93・94・97金沢大学線



金沢大学線の幕は、各営業所に入っており
当初はどれも同じ幕だったのですが、
平成10(1998)年ごろより営業所ごとに
表記の違いが見られるようになり、
現在では同じ営業所の車両でも移籍元の幕
を装備していたり新たに作られた幕を装備
していたりと、もはや訳が分からない状態
になっています。

このページではなるべく多くの幕を紹介
しようと思いますが、その幕がいったいいつの
時代のどの営業所で使用されていた幕かは
完全には把握できていませんので、
そのへんはご容赦願います。
また皆様からの追加情報ならびに画像も
お待ちしております。
▲画像ご提供:助ける役さん。


金大関連路線で、最も最初に開設された路線が93系統
(金沢駅〜香林坊〜兼六園下〜鈴見台二丁目〜金沢大学)です。
誕生は平成元(1989)年10月で、金大の1次移転に伴い新設されましたが、
当時はまだ本数も少なく、20往復程度だったようです。
この頃の担当は東部営業所でした。

センター試験等の臨時増発便はすべて93系統ですが、
これは一番所要時間が短いから、というのが理由のようです。
山環経由の場合、若松交差点での右折に時間を要するので、案外
こちらのほうが遅れるのだとか。

現在では東部営業所のほかにも南部や西部、金中も担当していてさまざまな
車両が乗り入れてきています。
画像の幕は東部のほか、南部の車両にも入っています。
かつては柳橋の車両にも入っていました。


さきほどの画像は南部の車両のものでしたが、
こちらは東部の車両の画像です。

経由地は「鈴見台」なのですが、幕の表記は「鈴見」となっていて
「鈴見町」と間違えそうになる人も多いようです。
これは、鈴見町バス停が平成10(1998)年に新設される前までは
鈴見=鈴見台(二丁目か)という認識があったためで、92系統などでも
現在も「鈴見」表記を継承しています。



運行開始当初は「香林坊/鈴見」表記でした。
後に香林坊や兼六園下始発の便が多く設定されるようになったため、
香林坊の表記が消えたものと思われます。
(少なくとも92年には「鈴見」のみの幕が確認できます。)

この幕はローマ字併記になって現在も西部営業所の車両に入っていて、
一日わずか数本ですが見ることができます。

画像は金沢大学線誕生のころの姿です。まだ駅西口発着になる前でした。
画像:Commuter Rapidさんご提供。



画像はおがさんご提供のもので、初期の金沢駅行きの幕です。
94系統とともに、香林坊表記が入っている点が特徴です。



東部担当の金沢駅行きの幕です。
かつてはカラー幕かつ番号入り幕だったのですが、
幕の合理化のためか99年頃よりこのような幕になりました。
市内方向に向かうのでわざわざ色つき幕にする必要がないと
判断されたのでしょうか。

路線番号が消えため、92系統と共通の幕になりました。
現在ではこの白黒番号なし幕は、東部営業所の特徴にもなっています。



こちらはカラー幕ですが、番号表記はありません。
この幕は柳橋営業所の一部の車両に入っていました。
ただ、幕を92系統と共用にするのかというとそうでもなく、
92系統はなぜかこれとは別に白黒幕(「鈴見/香林坊 金沢駅」)を使用していました。



金沢駅方面へ向かう路線は幕の合理化が行われ、
路線番号入りカラー幕は珍しくなってきていますが、
南部営業所の車両では、現在でもかつて東部で使用されていた幕を
見ることができます。



平成4(1992)年3月から平成10(1998)年3月までの間、
金大線は金沢駅西口発着でした。
これは現在のように駅西口〜中橋〜六枚町〜武蔵ヶ辻という経路ではなく、
金沢駅西口〜(駅西大通り:JRバスと同じ経路)〜金沢駅〜本町
というもので、金沢駅には東口と両方停まっていました。

