88森本線・東山線 87循環寺町B線
森本と金沢駅を結ぶ路線は現在ではJRバスだけですが、
かつてはほとんど同じ区間を北鉄バスも走っていました。
その路線が「森本線」です。
画像は、H−199さんご提供のもので89年ごろの金沢駅前での森本線です。
初期の方向幕は「森本・今町」の表記でした。
▲誕生当初の森本線はブルドッグばかりでした。
画像:おがさんご提供。
森本線の前身ともいえる路線に、昭和60(1985)年から昭和62(1987)年まで
の短期間だけ存在した87循環寺町B線が挙げられます。
これは登場の年のダイヤ改正で、津幡線がこれまでの毎時2本から毎時1本に
削減されたことに伴い、兼六園下・香林坊〜橋場町〜柳橋・今町間で
運行を開始したもので、時刻表でも津幡線と同じ欄に掲載されていました。
(社内報などで見る限り正式名称は「循環寺町B線」ですが、時刻表では一部
「森本・今町線」という名称も使われています。これは方向幕の表記と同じ
ということから、通称として呼ばれていたものと思われます。)
循環しないのに「循環寺町B線」というのもどうかと思いますが、
香林坊〜柳橋間ではたしかに循環寺町線と重複していますし、区間便という
見方もできなくもないかも。。。
なおこの路線の登場により、循環寺町線の柳橋〜武蔵ヶ辻〜有松〜武蔵ヶ辻〜柳橋の
便も本数を削減されています。
そして昭和62(1987)年3月に、金沢北部地区の運行本数増強のため
金沢駅〜橋場町〜森本〜今町間で88森本線が誕生しました。
森本までは完全に国鉄バスと競合しているにもかかわらず、
本数は毎時2〜3本が用意されており(どう見ても供給過剰)、
翌月に控えたJRバス発足への対抗策の可能性も考えられます。
循環寺町B線は昭和62年4月の路線図にはまだ森本線の一部として兼六園下〜今町の
系統が見られることから、森本線登場と同時に姿を消したわけではなく、
おそらく一部の便は残ったものと思われます。
が、同年6月のポケット版時刻表では該当する便は見当たらないので
わずか数ヶ月で森本線に完全に置き換えられたのではないでしょうか。
当時の森本線は間合い運用などではなく、朝夕の一部の便を除き
独立した運用となっていました。車両は、画像にあるようにブルドッグや
旧エアロスター、ふそう中型が多かったように思います。
終点の今町は国道の方で、旧道今町と識別するためなのか森本線
(と後の87系統)だけは車内放送で「国道・今町」とアナウンスしていました。
また、もりさけてんさんによると
なぜか観法寺ですでに「どなた様もお忘れ物のないよう
ご注意ください。ご乗車ありがとうございました。」と
放送が流れ、おれらの立場は…という気になったものです。
(その後、今町で再度「どなた様も…」と流れる)。
とのことで、現在では今町が終点となる路線はなくなってしまいましたが、
今思うとやはり変わった場所にある終点だったなぁ、と感じます。
▲横幕です。
さすがに毎時3本はやりすぎだったのか、
昭和63(1988)年改正では数本がカットされ、
さらにその翌平成元(1989)年の改正では日中は30分間隔の毎時2本運転が
確立され、その後しばらく続きます。
平成4(1992)年からは、朝の金沢駅発今町行き2本が東大通り経由となり
鳴和方面の学校へ通う学生にとっては所要時間短縮となって、利便性が向上しました。
またこの改正では、朝の今町発金沢駅行きの2本も手が加えられ
利屋町始発となりました。当時の国道はまだ津幡線は旧道経由ばかりで、朝の時間帯は
7時台後半に高松線が一本あるのみでしたので、こちらも利便性が向上しています。
この利屋町始発便はその後平成10(1998)年3月改正で新太田始発となり、
平成12(2000)年3月改正で消滅しますが、かわりに柳橋円光寺線の朝の1本が
新太田始発となり、現在も多くの学生を運んでいます。
ハイグレード車が森本線に入るようになった90年代半ばに
幕が新調され、終点表記が「今町」だけのものが多数を占めるようになりました。
この頃になると、循環寺町線でも乗客の減少が目立ってくるようになり
