金沢駅ターミナルものがたり【簡易版】               




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■90年代、金沢駅前バスターミナルの記録

平成10(1998)年3月まで30年以上使用されていた旧バスターミナルは、
長らく金沢の交通拠点として親しまれてきていました。
下の図は、90年ごろの金沢駅前広場の構造を描いたものです。
バスターミナルとタクシーのりばは現在と同じ位置にありますが、
当時のバスターミナルは現在のように路線バス専用ではなく、観光バスや自家用バスも
乗り入れが可能でした。
駅からバスターミナルへ行くには、駅の東口出口付近にある階段でステーションデパート等のある
地下へ下りて、地下道を渡っていく必要がありました。
以下、写真とともに当時の金沢駅バスターミナルと駅前のようすを振り返ってみることとします。


▲画像:おがさんご提供。

現在の日航ホテル側から90年ごろのバス降車場と金沢駅を写した写真です。
このバス降車場は、JRバスと六枚町方面からの北鉄バスが使用していました。 現在と異なり、当時はまだリファーレ前の通りが完成していなかったため、大半の路線が 武蔵ヶ辻方面行きは本町経由、金沢駅方面行きは六枚町経由となっていました。 そのためほとんどの路線でこの降車場が使用されていたわけですが、 七ツ屋経由の70番台各路線と、松任方面(40・41・44・快速小松など)各路線と 51・54・56系統は金沢駅方面行きも白銀交差点を右折して金沢駅へと至っていました。 ただし、途中に本町バス停は設置されず、武蔵ヶ辻の次は金沢駅となっていました。
これらの路線の金沢駅での降車場は「茶屋旅館前」と呼ばれる場所で、現在のガーデンホテルの やや本町寄りにポール一本のバス停が置かれていました。
左の画像(もりさけてんさんご提供)がその場所で、停車中のバスは降車扱いをしている 最中です。左上の画像も、ほぼ同じ場所から茶屋旅館前降車場を撮影したもので (おがさんご提供)、こちらは90年ごろの様子です。停車中のバスは83年式日野RTで、 快速小松線での運用でしょうか。
なお70番台の路線は、ここで降車扱いをした後、バスターミナルに乗りつけて乗車扱いを 行っていました。

ところで、左上の画像は画面奥にスカイホテルが写っていますね。現在とは付近の様子が 全く異なっていることがよく分かります。道路も、すぐに右方向にカーブし、4車線区間も 駅前のわずかな部分だけでした。
左,左下の画像はCommuter Rapidさんご提供の89年ごろの金沢駅前の様子です。 さきほどの画像とは異なり、金沢駅側から日航ホテル方面を撮影したものですが、まだ 日航ホテルは完成前で、とくに左の写真ではとてもこれが金沢駅前だとは現在の様子からは 分からないくらいです。
写真から分かるように、六枚町方面からの降車場はバス4台ぶんの駐車スペースがあり、 とくに降車場の後方からは駅舎までかなりの距離があったように思います。

下の画像もCommuter Rapidさんご提供のもので、金沢駅バスターミナルの2番標識から 3番標識を89年ごろに撮影したものです。画像からも分かるように、1〜3番標識は大通りに 面しており、そのためこれらののりばは他のホームと異なり、シェルター構造となっていました。
バスの後方には「清酒 日栄」の看板と、その下に北鉄航空の建物が見えます。
左の画像はタイムトラベラーさんご提供の、やはり金沢駅3番標識付近から日航ホテル方面を 撮影した写真ですが、こちらは80年ごろの様子だということです。 現在とあまり変わっていないのは都ホテルくらいで、この写真ではガーデンホテルもまだ確認できません。
左下はH−199さんご提供の、90年ごろの金沢駅2番標識付近からの写真ですが、 都ホテル側の歩道が整備されている点など、10年間で駅前の整備も少しずつ進んでいることが 伺えます。
下の画像は、07年5月に日航ホテル側からバスターミナル方向を撮影したものですが、 この頃には新バスターミナル供用開始後もそのままの姿だったホリディイン金沢も名称を変え、 さらに建て替え工事が行われており、画面右側にかすかに写っている都ホテルのみが 当時と変わっていない唯一の建造物となっています。
左,左下の画像はおがさんご提供の、90年ごろの金沢駅バスターミナルの写真です。 写っているバスにもたいへん興味が向くところではありますが、それはJRバス車両ファイル のほうで解説するとして、
左の画像は現バスターミナルの1番標識付近から、全日空ホテル方面を撮影したもので、 この写真にも奥のほうに完成したての全日空ホテルが見えます。停車しているバスは 国鉄カラーのままのJRバスで、バス駐車スペースで待機中のようです。 のりばの構造からか、JRバスは画像のように北向きに停車し、北鉄バス(写真ではJRバスの左に 駐車スペースがある)は南向きに停車していました。