当時は金沢駅東口での金沢大学・田上方面行きの乗り場は
14番乗り場(都ホテル前。ふらっとバスの乗り場あたり)で、ターミナル
から離れていたため、開業したばかりで発着本数にも余裕がある
西口ターミナルに乗り入れて乗客の利便を図ったものと思われます。
(これがもしあと5年遅ければ、おそらく中橋・六枚町経由になっていた
のではないでしょうか。)



かつては香林坊止まりの便も数多く存在していました。
ローマ字入りでカラー幕のこの幕は現在では南部車でしか
見ることはできなくなっていますが、かつては寺井営業所にも入っていました。

画像はローマ字なし時代のものです。



99年頃以降の東部担当便の香林坊行きは、例によって
白黒幕になっています。





94系統は、平成2(1990)年5月に運行を開始しました。
この路線開設には旭町付近に下宿する金大生の要望があったそうです。
この区間は、98年からは新たに96系統も加えて本数は平日では
かなりのものとなっています。

一時期は暁町などを通過する快速便もありましたが、
現在では兼六園下以降の旭町エリアの乗客がメインのため廃止されています。
平成18(2006)年からの交通実験で金大〜旭町間が運賃100円となり、
学生にたいへん喜ばれております。これに伴い、金大〜旭町〜小将町の
区間便も運行されています。




▲画像:若原さんご提供。

平成9(1997)年から平成15(2003)年4月までの間、
朝に片道一本のみ金沢駅から金沢大学行きの快速便が存在していました。
途中の停車停留所は、武蔵ヶ辻・香林坊・兼六園下・桜町・旭町・金沢大学中央で、
主要停留所にのみ停車し、一時間目の講義に間に合うように
運行されていました。



平成18(2006)年頃より、金中担当便の94系統も誕生しました。
経由地表記は「香林坊」のみとなっています。
「94と書いてあるのだから旭町経由なのは分かるだろう」
ということなのでしょうか。



運行開始当初はやはり「香林坊 旭町」表記の幕でした。
現在では西部担当便に残るのみとなっています。
個人的にはこの幕が一番親切で分かりやすいと思うのですが。。。







現在の南部担当便の金沢駅行きの幕です。
かつてはローマ字併記になる前の東部車などでも見ることができました。







こちらは金中の幕です。
やはり「香林坊」表記となっています。



西部担当便の金沢駅行きの幕です。
金沢大学線が登場した当時(まだ金沢駅西口に乗り入れる前)は
ローマ字なしのこの幕が東部の車両でも使われていました。



現在の東部担当便の金沢駅行きの幕です。
路線番号を書かずにほかの路線と幕を共通化しているのが東部営業所の
幕の特徴なのですが、新調された98〜99年ごろの東部担当路線で
この幕が使えそうなのはこの94系統だけで、
幕の合理化というよりはほかの金沢駅行きの幕と同じ仕様に合わせるために
わざわざ新調されたようです。

ところが、結果として新調して正解だったようで
平成13(2001)年3月に95系統が東部担当となると、めでたく(?)
95系統の金沢駅行きにもこの幕が使われるようになりました。



…こんな幕を掲げて走っているのも何度か見たことがあります。
金沢大学の時点では94系統なのか93系統なのかはたまた97系統なのかも
分からないというとんでもない幕です。



………

もはや幕の全機能を自ら放棄しているというある意味珍しい幕です。
ごくまれにこんな幕を掲げて金大線を走っているのですから、
東部営業所、恐るべし。

※ただ、決して「旭町 金沢駅」の幕が入っていないわけではなく、
運転士が幕回しを面倒がって(金沢駅→金沢大学の折り返しでは問題ない
のですが、回送からの金沢駅行きの場合は「旭町 金沢駅」の幕に到達する前に
「金沢駅」の幕があるからつい使ってしまっているのではないでしょうか。)



こちらは98年まで使用されていた金沢駅西口行きの幕です。
97・98年頃は営業所のエリアの境界があいまいになりつつあり、
この幕も西部営のものです。このほか南部車にもこの幕が入っている
のを見たことがあります。もしかしたらまだ残っているかもしれませんね。

