コピー&ペーストは本当に悪いのか? 学生の「コピペレポート」に憤慨する大学教員に異議あり!

2012年05月14日(月) 田村 耕太郎
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 私もこの手法は本末転倒だと思う。そんなにコピペがいやなら、レポート提出なんか要求しなければいいと思う。それよりも、もっと別の学生の評価方法を編み出して、学生の理解度合を図る仕組みを学生と向き合って開発すればいい。こんな愚かな犯人探しに精を出して、教育の本質である、学生の学びの進捗度合いをどう上げていくのか?国会議員の仕事が国民の幸せや安全を向上するという本来の目的からずれ、政局狙いで検察や警察の代わりに特定の政治家を追求し続けることに終始してしまっていることに似ている。

レポートを出させて犯人を捜して学生をどうしたいのか?どうしてもレポート提出にこだわるなら、学生が出すレポートが軽薄だというのであれば、しっかり読み込んで、軽薄な点を丁寧に指摘して、あるべきレポートとは何かをしっかりお手本を見せてやればいい。

学界こそ巨大なコピペ社会

私がおかしいと思うのは、コピペはダメだと指摘するくせに、大学教員の評価はコピペ重視であることだ。研究論文とはコピペ(=引用)の集合体に過ぎない。自分たちの論文を読んでみたらどうか?

某国立大学教授が開発中のソフトで自分たちの研究論文を分析してみたらいい。“コピペ90%”とか出たらどうするのか?コピペの集合体を恥じるどころか、むしろ“コピペ(参考文献)の多さがその論文の価値を高める”との風潮がある。そんな教員達には「引用は自分の頭で考えていない証拠だ。コピペはダメだ」なんて批判する資格はない。

コピペ批判の教授は「その通りです。私の研究者時代なんて、ちょっと気の利いた文章を自力で書くと、『君、ちゃんと文献引用してないの?』と何度も聞かれた。また私が参照文献の一切ない論文を(わざと)仕上げたときには審査会で問題になったのです。大学院では良いアイデアは大概の場合、『コピペ』だと思われているんです(苦笑)。そもそも修士課程も博士課程も言ってみれば『コピペ』の技法を習得するところなのですだから」と苦笑する。

「こんなことを言うと学者たちから、“学者はしっかり文献を読み込んでから引用している。学生のコピペとは根本的に異なるからいいだろ”との反論が来そうですが、引用論文数の数だけを上げるための形式的な引用は昔から捨てるほどあります。学生よりたち悪いですよ」と加える。読み込まずに引用することは学会では日常茶飯事だという。学生のコピペレポートに憤慨にする教員たちは、無意識に近親憎悪を感じているのかもしれない。

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