86田中医大病院線・彦三免許センター線




同じ路線番号を持ちながら、なぜか行先によって路線名が異なるのが86系統です。
当然のことですが、医科大病院行きが田中医大病院線、運転免許センター行きが
彦三免許センター線です。

画像の幕は03年4月に金中バス担当になってから作られた幕で、
06年ごろまで使用していました。
表記の通り、社会保険病院・みずき団地経由の系統で使われていた幕です。



両路線とも、その前身は田中までの浅野町線でした。
もりさけてんさんのサイトに上がっている画像を参考に
80年代の田中行きの幕を作成してみました。
経由地が具体的なバス停名ではない例(しかも「浅町」って…)は
かなり珍しいです。


北鉄の社史によると、浅野町線の開業は昭和35(1960)年9月で、
香林坊〜彦三〜田中という運行区間だったそうです。
しかし、昭和35(1960)年4月のダイヤ改正を報じる北国新聞には
二万堂〜金沢駅、二万堂〜田中間の路線に「浅野町線」と名づけられています。
同じ記事の中には二万堂〜金沢駅間の二万堂線のダイヤ変更についても触れられていますが、
浅野町線の同じ区間を走る系統とはダイヤが異なっており、謎が多く残ります。

二万堂〜金沢駅系統についてはまだまだ研究の必要がありますが、
少なくとも社史に記されている時期以前に浅野町線が開業していることと、
片町発着の便があることなどから担当は泉営業所と推測できることが分かります。

経路についてですが、当時彦三大通りは彦三町交差点までしか完成しておらず、そこからは
現在のふらっとバスのルートで「小橋」「馬場五番丁」「浅野神社前」「上中島」
「浅野町小学校前」「東警察署前」「乙丸」「高柳」「田中」と進んでいました。

なお発着点は開業当時の香林坊から、昭和39(1964)年までには兼六園下に変更されています。
(この時期は資料によって「田中線」とも書かれていることもあります。)

旧道を経由しながらも、なんとなく現在の路線の形が見えているのですが、
昭和44(1969)年12月に浅野町線は金沢駅発着となり、
小橋から上中島までのバス停は何の代替もなく廃止されてしまいました。

翌年には乙丸陸橋も完成し、バスもその後乙丸と高柳のバス停を
東インター大通り上に移設しています。
そして昭和49(1974)年2月には、高柳〜田中間も大通り上に移設され、その後は
金沢駅〜浅野町小学校前〜田中南口(※東警察署前は通過)という形態が
しばらく続きます。
この金沢駅発着時代は、所要時間がわずか8分という短距離路線で
使用される車両も中型車ばかりでした。

昭和50(1975)年4月には路線番号「83」が与えられますが、
これがなぜか木越線や福久線と同じ番号という不可解なものとなっています。
決して80番台の番号がいっぱいだったから、というわけではないのですが…
路線番号はその後昭和59(1984)年11月に、現行の「86」に変更されました。

昭和63(1988)年11月には、再び香林坊発着へと変更されました。
これは、この年に彦三大橋が開通したためだと思われます。
彦三経由が復活しましたが、ルートは現行の彦三大通り経由となり、
元町二丁目バス停の新設と、東警察署前停車が行われました。

90年代に入ると浅野町線は変化を繰り返します。
平成3(1991)年5月には、田中南口バス停すぐそばに開設された
金沢循環器病院まで路線を延伸しています。



しかし、この循環器病院バス停はわずか4年足らずで廃止されます。
平成6(1994)年10月には、
香林坊〜彦三〜田中南口〜JA市本所前〜木越西〜運転免許センター
の系統が新設され、翌95年2月にはこれまでの金沢循環器病院系統も
同様に医科大病院まで延伸されました。
この時になぜか行先によって路線名が分けられ、現在に至っています。

この幕は田中医大病院線の誕生当初から使用されていたものです。
社会保険病院もみずき団地も経由しない、最もシンプルな便の幕ですが
この系統は平成11(1999)年3月改正に消滅しています。