下の画像は、金沢駅の駅舎側から北鉄駅前センター方向へ撮影したもので、 現在の位置とほぼ同じ位置に当時の北鉄
駅前センターがありました。 その横は北鉄金沢駅となっており、画面のバスの後方に北鉄金沢駅と「のりば」看板が見えます。
画像のJRバスと、後方の北鉄バスはおそらく先述の駐車スペースがいっぱいだったために この場所に駐車しているものと思われます。今振り返ればけっこう狭いバスターミナルでした。

最後に、リファーレ方向から金沢駅方面を撮影した新旧の画像を紹介します。 上の画像はおがさんご提供の90年ごろのもので、下は私が09年夏に撮影したものです。 電線の地中化や駅舎の改築、道路の拡幅などの変化が見てとれます。また、かつては13番標識が 電照式バス停だったことも思い出させてくれます。





■金沢駅ターミナル のりばの変遷

金沢駅の駅舎は現在のもので4代目で、駅前バスターミナルは3代目の
駅舎誕生にあわせて整備されたものが最初と思われます。
それ以前は旧駅舎の目の前にそのままバスが乗りつけ、ポール型バス停が何本か立っていた
ということが古写真などから分かっています。

本格的なバスターミナルは昭和27(1952)年2月から供用を開始しています。
同年の4月には3代目金沢駅の駅舎完成も控えており、
この新駅舎が旧駅舎より20m東側に張り出したため、バスのりばを移転させての誕生だった
といいます(「ほくてつ」より)。

このターミナルは現在の昭和大通り上に建設されたもので、
かなり狭い空間に6つの乗り場が設けられていました。
じつは、このターミナルは金沢駅前広場の整備完成までの間の仮ターミナルで、
当初は3年程度しか使わない予定だったようです。

しかし、
「場所としては必ずしも適当ではないかもしれないが、約3ヵ年の混雑宥和と北陸における
気象上の不便をいささかでも補い乗客に満足を得ていただくため敢えて犠牲を忍んで
建設した」(「ほくてつ」昭和27年1月号より)とのことで、
「北鉄金沢駅前バスステーション」と名づけられたターミナルは鉄筋コンクリート製で、
1番標識から6番標識までの全体を覆う波鉄板葺の屋根が設けられ、
待合室や案内所、切符売り場、洗車場を備えていました。

屋根で覆われたターミナルは後にも先にもこのときだけですが、
わずか3年後の昭和30(1955)年11月には、新設された大聖寺自動車区車庫に
この上屋が移築され、金沢駅ターミナルは吹きさらしのターミナルとなってしまいました。
どうやらこれには法律の規制が関係しているようで、
駅前広場内に構造物を作れない(ようになった?)ため、やむなく上屋を移築したものと
思われます。

さすがに野ざらしのターミナルはよくない、とのことで何度も北鉄は金沢市当局に
待合所の設置許可を求めますが、先述の規制(詳しい内容は不明)により断られ続けます。
しかし、市民からの要望も強く、「バラックならば」ということで屋根と柱だけの
簡易待合所がのちに作られました。
この待合所も規制ギリギリのところで補修が行われ、新ターミナル完成前には
腰板も張って風雨の当たりを少なくしていたようです。