森本線も平成8(1996)年改正でとうとう30分間隔運転が崩れ、
30〜40分間隔となりました。
続く平成9(1997)年改正でこれは顕著となりますが、
それでも毎時1〜2本は確保されていました。
平成9(1997)年8月には、今町方面行きのみリファーレ前経由に
変更され、これが森本線の最後の姿となりました。
それから、あまり知られていませんが最後の3ヶ月は平和町線の出入庫便で
ピカピカのノンステップバスが80番台で初めて運用されていました。
画像があればものすごく貴重なものになったのですが…
先述の東大通り経由の今町行きの幕です。
こちらは最後まで「森本・今町」表記だったそうです。
昭和63(1988)年から平成元(1989)年までの2年間だけでしたが、
森本線は朝に1本だけ柳橋行きがあり、この幕が使用されていました。
平成10(1998)年3月改正で、森本線は柳橋までの運行に短縮され
路線名も東山線に改称されました。
そのため幕も新調され、経由地表記から「鳴和」が消え「橋場町」が
入るようになりました。
そして運用も独立したものではなくなり、
平和町線などの出入庫の回送代わりに走るのみになったため
運行間隔がバラバラになり、中間帯の妙な時間帯にやたら本数がある
不便な路線となってしまいました。
そのかわりノンステ出現率は高くなり、
当時小学生だった私もよく狙って乗車していました。。。
その後も年々本数は削減され(まぁほとんど誰も乗っていませんでしたし)、
平成13(2001)年3月には柳橋営業所からほくてつバスへと移管され、
今度は医王山線や旭町線などの出入庫系統として本数が少ない割には
さまざまな珍車両が走る妙な路線となっていきました。
ほくてつバス移管にさいして幕が新調され、「武蔵ヶ辻」の表記が
加わっています。
そのほくてつバス時代もわずか2年で終わり、
平成15(2003)年4月からは医王山線などとともに北鉄金沢中央バスに
移管されました。
と言っても、この時移管された路線は相変わらず「北部駐在」として
柳橋車庫に残ったため、実質的な変化は車内放送の声が変わったことくらいでした。
しかし、平成17(2005)年4月改正でこの北部駐在がなくなると、
回送がわりの路線だった東山線のためにわざわざ金中バスから回送してくる
ことになり、ほとんど存在意義がなくなってしまいました。
そのため平成18(2006)年4月改正で東山線は廃止され、
88番の路線番号もこの翌年に登場した東金沢金大線に譲られています。
▲廃止数日前にバス停に出された掲示。
▲最終便は233号車でした。マニアが乗りに来ることもなく、
終点の金沢駅到着後は何事もなかったかのように91系統として走り去っていきました。
▲東山線となってからの横幕です。
森本線時代の金沢駅行きの幕です。
とにかく「鳴和」を入れたがるのがかつての幕の特徴です。
じっさいには存在しなかったはずの金沢駅西口行きの幕が
複数の車両に入っていました。
金沢大学線のように、駅西口発着にする計画でもあったのでしょうか。
(それともJRバスへの嫌がらせ?)
東山線になってからの金沢駅行きの幕です。
柳橋営業所担当時代まで使われていました。
ほくてつバス担当となると金沢駅行きの幕も新調され、
金中バスへも受け継がれました。
循環寺町B線時代の幕もご紹介します。
(幕情報ご提供:Commuter Rapidさん。)
この幕は、兼六園下・香林坊→今町の幕です。この当時から「森本・今町」表記でした。
兼六園下・香林坊→柳橋の幕です。
その後の野町鳴和線でもそのまま使えそうな幕です。
今町・柳橋→兼六園下の幕です。こちらも現在の津幡線で使えそうな幕です。
今町・柳橋→香林坊の幕です。
循環寺町B線はわずか1年半ほどの短命路線でしたので、幕はおろか路線の存在自体も
知らなかった方も多いのではないでしょうか。
==============================
===================
トップへ戻る
【時刻表】88森本線・88東山線・87循環寺町B線