…ただし、ごくまれにこの幕を掲げて走っていました。
現在ではすべて「金沢医科大病院」表記となっているので見ることはできません。



平成8(1996)年2月より、日中の便が木越住宅・みずき団地への乗り入れを開始しました。
と言っても、当時はまだ「みずき団地(現.みずき一丁目)」バス停しかなく
(なお運賃面の問題から当初から「みずき団地口」通過は行っていました)、
その後平成10(1998)年10月に「みずき二丁目」「みずき三丁目」が、
平成12(2000)年3月に「みずき四丁目」が新設されています。

この幕は社会保険病院を経由せずみずき団地を経由する便で、06年ごろまで
使用されていました。



平成11(1999)年3月、鳴和病院が移転・改称して金沢社会保険病院が誕生すると
86系統のうち田中医大病院線が同病院を経由するようになりました。

そして平成13(2001)年3月には、浅野町線時代から担当してきた西部営業所から
田中医大病院線はほくてつバスへ、彦三免許センター線は北鉄金沢中央バスへ
それぞれ移管されました。

ということで、医科大病院行きはほくてつバスの担当となったわけですが、
画像の幕はこのほくてつバス担当時代に使用されていたものです。
(03年4月に田中医大病院線も金中バス担当となると幕が新調され
「金沢社会保険病院」表記に変わっています。)



06年に新調された幕はすべて「金沢医科大病院」表記となりました。
この幕を使用するはずの便は新調された当時から設定がないのですが、
幕はしっかりと作られていました。



こちらは夜に一本だけある、社会保険病院には寄らずみずき団地は経由する
便で使用されている幕です。



この幕はもっとも本数が多いため見る機会も多そうです。
社会保険病院・みずき団地経由の幕です。



平成20(2008)年4月、合理化を図るためか
免許センター経由の医科大病院行きが登場しました。
ご丁寧にも幕が新調され、「金沢社会保険病院」「みずき団地」「運転免許センター」
の表記をなんとか入れるためそれぞれ省略して表記されています。
 




現在では1.5往復しかない彦三免許センター行きの幕です。
そのうち免許センター行きは一本のみですので、この幕しか見ることはできません。



かつては日中にも免許センター行きが設定されており、
みずき団地を経由していたためこの幕が使用されていました。

なお、彦三免許センター線はなぜかこれまでに一度も金沢社会保険病院を経由しておらず、
ささやかながら田中医大病院線との違いが見られます。



みずき団地止まりの便で使用されている幕です。
この幕は西部・ほくてつ・金中いずれの担当時代でも変わらず使用され続けています。



平成11(1999)年3月、金沢駅西口〜社会保険病院〜みずき団地の系統が新設されました。
画像の幕は、03年4月に金中バスに移管されたさいに新調されたものです。


▲横幕です。昔の名残か「(金沢循環器病院)」の表記があります。



ほくてつバス担当時代(01年3月〜03年4月)はこの幕が使用されていました。
本来の系統とは大きく異なるため、番号を入れなかったものと思われます。



現在では夕方に社会保険病院→金沢駅西口で一本あるだけのシャトル便ですが、
幕は専用のものが用意されています。



ほくてつバス時代の金沢駅西口行きの幕です。
やはり路線番号が入っていません。



金中バス担当になってからの幕です。
本線系統が減便され続けている中で、現在でもまずまずの本数を維持しており
幕を見る機会もあります。



浅野町線時代は「86 彦三 香林坊」幕でしたが、
運転免許センター・医科大病院へ延伸されてからは経由地に「田中」が入っています。



みずき団地経由の香林坊行きの幕です。現在でも見ることができます。



最も本数が多い、みずき団地・社会保険病院経由の香林坊行きの幕です。



08年4月に新設された、運転免許センター・みずき団地・社会保険病院経由の
香林坊行きの幕です。


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