しかし、金沢駅前広場の整備は遅々として進まず、
結局は昭和30年代のほぼすべてを旧ターミナルで過ごすこととなります。
その間バスと乗客は増え続け、6つの乗り場のうちホームがあるのは2つのみで
あとは路上からの発車で、金沢駅からこれらのバスのりばに向かうには、
ひっきりなしに発着するバスの前後を隙を見て渡る必要があり、危険きわまりない
ターミナルとなっていました。

この間、昭和34(1959)年5月には南安江町の元長組木工場跡地に
車庫が新設され(先代の金沢駅前MP)、新設の定期観光と貸切車の営業ならびに
洗車場が設置され、金沢駅前ターミナルから若干の機能移転が行われました。
なお洗車場には北陸初の自動洗車機が取り付けられていたそうです。
(「北陸鉄道30年史」より)

わずかながら改善の手が加えられていた初代ターミナルですが、
昭和38(1963)年にはついに同ターミナルの一日の発着台数が約千台に達し、
このため北鉄でも7:30から19:30ごろまで常時2人の案内係を出して
誘導に当たっていましたが、平和町行きのバス以外は整列乗車をする人は全く見られず
(というか最近まで金沢駅では整列乗車なんて見られませんでしたが)、
来たバスに乗客が殺到する状況は改善されませんでした。
加えて、ターミナル内の路盤は荒れてデコボコになっていて雨の日はとても歩けない
ほか、夜間は照明が全くなく、一刻も早い新ターミナル完成が待ち望まれていました。







そして昭和39(1964)年7月、ついに2代目金沢駅前バスターミナルが完成します。
このターミナルは現在の4代目ターミナルと同じ位置にあり、平成10(1998)年3月まで
使用されていましたので、記憶に新しい方も多いかと思います。

バスターミナルには4つの島式ホームが設置され、最も駅舎よりの1本が国鉄バス、
のこり3本を北鉄バスが使用することとなりましたが、
当時はホームのみで、上屋の設置は駅前広場の美観や交通の見通し阻害のおそれから
保留となってしまい、相変わらずの野ざらしターミナルとしてスタートしました。

しかしさすがに危険と判断されたのか、昭和39(1964)年8月には
はやくもホームに防護さくが設置されました。



上の図は昭和42(1967)年2月の市電廃止にともなう改正後の金沢駅前ターミナルの
乗り場を表したものです。
12番のりばがまだ完成していないことが後年との大きな違いです。
そのため工学部線、錦町(A)線、田上線、医王山線、卯辰山線は
ターミナル外の福井銀行前からの発車となっていました。
また、平和町方面と工大・円光寺方面、春日町方面の乗り場のみ98年まで変わることなく
続いていきますが、それ以外の乗り場はすべて後年と異なるほか、
方面別にあまり乗り場が分けられていないような感じとなっています。
同じ橋場町・小立野方面の工学部線(のちの錦町B線)と湯涌線・駒帰線が違う乗り場だったりと、
市内線か郊外線かで乗り場を分けている傾向も見られます。

さて、この間にもターミナルには改良の手が加えられており、
昭和40(1965)年3月には1番ホーム(1番のりばから6番のりばがあるホーム)に
きっぷ売り場を設置し、
昭和43(1968)年3月には同じく1番ホームに待望の上屋が設置されました。

しかし、この間のバス車両の大型化に伴いホームへの流入が難しくなり
ターミナル内運行の安全性の低下や、朝夕ラッシュ時における自家用バスの広場乗り入れ増加
によって、ターミナル内の混雑が激化しバス運行に支障がでてきたため、
ホームの改良が実施されることとなり、これに合わせてすべてのホームに上屋が設置される
ことになりました。





金沢駅前ターミナルのバスホーム改良工事は昭和47(1972)年10月に完成しました。
この工事では、各ホームのかどをなくしバス運行の円滑化と安全性の向上が図られたほか、
1番ホームの上屋を6m増設、2番ホーム33mと3番ホーム27mに上屋を新設しました。
この完成により、これまで上屋のなかったホームでは雨や雪の日には乗り場に着いたバスに
先を争って乗車するという混乱がなくなりました。

