2007年01月22日

大石寺六壺安置の日興本尊も贋作か?

ここ数年、大石寺の所謂「本門戒壇の大御本尊」が日禅授与漫荼羅を原本とし臨模作為した模造品である旨を記してきた。
この大石寺の開基は日興であることになっている。興門流の正系門下であることをうったえてやまない「日蓮正宗」にとって、日蓮を下種仏宝とし、ついで日興は下種僧宝と仰ぐ極めて重要な存在である。この日興の本尊は六壺むつぼに安置されている。

六壺 『日蓮正宗総本山大石寺』P15・16から転載の写真『日蓮正宗総本山大石寺』を見ると「六壺は、2祖日興上人の開創で、総本山発祥の霊場である。はじめ六壺にわかれていたところから、この名があると伝えられ、一壺を持仏道とした」(P17/写真は同書、P15〜16から転載)

ここでいう‘壺’とはいまでいえば、部屋、もしくはという意味で、つまり、1棟6部屋で、その1部屋を持仏堂にしていたということだろう。
持仏堂・六壺・真光寺・妙光寺共通の板本尊かつて大石寺には持仏堂という堂宇があったというが、これが六壺の一室を指すのかどうか。それはともかくとして、その持仏堂には乾元4年書写の日興本尊が安置されていたといい、それを模刻した板彫刻が、現在の六壺安置の板本尊である。
この板本尊は、複数造られ、真光寺、妙光寺といった石山末寺にも安置された。
この板本尊原本の紙幅写真を、わたしは見たことがない。
日興の本尊を載せる『日興上人御本尊集』(興風談所)にも、その所載がない。

富要を見ると
「(真光寺板本尊日興上人御本尊彫刻)
 乾元四年八月十三日、富士大石寺持仏堂安置の本尊なり」
とある。
この本尊につき、不審を示したのはれん師だった。
まず「乾元四年」だが、この年号は存在しない。乾元は元年だけであるからだ。
富要の編者である堀日亨が「八月十三日」と明記しているのにもかかわらず、大石寺発行の『冨士年表』では、これを嘉元(1303)元年8.13の項に記している。
実際、板に彫られた彫刻で、その相貌をみると、たしかに不審な点は多い。

以上の点については富士門流信徒の掲示板本門戒壇の大御本尊様の偽作説について』(762-788)で、れん師をはじめ、その他諸賢が詳細に議論した。
参考に供していただきたい。

それにしても、祖師「日蓮出生の本懐・本門戒壇の大御本尊」という彫刻本尊が実はまったくの作り話・後世の捏造品であったことに併せ、大石寺発祥の堂宇といい、そこに置かれる2祖日興の本尊まで偽物であることになる。
これほど、ひどい話はあるだろうか。
さらにいえば、3祖とする日目の縁故で成った大石寺であるのにもかかわらず、その当の日目の墓もない。いったい、大石寺の実態とは、どうなっているのか。

これは悪口でも何でもない、偽らず事実なのだ。
嘆息を禁じ得ないとは、このことである。

― 真光寺本尊模造の方法を検証する (1)につづく ―

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この記事へのコメント
石頭で偏屈の愛国和尚です。日蓮大聖人の御本尊、日興上人の御本尊で、御本尊集に無いものは、疑問視すべきだと思います。
Posted by 愛国和尚 at 2008年10月04日 21:38
> 日蓮大聖人の御本尊、日興上人の御本尊で、御本尊集に無いものは、疑問視

日興の御本尊集が何を指すか、よくわかりませんが、日蓮の御本尊集ということであれば、鉄炮曼陀羅以外に北山所蔵で載るものはありませんね。となると、あとは全部、疑問視すべきということですか。
北山系の坊さんとしては、なかなか勇気ある発言ですね。
一方、大石寺所蔵では、3舗。
日蓮本尊について言えば、北山のほうが疑問を多いということですね。

北山の坊さんが語る真実として、受け止めることといたします。
Posted by saikakudoppo at 2008年10月04日 22:38