論を唱える意見もでたが校長の判断に委ねるとした。
<陰山英男教育委員(当時)>
「教育委員会の行った指導の許容範囲内で行われたということは、ここで皆さん一致して見解としてまとめてよろしいですね」
「VOICE」が行った校長へのアンケートでは、口元のチェックに対する意見は割れている。

○公務員である以上、法の遵守は当然である
○国歌・君が代への崇敬の念は、このやり方では決して生まれることはない
○このような監視チェックのやり方は、健全な職場の構築を阻害することになる
大阪府知事として、君が代の起立斉唱を条例化した橋下市長にアンケートの結果を伝えた上で、式の最中に行われた口元チェックの是非について聞いた。
<大阪市 橋下徹市長>
「起立斉唱という言葉の中に『立つだけ』の意味しか入っていませんか?」
<記者>
「歌っていることも入っていますけれど、一律に歌わせることまで強制することについてはいかがでしょうか?」
<大阪市 橋下徹市長>
「起立斉唱命令なんです。教育委員会の決定なんです。起立斉唱命令です。この国語のなかで、斉唱の命令は入っていませんか。職務命令、起立斉唱が出ているじゃないですか。子供たちに音楽の課題を与えて歌いなさいといった時に、唇のチェックをしない音楽の先生がいますか。素晴らしいマネジメントでいいじゃないですか。その範囲内できちっとチェックした。歌ってないという人をちゃんと報告しているじゃないですか。マネジメントですよ。条例つくって歌っていない人を放置していたら、法の意味がないじゃないですか。起立斉唱という条例を作った。歌っていない人をきちんと報告した。その報告の仕方は式を乱さずに本人の思想良心を害することなく、本人に歌っていません、ということを認めさせて報告させたんですよ。こんな完璧なマネジメントどこにあるんですか。他の40何人の校長というのはそういう法律の知識がないから、強制してはいけないとか一律にやってはいけないとか、四の五の言ってますけど。彼は緻密に緻密に論理を構成して、こんなの裁判所行ったってあなたみたいな勉強不足の記者がいくら質問したって、こんな論理は崩せませんよ。僕らはね、緻密に緻密に誰からもどの法学者に言われても破たんしないような、論理を組み立ててきたんだから。そんな勉強不足の人が何を言ったって無理なの…」
橋下市長は、国歌の起立斉唱命令は学校のマネジメントや公務員の規律の問題だとし、「思想・良心の自由」の問題とは別だと主張する。
それに対し、斉唱命令については憲法が保障する「思想・良心の自由」と切り離せないとする法律家はなお多い。
<明治大学法科大学院 高橋和之教授>
「職務命令として命ずるところまではいいんだけれど、どうしてもそれは納得できない、という人の考え方も尊重しなくてはいけない。我々はこういう考え方でやりたいから、我々の考えを尊重してください、そのために起立してください、というところまでは求めてもいいんではないか、でもそれ以上に歌いなさいということまでは言ってはいけない。それは、そういうことをやるべきではない、と考えている人の内心にあまりにも踏み込み過ぎている」
<条例に反対声明を出した大阪弁護士会 山西美明副会長)>
「口元までチェックすることが教育委員会も許容していて何ら問題もないんだ、というふうに言っているけれど、あのマネジメントは素晴らしいと賞賛すること自体が憲法19条違反の事態を招く危険性が非常に大きいと思う」
アンケートに回答した校長のひとりは「歌う」という見た目の確認に重点をおくあまり、自然な気持ちで国を愛するという本来の法の趣旨から離れてしまうではないかとつづっていた。
大事なことは形ではないはずと問いかけていた。
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