この工事では、3番ホームに新たに12番乗り場(北鉄では「○番標識」という言い方もします)が
設置され、これにともない乗り場の変更が実施されました。
最も大きな変化は、これまで福井銀行前から発車していた錦町A・B線、医王山線、卯辰山線、
湯涌線(昭和42年時点ではターミナル内からの発車となっていましたが、その後福銀前からの
発車に変更されていたようです)がターミナル内からの発車となった点です。
これで兼六園や湯涌温泉への観光客にとっては地下道を渡る必要がなくなり、便利になりました。
(なぜか田上線のみ福井銀行前発車のまま残され、その後も01年までそのままでしたが、
なぜ同線だけ冷遇(?)されていたのかは謎です。)

その後昭和49(1974)年の路線再編などを受け、昭和53(1978)年までに
一部ののりば変更が行われています。
1番標識から4番標識までは基本的に変わっていません
(循環東大通り線の代替である鳴増線と香林坊循環線は1番標識から)が、
5番標識には従来の能登方面急行・特急と卯辰山線、五郎島線の鞍月行きの
ほか新設の小松空港行き特急と、6番標識から移動の打木線が加わっています。

その6番標識には、従来の白峰線、安原線に加えて野町線(金沢駅〜野町駅 30分毎)が
発車するようになりました。
7番標識には10番標識から野々市線が移動し、鳴和増泉線の西金沢行きや、西泉経由の平和町行き
と合わせて西泉方面への乗り場が統一されました。
10番のりばには野々市線の抜けたあとに医王山線が入り、こちらも香林坊・小立野方面への
乗り場に統一されています。
このほか、松任・小松方面の12番のりばから発車していた金石線(ラッシュ時のみ)は
昭和大通り上の日通向かいからの発車に変更されています。





昭和54(1979)年10月に循環線が廃止されると、さらに若干ののりば変更が行われました。
循環線専用ののりばだった4番標識には、12番標識から快速小松線と温泉特急線が移動し、
同じく12番標識から発車していた松任線は野々市線と同じ7番標識へ移動しています。
かわりに12番標識には六枚町方面の路線が集められ、循環線代替の旭町線や
鳴和増泉線、西泉平和町線、伏見橋線(鳴増B線)、打木線がここから発車するようになりました。

なお、この頃金沢駅に姿を見せるようになった鈴見線はターミナル内には入れてもらえず、
田上線と同様の14番標識からの発車となり、
これ以降鈴見方面への路線はこのターミナルの時代はすべてここからの発車でした。





昭和62(1987)年7月に北鉄初の高速バス名古屋線が誕生すると、その後は
続々と高速バス路線が開設されました。
これに合わせて再び金沢駅ターミナルののりば変更が行われ、
高速バスと小松空港行きは5番標識からの発車となりました。

それに伴い、従来5番標識から発車していた奥能登特急(輪島行き)と
この頃誕生した中能登特急(七尾・和倉方面行き)は1番標識へ、
同じく5番標識からの発車だった卯辰山線と富来・門前急行、そして10番のりばからの医王山線が
4番標識へ移動しました。
どうもこの頃から4番標識はまとまりのない乗り場となってきたように思います。
発着本数が少なく、余裕があったためか朝夕ラッシュ時には10系統の錦町行きの一部も
ここから発車していました。これは80年代末期から錦町方面の路線が通学時間帯に
増発されたためで、従来の10・11番標識だけではさばききれなくなった結果だと
思われます。
その11番標識は錦町B線のみの発車となり(当時は日中でも9〜15分間隔でした)、
10番標識には錦町A線と犀川線、湯涌線が集められました。

このほか、金沢駅西口ターミナル完成までのつなぎ役(?)なのか
西金4丁目行き、宇の気行き、下安原行きは12番のりば発車に集約され、
この頃誕生の森本線は6番のりばからの発車となりました。





平成4(1992)年ごろには一部ののりば変更が行われました。
主な変更点は、3番標識に上諸江方面各路線が移動し、2番標識に花里線が移動し、
空いた1番標識は能登方面への特急バスと高速バスの新潟線ののりばとなりました。