▲金沢駅西口発着時代の横幕です。



兼六園下行きの幕です。
金沢大学線の区間便のほとんどの便が小将町か香林坊発着と
なっていた中で、このように兼六園下行きや桜町行きも一時期は
存在していたようです。



この94系統の香林坊行きの幕は、東部のほかにも
西部、柳橋、野々市、寺井、南部の各営業所に入っていました。

▲ローマ字併記幕は現在でも見ることができます。
 画像:スユさんご提供。




東部の現在の香林坊行きの幕です。





97系統は平成10(1998)年3月に新設されました。
金大生の「バザール前にもバス停を作ってほしい」との要望に
応えての開設でした。
金大線の中では最も目立たない地味な路線と経路ですが、鈴見町バス停には
それなりの需要があり、07年4月より99系統もこのバス停を通る
ようになっています。

幕は最近新調された東部の幕です。93・94系統の仕様に準じた形ですね。
この97系統は謎の多い幕が数多く存在しています。

画像ご提供:若原さん。


▲LED幕は「(浅野川大通り)」表記です。
 画像:あおさぎさんご提供。




運行開始当初の幕です。もはやどこを通るのか全く理解できない有様です
が、当時は現在の山側環状のことを「浅野川大通り」と呼んでいたそうですので
「鈴見町」と書いて93系統と間違えられるよりも、通称で経由地を、
ということでこのような幕になったものと思われます。

当時は柳橋(のちにほくてつバス)と東部が担当していました。
現在でもLED幕で見ることができます。



東部の一部車両に入っていたこの幕ですが、
果たして使われていたのかは分かりません。
よくよく見ると「若松西」と「鈴見町」が逆になっています(^^;)

画像:若原さんご提供。



東部の一昔前までの幕です。07年ごろまではこの幕が主流でした。
どこを通るのかはいまひとつイメージがわきませんが、
どのバス停に止まるのかは分かりますね。

現在では「97鈴見町 金沢大学」の幕が主に使われています。



登場当初の金沢駅行きの幕です。
東部、柳橋ともにこの幕が使用されていました。



さきほどの「浅野川大通り」幕の折り返しの金沢駅行きです。
この幕は、東部営業所で01年ごろから使用されていました。



これまた東部幕で、
かつては香林坊止まりの系統もあったようです。



さきほども紹介したこの幕ですが、
「97(反転の)若松西 鈴見町 金沢大学」の幕の下に入っていて、
この幕の下にはさらに「浅野川大通り 金沢駅」の幕が入っていました。
ですので、ほんとうに使い道が分からない幕です。



金沢駅行きの幕で、07年まで使用されていました。
今回は番号はついていますが、白黒幕です。

どこまでも市内方向は白黒幕にこだわる東部です。。。



最近になって幕が新調されると、金沢駅行きの幕も
経由地表記が「鈴見町」のみとなりました。
しかし、それでも相変わらず白黒幕でなぜか番号付きです。



平成18(2006)年に新設された金沢大学→小将町の幕です。
担当は東部・金中・野々市・柳橋でしたが、
同年7月には野々市担当便は消滅しました。
画像は野々市担当便で、98系統の間合い運用だったようです。
画像のとおり、野々市便のみ94番を掲出していました。



こちらは金中担当便です。
珍しく金中が番号を掲出していないので、東部車のように見えますね。



実は交通実験以前にも過去に小将町行きは存在していました。
兼六園下MPに入庫する回送代わりに日中に数本走っていました。
その頃の幕はいたってシンプルにこのような幕でした。



以上、金沢大学線の3系統をご紹介しましたが、
このほかにも入試や学会、資格試験のたびに臨時バスが運行されています。
この担当には、ほくてつバスや加賀白山バスなども入っており
「臨時」幕掲出だったり、しっかりと93番の幕を出している場合や、
画像のように系統番号のみ掲出で行先は「臨時」という表記も見られます。

画像ご提供:あおさぎさん。

===================================== =============

トップへ戻る

【方向幕博物館】92鈴見線

【方向幕博物館】53西金沢線