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地震多発地帯 支え合う日本・台湾

2012年05月12日

写真

集めた寄付金を被災者に手渡す台湾のNGOのメンバー(左)=岩手県大槌町、台湾仏教慈済慈善事業基金会提供

 東日本大震災を経て、日本の被災地と台湾の交流が活発になっている。震災後、台湾から被災地に寄せられた寄付金は200億円以上。地震多発地帯に位置する両地域の人々は今、互いに支え合っている。

 東京都新宿区の雑居ビルの地下1階で先月、小さな震災写真展が開かれた。平野達男復興相や被災地の首長らが駆けつけ、主催者に感謝の気持ちを伝えた。

 写真展を開いたのは、被災地でボランティアを続けてきた台湾のNGO。メンバーの一人は「わざわざ復興相が来てくれるなんて思わなかった」と涙ぐんだ。

 台湾では震災直後、被災地を支援する機運が高まり、水や食料といった支援物資だけではなく、自治体の職員が休むトレーラーハウス、消防車などを沿岸の自治体に贈った。

 主催者の一人は「あの時、日本から受けた支援への感謝の気持ちを忘れていない」と話す。

 1999年に台湾大地震が発生し、2400人を超す犠牲者が出た。阪神大震災の4年後だったこともあり、日本からレスキュー隊や多くのボランティアが駆けつけた。

 台湾のボランティア団体のメンバー陳金発さんは、台湾大地震の2日後に被害が激しい台湾中部の東勢地区に入った。大半の家屋が倒壊し、遺体が路上に放置されていた。

 その無数のがれきの中で「東京都」というユニホームを着たレスキュー隊員たちが危険を顧みずに生存者の捜索に当たっていた。

 「捜索も物資の運搬も、日本人が一番親身になって手伝ってくれた。苦しい時に支え合える。そういう関係なんだと教えられた」

 いつか日本に恩返しをしたい。陳さんは、東日本大震災の翌日、茨城県大洗町や岩手県陸前高田市で炊き出しのボランティアに加わった。同じメンバー陳麗芬さんは「私たちは台湾で同じ経験をしている。今がどれほどつらくて苦しいか、日本の被災者の気持ちが分かるんです」と言う。

 ■生きた経験とお茶文化

 台湾は、日本と同じく、地震や津波の脅威にさらされている。原発もある。陳金発さんは「台湾で暮らしていると、今回の大震災をひとごととは思えない。必要なものや支援があれば、気兼ねしないで何でも言ってほしい」と話している。

 私は、3月まで南三陸町に駐在していた。被災地には、震災直後から中国や韓国、欧米諸国から多くのボランティアが駆けつけたが、中でも活躍が目立ったのが台湾人だった。
 彼らはバラバラに行動せず、まず先遣隊が被災地に入ってニーズを確認し、その後、団体で被災地入りして、リーダーを中心に組織的に活動していた。

 あるリーダーは「我々には99年(台湾大地震)の経験がある。被災者のために何をするのか。視察や実績作りのために来ているのではない」と話していた。

 台湾人の多くが片言の日本語でコミュニケーションを取れたことが、被災地の人々にとってはありがたかったようだ。台湾の人々は「お茶を飲む」という共通の文化を通じて、素早く被災者の輪の中に溶け込んでいた。

 南三陸町で仮設住宅の自治会長を務める畠山扶美夫さんは「仮設住宅で台湾茶を頂いたり、こちらから日本茶を差し出したり。昔からの友人のようで、心が軽くなりました」と話した。(三浦英之)

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