平成に入り、まず金沢駅の駅舎が現在のものになり(4代目)、
老朽化のすすんだ駅ビルと駅前広場およびバスターミナルの建て替えが決定されました。

新バスターミナルは当時のバスターミナルと同じ位置に建設されることとなり、
工事完成までの間、タクシー乗り場の位置に仮設のターミナルが建設されました。
このバスターミナルは島式ホーム2本に、ロータリー形に周囲にのりばを配したもので、
現在のターミナルと98年までのターミナルのちょうど過渡期的な構造でした。

個人的にはこの仮設ターミナルが歴代ターミナルの中でもっとも機能的だったと
思うのですが。。。
ターミナルからの出発もスムーズでしたし。。。





平成13(2001)年9月、新バスターミナルが暫定供用を開始しました。
これまでとは異なりロータリー形状で、完成したのは現在の1番標識から
3番標識までで、ほかののりばはガラスドーム(もてなしドーム)の工事の関係から
プレハブ作りでした。

また、このときに北鉄の駅前センターが現在地へ移転しています。
同時に駅前センターの前に0番のりばが設けられ、
柳橋方面への82・88系統と城下まち周遊号、県内特急バス、定期観光が
ここから発車していました。
このほか、後に一時期夜行バスもここから発車していた時期もありました。

このターミナルの暫定供用により、これまで一度もターミナル内から発車したことの
なかった田上線がターミナル内の3番標識からの発車となり、
13番標識(新ターミナル完成後も13番のままで、そのため12番標識が現在もありません)からは
三国競艇や金石方面からの金大附属学校行きと兼六園下行きのみの停車となりました。

暫定供用ということで、この当時はターミナルが現在よりも若干狭く、
バス待機場も現在とは異なっており、横に2台並んで停車するなどずいぶん苦しい感じが
していました。
リファーレ方向からの降車場も完成しておらず、北鉄バスは3番標識をのぞくすべての
のりばが降車場兼用となっていました。
とくに6、7、8番標識は発車するバスの合間を縫ってひっきりなしに金沢駅終点となる
バスが到着していました。
もちろんこれだけでは足りないため、ターミナル内に降車場が設けられていました。
この降車場は、ターミナル中央の吹き抜け部分の工事の進行により、
平成15(2003)年ごろには撤去されていたように思います。




一方の西口は新ターミナル暫定供用後もとくに変化はありませんでしたが、
平成15(2003)年1月の県庁移転に伴い、
シティライナー便が新たに加わっています。

当時のシティライナー系統はすべて東口にも停車しており、
東口では県庁方向行きはすべて3番標識から、
野町駅行きは7番標識から、大桑住宅行きは9番標識から発車していました。





平成16(2004)年9月に新バスターミナルは完成し、現在の形になりました。
駅前広場の完成は、この半年後のことです。
0番標識はなくなり、かわりに6,7,8番標識のあった場所に
6,7,8,9番標識が設置され、のりばは1〜11番標識となりました。

0番標識の機能はすべて1番標識に移され、1番標識から発車していた
小松空港行きは、コンコースに最も近い6番標識からの発車となりました。

このほか、現在と異なる点では、
3番標識から01・02・03系統や77系統の問屋団地行きが出ている点や、
8番標識から野町駅行きが出ている点が挙げられます。






平成20(2008)年12月改正で、金沢駅ののりばが久しぶりに変更されました。
変更点は、西口4番から発車していた橋場町経由錦町方面各路線を
東口3番に変更し、城下まち周遊号もここからの発車とし、
橋場町(ひがし茶屋街)・兼六園への観光客に分かりやすくしたことと、
小松空港行きを東口6番から西口5番に変更し(10系統などは西口4番に)、
金沢駅での2箇所停車を解消しスピードアップさせたこと(同時に空港行きの乗車券発売所を
西口に設置)、
東口3番から発車していた兼六園下・鈴見・旭町・金沢大学方面各路線を
東口6番にしたこと(兼六園シャトルは従来どおり東口6番のまま)が挙げられます。



今後、各時代の画像(とくに仮設バスターミナル時代以降)を追加し
完全版の完成を目指しますので、完成はしばらくお待ちください。

なお、現在の金沢駅前バスターミナルについては、
もりさけてんさんのサイトもご参照ください。  (直リンク)



(10.8.11 更新)


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